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AIと創造性(全3記事)

AIでXのポスト傾向を分析→おすすめ本を紹介 深津貴之氏が語る、創造性を高めるためのAI活用法

国内外のスタートアップや投資家、アーティストが集まる「Tech GALA Japan(テックガラジャパン) -地球の未来を拓くテクノロジーの祭典-」。最先端のテクノロジーをテーマにしたカンファレンスの中から、「AIと創造性」をテーマに、株式会社THE GUILD 代表取締役 サービス・デザイナー 深津貴之氏、小説家の平野啓一郎氏、アートメディア「ARTnews JAPAN」編集長の名古摩耶氏によるトークセッションをお届けします。 AIを使って創造性を向上させていくためのテクニックや、AIによる創作物の影響について語り合いました。

推し活に見る、創作物を受け取る側の心理

名古摩耶氏(以下、名古):ありがとうございます。(創造性を養うために心がけていることについて)平野さんはいかがですか?

平野啓一郎氏(以下、平野):ちょっと先ほどの話にかけてなんですけど、著作権を純粋にビジネス的な概念と捉えるのか、人格権と結びついたものとして捉えるのかは、法律の世界でも二つ分かれてるんですね。日本では、人格権に結びついた基本的人権の1つという理解が薄いんじゃないかと、言われることがあります。

著作権を人格に結びついた基本的人権と考えるなら、創作物と創作者との関係は非常に濃厚になりますね。

今後は、AIによって作られたものがかなりの数出てくると思うんですけど、一方で今は「推し活」がすごく流行っているでしょう? つまり、作られたものは確かにすばらしいんだけど、それをやっている人を応援したいという。

それで、僕はわりと有名なコンサート会場の近くに住んでいて、毎日、誰がコンサートをやるのかを定点観測しているんですけど(笑)。

名古:(笑)。

平野:これは確実に言えることですけど、高齢のミュージシャンのファンはみんな高齢です。若い人はほぼいないですね。クラシックはけっこう年齢差が幅広い気がするんですけど、広義のポップスは、若いミュージシャンのコンサートにはやはり若い人が多い。

高齢のミュージシャンを長年支え続けているファンの力ってすごいなと思う一方で、彼・彼女のやっていることに若い人が共感することは難しいんだなとあらためて思います。

つまり、作品だけよりも、その作者に対する同時代的な共感が非常に強くあるわけです。やはり創作物を受け止める時に「誰がやっているのか」をかなり気にしているんじゃないかと思う。

文学だと1980年代に「テクスト批評論」が出て、僕たちが国語の授業でずっとやってきたような、「作者の意図」を読み取る読解じゃなくて、作者から切り離されたテクストを読解していくべきだという主張がかなりなされましたけど、僕はそれにずっと反対でした。

本の読み方のごく一部としては、もちろんそれはありますが、実際は三島由紀夫にしても大江健三郎にしても、作品と切り離して読むよりも、その人たちが年齢を重ねながら、変遷の中で書いていることに、はるかに複雑なおもしろさがある。

僕たちが受け手の側のことを考えて、自分の人生が80年か90年ぐらいに限られていて、その中で「何と共に生きたいか」を考えた時に、一定の程度はAIが作ったものをエンジョイしたいというのもあるでしょうけど、もう一方で、同じ時代に生きていた誰々とか、憧れたアーティストの創作物を通じて、その作者と何かを共感したいという感情は、消えないと思うんですね。

AIと人間の違いは身体性の有無

平野:またちょっと作り手の側に話を戻すと、僕自身もやはり日常生活の中で何かを経験して、気になっていることが次の作品につながっていくんですよね。

その時に、人間はものを考えるにしても何にしても、「嫌な感じがする」とか「すごく興奮した」とか、常に身体的な痛みとか心地よさと結びつけているんですね。

今のところ、AIと人間の大きな違いは身体を持っているかどうかです。人間は外界の情報を受け取りながら、身体的にそれを快・不快とか、憤りとか、喜びの感情と混ぜ合わせながらものを考えていく中で創作物にたどり着く。

質問に戻ると、日々いろんなことに触れて、感じている感覚的な部分を、「これはいったい何なのかな?」と考えるところが、創作のプロセスの重要な点です。

名古:そこからすでに創作はスタートしているということですね。『本心』でも、けっこう身体的な経験が強調されているなと思いました。だから平野さんは、体を通じて自分が感じ取る社会、あるいは自然との接点とか、人とのつながりを非常に重要視されている印象があります。

平野:とにかく人間は、外界の情報を五感を通じて受け止めることができる。AIだと、最近は目が開いて外界の情報を取り入れられるようになったと言いますけど、残りの感覚器官をどう擬似的に再現して受け止めるのかが次の段階だと思うんです。

ちょっと繰り返しになりますけど、外界の情報を受け止める時に、必ず何か快・不快とかを通じた評価が伴っているんですよね。「嫌な感じがした」とか、きれいな海の映像を見た時に、AIが画像として認識するのとは違って、「あ、すごいきれい!」とか、「きれいな海なんだけど自分の心は寂しい」とか。

そういうことが人間の意識の上では非常に重要なので、人間をAIが超えるとかいう時に、やはり首から下で起こっていることのフィードバック、それは内分泌系とかを通じて、常に影響を及ぼしていますけど、そこが擬似的にでも再現されない限りは、人間の意識とは似ても似つかないものにしかならないと思いますね。

AIを活用するのか、コントロールされるのか

名古:平野さんはすごいお散歩好きでもあられるんですよね(笑)。そんなふうにフィジカルな経験で創造性を養っていらっしゃると。深津さんは、日々の生活から仕事まで、あらゆる活動において、AIを駆使していらっしゃいますね。

深津貴之氏(以下、深津):まあ、使ってはいますね。

名古:人間の創造性を向上させていくために、AIが何らかの貢献ができると考えた時に、「こういう使い方が非常に有効なんじゃないか」というのはありますか?

深津:一番シンプルなやり方としては、自分の日記とか行動を読ませて、どういう行動パターンがあるかを分析させることです。その中で、出会えないものをリストアップして、それらと出会えるようにするには習慣をどう変えればいいか、みたいにやることですね。

名古:(笑)。なるほど。それは実際に行っているんですか。

深津:いや、実際、僕自身はそんなに日記とかは付けてないので。どっちかというとTwitter(現X)を使ってやるんだったら、過去のツイートから、自分が詳しくなかったり、不勉強だったり、思い込みでしゃべっているような分野を精査して、読んだらおもしろい本を引っ張ってくるような使い方ですかね。

名古:先ほど控え室でもその話をうかがっておもしろいなと思ったんですけど、最終的にはそれが自分の創造性を高めるということでは、体験が増えていくし、新たな視点を得られるし、いいとは思うんですけど、ゲームの中で……。

深津:そうそう。

名古:コントロールされることにもなりかねない(笑)。

深津:そう、ミクロ的には新しい体験、見たことがない体験をいっぱい得られるので、僕の経験や創造性は上がっている。マクロ的には、ソシャゲのデイリークエストをこなしている人と、僕がやっている行動は変わらないので、メタ視点で見ると、僕はAIでリアル人生ソシャゲをやっているだけに過ぎないのかもしれない。

名古:(笑)。

旅行記に見る、データが与えられることの功罪

深津:結局、創造性はそういうふうに、どこのレイヤーで見るかで大きく変わってきますし。じゃあ、人に言われてリアルソシャゲみたいに生きるのが駄目だったらば、パーソナルトレーナーとかコーチングとかメンタリストも全部駄目だ、みたいな話にもなったりするので。やはり、どの切り口から見るかで大きく変わる印象がありますね。

名古:でもそれは、AIに新しい行動パターンや枠組みを用意してもらうことでもあります。例えば、平野さんがAIに用意されたルートを歩く場合に、その行為を通じてどういう経験を記述していくかがより重要になると思うんですがいかがですか?

平野:そうですね。ちょっと直接的な答えじゃないんですけど、瀬戸内寂聴さんって、ご存命だったら103歳ぐらいですけど、若い時に旅行記を書かれていて、それを読むと、ちょっとすごいなと思ったんですよね。

なんでかというと、やはりデジカメとかでたくさん写真を撮れないので、その時の感情の強度に非常に忠実な書き方になっている。見て、感じたことによって文章が構成されているんですね。

ところが、今の作家は旅行先でけっこう写真も撮れますし、書く時にもそれを参照しながら、ここはこうだったとか、あるいはもう「Googleストリートビュー」とかで見ながらでも書ける。

そうすると、インフォーマティブであるかもしれないけど、テキスト自体はちょっと弱くなる。感情の強く残っている記憶だけを「うーん」と思い出しながら書くほうが、旅行記としては断然おもしろいですね。

そういう意味で言うと、データが一揃いある中で、どこにアクセントをつけるのかは難しい。それを今までは人間がやっているので、うまい人が書いた文章は、やはり非常におもしろい。

膨大な生成物をジャッジできるのか

平野:さっきの、AIに人生を提案してもらうにしても、その提案が確かにやったことのないことかもしれないけど、果たしておもしろいのかどうかは、本人が実際にやってみないとわからないし、AIによる創作物だっていくらでもできると思うんですけど、結局はそれが受け入れられるのかどうかだと思うんですね。

僕は、芥川賞の選考委員をやっていますけど、なんでこの作品がいいのかどうかは、非常に微妙な議論なんですね。選考委員が9人ぐらいいて、全員が一致することもあるけど、やはりだいたいは意見が割れるんです。

「えっ、これを推すんですか?」みたいな。こっちの人は「絶対それがいい」とか言っていて。実際に世の中に出た時に読者がどれぐらい支持するのかも、非常に言語化しにくい。

ですから、例えば膨大な数、アウトプットされた創作物を読んで、それをせっせと人間がジャッジするということが、本当に効率がいいのかどうか。AIによる創作物もいくらでも出てくるけど、人間がモニターしないといけないなら、みんながその仕組みの中でものを書いていくのかどうかはあると思いますね。

技術よりもコンセプト重視の時代に?

深津:逆に、アート関係者の方にAIがどう見えているかで1個聞いてみたいと思っていたことがあるんですけれども。結局、生成AI、あるいはAIが究極的に進化していった場合、ほぼ努力による表現パートの価値は極めてゼロに近づくと思っているんですね。

名古:努力、労働というか。

深津:がんばって点を1万個描いた点描画みたいな、手先の器用さとかの価値がなくなっていった時に、生成AI時代のアートって、究極的にはマルセル・デュシャン(1910年代に活躍した現代美術家。1917年に発表した、既製品の便器を使用した作品『泉』で有名)と同じ視点の高さをスタートにして、どう問いを立てるかと、最終的に何を選択するか。

マルセル・デュシャンのシミュレーターというか、同じ高みからじゃないとスタート地点に立てない感じになりそうなんですけれども、今、アート業界ではどういうふうに解釈されているんですか?

名古:アート業界においては、労働を伴わない努力と時間をかけない手業(てわざ)によるものがなくなることは、想定されていない気がします。

深津:マルセル・デュシャン的な方向はあんまり進んでいっていないんですかね?

名古:どこまで自分の視点を高みに持っていくかということですか?

深津:物をどう作るかはすべて無価値化されて、最終的なアウトプットの表現のために何を選択するか。意識だけが残ると理解をしたんですけど。

名古:それは、コンセプチュアリズム(作品に用いる素材やテクニックは重視されず、コンセプトやアイデアを大切にする考え方)で長年議論がされてきたことだとは思います。もちろん現代アートにおいてはそういった流れはまだ残っていますが、むしろ、それに反発する動きもあるかなという気はしています。

コンセプトがすなわちアート作品という考えは、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(1990年代のイギリスを中心に活躍した、若手コンセプチュアルアーティストたちの総称)が台頭した時代に強固になったと思いますでもそうではなくて、やはり人間の労働、あるいは時間とか体力が質量として込められた作品に価値を見い出し続けようというのはあるような気はします。それはマーケットも保守化しているからかもしれないんですけれど。

AIが作るコンセプトアートは魅力的なのか

平野:僕はデュシャンがどうして評価されたかは、かなり複雑だと思うんです。レディ・メイド(デュシャンらが提唱した、既製品を用いた芸術運動)にしても、やはりあの便器が造形的におもしろかったことが非常に重要で。その後、スコップ(デュシャンの作品『折れた腕の前に』は既製品のスコップを展示した)とかいろいろありますけど、もう一つですね。

デュシャンは便器自体の造形的な美に着目していて、だけど、それを隠蔽するように、「便器みたいなつまらないものが」という文脈に乗せているところに、彼の「冴え」がある。やはり彼は油彩を描かせると抜群にうまいですから、それが背景として説得力を出したり。

あと、レディ・メイドはまだしも、『彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも(通称:大ガラス)』なんて、何なのか本当にわからないですよ。横尾忠則さんみたいにとか、デュシャンがものすごく好きな人も「『大ガラス』はわからないねぇ」と笑ってたくらいで。

でも、あれも「デュシャン推し」みたいなものがあるから、みんな一生懸命に見る。そうすると見応えがあると思えてくる。だからAIを使って、評価システムまでを含めてあの仕組みを再現するのはけっこう難しいんじゃないかなと思うんですよね。

名古:どうですか、深津さん?

深津:どうでしょうね。評価をするというよりは、今後10年とかで、デュシャンと同レベルの思考ができないとスタート地点に立てなくなるような気がしている感じですかね。

名古:それはAIがあらゆる選択肢を与えてくれるみたいな感じで?

深津:そうですね。造形レベルの話だけで言うんだったらば、あらゆるものは出力可能、選択可能になってしまうので、究極的にはどの造形を選択したかが、あるいは平野さんが先ほどおっしゃっていたような、どの造形を選択したかに至るまでのエピソードそのもののをコンテンツにするかたちになると思います。

平野:例えばアイ・ウェイウェイ(中国の現代美術家)とかが、すごい昔の高い壺とかをポンと落として割るだけの写真とかね、馬鹿げていることもあるじゃない。馬鹿げているけど、それに意味を持たせている。

でも、アイ・ウェイウェイがやっているということで、相当に文脈依存的な作品なわけですよね。だから、AIがランダムにいろんな可能性の中でそういうのを出してきても、見ている側はたぶん何とも思わないんですよね。

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