2024.10.10
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町工場「SONY」のベンチャー精神に学ぶ/(ソニー元会長出井伸之)(全1記事)
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池澤あやか氏(以下、池澤):本日のゲストはクオンタムリープ株式会社代表取締役の出井伸之さんです。どうぞよろしくお願いいたします。
菅澤英司氏(以下、菅澤):よろしくお願いします。
出井伸之氏(以下、出井):よろしくお願いします。
菅澤:SONYに入社された時は、何名ぐらいいる会社だったんですか?
出井:工場も含めれば2,000人ぐらいですかね。
菅澤:社会の中ではもうけっこう勢いもあるぞと。
出井:いやいや、そんなことない。
池澤:なぜ入社されたのかもけっこう気になります。
出井:なぜSONYに入ったかというと、まずは半導体、トランジスタというものに憧れていたのね。早慶戦に行った時に、持って行っていたのがミニチュアの真空管のラジオで、大きかったわけね。それがある日小さなトランジスタラジオを持って行けるようになって、「これは何だ!」と。「どこが作っているんだ!」で、そこから。
菅澤:そうなんですね。それで知ったんですね。
池澤:SONYはトランジスタの生産もけっこうされていますよね。
出井:日本で半導体をやった初めての会社ですよ。それでラジオを作ったのも世界で2番目とか1番目とかです。
池澤:それは昭和何年ぐらいですか?
出井:終戦の年だから1946年とか。
池澤:おー!
出井:僕が入ったのが1960年だから、そこから13年ぐらい経っているんだよね。上場して1年目ぐらい。
菅澤:そうなんですね。ベンチャーの雰囲気はあったんですか?
出井:だって早稲田の学生服を着て、人事部長に会って「もうちょっと偉い人にお会いできませんか?」と言ったら「どうぞどうぞ」と、社長と会長のところに連れて行かれましたから。
菅澤:すごいですね(笑)。印象はどうでした?
出井:「あなたはうちで何をしたいんだ?」と聞いてきたので、「僕はSONYをヨーロッパで大きくします」と言いました。
池澤:当時はそういった世界に向けていろいろなプロダクトを作っていたんですか?
出井:SONYは初めからグローバルを目指していたから、日本とアメリカが多かったんですよね。ヨーロッパにはみんなあまり行っていなかった。僕は全部逆に行きたいから、文系の学生で理系の会社に行って、みんながアメリカを向いている時にヨーロッパに行きました。
菅澤:ヨーロッパに行く理由は何かあったんですか?
出井:僕はずっとヨーロッパのEUの研究をしていたのね。ヨーロッパが今後どうなるのかななんて考えるのが好きでね。僕はものすごく図々しく「ここで1年だけ働いたら自費で大学院に行くので休職させてください」と言いました。それも社長と会長がOKと言ってくれたから自由な雰囲気だったんじゃない?
菅澤:それは「こいつおもしろいぞ」みたいな感じだったんですかね。
出井:人事に言ったら怒られていたかもしれない。
(一同笑)
菅澤:そうですよね。
出井:それで1年間、みんながどんなことをやっているか、どれぐらい英語ができるか、どういう専門知識が必要か、全部データを調べました。そしたらその時に僕はものすごくおもしろいことに気がついてね。野村證券とソニーで成長するお金がないわけね。
それでADRという、時価総額で日本の株をニューヨークに上場するというプロジェクトをやっていたんだけど、その後ろにいたらみんな英語で金融の話をしているのね。その時にこの会社は、金融と技術の両方とも学ばないとダメだと思った。要するにその頃の株は、50円株といったら50円で上場しちゃうわけ。
アメリカの場合は、ADRをやると時価総額で上場できてお金が集まる。僕はSONYに入ってから10年間ぐらいずっと「お金がない、お金がない、お金がない、成長資金がない」って言ってました。
菅澤:そうなんですね。従業員が2,000人いる規模で、創業の方とかは、現場には来るんですか?
出井:だってほとんどがトランジスタの女性の工員みたいな人たちだから。当時は、研究開発と事務系のお仕事で小さな会社ですよね。
菅澤:そうなんですね。
出井:それでも売上は70億円ぐらいあったかな。
菅澤:70億円ぐらい。創業者の方とか、井深(ソニー創業者、井深大氏)さんはどういう方なんですか?
出井:井深さんは本当にまじめなエンジニアで、僕がコンピューター事業部で「日本語のワードプロセッサーを作った」と言って得意気になっていたら、「アラビア語でやりなさい」って。
(一同笑)
出井:冗談で言ってる。そんな余裕ないよ(笑)。
菅澤:そうですよね。けっこうSONYは遊び心もあるじゃないですか。
出井:そうですね。
菅澤:それはやっぱり創業者の空気感なんでしょうか。
出井:そうですね。非常に自由な方で、理系とか文系とか何もなかったね。僕は文系だったから、あまり理系のことを覚えていなかったけど、事業部長になった途端に、本当に「知らない」なんて言わせなかった。
(一同笑)
菅澤:きちんと話ができるように。
出井:そうそう。
菅澤:じゃあけっこう苦労されたり、いろいろ言葉を覚えたりしたんですか?
出井:苦労しましたよ。だってエンジニアは自分の専門しか知らないじゃない。ところが僕はほうぼう、オーディオ事業部に行ってデジタルをやってCDをやっていたでしょ。デジタルをやっていたら、なぜか「コンピューター事業部をやれ」と言われて、その次にレーザーディスクをやって、その次にビデオをやったという。
菅澤:ぜんぜん今の時代とは違うんですね。
出井:社歌なんかも楽しい歌でね。
菅澤:楽しい歌を歌ったんですね。
出井:30周年の時の記念の歌がね。僕はFacebookでSONY大好きコミュニティをやっているんです。
(一同笑)
菅澤:そうなんですね。
池澤:愛がすごい(笑)。
出井:僕が管理者で1人で始めたんだけど、メンバーは4,000人を超えているんだよ!世界中でだよ?
池澤:わー! すごい!
菅澤:4,000人はすごい大きいですね。
出井:今のみなさんがかわいそうだなと思うのは、今の30代・40代の人は日本が一番良い時を知らないんだよね。
池澤:確かに。私は今28歳なんですが、バブル崩壊とともに生まれてきたので。
菅澤:バブル崩壊とともに(笑)。
出井:だから知らないでしょ?
池澤:はい。
出井:僕は終戦の時に大連というところにいて、帰って来れるかどうかもわからない状況でやっと帰って来られて、ゼロから立ち上がったでしょ? だからそういう意味ではコロナよりもひどい状態。東京だって全部焼け野原だし。
池澤:そっか。
出井:それから日本はどんどん急成長をしたわけだよね。70年・80年・90年代まではね。
菅澤:今もひどい状態かもしれませんが、「ここを何とかしてやるぞ!」と、良くなっていく感覚が持てないじゃないですか。当時はもっとひどいのに、なぜ成長できたんでしょう?
出井:国も小さかったからね。GDPも低いし。戦争が終わってから、みんなが子どもをたくさん産んだんだよね。子どもはたくさんできるし、どんどん街は良くなっていくし、そういう意味ではイケイケだったんじゃないですか?
池澤:確かに自由度が高そうですよね。「街をこれから作っていこう」みたいな。
出井:だからみんな地方から東京へ働きに来て、そういう意味ではものすごく自由に発展していった。SONYはトランジスタの成長とともにラジオからテレビになって、白黒テレビからカラーになって、ビデオになって。だから耳と目だけで5兆円ぐらい売上のある会社。今だと考えられないよね。
菅澤:時代も産業全体を攻めているけど、他の会社よりもさらにSONYが強かった部分が相当あったと思うんですけど。
出井:それはそうですよ。東芝だってパナソニックだって半導体でラジオを作ろうなんて考えつかなかったんだから。半導体の成長にSONYは賭けていたから、アメリカからライセンスを買ってきて日本で作って、それを商品にしてどんどん広がっていったわけね。
菅澤:あとは独特なブランドで、遊び心という意味では盛田(ソニー創業者、盛田昭夫氏)さんも相当影響があったのかなと。
出井:そうですよ。SONYという名前にならなかったらこんなにグローバルな会社には……東京通信工業じゃね(笑)。
(一同笑)
池澤:確かに名前の印象は大きいですね。
出井:「誰でも呼べるように」と、発音もしやすいし、他の発音がなかなかない言葉で選んだのがSONYなんじゃない?
菅澤:盛田さんもそういうセンスはすごいのに、エンジニアではあったんですか?
出井:盛田さんは物理のエンジニアだったと思うんだよね。そういう意味では広い。
菅澤:本も拝見をしたんですが、盛田さんとけっこうテニスをやったりとか。
出井:僕は盛田さんがゴルフやテニスをやる時はちょうど良いぐらい下手だった。
(一同笑)
出井:30いくつの時に盛田さんに誘われて、フランスの5大シャトー巡りをやったという。
菅澤:本当に遊び仲間みたいな。
出井:遊び仲間でもあり、テニス仲間でもあり、仕事になるとバチッと怖くなるからそこは違うんですけど。
菅澤:仕事で言い合いはぜんぜんなかったんですか。
出井:いや、僕はずっと反対意見。
菅澤:常に反対意見を出すタイプだったんですか?
出井:直前の社長の大賀さんに呼ばれて「こういうアイデアはどうだろう?」と言われて、面倒くさいから「それでいいんじゃないですか?」と言ったら、「君を呼んだのはもっと言ってほしかったから」とすごく怒られた。
(一同笑)
出井:だからSONYの中では、文句を言う人で有名だったんじゃないかな。
(一同笑)
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