「男性化」する身体とスポーツ

山口理恵子氏(以下、山口):もう少しジェンダーについて関連したことをお話します。イギリスやドイツといった国ではとくに、少年の身体、あるいは男性の身体を「男性化」していく際に、スポーツが使われてきたと言ってもいいかもしれないです。

とくにドイツ(プロイセン)は(ナポレオン軍が率いる)戦争に負けたあと、啓蒙主義者たちが、ドイツが負けた要因を「ドイツの男性たちが愛国心を失い、身体的に脆弱になったからだ」というようなことを言っていました。そのためにドイツ体操が、発展していきました。

イギリスのパブリックスクールは、男子のエリート学校でしたが、その中でスポーツが競争のために近代化され、男子の身体を強靭にしていくこととスポーツが、親和性を持つようになっていったということです。階層化された身体が起源であるかのように映し出すシステムとして、スポーツは発展してきたということなんですね。

男性種目と女性種目で優勝賞金に差がある理由

山口:男性の身体が着目されてきたわけですが、一方で、そうではない女性の身体というのも構築されてきました。ボンッと現代に話は飛びます。男性を中心に発展してきた近代スポーツの中に、今度は女性が入り込むことによって、性別二元化が強化されるようになりました。

その1つが距離です。ゴルフのハンディやマラソンもそうでした。女性が42.195キロという距離を走れるわけがないという前提で、女子マラソンは1984年のロサンゼルスオリンピックを迎えるまでオリンピック種目として存在しなかったんです。

それからセット数。テニスでは男性は5セットマッチだけど、女性はそんなに体力がもたないだろうから3セットマッチにしよう、とか。そうやって、距離が短くセット数が少ないんだから、女は男よりももらえる賞金額が低くて当然じゃないかと考えられてきたわけです。

いまだ課題の残る性別判定検査

山口:女子ワールドカップで優勝したアメリカチームが賞金の男女格差問題について言及していましたが、今に始まった問題ではないんです。テニスの四大大会では2007年のウィンブルドン大会(全英オープン)を最後に、男女の賞金格差はなくなりましたが、そこには賞金格差を含む女性に対する差別と戦ったビリー・ジーン・キングの功績が大きく関係しています。2017年に「The Battle of the Sexes」というキングの伝記映画が制作されました。しかし、サッカーやゴルフのように、いまだ男女の賞金格差が大きい種目もあります。

次に性別判定検査です。女性種目の中に男性が混じることは不公平だという前提のもとで、1960年代から女性アスリートにのみ行われてきました。

国際オリンピック委員会(IOC)は、2000年のシドニー・オリンピック前に、一斉に性別判定検査を実施することをやめました。しかし、世界陸上競技連盟(IAAF)が主催する世界陸上などではまだ任意の性別判定検査は残っていたりします。

陸上界で最近最も有名になったのがキャスター・セメンヤ(南アフリカ)という選手です。セメンヤ選手が、18歳の時に出場したベルリンの世界陸上女子800メートルで、圧倒的な走力を見せつけ、インタビューに答えた際の低い声やその容姿から、セメンヤ選手は本当は男なのではないか、と騒がれ、性別検査が行われました。

IAAFから明確に検査結果は公表されませんでしたが、そのあとにIOCやIAAFが、テストステロン(男性ホルモン)値の高い女性アスリートに対して競技出場の自粛を求めたり、薬物投与をしてその値を下げなければいけないという規定を作りました。この規定をめぐっては今もなお議論が続いています。

「女は男よりも競技パフォーマンスが強くあってはいけない」という虚構

山口:それから医科学言説というのもあまりあてになりません。というのも性別判定検査自体の検査基準が時代によって変わってきているからなんです。つまり、それだけ性を「男」なのか「女」なのかという2つのカテゴリーだけに分けていくことには、限界があるということを物語っているわけです。

最初、性別判定検査は、いわゆる男性器が付いているかどうかという視認検査から始まりました。しかし倫理的な問題が指摘され、そのあとは頬の粘膜や髪の毛などで性染色体をチェックするようになりました。生物の授業では、XYだったら男、XXだったら女というふうに習ったかと思いますが、性別判定検査ではXXOとか、Y染色体を持つ女性アスリートの存在をあぶり出しました。

だから、「これは有効な手段だ」と思っていても、その基準や条件(医科学言説)を作ってきたのも実は人間であるというところですよね。

テストステロン値が高いことがどのくらい競技力に影響を及ぼすのかということは、いまだによくわかっていない部分が大きいのです。しかしなぜいつもそのことだけが特別に問題視されるのか。問いたださなければいけないのは、まさにその点です。

オリンピックでいくつもの金メダルを獲得したマイケル・フェルプスというアメリカの元水泳選手は、生まれつき身長よりも両腕を広げた長さがはるかに長いんだそうです。こういう人はものすごく特異で、競技で有利な身体条件です。

しかし、一般的にはフェルプス選手のような生まれつき有利な体格に関する不公平性は問われず、性に関わることだけがことさら取り上げられてきました。つまりこれは、女は男よりも競技パフォーマンスで上回ってはいけないという前提のもとで作られた基準や規定とも考えられるわけです。

「じゃあ、女と男は一緒に競技をすればいいんですか?」

山口:こういう話をすると、「じゃあ女と男が一緒に競技すればいいんですか?」とよく言われますが、そういう話をしているわけではないんです。そうじゃなくて、この2カテゴリーにそもそも限界があるんじゃないかということを問いたいのです。

DAY1で話のあった、セクシュアルマイノリティーの人たちの生きづらさはまさにそういうところとも関連しているわけですよ。女のカテゴリー、男のカテゴリーという2つの枠組みの中で生きなきゃいけない。

女のカテゴリーの中にいる人には社会で作られた「女らしさ」、男のカテゴリーの中にいる人には社会で作られた「男らしさ」を求められている。またそのような女と男の性愛関係しか認められてこなかった、という性別二元論を、近代スポーツが「社会の鏡」のように映し出してきたと思うんですね。

だからといって、女と男のカテゴリーにいる人たちが一緒に競技をすればいいというのはちょっと議論が拙速で、むしろ男というカテゴリー中にある差異とか、女というカテゴリーの中にいる人たちの差異というものを、今後どうやって見ていかなければいけないかということをもっと問う必要があるように思います。

では次に、女性(というカテゴリーに入る人たち)がスポーツに参画していく際に、どんな歴史があったのか。性別判定検査との戦いというのはもちろんあったわけですが、もう少し前から振り返ると、女がスポーツをしてはいけないという時代に、「私たちもスポーツがしたい」、「私たちにもスポーツする権利を」というところから始まっています。

女性が自転車に乗ると、骨盤にダメージを与え、子宮がずれる!?

山口:19世紀から乗馬や自転車乗りなど、女性の身体活動も活発化します。女性たち自身が動きやすい格好を開発していったりしました。有名なのは日本でもブルマーとして知られるアメリア・ブルーマーさんの衣類です。

コルセットも、女性が乗馬しやすいように柔らかい素材のものがこの時代に作られたと言われています。ただこの時代にスポーツを享受できたのは、とくに欧米圏の上流階級の女性のみです。自転車乗りブームが1880年代から90年代のアメリカで起こったのですが、女性が活動的であることをあまりよく思っていない人たちもたくさんいたようです。

例えば、女性が自転車に乗ると骨盤や背骨へのダメージがあるとか、自転車に乗ると子宮がずれるとか、顔に筋肉がついてアゴが突き出る(自転車顔になってしまう)とか、ぎらついた目つきになるとか、まことしやかに言われていました。

誰が言っていたか。それは、当時の男性の医者とか生理学者たちです。まさにここでも医科学言説が使われているということです。そして身体的なダメージ(医科学言説)と合わせて美醜の観点からも批判されてきたわけです。女性が活動的になればなるほどいつも言われてきたことで、これは今日の話の1つのポイントかなと思います。

女性がスポーツする権利を勝ち取ってきた「ヒーロー」

山口:キャサリン・スウィッツァーという方が、1967年のボストンマラソンに出場しました。この当時、「女性にマラソンは体力的に無理である」と考えられていたため女性の出場は許可されていませんでした。そこでスウィッツァーさんは、自分のファーストネームで女性であることがばれないように「K・スウィッツァー」と登録し出場しました。

走っていると大会役員の人が近づいてきて「女だ!私の大会を台無しにするんじゃない!ゼッケンを返せ!」と言いながら追いかけてきた。これがそのときの写真です。動画も残っていますので、もし興味のある方はYouTubeで探して見てください。

当時付き合っていたパートナーが、彼女をレースから追い出そうとした役員を押しのけて、追い払ってくれました。そして、キャサリン・スウィッツァーはしんしんと雪が降る中を走り続けるんです。途中で棄権したら「やっぱり女はダメなんだ」と言われるからとにかく走り続けたとインタビューで話してます。このように女性のスポーツは、女性がスポーツする権利を勝ち取っていくというところから、始まっているんですね。

アメリカの女性スポーツ活性化をうながした、ある日系人の存在

山口:アメリカはなぜ女子スポーツが強いのか。これには1972年にできたタイトルナイン(Title IX)という法律が大きく関連しているように思います。教育改正法第9編と訳されています。タイトルナインができる以前、女子高生のスポーツ参加率は3.7パーセントと言われています。

それが2017年くらいになると、1,000何パーセントくらいも増えている。大学スポーツにおいては300パーセント以上増えたと言われていて、タイトルナインが女子スポーツに与えたインパクトは非常に大きかったわけです。

タイトルナインはスポーツだけの話ではなくて、連邦政府が補助金を出している教育プログラムや、教育施設などすべてが該当します。「男性と女性を均等に扱いましょう」という法律なんですね。

それまで女子スポーツは、奨学金はもちろんスポーツする機会も参加できる種目も限られていました。いろいろな欠点も指摘されていますが、このタイトルナインのおかげで、アメリカの女子スポーツは飛躍的に高まりました。

このタイトルナインの策定に関わった方が、ハワイ日系3世のパッツィ・マツ・タケモトさんです。アメリカではパッツィ・ミンクとして知られており、タイトルナインの別名は、「Patsy T. Mink Equal Opportunity in Education Act(パッツィT.ミンク機会均等教育法)」とも呼ばれています。

彼女はオアフ島にあるハワイ大学マノア校の出身で、本当は医学部に行きたかったんですが、当時は女性であるという理由で医学部には進学できず、やむを得ずロースクール(法学部)に進学しました。

彼女はそこで法律を勉強して、女性という理由で医学部進学の機会を与えてもらえなかった自身の経験から、女子にも男子と同じように教育の機会が与えられるべきとの思いで、タイトルナインを策定しました。このように女性にも、男性のようなスポーツを享受する権利を与えよという動きが、女性スポーツの歴史の第1章と言えるのかもしれません。