ミトコンドリア病という希少疾患への挑戦

――「こいのぼり」の設立の経緯について、発起人は菅沼先生、渕上氏、稲葉太郎(レミジェス・ベンチャーズ株式会社 マネージングパートナー)氏とお聞きしておりますが詳しくお聞かせください。

渕上欣司氏(以下、渕上):はい、そうです。私たちは、2009年に上場した創薬ベンチャーを一緒にやってきた仲間でした。

菅沼正司氏(以下、菅沼):当時、創薬といえば、医学領域の人と製薬企業の方々との間にギャップがありました。VC(ベンチャーキャピタル)として渕上さんも、同じことを強く思っていました。良いシーズが育たず、両者の組織体が離れている中で、そこをサポートする支援活動が、Non-profitでできると良いよね、と話をしていました。特に希少疾患は病態も難しく、医師や患者さんも少ないため、製薬企業もどう取り組むべきかわからないといった現状がありました。

渕上:そんな時、菅沼さんの甥子さんがミトコンドリア病を発病され、病気について調べていくうちに、ミトコンドリア病についてフォーカスするようになりました。目標として解決すべき問題が身近にあることが重要でした。

――ミトコンドリア病について教えてください。

菅沼:ミトコンドリアは、細胞の中に含まれる小器官の一つです。食べ物から分解された栄養素をもとに、ATP(アデノシン三リン酸)という大切なエネルギー物質を作り出していて、体内のエネルギーの90%以上を産生しているといわれています。ミトコンドリア病は、ミトコンドリアDNA、または、核内のDNAに異常があることで発症する病気です。最も影響を受けやすいのは、脳や筋肉、あるいは目や耳で、心臓、肝臓、消化管などの臓器内分泌、血液などにも障害が生じます。

――名前の「こいのぼり」というのは、どのようにつけられたのでしょうか。

渕上:川縁で見えていた風景の中に、こいのぼりが泳いでいたのを見た菅沼先生がつけられました。

菅沼: 遺伝が絡む複雑な難病というのはお子さんが主体であるため、「家族」、「子供」、「健康」、「成長」が大事なキーワードとなっていました。タイミングよくこいのぼりが泳いでいたということもあって、「こいのぼり」という組織名にしました。これらのキーワードを一つのテーマとして、我々はミトコンドリア病をサポートしていきましょう、というのが始まりでした。

奇跡的な出会いとコンパッショネート・ユース

――篠原さんがジョインされた経緯について教えてください。

篠原智昭氏(以下、篠原):私の娘、七海(ななみ)が2012年に生まれ、生後5か月でミトコンドリア病を発病し、余命半年といわれました。その時私は、1人の親として、娘の死を何もせずに受け入れることはできないと思いました。製薬や科学的なバックグラウンドはありませんでしたが、米国のある創薬ベンチャーが薬の開発をしていることをキャッチし、さっそく連絡を取りました。返信には、「こいのぼりという日本の団体があなたを支援するだろう」という返事が書かれており、これが「こいのぼり」に出会うきっかけなりました。

渕上:その頃、私たちもミトコンドリア病の研究開発をしているチームを探しており、米国の創薬ベンチャーのCEOに会いに行っているところでした。

「私たちはこの創薬ベンチャーのプログラムに関心があるので、何とか日本で新薬を開発してくれませんか」と、拝み倒していたところだったのです。そこに篠原さんの件があり、七海ちゃんに対しコンパッショネート・ユース(国内未承認の医薬品の人道的見地からの特例的使用)することになりました。

コンパッショネート・ユースをしたミトコンドリア病治療薬EPI-743は、我々の仲間に加わっていただいている薬事コンサルタントの方のおかげで、特例中の特例で日本に輸入することができました。医師による責任の下で、IRB(Institutional Review Board:倫理委員会)の承認を受けて投与するという奇跡的な出来事でした。

篠原:娘はICUに入っており危篤。あと2週間の命といったところでした。コンパッショネート・ユースのお蔭で、命をつなぐことができました。しかし今でも人工呼吸器をつけて寝たきりで過ごしています。

菅沼:2009年8月にこいのぼりが実質的に活動をスタートしてから、1年半ぐらいミトコンドリア病の治療薬の開発品のリサーチをし、2011年1月に米国ベンチャーの化合物を米国内で開発支援しようと決め、七海ちゃんに対しコンパッショネート・ユースすることになったのが2012年です。その翌年には、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)で臨床研究がスタート。この出会いによって、篠原さんも我々の活動に入っていただき、「こいのぼり」が法人格を持ったのは2013年になります。

――2013年からいよいよ活動が本格化してきたわけですね。

菅沼:そうです。その後、米国のミトコンドリア病患者会(UMDF)と提携し、様々な情報を入手したのですが、この時点では、正直にいうと、コンパッショネート・ユースをした化合物以外に良いものがないこともわかってきました。そこで、全国3か所で患者家族の方々と情報交換を行うための会を開き、世界で行われている治療薬の開発品の動向を共有したり、患者家族の方からは、毎日の生活や病気についてのお話を聞かせてもらったりしました。これは非常に大切な会で、疾患の重要なテーマを見つけ、考えるための機会を与えてくれました。

そして、ミトコンドリア病の中で目の疾患があり、眼科の先生が診ています。一方、ミトコンドリア病は神経科の先生が診ているため、「眼科」と「神経科」で分かれているという問題がありました。そのため、眼科の研究会へ、米国でLHON(Leber's hereditary optic neuropathy : Leber病)の研究開発をしている会社のメディカルサイエンティストの方の講演をして頂くなど、創薬支援をする傍ら病気がどうしたら治るか、どこがキーポイントになるかということを議論してきました。

――患者会と「こいのぼり」は一緒に活動しているのでしょうか。

菅沼:いいえ、創薬をする上では、ある程度の距離を置かなくてはいけないと考えています。将来、治験をすることを考えると、立場をニュートラルにしなくてはいけません。情報交換会の際にも、患者会に拘らず声がけをしていました。

渕上:患者会とは目指すところが異なると思っています。欧米の団体と交流した結果、「こいのぼり」がより違った団体であることを感じています。欧米の患者会というのは、非常に組織化された公的な組織として議長やCEOが選任されており、年次総会でどのプロジェクトを支援するかを決議しています。決議されたプロジェクトは、寄付や公的資金を得られるようになっています。これに対して「こいのぼり」は、プロボノで模索しながら活動している団体になっています。

菅沼 これまでの活動の結果として、ミトコンドリア病に関しては、研究や創薬としてのプロジェクトがどこにも立ち上がっていなかったことが明確となり、我々としては、より積極的な活動へと舵を切っていくことになります。2015年に倫理委員会をつくり、観察研究を行うための、7 SEAS PROJECTを立ち上げました。

一直線に線引きする創薬プロセス

――7 SEAS PROJECTは、七海ちゃんの7つの海という意味からきているわけですが、こちらについて、ご紹介いただけますか。

篠原:7 SEAS PROJECT(以下、7SP)は、創薬研究の支援をするプロジェクトです。2015年から2016年くらいまでに、さまざまな研究者の方へアプローチをし、学会をまわり、論文を読み漁り、いろいろな先生にお会いしました。その中で先生方との関係性も生まれ共同研究をするかたちではじまったのが7SPとなります。

「こいのぼり」の中で議論を重ねた結果、私たちの目指したい治療法というのが仮説としてうまれました。それを実現するために一緒に研究してくださる先生にアプローチをし、研究ネットワークをつくり、「こいのぼり」がハブとなって先生方をおつなぎし、共同研究体をつくっています。

――研究者コミュニティと、一般社会のコミュニティとのつなぎ方というのはどういうかたちで展開されていますか。

菅沼:篠原さんが頑張ってくださっているところです。研究者や一般の方を含め、寄付いただいた方に対して、定期的にミーティングを設定し、コミュニティを形成しています。

篠原:篤志家の方を「名誉フェロー」と呼んでいまして、研究を主体としたコミュニティを目的に「フェローミーティング」というのを年に1回開催しています。サイエンティストの先生からご講演いただき、研究に対する情報交換の場を設けています。

――研究資金についてどのように調達されているのでしょうか。

渕上:基本的には2つあります。メンバーを含む、篤志家からの寄付、そして研究の成果を実現することに対する将来の対価のようなかたちでの寄付です。

菅沼:研究「支援」ではなく「創薬」を進めるためには、資金が必要です。より先鋭的に目的を明確化させ、資金を集める器として、「プロジェクト」というかたちを取りました。組織として別枠をつくるのか、あるいは、何らかのかたちで資金をつくれないかなどあらゆる組織体を検討しました。結果として、こいのぼりの中で7SPというのを立ち上げたのです。

この時、篠原さんがプロジェクトの代表になることを決断してくれました。七海ちゃんは、個人ですが、我々にとってはリー脳症ミトコンドリア病のシンボルでもあり、彼女の名前を借りて、この病気を治すために進むためのプロジェクト名をつけました。

企業の投資家や篤志家の方などを周り、資金調達の活動もしましたが、探索的な研究をしている組織体では実績があるわけではないため、大型の資金はすぐには集まりません。そのため、実態としては、メンバーの資金や患者さん家族からの寄付や、クラウドファンディングのREADY FORを活用し資金を集めました。

――創薬シーズがある場合、公的な研究費や、VCからのマイルストーンに合わせて、何回か調達ステージを重ねますが、そういった通常のスキームに入る前の段階ということですね。

菅沼:仮説に対して、研究されている方がいないという状況の中、関連する研究をされている先生方に、ミトコンドリア病の研究をしてくれないか、というお願いからスタートしている段階です。ベンチャーをつくり、資金を入れるためには、最低限として特許を確保し、良いデータがでる、といった段階に進んでいないと難しい。AMED(日本医療研究開発機構)などから公的な研究費をとるためにも、対象領域である程度の実績がどうしても必要となります。

今後は、創薬のベースとなるサイエンスを固めるため、大学と共同研究をしていきます。特許を取るため、理事の稲葉さんが米国の主たるロイヤーを調べ、ある法律事務所がプロボノでやってくれることになりました。そこで、日本の弁護士さんもプロボノで協力してくれることになりました。

渕上:創薬の場合、プロジェクトを立ち上げてから臨床入り出来るのは、精々10分の1程度といわれています。更に新薬として承認されるのはその10分の1。アイデアは素晴らしいが、思ったようにデータが出てこないという場合もあります。私は以前製薬会社の研究所で創薬研究をしていましたが、論文からきたアイデアを実際にやってみたら、論文のデータに再現されないということを何度も経験しました。そういった試行錯誤のプロセスを経て、進めています。

――7SPにとって重要と考えられているものは何でしょうか。

渕上:目標が明確であること、リアルに感じられることが、重要だと感じています。例えば、製薬企業では、患者さん実態を知らないままに、「このメカニズムを選んでください、1日1回の飲み薬に出来る新しい分子をみつけてください」といったように、通常の創薬プロセスの上流から入りますが、7SPでは、患者さんの症状が中心で、治せる方法はないのかという所から始まり、研究に進んでいく。つまり、問題意識が下流からスタートしているわけです。目標設定とマイルストーンを一直線に線引きし、うまくいかなければ残念ながらストップする。リアルな患者さんに接しながら研究を進めていくプロセスが、多くの基礎研究者にとって、目が覚めるような出来事だったと思いますし、7SPのプロジェクト管理として、将来、より洗練されていくと考えています。

7SPから生まれた創薬ベンチャー「ルカ・サイエンス」

――共同研究のその後の進展について教えてください。

菅沼:2年くらいかけて8大学と共同研究の契約をしました。7SPというパッケージを使うことで、よりストレートに患者さんに研究を届けていく準備も整いました。患者さんが近くに見えますので、細胞を樹立し、研究機関に渡すかたちで研究を進め、2018年の夏ごろに、3つのプロジェクトから出たパテントを米国から仮出願できるようになりました。そして、2018年12月にルカ・サイエンスを設立しました。

――こいのぼりから「ルカ・サイエンス」をスピンアウトしたということでしょうか。

渕上:3つのプロジェクトの中からルカ・サイエンスは生まれました。こいのぼりでは、都度都度1つのプロジェクトに集中と選択しており、集中した部分はより進めていくというプロセスをとっています。こいのぼりとしての活動をする中でブレイクスルーが起これば、またスピンアウトする可能性があります。

菅沼:ルカ・サイエンスは、企業として確実に成功させたいと考えています。難病は時間がかかりますので、この病気を治すためには、時間と資金、多くの人が必要です。具体的な治療法として、患者さんへ良いミトコンドリアを移植するという方法を考えています。オルガネラ移植技術の中で、可能性があるのがミトコンドリア(オルガネラの一種)であり、現在、特許化を急いでいます。

――今後の展望と、LINK-Jへのアドバイスをいただければと思います。

渕上: 目に見える患者さんに何を届けていくか。薬を次世代に残すことが使命です。その様な幸運に恵まれる研究者は1000人に1人だと思っています。創薬の「新しい仕組み」をつくるところから、次の世代に残したい。所謂「試験管を振る」だけでなく、篤志家を集める、患者さんの本当のニーズが何か確かめながら動いていくのが、自分にとっての人生の目標です。

LINK-Jさんには本当に感謝しております。何より活動の場をご提供頂けるのは、大変ありがたいことです。また、LINK-Jに関わる方、製薬業界、アカデミアなど多くの方に私たちの活動を理解して頂けることは大変重要で、強いご支援いただいていると思っています。

篠原:去年12月のネットワーキング・ナイトは素晴らしい機会となりました。患者が言えることは、私たちは「治りたい」ということをお話しすることだと思っています。私たちは「生きたい」というのを伝えて、薬をつくろうとしている方々に、想いを共有させていただく。患者中心の1つの意味として、その提供の場がLINK-Jにあるのだとしたら、患者としての一番の願いだと思っています。リアルな声を伝えたいというのが一番の願いですので、この活動を続けていけたらと思っています。

菅沼:起業経験のある人、サイエンスがわかる人、希少疾患の面倒をみてくれるキャピタリスト、強くアクセルを踏むことができる患者家族という組み合わせは、最初のステージとして大切なチームになると感じています。

「こいのぼり」の中に組織体をつくるための人や、やりたいという人など、LINK-Jにつながった人から声があがれば、協力できると考えています。患者さんが入ることで、強いリアリティと推進力が生まれます。企業やVCやサイエンティストを前に進めることができます。プロボノには意味があると思いますし、そういうものが生まれるような場があるといいと思っています。様々なプレイヤーが入ってきて、次のウェーブをつくっていく。我々だけで考えられる範囲は限られていますので、引き続き、ご指導、ご支援いただければと思います。

「こいのぼり」のような活動が、1つのロールモデル、1つのかたちとして、これからの日本の先に見えてくるかもしれません。是非、患者さんに治療法を届けていただきたい。期待しておりますし、応援しておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。