2024.10.10
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司会:では、ただいまよりSession2に移りたいと思います。テーマは「20代の生き方・経験の積み方」でございます。モデレーターはインフィニティ・ベンチャーズLLP共同代表パートナーの小林(雅)でございます。よろしくお願いいたします。
小林雅氏(以下、小林):どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。昨日から参加している人? 意外に少ない、半分もいないですね。改めまして小林と申します、よろしくお願いいたします。このイベントの主催をしております。
今回は、20代の生き方とか経験の仕方、多分皆さん20代の方が大半だと思うんですけども、たまに中学生とか高校生の方もいらっしゃるんですけども、ほぼ20代というふうに考えていますと、今後私は、どのように生きていったらいいんだろうかって悩んでいる方が多いと思うんですけども。
なので、ぜひ先輩方にですね、教えを乞いたいというような企画でございます。(皆さんと)比較的年齢が近いのが、私の隣にいる株式会社じげんの“愛情・友情・平尾丈”ですね。
平尾丈氏(以下、平尾):ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
小林:その隣が私と年齢が近いグリー株式会社の山岸広太郎さんです。
山岸広太郎氏(以下、山岸):よろしくお願いいたします。
小林:最後に、館山から入っていらっしゃるヤフー株式会社の川邊さんです。よろしくお願いいたします。
川邊健太郎氏(以下、川邊):よろしくお願いいたします。
小林:ではさっそく、自己紹介を兼ねて、20代どうやって生きてきたのかというのを赤裸々に語っていただくという形にしたいと思います。
川邊さんからいきたいところなんですけども、まったく打ち合わせをしていない、さっきテーマを伝えたぐらいなんで、若い順にやっていただこうかなと思いますので、平尾さんから。赤裸々に、おもしろい話を。
平尾:赤裸々に。
小林:赤裸々に語っていただきたいと思います。自己紹介を兼ねてお願いします。
平尾:はい、おもしろい話ですね。次元を超える事業家集団じげん。何かBGMっぽい感じになりましたね。ありがとうございます。ファンの方ですか? “愛情・友情・平尾丈”です。
会場:平尾さーん!
平尾:あ、すごいですね。一部熱狂的な……社員の方ですね(笑)。
小林:素晴らしいですね!
平尾:私は今、32歳でございまして、20代について今日はお話ができると思います。本当につい最近まで20代だったと思ってたんですが、いつの間にか。
4年生の人とかいます? 社会に出てから20代って3000日くらいあると思うんですが、自分の場合は特殊なキャリアできていると思います。
学生時代はですね、私は学生起業家で、2回起業しています。起業したまま、リクルートという会社に入れていただきまして、イントレプレナー、社内起業家として起業させていただきました。
実際そのときにつくった会社が、今やってるじげんなんですよね。そのじげんをMBO、マネージメントバイアウトさせていただいて、去年上場したという形でございます。
雅さんのほうから、「おもしろくないよ」という目線をいただいているので、これから少しずつおもしろさを出していきたいと思っています。今日、大御所の皆様とご一緒しておりますので、私、たいへん緊張しておりますが、少しずつおもしろくなっていったらいいかなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
小林:どうもよろしくお願いいたします。では、山岸さんお願いします。山岸さんは今何歳ですか?
山岸:39歳です。グリーの取締役副会長をやっています山岸です、よろしくお願いいたします。僕は大学は慶應の経済学部だったんですけど、20代というか10代後半からどのように過ごしたかというと、大学1、2年はですね、普通にテニスサークルとかに入ってですね、まったりと過ごしてまして。でも、あんまりおもしろくなかったんですね。自分の人生を生きている感じがしないというか。
大学3年になって、ゼミに入って結構勉強して、それはそれでおもしろかったんですけど、自分の中で人生がすごく変わったのは、大学3年の夏休みに、友達と3人でシリコンバレーに遊びに行きました。
インターネットとかが好きだったので、ちょっと「アメリカがすごいらしいから、見に行きたいな」と思って、大学の先生に向こうの有名な人を紹介してもらったりして、見に行きました。
皆さんも就職とか、3年生とか4年生とか考えると思うんですけど、僕、就職人気ランキングとかで出てる会社とか見ても、まったくそこで働くイメージが湧かなかったんですよね。
それで、社会に出てどうしようかなと思ってたんですけど、シリコンバレーに行ったらですね、自分の好きなインターネットで超大きな会社がいっぱいある。「ここ、すごいじゃないか!」というふうに思って。
あと、そこで有名な日本人のコンサルタントの人がいるんですけど、梅田望夫さんっていう。その人と仲良くなったりしてですね。「やっぱり自分で何かやらないといけないんじゃないか」と思って帰ってきました。
それで、3年の終わりからですね、インターネットのベンチャーで、その頃インターネットのベンチャーってほとんどなくて、ヤフーくらいしかなかったんですけど、起業するおじさんがいるって話を聞いてですね、紹介してもらって、大学4年のときはそのベンチャーでほとんど毎日、週に7日くらいですね、働くというのをやってました。
ただ、その頃小さいベンチャーはですね、ブラック……というよりも、大きな会社から買い叩かれたりいじめられたりすることがあって、さすがにおもしろくないなというのがあって。
最初はちょっと、「大きな会社に入るか?」というところで、インターネットにすごく詳しかった日経BPという出版社があるんですけど、日経ビジネスを出している出版社ですね。そこに入りまして、パソコンの雑誌の編集とか、オンライン媒体の開発とかを4年くらいやりました。
インターネットがおもしろくて、1999年に新卒で入ったんですけど、その頃は詳しいUNIX使えるとか、Webサイトつくれるとかそういう人が少なかったので。
日経BPという会社は日経新聞の100パーセント子会社なんですけど、その中でも少なくて、「あいつインターネット詳しいらしい」みたいなそういうブランディングができて、日経グループ全体のインターネット戦略を考えるとか2年目くらいでやっていて。
普通だと階層構造とかめちゃめちゃあって、役員とか日経の社長とかって60歳くらいなんですけど、入社2年目でそういう人たちと一緒に会議やる、みたいな。インターネットのおかげで下駄を履いて、いろいろやらせてもらったんですけども。
そうすると、ちょっと勘違いしちゃうんですね。60歳くらいってこんなもんかって。おじさんたちなんで、当然インターネット詳しくないんですよね。
自分と比べて底が浅いことを言ってる気がして、「大したことないんじゃないか」と思って、「おもしろくないな」と思い始めたところで、アメリカのCNET。今日本では朝日新聞が買収したんですけども、オンラインのITニュースサイトの会社が日本で立ち上げるって話があって、その頃個人的にバブルだったと思うんですけども(笑)。
すごいらしいと勝手に周りが思っていたので、28歳くらいだったんですけども「編集長やらない?」みたいな話が来て、それ自分としてはおもしろいなと思ったんで、やらせてもらって転職をしました。
転職したのはよかったんですけど、アメリカのベンチャーの日本法人だったので、すごいいい加減で、「こういうこともできるよ。ああいうこともできるよ」って言ってた話と約束が違う! みたいなことがすごくたくさんあって、「これすごいヤバい」みたいな状態が続いたんですね。
自分としても、その頃結構自信があって。自信があって会社辞めてたんで、このままだと格好付かないなと思って、何とかしなきゃと思ったんですね。
最初に立ち上げてから、転職してから半年くらいは毎日2時くらいに寝て、プレッシャーで朝4時くらいに目が覚めちゃうみたいなのが半年くらい続いて。でも試行錯誤する中で、結構ブレイクスルーもあって、事業もうまくいくようになった。
ちょっと安定してきたところで、グリーという会社が2004年12月に立ち上がるんですけど、ちょうどその社長をやってる田中(良和)とインターネットのベンチャーでバイトしてた頃から仲良くしてまして、社会人になってからも毎週遊んでるくらいの仲良しだったんで。
その田中が楽天で働いてたんですけど、「SNSをつくる」って言って、それを個人で手伝っていたら結構大きくなってきちゃって、三木谷(浩史)さんから「楽天をとるのか、グリーをとるのか、どっちだ」みたいになって、「それじゃあ、グリーやるしかない」みたいになったんで成り行きで。
CNETのほうも落ち着いてたんで、「じゃあ、俺もグリー手伝うよ」って話をして、一緒に創業して。それが28歳くらいですかね。グリーを創業して、10年くらいやって今に至ると、そういう感じです。
小林:今日、インターネット初期のほぼ化石みたいになっちゃってますけど、歴史的な背景をいろいろ説明していただきました。川邊さんも同じくらいの年代なんで、もっと劇的な20代を過ごしてきたので、川邊さんの20代を赤裸々に語っていただきたいと思います。お願いします。
川邊:お願いします。私は今、40歳でヤフーの副社長をやっています。小学校のときは昆虫のクワガタになりたかったですね。
小林:(笑)。何になりたかったんですか?
川邊:クワガタですね。かっこよかったんでね。だけど、途中で年を取っていくにつれてなれないということが分かりまして、20歳ともなりますとTSUTAYAでアルバイトをして、女性のケツを追っかけてましたね。
たしか1994年とか1995年は20歳とか21歳とかなんですけど、TSUTAYAでアルバイトやっている傍ら、インターネットに出会ってですね、21歳のときに有限会社電脳隊という会社をつくりました。これが大学3年生のときです。
大学3年生のとき印象深くて、1月に阪神大震災があって、3月に地下鉄サリン事件がありました。ちょうど2011年でしたね。ふいに「人って死んじゃうんだ。何かやらなきゃ」と思ってですね、TSUTAYAを辞めまして、インターネットベンチャーの電脳隊っていうのを仲間を誘って始めまして。
最初はパソコンのインターネットをやってたんですけども、途中でライバルが増えて「これは良くない」ということで、モバイルインターネットにシフトしまして。その当時、山岸さんにも取材していただいたことがあったと思いますけども。
モバイルインターネットをちゃっちゃかちゃっちゃか5年くらいやってですね、i-modeとかezwebとかモバイルインターネットの市場ができたときに、自分がやっていた会社をヤフーにバイアウトいたしました。それが25歳のときですかね。要するに、25歳で億万長者になりました。
(会場笑)
川邊:それでおかしくなることもなく、真面目にほぼ新卒の社会人としてやってきまして、途中でITバブルというものが弾けまして、自分の資産が20代にして10数億円減るという稀有な経験をさせていただいて、達観に近いものを20代の後半で得て。
そして、29歳から30歳になるときは、2004年から2005年にかけてだったんですけども、プロ野球の1リーグ制騒動というのがあったんですけども、楽天野球団とかホークスとか、新しい野球球団を立ち上げるという仕事を実はやらせていただいて、世の中の転がし方、動かし方、影響の与え方みたいなものを20代の最後で習ったような気がしますね。
そのあたりが思い出です。あと、結婚もしましたね。その後、離婚をするわけですけども。そんな楽しい20代でした!
小林:ありがとうございます。ということでですね、多分皆さん質問したい人がいっぱいいるんじゃないかということなんで、僕の質問より会場からどんどん質問を聞きたいと思います。イェイ!
(会場拍手)
小林:じゃあ、我こそは質問したい人! 何かありますかね? じゃあ指しますよ。イマイくんどこにいる? ちょっと学生指すのあれなんで、昔IVSのスタッフやってたイマイくん。
質問者:はい、株式会社VOYAGE GROUPのイマイと申します。本日はありがとうございます。いきなりなんですけど、お三方が20代のときに一番えげつない失敗をしたなという経験があれば、ぜひ教えてください。
小林:えげつない失敗。川邊さん、何かえげつない失敗ってありますかね? 20代、30代でもいいですけど。
川邊:20代でよく覚えている失敗はですね、最初の頃、電脳隊は自分たちのサービスもやってたんですけど、それじゃ食えないんで、受託でいろんな仕事をいただいてたんですね。それで、某家電メーカーさんのホームカメラのホームページをつくる仕事があったんですけども、無事ローンチしたんですね。
あるときですね、その会社の担当の方が血相変えて電話をしてきて、「今すぐ来い!」というふうに言われまして、すごい怒ってるんですよ。
何で怒ってるのかなと思って行ったらですね、我々のつくったホームページのプリントアウトされた紙があるんですけども、そのプリントアウトされた紙の上部にですね、何だか知らないけど、とてもいやらしい言葉がいっぱい書いてあったんですね。
「なんだこれ?」と思ってですね、すごい怒ってるし、こんなことやった身に覚えもないので、とにかく謝って会社に持ち帰ったらですね、うちのデザイナーの人間が「良かれと思ってやった」と。
「なんで良かれと思ってやったんだ」と言ったらですね、初期の原始的なSEOですね。要するにいやらしい言葉をメタタグに埋めて、検索エンジンに引っかかってたくさん人がくるようにどうもしたんですけども、タグを最後閉じ忘れまして。
いや、閉じ忘れたんじゃなくて、白地のバックに白い文字で書いてたんですけども、それを開発の人が上司に見せるために、昔はホームページでもプリントアウトして上司に見せる時代だったんですよ。それをプリントアウトして見せたら、文字が反転してですね、白地のバックの上に文字が黒で出ちゃったんですね。
主力のビデオカメラの上に、いやらしい言葉が並びまくるという信じられないことが起きてしまいまして、3日間毎日謝りに行ったと、そういうようなことがたくさんありましたね。
小林:いいですか、こういう話で。
(会場笑)
小林:いいですか?
川邊:会社の失敗じゃなくて、個人の失敗ですか?
小林:なるほど、チャレンジして失敗した、個人のですよね。ありますかね、川邊さん、なんかそういう。
川邊:個人の失敗ですか? それはさっき申し上げた通り、私はヤフーに会社をバイアウトしたんですけども、株式交換で入ったんですね。だから、ヤフーの株をいっぱい持ってたんです。
当時ヤフーの株は、1株1億円とか2億円になる。今でもこの記録は破られていないと思いますけども、超プラチナ株だったんですけども、「もっと上がるだろう、もっと上がるだろう」と思ってなかなか売らなかったら、ITバブルがはじけしまって、売り時を間違えてしまったということがありましたね。
これは明らかに経験不足でしたね。20代の方も、こういうところは周りの大人によく意見を聞いたほうがいいと思います。
小林:ちなみに電脳隊というのはですね……電脳隊知ってる人どれくらいいらっしゃいます?
川邊:いるわけないでしょう。
小林:あ、結構いますね。いわゆるインターネット企業で買収された事例の先駆けというか、多分初期の代表的な事例ですよね。
川邊:最初でしょうね、きっとね。
小林:それで今、ヤフーの副社長をやってると。
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