2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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藤田功博(以下、藤田): 今回は、株式会社オプト代表取締役社長・CEOの鉢嶺(登)様にお越しいただきました。宜しくお願いいたします。
鉢嶺登(以下、鉢嶺):宜しくお願いします。
藤田:今回は創業ストーリーということで、創業から今までに至る話をお聞きできればと思っております。まずは起業前くらいからお話をお聞きしたいのですが、まず大学をご卒業後、大手の不動産会社に入社されたということですよね。
鉢嶺:はい、森ビルという会社に就職しまして、丸3年働いて起業しました。
藤田:起業のきっかけというか、なぜそのタイミングで起業されることになったのでしょうか。
鉢嶺:そうですね。入社したタイミングで、3年で起業するというのは自分の中で決めていましたので、そういう意味でいうと、起業の準備自体は2年間勤務した後、1年間使って準備したという感じですね。
藤田:ブログを拝見いたしますとキャリアを考える時の4つのポイントということで、「人脈」「経験」「資産」「ノウハウ」、この4点をいろいろ考えられたということなんですけど、それぞれについて、サラリーマンを続けて企業の中で働くということと、起業するということで、この4点の中にどのような違いがあると考えられたんでしょうか?
鉢嶺:そうですね。当時25歳でしたが、25歳で起業するときのメリット、デメリットと、もう1つ、40歳以降に起業する、どちらかだなと思いました。40歳以降の場合は、その業界にずっと十数年勤めますので、その業界での人脈、ノウハウを持ったまま起業します。当然、成功確率は高くなるんじゃないかなと思いました。
一方で、20代で起業するというのは何もない状態です。その代わりにあるのは、若さや、先輩経営者の懐に入り込んでいろいろ教えを乞うことができる、というメリットがあります。自分の中で比べた時に、もう十数年も我慢できなかったんですよ(笑)。
そこで、今言っていただいたような4つの視点から、どちらが成長できるのかなと、自分で考えたときには、やはり起業して、十数年経営を経験したほうが、その4点がプラスになる可能性が大きいだろうということで、最終的にはジャッジしました。
藤田:起業をするぞ、というのが先にあったんですか? そこからアイディアを…。
鉢嶺:そうです。起業するというのは決まっていました。私はもう学生のときから起業するというのは決めていたので、最後の1年間で準備するときに、「自分が起業するならばこういうメンバーとやりたいな」という人に目をつけていました。(笑)。彼らに「僕、起業したいから一緒にやらないか」と声を掛けて、2週間に1回集まって、事業のアイディアを揉むような勉強会を始めました。
藤田:「ニュービジネス研究会」ですね。
鉢嶺:そうです、よくご存じですね(笑)。それを始めまして、そこに集まってくれたのが僕を含めて5名ですね。2週間に1回、ただ集まるだけだとすぐに終わってしまいそうだったので、毎回みんなから3000円を徴収しまして、通帳を作りまして、そこに資本金ということでどんどん貯めていき、半年後に「じゃあ、このビジネスやろう」と決めて起業する、という流れを考えていました。
藤田:実際、いろんなビジネスのアイディアがそこで出たそうですが、どういう基準、どういう観点でアイディアを出されていったのですか?
鉢嶺:観点としては1点だけです。お金がなかったので(笑)、初期投資が掛からないビジネスということだけでした。通勤電車の席取り代行だったり、地方の人が宝くじ(有楽町)に並べないと思うので、よく当たる売り場に代わりに並ぶといった非常にくだらないアイディアもいっぱいありました。
藤田:いろんな可能性がある中で、「よし、このアイディアでいこう」って絞り込んだやり方はどのようなものだったのでしょうか。
鉢嶺:そうですね。アメリカの市場をある文献で見ましたら、「ダイレクトマーケティング」という市場が大きく伸びていました。ダイレクトマーケティングに対して「マスマーケティング」、いわゆるテレビや新聞、雑誌を使ったものがありますが、アメリカでは、その市場をダイレクトマーケティングがちょうど抜く頃だったんですよ。
かたや日本の市場を見るとマスマーケティングの市場が圧倒的に大きく、「これは日本もダイレクトマーケティングの市場がくるんじゃないか」と思いました。マーケットの大きさや市場性、「これから来そうだ」、あるいは「自分自身も興味があった」ということで、そのジャンルを選びました。
藤田:アイディアは固まりながらも、ご自身のブログで「そうはいっても決心がなかなかつかずに、もやもやした時期もあった」と書かれていました。そういうこともあって、海外に行った。
鉢嶺:そうですね。やっぱりいろいろ調べるようになります。「実際に起業したらどうなるんだろう」と調べていくうちに、統計データ等を見るようになります。会社を起こして何年間でどれくらい生きているのか、という数字を見ると、非常に厳しい現実がありました。私も会社を起こすものの、会社を潰してしまう確率って高いんだなと。そうするとやはり怖くなりました。
当時、私の友達は大学を出て、大企業に就職しました。それに対して自分はベンチャーを起こすというリスクを冒すわけなので、それ以上のリターンを得ないと自分としては割に合わないと思いました。でもやはりそれ以下になる可能性もあるんだなと思うと、怖くなってしまったのです。
藤田:実際にエジプトに行ったときに決心した、と。どういうことがあったんですか?
鉢嶺:この出来事が私の起業をすごく後押ししてくれました。エジプトのナイル川で遊覧船に寝泊まりしながら遺跡を見にいく、というツアーに参加したときのことです。
現地はまだナイル川で洗濯をしているような貧しい環境でした。ある日、遊覧船が岸辺に寄っていったときに、現地の人が岸辺に下りてきまして、彼らの作ったTシャツやテーブルクロスをビニール袋に入れて、甲板に向かって投げてくるのです。
船が3階建てくらいなので、僕らは上でそれをキャッチして、気に入ればビニール袋に千円札を入れて投げ返す。最初は楽しんでやってたんですけども、現地の人が千円札を太陽にかざして、片膝をついて感謝のお祈りを始めました。その姿をみてハッとしました。「何で俺、こんな25歳で、別に成功したわけでもないのにエジプトまで来られてるんだろう」と。
私の両親は当時海外旅行も行ったことなかったので、まず日本人って、自分って恵まれているんだなということに気づかされました。現地の人たちは職業選択の自由はおろか、起業するなんていう選択肢もないのです。
かたや僕らはそういうことができる、恵まれていると。翻ってみれば、日本もほんの数十年前、1945年に終戦を迎えて、そこから同じような状況、つまり「食うに困る状況」が、我々のおじいちゃん、おばあちゃんの世代にはあったわけです。ほんの数十年前はエジプトと変わらないなと。
それが今のように何にも不自由ない状態になっているのは何でなんだろう、というと、先代の方々が必死に働いて、それによって日本経済が大きく成長して、日本にこの恩恵がもらたされたということです。ちょうど、当時はバブルのときだったので、僕らが頑張って新産業を起こしていかないと、30年後、50年後の日本は衰退するなと思ったのです。
だから、僕らの使命というのは、先代の人たちと同じようにチャレンジをすることだと思いました。それによって日本の国力を増強しないと、子孫の代、日本は衰退してしまうなと。自分の中ですごい気付きを頂きました。もう別に倒産したっていいじゃないかと。
当時はバブルの時代だったので、大企業に就職することがゴールでした。終身雇用でしたから、大企業に就職すれば一生安泰だという雰囲気がすごくありました。
でも、そうではなくて大企業からスピンアウトしてでも、新しいチャレンジをする、新しい事業を起こす、新産業を起こすということが、将来の日本のため、我々の子供やその孫の代のためになるんだってことに気づかされた。私にとっては非常に貴重なエジプト旅行だったのです。
藤田:そこでいざ決意されてスタートされたわけですけど、一番最初はFAXなどでマーケティングなさりたい企業さんの希望を受け付けて、お客さんに対してマーケティング支援をされるっていう仕事だったんですよね。
鉢嶺:そうですね。
藤田:最初の1、2年はどんな状況だったんですか?
鉢嶺:とても楽しかったですよ。1年目が一番楽しいと言ってもいいくらい。なんというか、とても自由でした。5人でお金を出し合って、資本金300万円で会社を設立したものの、どうなるかわからなかったので、「言い出しっぺの僕がまずやるよ」、ということで、ワンルームマンションを借りて、まず1人で起業しました。
ですから、1年間は私が1人でやっていたのですが、この1年間はとても楽しかったです。
藤田:そうですか。
鉢嶺:森ビルは大きい会社でしたし、何でも揃ってましたし、名刺交換する相手も大手のゼネコンの方や、大企業の方が多かったのですが、やっぱり「森ビルの鉢嶺」でしかありませんでした。1年目、2年目、3年目くらいの新入社員は相手にされていないような感じでした。結局、相手は「森ビル」という看板を見てるだけで、私個人は見てません。
ただ、起業したときというのは全く看板がないので、逆にいうと「鉢嶺登」という「個人」を見てくれるわけです。
当時は今でいうホットペッパーのFAX版のようなものをクーポン付きでやっていました。それを飲食店などの忘年会のイベントやキャンペーンに行って、大きな企業の方に「使ってください!」といった営業をしていました。
飛び込み営業でいろいろな飲食店に行くと、そこのオーナーの方や板長、店長といった方が「そこまで熱心に言うんだったら、お前に賭けて5万円発注してやる、10万円発注してやる」といってくださって。それは、「人対人」の世界でした。
私も、その人のために何とかお役に立ちたいという思いだけでしたし、向こうも「お前に賭けてやる」といった感じで、看板ではなく、「人対人」のやりとりでしたからすごく楽しくて。「俺が信頼されたんだ、俺が買ってもらえたんだ。何とか応えたい」という想いがすごく楽しかったです。
藤田:でも、営業のスタイル、仕事のスタイルは大きな会社にいたときと全く変わるわけですよね。そういう飛び込み営業っていうのはそれまでご経験されたことは?
鉢嶺:やったことはなかったですね。
藤田:起業されて初めて飛び込みで。しかも、今までだったら森ビルさんが、変な言い方ですけど、相手にしないようなちっちゃいお店、会社が相手に代わって。そこで結構しんどいなとか、きついなっていうよりも、楽しさが先行してましたか。
鉢嶺:楽しさが先行していましたね。自転車を1台買って、今日は六本木エリア、銀座エリアと決めて、飲食店に飛び込み営業をするのですけど、楽しかったですね。当然、門前払いがほとんどでしたが……。「よしっ、今日は取れるぞ」って、自分でテンション上げて、「失礼します」って入っていくんです。でもほとんどが断られます(笑)。ガーンってテンション下がりますね。
でもその中でも、そんな(良い)出会いがあります。「そんなに熱心に言ってくれるなら、発注するよ」というのが、何日かにいっぺんはあったりするので、その喜びがすごく大きかったです。そういう意味では、飛び込み営業や電話での飛び込みは、全く怖くなくなりました。
藤田:その後、起業されて3~5年の間はどんな感じだったんですか?
鉢嶺:苦しかったですね。1994年に設立して、2000年までは全然ダメでした。要するに7年間です。7年間は最大でも売り上げ3億円ちょっとしかいきませんでしたし、利益もずっと低く、トントンです。自分の給料が高くないから、トントンになっているというだけであって、実質的には、全然儲かっていないという状態が7年間続きました。
そうなると、頭の中では会社をどう拡大するかということばかり、24時間365日考えているような状態です。私の場合は何もわかりませんから、本を読むのと、社長に会いに行くというのを徹底的にやりました。松下幸之助さんや稲盛和夫さんの本をたくさん読んで、「あ、こうやってやるんだ!」と真似するのですが、まったくうまくいきませんでした(笑)。
その結果、利益が出ない期間が7年間続きます。「俺は経営者として向いていないな」という感じでしたね。
藤田:実際に周りのお友達が結婚されたり、昇進したらしいとか、いろんな噂が入ってくるじゃないですか。そういうときの焦りとか、そういうのはなかったんですか?
鉢嶺:7年でしたから、大学の同期が出世したという話はそれほどなくて、むしろ1994年に起業してから、1997年に金融恐慌があり、山一證券が潰れたり、(北海道)拓殖銀行が潰れたり、そういう時期でした。ですから、1991年に大学を出て、みんな大企業へ入りましたけれども、大学を出て入社したところがゴールだと思っていた人たちが慌て始めたのが見えたので、そこは逆に私は……。
藤田:間違ってない、と。
鉢嶺:そうですね。むしろ彼らが慌てていて、「大企業に入ったから安泰とは限らないんだ」ということに気づき始めたのです。先輩社員をリストラするリストラ室に配属になる同期がいました。「これはいずれ自分たちもリストラされる側に行くんだ」という話を実体験の話として聞くと、「ああ、やっぱり起業しておいて良かった」と思いました。
私は、1991年に卒業して、自分なりに模索しながら、自分に投資し続けてきました。。「自分に対して投資し続けてきた人」と、「大企業に入ったからいいやと、のほほんと7年間を過ごした人」とでは、多分「僕のほうが差がついて成長しているだろう」というような自信だけはありましたので、後悔はしなかったですね。
藤田:なるほど。
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