2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
リンクをコピー
記事をブックマーク
佐俣アンリ(以下、佐俣):お願いします。
山岸広太郎(以下、山岸):お願いします。
佐俣:山岸さんにグリーの一番始まりの話というか、始まりの始まりみたいな話をお伺いしていければなと思うんですけども、初めに山岸さんのプロフィール、これまでの経歴をお伺いしてもいいですか?
山岸:はい。僕は1995年に大学に入ったんですけども、ちょうどWindows95とかが出た頃で、インターネットも面白いなと思っていました。
大学が経済学部だったんですけど、大学の学生が運営できるサーバーがあって、そこの管理者をさせてもらったりとか、大学の友達とシリコンバレーに行って、『ウェブ進化論』を書いた梅田望夫さんに大学3年生の時にお会いして、そこから今までお付き合いさせていただいているんですけども、そういうのがあって。
大学4年の時に株式会社ネットエイジっていう、今はユナイテッド株式会社になっていますけど、そういう会社が創業するらしいっていうのを友達が教えてくれて行ってみたら、まだ西川(潔)さんしかいなくて、バイト1号、社員もいないみたいな状態でした。大学4年のときはほとんどネットエイジで働いていました。
その時に、(グリー社長兼会長の)田中(良和)がネットエイジに遊びに来て、出会ったり。あと、(ミクシィ会長の)笠原(健治)さんが、その時は(ミクシィは)株式会社イー・マーキュリーって社名で、ネットエイジが出資をしてFindJob!をつくったんですけど、ベタでHTMLを書いてたんで、「これじゃヤバいよ」ってPerlとMySQLで、ちゃんとデータベースで、求人票を出す人が投稿して、それを笠原さんが審査してアップされる仕組みを作ったりとか、やっていました。
それで、1回ちゃんとした会社に入ろうかなと思いまして(笑)、株式会社日経BPという出版社に入りまして、パソコン雑誌の編集と、Web媒体の開発みたいなのを3年8か月くらいやって、そのあとCNET Japan、アメリカのCNETが日本にも(支部を)立ち上げるという話があって、そこの編集長として2年くらいCNETの立ち上げをやって。
その途中で、田中が個人でグリーの立ち上げを始めて、2004年の頭ですね。友達だったんでいろいろ手伝って、そこから会社にするってところで一緒にジョインして、今に至るという感じです。
佐俣:なるほど。そのまま、グリーの一番始まりのあたりの話をお伺いしたいんですけど、田中さんと知り合ったのはネットエイジがきっかけなのですね。
山岸:そうですね。大学、1997、1998年ごろ。
佐俣:じゃあ、お二人は20、21歳…。
山岸:そうですね。そのころは、TCP/IPとかルーターとか、そういう下回りのインターネットを研究する人とか、インターネットサービスプロバイダ(ISP)みたいなビジネスをする人は結構出てきてたんですけど、その上で何かビジネスをしようみたいな話は、ほとんどまだ日本ではなくて、「アメリカにAmazonって会社があるらしい」みたいな、そういうレベルだったんです。
そういうのすごいな、みたいな。「世の中変える感じがあるよね」「未来なんじゃないの?」みたいなところで、面白いなと思ってる学生って少なかったので、大学は違ったんですけど田中と意気投合して、社会人になってからも週に1回、2回くらい会っていました。
佐俣:それは、純粋に友達として「最近どうよ?」みたいな。
山岸:そうですね。「このサービス面白い、アメリカのほうに出た!」とか。
佐俣:インターネット話をする集まりという感じですか。
山岸:そうですね。そういうのをやってまして、それでずっと付き合ってたんですけど。2003年の終わり、田中と2人でプロレスを見に行ったんですけど(笑)、プロレス見た後に「ちょっと飯食おう」って言って。
それで三宿の夢吟坊ってところでうどんを食べてる時に、田中はその時楽天株式会社で働いていて、ブログのサービスを楽天がやっていたんですけど、「これからはSNS来ると思うけど、仕事じゃできなそうだから、自分で趣味でやるわ」みたいな話をして。
そのころ、<a href="https://myspace.com/" target="_blank>MySpaceとか、その前のやつかもしれないですけどFriendsterとかいう感じで、Facebookとかじゃなかったんですよね。
佐俣:日本でmixiが始まる……。
山岸:始まる前です。ほぼスタート同じタイミングですけどね。(僕としては田中に)「流行るかもね。ふーん、やれば」みたいな。
佐俣:当時、山岸さんはどう思ってたんですか、ぶっちゃけ。
山岸:(首をかしげて)楽天でブログやってて、よく出来てるんですよ、面白いんですよ。ユーザーとして「これいいね、はてなブログと同じくらいいいね」みたいな感じだったんですけど。自分が使うサービスとして「いいんじゃん、これ」みたいな感じで。
だから、「SNSやるんだ!」って言うので、「いいんじゃない、やれば」みたいな感じで話をしていて、2004年2月くらいに招待状を送り始めたんですけど。2~3ヶ月くらいの時に「名前どうしようか」みたいになって。
「Six degrees of separation(六次の隔たり)」っていうのがあるんですけど、友達と友達のネットワークだから、6人つながれば世界がつながるみたいなコンセプトで、そこから取って語感が言いやすいように「GREE」とかどうかなって。「でも、greed(貪欲)とかgreedy(貪欲な)とか、そういう感じに思われるんじゃねーの」みたいな話をしたんですけど、無視されて(笑)。
佐俣:(笑)。当時は、山岸さんはCNETにいらっしゃった。
山岸:そうですね、CNETで1年終わってちょっと経ったくらいのところで。自分の仕事は、まあまあ軌道に乗ってきたかなってころだったんですけど。で、「この人、俺のアドバイス聞いてるのかな、聞いてないのかな」みたいな感じだったんですけど(笑)。
佐俣:(笑)。でも、ずっと会ってたんですよね。
山岸:そうですね。それで、サービスが2月にローンチして1ヶ月で(ユーザーが)1万人、3ヶ月で10万人くらいになって。
佐俣:当時のインターネット的には驚異的なスピードですよね。
山岸:そうですね。mixiも同じくらいのタイミングで出て、同じくらいの伸びしてたんですけど。(あまりの反響にGREEでは)サーバが落ちる、というハプニングがあって、これサーバ増やさないとヤバいけど、お金足りない、ってなって。
まず、1万人か10万人の時にユーザーさんを集めるイベントをやろう、GREE Nightってやつをやったんですけど。1回目はお金をそんなに集めなかったんですけど、堀江(貴文)さんが来てくれたりとか。
佐俣:ネット業界の黎明期だったんですよね。
山岸:ネット業界って感じだったんですよね、そういう集まりをやって。それで、もうちょっとお金集めようってなって、2回目のイベントを、Microsoftさんとかそういうところにスポンサーをしてもらってがっつりお金集めて…というのを、それはCNETにいて手伝ってるって感じだったんですけど、そこから大きくなっちゃって。
佐俣:その時、まだ田中さん一人でやられてたんですか?
山岸:そうですね。
佐俣:そのとき、楽天在籍されてたんですよね?
山岸:そうですね。定時が終わると速攻帰って、朝まで寝ないでやる、みたいな。
佐俣:スタートはお互い本職がありながらやってるっていう。
山岸:僕は単に手伝ってるだけで。本職ありながらというか、友達として手伝ってるだけっていう意識だったんですけど。でも、楽天さんとしてもさすがに「これ何なの?」みたいな感じになってきて、「そりゃそうだ」っていうところで、三木谷さんからも「楽天とるのか、GREEとるのか」みたいに言われて、「じゃあ、GREEやります!」っていう話になって。
やるっていっても会社にすんのかね? みたいな話になって、「じゃあ、やるんなら手伝おうか」って。CNET Japanもだいぶ、もうすぐ2年ってところで落ち着き始めたタイミングだったんで、やろうかと。後任も、(今B-Dashの)西田さんが来てくれることになって、いい人いた! みたいな感じだったんで。
佐俣:そのときはじゃあ、田中さんに「がっつりやるから、一緒に来てくれ」って言われたってことですか?
山岸:んー、いや。成り行きって感じですね。来てくれとは言われてない。やるならやるよ、みたいな感じ。
佐俣:自然に。
山岸:そうですね。向こうも「やんの?」みたいな感じだったですね。
佐俣:なるほど。それで会社化して二人でスタートしたって感じですか。
山岸:そうですね。最初は二人でスタートしました。会社つくったのが2004年12月7日で、(インタビューの日、12月4日から)あと3日くらいでちょうど10年ですね
佐俣:おめでとうございます!
山岸:ありがとうございます。最初はそういう形で、12月7日はまだオフィスはなかったんですけど、登記だけってタイミングなんですが。
佐俣:10年前の今頃に二人でスタートした、なるほど。
山岸:そうですね。それで、オフィスをつくって、人を雇って。で、知り合いの人、今もまだいてくれてるんですけど、最初の社員として入ってくれて。その人は、百式の田口(元)さんのイベントで会った人で。
「最近何やってるんですか?」って聞いたら、「Javaとかやってます」っていうからプログラマかなと思ったら、それはJavaを勉強してるって意味で、本職は経理の人で(笑)、「私、プログラマじゃないんです」って言われて、「そっかー、でも経理もいないからいいや」って言って(笑)、最初のその人が入って、今も経理をやってるんですけど。
佐俣:すごい! じゃあ最初はエンジニアを採用しようと思って内定を出したら、経理だったっていう。そのまま経理をやってもらったんですか?
山岸:やってもらったんです。バックオフィス全般をやってもらって、「この人、いい人だし」と思って。それからちょっとエンジニアを採用して。
あ、一番大事なのを(言い忘れてました)。田中が(GREEを)始めた時に、常駐は僕と田中だけだったんですけど、今もCTOをやっている藤本(真樹)、その時フリーの、流しのプログラマじゃないですけど、オープンソース系では非常にデキるって言われてて。
佐俣:達人、仕事人みたいな。
山岸:そういう、トラブルシューティングをやる人みたいな感じで藤本がいて、それを田中が知っていて、「あいつ出来るらしいから、ちょっと焼肉おごって仲間に入れよう」みたいな感じになって、会社が出来た時に藤本にも「よろしく」っていきなりルート権限を渡したりとかしたらしいんですけど。
それで「ここからは藤本君の責任だから、よろしく」みたいな感じで。藤本はリモートで入ってくるみたいな感じで、主要メンバーはそんな感じだったですね。
山岸:そこからエンジニア2人くらい、藤本の下に入るような子を採用したりして。そんな感じでちょこちょこやってたんですけど、mixiとの差もどんどん開いていくし、向こうは会社なんで。
佐俣:僕当時は大学生だったんですけど、正直SNSのユーザー数としては、当時mixiはものすごい伸びていて。
山岸:30万(ユーザー)くらいまでは一緒だったんですけど、そこから100万にいくときに、向こうが100万までいってこっちが40万とか、それくらい一気に差がついたんですよね。そこはいろんな意見があって、(インターフェースが?)青いからダメだとか言われて。いや、今のFacebookも青いぞ、とか思うんですけど(笑)。
「mixiがオレンジで、GREEは青いからダメだよ」とか友達に言われて「殺す!」って思ったんですけど(笑)。本質的には、ユーザーさんのスティッキネスが発生する仕組みっていうのがいくつかあって、“足あと”とかすごい盛り上がるんですけど、サーバーの負荷がすごいんですよね。
田中いわく、「日本で最初に“足あと”やったのは、楽天のブログでやったのが、俺が最初だ」って言ってるくらい(笑)。最初からわかってたんですよ、やれば盛り上がるっていうのは。でもやるとサーバーの負荷が高くなってうまくいかないっていうのがわかってるんで、やっぱりそれが出来なかったっていうのがあって。その間に、ミクシィさんは体力あるし。
それは、お金って意味でも、社員、エンジニアって意味でも体力あるし、サーバーって意味でも体力あるし、実際(サーバーも)ぼんぼん投入していって。うちはそういうのは出来なくて、差が開いていって。「このままじゃヤバいな」みたいな感じになって、「じゃあ、資金調達だ」っていって、IVPの小林雅さんに。
IVSの前のイベントでNILSっていうのがあって、それはCNETとグロービスさんとでやってたんですけど、僕はCNETでやって、グロービスさんでは小林雅さんがやっていて。
佐俣:一緒にされてたんですね。
山岸:そうですね。すごい仲が良かったんで、とりあえず資金調達の仕方とか雅さんに聞いてみよう、みたいな感じで来てもらって、レクチャーしてもらって。「プレがあって、ポストがあって…」とかそういう話を聞いて、「ふーん」っていう感じで。そこからいろんなVCさんと話して。結局雅さんが一番やりやすいかもね、みたいな話になって、グロービスさんから出資をしてもらいました。
まぁ条件がすごく良かったっていうのもありますけど。出資をしていただいて、だいぶお金が入ったので、そこから採用を強化していった。
佐俣:ユーザーから見ると、正直mixiに全員行っちゃってるな、みたいな。僕大学生だったんで、始まりは結構GREEにいて。客観的にみて一番しんどそうだなって時期だったんですけど、当時の社内っていうのはどんな感じだったんですか?
山岸:まず増資する前はあんまり人がいなかったんで、社内っていっても。我々と経理とエンジニア2人、あと藤本、みたいな感じだったんで、とにかくやらなきゃいけないこといっぱいあるね、みたいな。
差が開く云々以前に毎日サービス落ちるとか、ここの機能がイケてないとか、これ直さなきゃ、みたいなことをやって終わるって感じだったんで、mixiとGREEの差がどうこうとか(考えたことがなかった)。たまに友達に会うと、その「青いからダメ」みたいなことがあるんですけど(笑)、「その前にやることいっぱいあるんだわ」みたいな感じだったんですよね。
で、増資して人が増えていって。僕らの中では、とにかく人がいないから負けるんだみたいな、そういう思いもあったんで、とにかく人が増えればどうにかなんじゃね、みたいな感じで人を増やしていったんですよね。
でも問題として、やっぱり人が増えていったのにうまくいかないっていうことがあって。2005年6月に増資したんですけど、2006年6月にKDDIさんとの提携が発表されて、2006年末ぐらいにモバイル版が出たのかな。そこまでがすごくヤバい感じでしたね。
関連タグ:
2024.11.13
週3日働いて年収2,000万稼ぐ元印刷屋のおじさん 好きなことだけして楽に稼ぐ3つのパターン
2024.11.11
自分の「本質的な才能」が見つかる一番簡単な質問 他者から「すごい」と思われても意外と気づかないのが才能
2024.11.13
“退職者が出た時の会社の対応”を従業員は見ている 離職防止策の前に見つめ直したい、部下との向き合い方
2024.11.12
自分の人生にプラスに働く「イライラ」は才能 自分の強みや才能につながる“良いイライラ”を見分けるポイント
2023.03.21
民間宇宙開発で高まる「飛行機とロケットの衝突」の危機...どうやって回避する?
2024.11.11
気づいたら借金、倒産して身ぐるみを剥がされる経営者 起業に「立派な動機」を求められる恐ろしさ
2024.11.11
「退職代行」を使われた管理職の本音と葛藤 メディアで話題、利用者が右肩上がり…企業が置かれている現状とは
2024.11.18
20名の会社でGoogleの採用を真似するのはもったいない 人手不足の時代における「脱能力主義」のヒント
2024.11.12
先週まで元気だったのに、突然辞める「びっくり退職」 退職代行サービスの影響も?上司と部下の“すれ違い”が起きる原因
2024.11.14
よってたかってハイリスクのビジネスモデルに仕立て上げるステークホルダー 「社会的理由」が求められる時代の起業戦略
2024.11.13
週3日働いて年収2,000万稼ぐ元印刷屋のおじさん 好きなことだけして楽に稼ぐ3つのパターン
2024.11.11
自分の「本質的な才能」が見つかる一番簡単な質問 他者から「すごい」と思われても意外と気づかないのが才能
2024.11.13
“退職者が出た時の会社の対応”を従業員は見ている 離職防止策の前に見つめ直したい、部下との向き合い方
2024.11.12
自分の人生にプラスに働く「イライラ」は才能 自分の強みや才能につながる“良いイライラ”を見分けるポイント
2023.03.21
民間宇宙開発で高まる「飛行機とロケットの衝突」の危機...どうやって回避する?
2024.11.11
気づいたら借金、倒産して身ぐるみを剥がされる経営者 起業に「立派な動機」を求められる恐ろしさ
2024.11.11
「退職代行」を使われた管理職の本音と葛藤 メディアで話題、利用者が右肩上がり…企業が置かれている現状とは
2024.11.18
20名の会社でGoogleの採用を真似するのはもったいない 人手不足の時代における「脱能力主義」のヒント
2024.11.12
先週まで元気だったのに、突然辞める「びっくり退職」 退職代行サービスの影響も?上司と部下の“すれ違い”が起きる原因
2024.11.14
よってたかってハイリスクのビジネスモデルに仕立て上げるステークホルダー 「社会的理由」が求められる時代の起業戦略