全員「社長を目指す」をコンセプトに36年前に設立された学生企業

真田哲弥氏(以下、真田):それでは始めていきますね。まず、本日登壇していただくみなさんをご紹介します。「リョーマから紐解く」というタイトルになっていますが、実は当時、一緒に学生時代を過ごした兄弟団体があって、それと絡み合って我々の歴史が作られてきました。

リョーマだけでは全体像が見えなくなるので、3つの団体から1人ずつお越しいただきました。まずはリョーマ出身の加藤さんです。

加藤順彦氏(以下、加藤):こんにちは、加藤順彦です。よろしくお願いします。

(会場拍手)

真田:後ほどみなさんについて詳しく説明しますが、まず簡単に名前だけ。次はSYN出身の川田さんです。

川田尚吾氏(以下、川田):川田です。よろしくお願いします。

(会場拍手)

真田:次に、キャンパス・リーダーズ・ソサエティという団体をされていた今井さんです。

今井祥雅氏(以下、今井):今井です。よろしくお願いします。

(会場拍手)

真田:PowerPointってどうやったら進むの? PowerPointの使い方が、もはやわからなくなってしまいました(笑)。

(会場笑)

本日の全体の流れとしては、知らない方のために「リョーマって何だったの?」ということをまず簡単に説明します。その後、我々でいろんなテーマについてディスカッションしていきたいと思います。それでは加藤さん、「学生企業・リョーマとは何か」、説明をお願いします。

加藤:今から36年前の1986年、「運転免許の合宿の会社をやるから手伝え」と言われまして。代表者の真田さん、その中学・高校の同級生で今はGMOインターネットという会社で代表取締役副社長をやっている西山(裕之)さんの2人に声をかけていただいて。この写真で西山さんの隣にいるちっちゃいのが私で、その横で両手を腰に当てているのが真田さんです。

その3名に佐々木(康)さんという人を加えた4名で、新大阪の駅前のワンルームマンションでスタートしました。その後、サークルの情報誌を作るためにマーケティング事業部を立ち上げて、他の部屋も借りて運用を始めました。真田さんは、情報誌を配り始めた頃に東京に出て行ってしまいましたけど(笑)。

真田:いやいや、そんなことないです。2巻目まではいました(笑)。

加藤:当時、「大学生を集めて学生企業をやろう」と呼びかけていまして、関西一円からわらわらと人が集まってきました。一番多かった時は、たぶん15~16名いたと思います。

学生社員たちは全員「社長を目指す」というコンセプトでやっていました。実際ここに出ている人たちは、みんなその後上場したり、親の会社を継いだりしています。また、サラリーマンとして就職した会社でそのまま社長になっちゃった人もいます。

リョーマ出身者の華麗なる経歴

真田:今日は「正史」だから、日本のベンチャーにおいてリョーマ出身者たちがどういう人生を歩んで、今何をしているのかというところを、ベンチャーの歴史とオーバーラップさせながら語っていきたいと思います。

スライドのこの写真は当時の社内報だと思いますが、左上は今GMOインターネット代表取締役副社長をしている西山さんですね。

加藤さん、他にはどんな人がいたんでしょうか?

加藤:西山さんの写真の2つ下の山下栄二郎さんという人は、今トランスコスモスの中国の董事長、社長をやっていますね。その隣の木下(勝寿)さんは今、東証一部上場の北の達人コーポレーションの社長です。

その隣の松本浩介さんは、その後私と東京に出ていきまして、「上場請負人」ということで、KLabも含む上場企業4社の社外取締役です。それに加えて、今5社ぐらいのスタートアップの上場に挑戦しています。

その隣の砂山(明久)さんはリクルートを経て、今はメディアハウスエージェンシーというリクルートの最大手の代理店で社長をやっています。一番端っこの森(輝幸)さんはGMOメディアという媒体部門の会社で社長をやっています。その上の中谷貴之さんは、船井総研ホールディングスの社長をやっています。こんな感じですね。

真田:そんな感じですね。実は「調べるお」さんという、リョーマのメンバーでもなんでもない外部の方が、リョーマの系譜や、今何をしているかということを調査してネット上に発表してくださっているんです。なので、「調べるお」で検索していただくと、このあたりがかなり詳しく出てきます。あともう一つはANOBAKAですね。

加藤:そう。『あのバカにやらせてみよう』ですね。

真田:今回もANOBAKAというベンチャーキャピタルが参加していまして。もともとの社名はKLab Venturesだったんですけど、『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』というタイトルの本があって、それが今の社名の語源となりました。当時の学生ベンチャーからの流れを小説風に描いた本です。

加藤:魚拓でちゃんと読める状況になっていますから。

真田:もう絶版になっていて、1万円以上の高い値段で取り引きされていますが、ネットではタダで読めます。興味がある方はご覧ください。ということで、リョーマはこんな団体でございました。

加藤:1992年までやっていました。

政界から財界まで幅広く人を輩出したSYN

真田:次はSYNについて。

川田:当時、東洋センカさんという広告代理店がありました。ここに、事業を全部学生に任せちゃう「学生事業部」を作るというお話があって。最初、今井さんが加納(一信)専務とお話されたんですよね。

学生事業部ができると、当時東京にいた学生企業志向の強い学生たちがわらわらと集まってきました。SYNはそうやってできた団体なんです。この写真の左上の金野(索一)さんがリーダーになって、そこにいろんな学生たちが集まってきたんですね。

どんな学生たちが集まってきたのかというと……。まさに、「調べるお」というサイトを運営されているOshibaさんがまとめてくれた記事があります。金野さんは学生企業としてスタートアップ的なことをやっていたんですが、公共性について強い関心を抱いていた。その後、わりと政治的な方向に活動の中心を移して、今は日本政策学校の学長をされています。

真田:この間会ったんですが、日本政策学校出身の政治家がすでに何十人もいるということでした。「影のキングメーカーになるんだ!」とおっしゃっていて(笑)。

川田:ちなみに僕がマッキンゼーにいた頃に、大前(研一)さんが独立されて作った(起業学校、アタッカーズ・ビジネス)スクールを金野さんも一緒に立ち上げていて。その後コロンビア大学でMBAを取得されたりしてキャリアを歩んでいかれました。

SYNのトップが政治系に行ったものの、他の連中は資本主義ど真ん中で(笑)。ここに載っている玉置(真理)がこの後ザッパラスを立ち上げ、上場させて。

それから高橋(広敏)ってやつは、確かSYN時代に飛び込み営業をいろいろしている時に「すごい会社がある」とすげぇ感化されて。「そこに行く」と入社したのが、当時まだ社員が数名しかいないインテリジェンスだったと。その後、彼がインテリジェンスを上場までサポートして、最終的には社長になる。今はM&Aというかたちでパーソルと合体して、パーソルホールディングスの副社長ですね。

真田:あの、全員その詳しさで説明していると終わらないので……(笑)。

川田:そうですね(笑)。

真田:あと田中泰延さんのご紹介はしましょうか。これは加藤さんからお願いします。

加藤:彼はその後電通に行って、一昨年、本がバカ売れしてですね。会社員を辞めてから今、社長になったという。かなり遅咲きの田中泰延さんという人もいますね。

川田:この表には13人の名前がありますが、そのうち3分の1ぐらいがマネジメントとして会社を上場させているんですね。このように、かなり起業家志向の強い集団だったわけです。

東京の今井祥雅氏と大阪の真田哲弥氏の出会い

真田:次は今井さん、よろしくお願いします。今井さんのことをご存知の方は少ないかもしれませんが、僕がキャンパス・リーダーズ・ソサエティの今井さんと出会わなかったら、おそらくSYNという団体も存在しなかったかもしれない。そうするとひょっとして、ディー・エヌ・エーもできなかったかもしれない。そういう我々の元祖、親分格の今井先生、よろしくお願いします。

今井:真田さんに声をかけていただいて、今回IVS初参加でして、この3日間本当に楽しませていただいています。昨日寝る前に名刺を数えたら48枚ありまして、新しい人と出会うことができています。まずはIVSのみなさん、こういう機会を与えてくださってありがとうございます。

キャンパス・リーダーズ・ソサエティというのは、1980年代に全国の大学にある学園祭実行委員会、広告研究会、放送研究会、映画研究会、ミニコミ研究会、プロデュース研究会など、横のつながりをネットワークした巨大連合会です。

若者といえば、今はITですよね。その10年前はHRだった。そのもっと前、高度経済成長期が終わる頃には、「単一的な産業拡大より、もっと若い人たちの企画力で日本を変えていこう」みたいな大きな流れが日本にありました。「企画を考える」のが若い人たちの間でブームになって、「企画系サークル」というものが光を浴びていた時代があったんですね。

その時に私は、学園祭の実行委員長や広告研究会の代表をやっていまして。そうすると「隣の大学のサークルにおもしろいやつがいる」「そのまた隣の学園祭(実行委員)にもおもしろいやつがいる」など耳に入ってくるんですよ。

「もしかしたら、日本全国に広告研究会ってあるの?」「放送研究会やミニコミ研究会ってあるの?」と思っていたら、実際あるということで。それから新進では「プロデュース研究会」なんていうのが各大学にできて、ミスコンテストをやったりしていました。

実際に行ってみると、それぞれの大学で番張っているようなやつらがいて、そいつらと仲間になって、全国規模のメディア系サークルを作ろうということになった。

その時に噂で「大阪に、真田っていうおもしろい男がいる」と聞いたんですね。当時はネットもありません。「真田哲弥」「関西学院大学」という2つのキーワードだけで、東京から夜行バスに乗って真田さんを探しに行ったんです。

大阪に着いて1日目は、学食で聞き込みをしても「知らない」とか「知っているけど学校には来ないよ」とか「佐川さん? 武庫之荘って所に住んでるよ」とか、いろんな単発の情報は出てくるんだけど、結局探せなくて。次の日に、誰かの電話連絡で会うことができまして、それが彼との運命的な出会いでした。

彼としては突然ですよね。東京から来た知らない人に「おもしろい人を探して全国を飛び回っているんだよ」なんて言われて。真田さんはその後リョーマという会社を作っていくわけです。

1イベントで3,000人の若者を集めたキャンパス・リーダーズ・ソサエティ

昨日、目頭が熱くなるような感動的な講演をやってくれたUSEN-NEXT HOLDINGSの宇野(康秀)社長も、この時キャンパス・リーダーズ・ソサエティのメンバーでした。彼は明治学院大学のプロ(デュース)研(究会)だったかな。

そして1つ下のメンバーには、リクルートの社長にまで上がって、今会長職をやっている峰岸真澄さんという方がいます。

真田:ちなみにキャンパス・リーダーズ・ソサエティ初代代表が西川りゅうじんさん。2代目が今井さん。3代目が現リクルート会長の峰岸さんですよね。

今井:そうですね。キャンパス・リーダーズ・ソサエティはこのIVSと同じなんですよ。夢を持っていて、「仲間と出会いたい」というやつらがいました。イベントを1回やると、だいたい3,000人ぐらいの若者たちが集まってきた。当時、こんな一大ネットワークがあって活動をしていたんです。

真田:そうやって今井さんと知り合って、僕は「東京の学生は3,000人も集まるイベントをやっているのか。こりゃ乗り込まないといけないな」と思った。ただ、1人で行ったってインパクトねぇなと。

そこで「関西学園祭実行委員会連盟」という団体をでっちあげまして。はい、でっち上げです。粗製急造。それでバスをチャーターして、大阪・京都・名古屋の学生をたくさん集めて東京に乗り込みました。それが19歳とか?

加藤:いや、僕が19でした。真田さんは22歳。

真田:そこが始まりでした。東京の学生だった青学の今井さんと、関学の真田と加藤、神戸大学の西山とで交流が始まって。その刺激でいろんなものが生まれていったという流れです。

ここまでがオーバービューで、「リョーマとはなんぞや」「どんな人たちが集まったのか」という話をしました。

「リョーマ式」インセンティブの作り方

真田:さて、ここからはできるだけみなさんにとって有益なことをディスカッションしたいと思います。楽しく、いろんなエピソードを聞いていきますね。

では、最初のテーマです。みなさんも「新しくWeb3の会社を作ろう」となったら、「どうやってメンバーを集めていくか」ということが重要な課題になると思います。

「リョーマやSYNでは、なんであんなメンバーが集まったんですか?」ということをよく聞かれるんですね。「リョーマのメンバーはどうやって選んだんですか?」「どうやって集まったんですか?」とも聞かれますので、そのあたりを紐解いていきたいと思います。どうやって集まったんですかね? どなたかにお答えいただきましょう。

加藤:僕は、一番最初に真田さんの弟子になりました。最初はやることが多くて、一緒にやってくれる人を集めなきゃいけない。でも、別に給料も出ないから、わかりやすいインセンティブを作る必要があって。そうしないと人は集まらないので。

どうやったかというと「カッコいい」とか「顔パスになれる」とか、そういうところから拾っていった。それに関心を持つ人を集めようとなると、夜の街ですね。大阪のキタやミナミで夜な夜な遊んで、世に聞こえる有名人を訪ねては「一緒に会社やらない?」と声をかけて。当時はネットがなかったから。

「リョーマに入るとモテるよ」「カッコいい真田さんという人がいて、みんなスーツ着て学校に行くんだよ」と。それから、「スーツ着て『営業』と称して、いろんなお店に顔パスで行けるよ」「タダでシャンパン飲めるよ」とか、そういう生活を「カッコいい」という形づけで説明して回っていました。

徐々に人を集められる人をメンバーにしていったことで、結果的にみんなスーツを着て学校に行く。「学校にスーツで来ている人は、だいたいリョーマで有名な人」みたいになっていって、さらに増えていきました。

真田:おもしろいことに、当時スーツを着ている学生なんていないんですけど、僕らはスーツを着ていました。実は僕がスーツを着ていたのは、学生時代だけで、その後スーツを着たことがないという(笑)。大人になると逆にスーツなんか着なくなったという逆転現象。

学生団体から仲間を選抜して「株式会社リョーマ」を設立

真田:そもそも僕と加藤はどうやって知り合ったかというと、僕は関西学院大学に行っていて、関学校のウェルカムダンスパーティーという非常にパチくさい……「パチくさい」というのは大阪弁で「うさんくさい」という意味ですね。

加藤:うさんくさい感じのポスターが大学に貼ってある。

真田:その時だけ突如として存在した団体が、さも学校公認であるかのようなイメージ戦略で、ダンスパーティーを開催して、集客して、終わったら解散していた。

加藤:私はまんまとそれに騙されました。

真田:まずこれのスタッフ募集をやりました。集客する前にスタッフを募集して、スタッフにパーティー券を売ってもらうという構造ですね。それでスタッフ募集に引っかかってきたのが……。

加藤:はい。で、一番売りました。

真田:昨日発覚したんですけれども、このパーティー券を売っていた1人が現WiLのパートナー(共同創業者)の松本真尚(笑)。パーティー券を売っていた末端の構成員だった。

加藤:でもパーティーの運営になると友だちが増えると思ったし、実際そうだったんですよね。一番売る人がどんどん仲間になっていった経緯がありますね。

真田:ベクトルの西江(肇司)社長からも「真田さん、覚えてますか? 僕、真田さんのパーティー券散々売ったんですよ」と言われました(笑)。ということで、当時学生を集める手段としてイベントを開催して、それのスタッフをやりませんかと言って学生を勧誘するということを実はやっていました。

これはあくまでも学生団体としてやっていて、その中からいい人をピックアップして「リョーマという株式会社をやるんだけど来ない?」と声をかけた。