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株式会社ORIGRESS PARKS 代表取締役社長 吉武優氏(全1記事)

家族や社員を大切にできない人が、顧客を幸せにできるはずがない 弁当屋の母から学んだ、自分らしい経営者としての生き方

コロナ禍で苦境に立たされたエンターテイメント業界の改革に本気で挑んでいるのが、株式会社ORIGRESS PARKS。本記事では代表取締役社長の吉武優氏の生い立ちから起業に至るまでのストーリー、そして会社設立後にが経験した数々の壁について語られました。 ※このログはアマテラスのCEOインタビューの記事を転載したものに、ログミー編集部でタイトルなどを追加して作成しています。

他店が潰れていく中、弁当屋で35年間黒字経営を続けた母

アマテラス:まず、吉武さんの生い立ちについてお伺いします。現在に繋がる原体験のようなものがあれば、教えてください。

吉武優氏(以下、吉武):私の出身は、宮崎県小林市で、母子家庭で育ちました。一人っ子だったので、家族構成は2人。母によって育てられました。決して裕福な家庭ではなかったものの、母の愛と生活力のおかげで、私自身は苦労を感じずに、生活できました。

母は宮崎県内でフランチャイズ展開していた弁当屋チェーンの小林支店の店長でした。全盛期は何十店舗もありましたが、時代の流れによって他の支店は次第に淘汰されました。他支店が経営難に陥っていく中、母の店だけは35年間黒字経営。最終的に他のフランチャイズ店は全て潰れましたが、本店と母の店だけが最後まで残ったのです。

とはいえ、決して楽ではなかったと思います。お店は従業員も抱えていましたし、母は父が残した借金も返済していました。さらに私の学費や生活費まで捻出していたわけですから、資金繰りは相当大変だったことでしょう。

そんな状況にも関わらず、母は私の進路を全て望み通りに叶えてくれました。家から片道1時間半かかる宮崎市内の高校への進学を希望した時も、受け入れてくれました。実家から遠いため高校の近くでアパート暮らしでしたが、母は毎日往復3時間かけてそのアパートに食事作りと洗濯をしに通ってくれました。

そこまでしてもらったのに、私はセンター試験で失敗して浪人。更に1浪後も国立に落ちて、結局学費が高い私立大学に進学しました。その上、大学では出費が多い社交ダンス部に入部して、合宿やレッスン代、衣装代などにお金を使い続けました。

その挙げ句、授業にもろくに行かずに、4年生後期でまさかの4単位を落とし、留年したのが極めつけです。母には相当な金銭的負担をかけてしまいました。母は私にお金を一体いくら使ったのか、計算するのが怖いです。もちろんバイトをしたり、奨学金をとったりといった自分なりの工夫はしていましたが、母には本当に感謝しかありません。

母から学んだ、起業家としての「逆算思考」

吉武:街中の1つの弁当屋を営んでいた母ですが、その背中を見て育った私は、母から経営者の極意をたくさん学びました。資金繰りや人材マネジメント、営業など、当時の母のやり方を、思い出して参考にしている点は多くあります。

その中でも特に母が徹底していたのは「逆算思考」です。必要な営業利益を出すために、売上の月目標と日別目標、そのために売らなければいけない弁当の数を月別と日別で設定し、そこから原価率を踏まえての仕入れ、従業員の人件費、光熱費等、毎日夜遅くに帳簿をつけて計算していました。

要するに母は、「今月はいくら儲けたいか?」の目標を決めて、そこから全てを逆算して行動していたのです。例えば、来店するお客さんだけで目標達成できないことを察すると、「弁当の外販」をしていました。車に弁当を積んで、病院や市役所へ売りに回るのです。

また、定番メニューだけでは飽きられるため、新メニューを毎月開発しては期間限定販売をしていました。ある時、新メニューで「おはぎ」を出したのですが、それが大人気となり、毎週木曜は「おはぎの日」としてレギュラー化していました。2個入り160円だったので、弁当とセット販売する戦略で客単価向上も実現していました。

私は子どもの頃野球部に入っていたのですが、土日の試合日、母は子どもと父兄、監督コーチと全員分の弁当注文をきっちり受注していました。

当時の私は太っていたのですが、「うちの弁当が美味しくて、息子もこの通り太ってしまいました」とセールストークにも使われていたようです。そんな母を私は毎日見ていましたし、それこそ年末になれば毎年おせち作りを私も徹夜で手伝っていました。

おせちは1個1万円なので、80個売れたら80万円です。年末のおせち販売は、1年に1回やってくる我が家にとってのボーナスでした。手伝いの後は、店内にあったヤクルト自販機の「タフマン」をよくご褒美にもらっていました。

他の店舗が倒産する中、一店舗だけ黒字経営を長年続けた母。この逆算思考と実行の背中を見て育ったことで、起業家としての素地が自然と培われていったように思います。

自分が経営者になってから多くの壁にぶつかってきましたが、たまに何か困ったことがあれば、母に相談します。もう高齢で引退しているもの、著名な方の経営論よりも、幼い頃から身近に見てきた母の経験談の方が参考になることがあります。

コミュニティから外れる経験から、人との向き合い方を学ぶ

アマテラス:先ほど大学の話が出ましたが、大学時代はどのように過ごされていたのですか。

吉武:大学では、勉強よりも社交ダンス部(競技ダンス部)の活動にどっぷり浸かる日々でした。学業で得た知識はほとんど覚えておらず、部活動で人格形成に時間を割いた期間だったと捉えています。ただし、部活は通常4年間在籍するものですが、私は部内でのトラブルが原因で、途中1年間部活を離れていました。そのため、1年間は空白です。

もともと私は強制されると反発するタイプの人間です。後輩や部下とのトラブルは少ないのですが、先生や先輩、上司とは上手くいかず、これまでに何度か対立構造になった経験があります。部活でのトラブルもまさにそのパターンでした。

大学1年目の終わり頃に男女の固定ペアを決めることになったのですが、その際、幹部陣の意思決定プロセスにどうしても納得できなかった私は、幹部全員と激しく衝突しました。結局、事態はヒートアップしていき、OB会長を含む歴代OBが総出でフォローに入るほどの、前代未聞の激しい紛争に発展しました。幹部全員VS反発する1年生の吉武という構図です。

結果、私は幹部側の主張に負け、部に多大なる迷惑をかけた責任を取る形で、部活を離れざるを得なくなりました。辞める際は、頭に血が上っていたのですが、その後、仲間を失った現実を否応なく実感し、徐々に寂しさが込み上げてきました。コミュニティのありがたさを、失くした後に実感したのです。

とはいえ、自分から出ていったコミュニティですから、きっかけがないと戻れません。部活のメンバーから「戻りたい?」の一言をいつか言ってもらえないかと思い、当時は同期へと定期的に連絡していました。

退部から1年後、仲間の計らいのおかげで、全面的に謝罪することを条件に復帰させてもらいました。謙虚に活動すること、環境に感謝をすることで徐々に求心力を取り戻していきました。最終的には4年生で主将に選ばれました。

コミュニティから外れたリアルな実経験は、後々の自分にとって勉学以上の学びになりました。特に人への向き合い方が変わりました。おかげで組織を辞めたいと悩む人や、弱っている人、気性が荒い人等、さまざまな人にアドバイスしたりマネジメントしたりする際に活きています。

電通時代は史上最年少で「営業大賞」を受賞

アマテラス:大学卒業後は電通に入社されましたね。さまざまな企業がある中で、電通を選ばれた理由は何だったのでしょうか。

吉武:就職活動では、誰よりも時間を割いてがんばった自負はあります。あらゆる業種の説明会に足を運びましたし、OB訪問もこなしました。自己分析も極めて、オリジナルのPR手法を多く編み出しました。

ですが、そこまで極めた末、「入社しないと企業なんて分からない」という、身も蓋もない結論にたどり着きました。なので、自分の生涯の職業を決めるのは一旦保留し、まずは大手広告代理店のような総合会社に入って広く世の中を見てみよう。その先で、自分の専門性を決めようと考えました。

電通では、最初の2年間は新聞局で日経新聞を担当。その後は営業兼プランナーをしていました。電通には1年に一回、優れた成果を表彰する「営業大賞」があるのですが、私は入社4年目で局のグランプリを受賞しました。

営業大賞は通常チーム単位で応募するのですが、私は歴代初の個人受賞で、かつ史上最年少での受賞でした。受賞できた理由は、当時、私が個人的に行っていたある取り組みのおかげでした。

実はその頃、私は休日を活用して、同世代の起業家たちが経営しているさまざまなベンチャー企業のオフィスを訪問して回っていました。その会社の仕事を無償で手伝うこともありました。資料作成や電通社員の紹介をしてあげる代わりに、その会社のリアルを教えてもらい、その会社が成長していく様子を横で観察させてもらっていたのです。

テーマパークの開業プロジェクトは、絶対逃せないチャンスだった

吉武:「将来起業するときのために、現場を学んでおきたい」という狙いだったのですが、そんな活動の中、レシピ動画「クラシル」を運営するdely株式会社と出会いました。

当時のdelyはまだ社員10名程度の会社でした。しかし、私が仕事を手伝う期間に大型の資金調達を実行して組織が急拡大。テレビCMを含めたキャンペーンを大々的に仕掛けるフェーズになりました。数億円規模の案件受注をかけたコンペが開催され、内情を知り尽くして、人間関係もできている私はそれに参加して勝利したため、社内で表彰されるに至りました。

電通では、他にもさまざまな経験をしました。特に、世界最大級の屋内型ミニチュア・テーマパーク「SMALL WORLDS」の開業プロジェクトは、ORIGRESS PARKSを創業した経緯とも深く関わっています。

このプロジェクトは、電通が出資したことをきっかけにハンズオンで支援したのですが、当時の私にとっては何が何でも携わりたい案件でした。なぜなら、当時の私は、起業する際は「エンタメ」×「toC」を極めたい。その中で最大規模のテーマパーク事業に挑戦したいという思いがあったからです。

特に「キッザニア」の事業モデルには関心がありました。「教育」×「エンタメ」という「エデュテインメント」思想に共感し、いつか私も社会性のあるテーマパークを自ら創りたいと考えるようになりました。そんな構想を思い描いていたところに、子ども向けテーマパークの開業案件が舞い込んできたわけですから、私にとっては絶対に逃せないチャンスだったのです。

元々は違う担当者が社内にいたのですが、半ばポジションを奪うような形でメイン担当に就任。その後、ロゴの開発からマーケティング戦略、スポンサー集め等に尽力しました。更に、電通に求められる広告領域を明らかに超越し、それ以外のあらゆる打ち合わせにも顔を出したり社内資料を熟読するようになりました。

入社1ヶ月で、電通の社長に自分はなれないと悟る

アマテラス:吉武さんがORIGRESS PARKSを創業されたのは2021年4月ですよね。その経緯について教えて下さい。

吉武:電通に入社する前は、電通の社長になろうと考えていました。ですが、入社してわずか1ヶ月で、自分は絶対なれないと悟りました。電通ほどの大きい会社で社長になるためには、30年ほどサラリーマンを続ける必要があります。上司や部下から信頼を得て、大きな失敗をすることなく、安定的に結果を出し続けて1段ずつ出世の階段を上がるのです。

そこで母を思い出し、電通ほど大きくなくていいので、身近な社員を大切にしながら長く経営者として歩む人生の方が自分に合うだろうと考えました。

とはいえ、電通のコミュニティには本当にお世話になりましたし、所属している期間も辞めた後もフル活用しています。縦横無尽に活動する中でビジネスを学ばせてもらいましたし、とにかく同期が優秀だったので、「シニア向けテーマパークを作るから協力して!」と何人も集めて定例会を開催し、何通りもの企画書も作ったこともありました。

2018年には全ての有給休暇を使って世界一周(18ヵ国25都市)も行いました。世界中のエンタメを視察する中で、自分自身との対話を何度も繰り返す時間でした。

当たり前ですが、テーマパーク事業はとにかくお金がかかります。ベンチャーと相性が悪いことも分かっています。それでも、自分の人生をかけてテーマパーク事業をやりたい。最終的にはディズニーを凌駕するほどの、今までにないテーマパークを作りたい。

その想いを胸に、ORIGRESS PARKSの創業に踏み切りました。まだ、この会社ではできていませんが、遠くない未来に必ず創ることを決めています。

創業のタスクを終わらせて気付いた「仕事がないぞ?」

吉武:勢いで会社を立ち上げて法人登記やロゴの作成など、創業のタスクを終わらせ、社員にも壮大なビジョンを語りました。そこまでは良かったのですが、ある程度落ち着いた段階でふと我に返って当たり前なことに気づきました。「あれ、仕事がないぞ?」と。

自覚して急に、怖くなりました。すぐにテーマパークを作れるわけではないですし、まずは稼がないといけない。アドレスを作っても、仕事のメールなんて1通も来ないし、お客様なんて誰もいないわけです。当面はイベント事業で売上を立てる予定でしたが、その場合、キャッシュフローが持ちません。イベント事業の場合、企画立案から1年ほど経ってようやく開催されて、お金も入ってくるからです。

このままでは仕事もないし、キャッシュも回らない。なんとかして月次でお金が入ってくる仕組みを作る必要があります。そこから必死で構想を練り、自分の経験を活かせるサービスとして、着手したのがエンタメ遊び放題のサブスク「レジャパス」です。

「レジャパス」のアイデアは、前職時代に開催していたエンタメ施設関係者同士の情報交換会で生まれていました。コロナ禍の影響で、多くのエンタメ施設が販促に苦しむ中、新たなやり方を模索していたのです。そこで、エンタメ施設が「共通の入場券」を作って、売上も分配するような仕組みがあれば、コロナ禍の中でも売上の足しになるのでは?という話が議論の中で出ていたのです。

「レジャパス」は、施設側は無料で導入でき、かつ分配金が貰えるという「施設ファースト」のビジネスモデルを採用しました。空席マーケットを掘り起こし、自分達では埋められない入場枠をレジャパスに提供してもらいます。消費者には定額で遊び放題という価値を提供し、新しい施設やライブに足を運ぶきっかけにもしてもらいます。

アマテラス:施設側にはメリットしかない企画だったわけですね。最初の反応はいかがでしたか。

吉武:「施設にとって、こんなありがたい話はないだろう!業界の皆さんが美味しい話だとすぐ理解して、飛びついてくるはずだ」と最初は思っていました。問い合わせフォームを通じて、さまざまなエンタメ施設にDMを600通ほど送ったのですが、「この中から半分くらい返信きて、その半分が加盟かな。ということは、150施設はまず加盟だね」と、初期にいた4名の社員に向けて言ったことを覚えています。

手元にあるのは企画だけ、ひたすら営業に打ち込む

吉武:ですが、反応は全く違いました。加盟どころか、返ってきた返信がわずか1通だったのです。「問い合わせメールじゃダメなのか…」と理解し、テレアポに切り替えましたが、それでも全く相手にしてもらえませんでした。「忙しいので」「サービスも会社も聞いたことないので、上司に企画を通せない」「サービスが始まってもし話題になってたら検討します」というリアクションばかりでした。

予想と現実のギャップに愕然としましたが、手元にあるのは企画だけです。導入実績を増やしていかない限り、サービスが成り立たないわけですから、あとは情熱と気合で押し切るしかありません。当時はまだメンバーも少なく営業経験者も0だったので、最前線で私自らひたすら営業に励みました。

「朝8時から夜8時まで電話する。とにかくローンチまでに30施設を達成する」を目標にして、ひたすら営業に打ち込んだ結果、ついに、よみうりランドやサンシャイン水族館など業界トップクラスの施設を口説き落とすことに成功しました。

それから風向きが変わり、レジャパスを導入してくれる施設が増えていきました。サービス開始から1年、2023年5月現在のレジャパス加盟施設は560施設程度です。ここからさらに増やしていき、これから1年以内に1000施設以上の加盟を目指します。

家族や社員を大切にできない人が、顧客を幸せにできるはずがない

吉武:その後もハードシングスは山ほどありましたが、会社のメンバーと共に乗り越えてきました。経験を通してメンバーがそれぞれ成長し、互いに背中を預け合う関係ができれば、自ずと良い組織が出来上がっていくというのが私の考え方です。

自分が任された仕事に対して自ら考え、試行錯誤しながらやり切ることで、経験値を増やしていく。もちろん上手くいくこともそうでないこともありますが、どちらにしても身をもって検証しながら突破口を見出していくのが、仕事の醍醐味だと考えています。

また、組織形成論として、当社は身内を大切にする会社でありたいと思っています。私にとっては家族が一番大切で、その次が会社のメンバー達です。

家族を裏切ったり犠牲にする仕事はしないと決めていますし、社員にもそうあって欲しいと思います。家族や社員を大切にできない人が、その先の顧客を幸せにできるはずがないからです。

その姿勢は、サービス開発にも直結します。「レジャパス」にせよ、「レジャフェス」にせよ、まずは自分が消費者となり、使い倒して欲しいです。提供者側もきちんと消費者感覚をしっかりと持つためには、身近な人を大切にして、仲良く遊ぶ時間の醸成と風土作りは必要です。

だからこそ、業務時間中はしっかり仕事に打ち込んで、休みにはしっかり遊ぶ。社員にはそういうメリハリを持って、仕事と遊びを同化させながら人生を楽しんでもらいたいです。

アマテラス:本日は貴重なお話をありがとうございました。

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