2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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田:ありがとうございます。皆さん写真を見てお分かりかと思いますが。ネットを代表する経営者の方達ももっと洗練されていない時代もあったんです。ただ、彼らはここで終わることはなく、色々なプロセス・経験を経て大企業へ成長してきたんですが、今回はその中で何が転機になったかということをメインに話していきたいと思います。では、クリーンなイメージだけどやり手だった千葉さんからお願いします。20歳の夏、なにをしてましたか?
千:僕は中高が男子校で女の子と接する場がなかったので、まず大学に入ったら彼女を作ろうという所からプロジェクトがスタートしました。そのためには金が必要だと。でも田舎なんで、当時最も高収入の家庭教師バイトが4000人の慶応生によって全部食いつくされていて、なかなかありつけない。
田:SFCのブランドではダメだったんですか?
千:無理だったんです。田舎で家庭教師の口もなくて、そうすると目新しいことで女の子にモテて彼女を作る。ネットカフェとかデジタル系とか。
田:順番としては、女・金。その為のネットみたいな感じだったんですか?
千:プログラムの知識とかを学んだりもしてみました(笑)。好きな子が教室に入ってくると知らせるアプリを作って、偶然を装って挨拶しに行ったりとかですね。
田:すごいですね。
千:で、ご飯食べに行こうかとか(笑)。
田:でもデートに行ったりする軍資金は何で稼いでいたんですか?
千:僕、93年とか94年ぐらいなんですけど、ネットスケープの時代だったんで当時としては結構珍しくて数ページ作ると10万円ぐらい貰えるいい時代でしたね。だけど、SFCの人たちの過当競争で単価が下がりました。それで、時代に逆行してCD-ROMを作るという仕事を見つけました。
田:ネットの時代にCD-ROMを作っていたんですか。スマホの時代にフィーチャーフォンで稼ぐという感じですか。すごいですねぇ(笑)。
千:今から何か着メロやりますという感じですね(笑)。結構がんばって稼げたんで、それを作ってかなり。
田:結構とはどのくらいですか?
千:学生の時は結構金回りが良くて、車買ったりとかMacいっぱい買ったりとか。
田:ネットの時代にCD-ROM作っていて当時は年間にいくらぐらい稼げていたんですか?
千:常時1000万以上稼いでいて、うまくすると2000万とか3000万とか。
田:それは、CD-ROMで稼いでいたということですか? 実際何のコンテンツを作っていたんですか? 雑誌の付録みたいなやつ? エロ系の。
千:エロくはないです。
田:すごいですね。当時は稼ぐことに関しては自信があったんですか?
千:自信がなくて何もない状態だったので一生懸命探したという感じですね。
田:ありがとうございました。では、高島さん、二十歳の夏は何をしていましたか?
高:当時は大きいことをやりたいと思っていて、ただで海外に行けるサークルに入っていたんですけど。
田:ビジネス系の学生サークルですか?
高:そうです。色々な国の学生と交流出来るサークルでアジアの他の学生達といっしょに、何か国際会議やろうってことになって。
田:僕の大学の時アイセックに入っている友達がいて、北欧とかフィンランドに行って裸でサウナに入ったという話しか聞いていなかったんで、すごい不純なサークルかと思っていたんですけど、そういう話を聞いて固定観念が解けました。
高:そういう話は初めて聞いたんですけど。アジアの人たちが集まって会議をしてクライアントを回って協賛つけてきて、イベントを10カ国100人ぐらい集めてやっていましたね。
田:そういった活動はビジネスにつながるんですか?
高:あまりつながらないですが、イベントとイベントの間にクラブを借りてイベントをしていました。
田:そこはもうちょっとお聞きしたいんですけど(笑)。
高:大きいことやってみたいと思ってたんですよ。何か当時フランスが核実験をしていたんですよ。フランスの核実験に反対するイベントをやろうっていう風になって、何をやっていいか分からなかったのでクラブを借りて人を集めて署名して、フランス大使館に持っていったりとかそういうことをしていましたね。箱を用意して署名を1000枚集めるとTVに出られるかと思って皆で手分けをして集めて、その辺はインセンティブシステムを作って、何枚いくらみたいな感じで子供達を集めてビラを配っていたりもしていました。
田:では、ここで向こうの2人にスポットライトを当ててみたいと思います。体が火照っているみたいですが藤田さん大丈夫ですか? 先程、藤田さんだけネタをバラしてもらえなかったので是非お願いします。
藤:僕の中ではどん底の時期だったんです。何がどん底だったかというと、もうミュージシャンにはなれないという絶望で目標がないまま生きていたというのと、暇なのが人生の中でこんなにキツイのかというのを経験したんです。
僕はマージャンを相当やっていて、ずっとやっているうちに強くなって、雀鬼会っていう桜井章一さんのやっている所に入っていましたし、雀荘でアルバイトもしていたんですよ。ずっと雀荘に通っていたら、このまま帰らずバイトもやれということでバイトもやってました。僕は高島さんと同級生だったんですが、当時から高島さんは有名な方で、東大でおしゃれで遊びもできて……。
高:そうなんですか?
藤:実際会ったらいいやつだなと思いましたよ。
田:うらやましいという存在なんですか?
藤:感じ悪い(笑)。東大だとオタクじゃないと(笑)。ホリエモンはなんか釣り合いが取れるじゃないですか。加えておしゃれで遊びも出来てだと、無条件で嫉妬されるタイプだなと。なんか野菜とかで偽善者ぽかったけど(笑)。あれで、釣り合いを取ろうとしているのかと思ったんだけど。
田:クリーンなイメージに持って行ったと(笑)。
高:藤田さんね。前の奥さんの時は僕の会社のヘビーユーザーだったんですね。その時はあれおいしかったですねとか色々感想を頂いたのですが、最近はあまり聞かないですね。
藤:オイシックスからうちに届いていまして、あれでオイシックスいいなと思って、会って株を持たしてくれと言ったらうまくはぐらかされたんです。
一同:笑
田:藤田さん当時は雀荘に通ってたりしてたんですが、どういうことを考えて生きていたんですか?
藤:とにかく目的がない時間がきついですね。麻雀をしている時が時間を忘れられるし、そういった感じです。
田:では、最後に内藤さん。二十歳の夏、何していました?
内:二十歳の春に最初の事業を失敗しまして、お金もなくなってどうしようかなって思ってたときに、アントレという、リクルートの起業家志望の雑誌があって、そこに個人広告みたいなのを出せるようになってるんですよ。そこに、起業をしたいんですけどインターンシップみたいなのはなかったので、教えてほしい、みたいな個人広告を出したら中小起業の社長さんから何人かご連絡を頂いて。
途中全部飛ばすと、結論としては僕は起業をしたいと思って、中小企業の社長さんの近くでインターンシップをしてビジネスを学ぼうと思っていたんですけど、結果としては、道端でシルバー売ってたりとかホストクラブでホストやってたりとか色々なインターンシップを学びまして、ビジネスってこうなってるんだなということを学びました。
一同:笑
内:朝から晩まで働いても何も残らないなということが分かり。
田:シルバーは結構売れたんですか?
内:一日に10万20万売ってたんですけど、手元にはほとんど残っていなかったんですよ。
田:それは上に全部巻き上げられちゃって?
内:なんというか、社会の構造というのがそうなってまして。さっき、千葉さん学生のときにそんなにお金いっぱい持ってたんだと思って。
田:ホストクラブはもっと儲かりそうなイメージがあるんですけどそうじゃないんですか?
内:本当は違う企業体系だったと思うんですけど、全部成果報酬だと。だから基本給ゼロという前提で、君はインターンで学びに来てるんだからということで、結果としては手元には何も残らない生活をしていました。アルコール漬けになって、お酒だけ頭に残って(笑)。
田:なんか、さっきお話を聞いていますと、そこそこ成功して東京にも出てきたということを言ってましたね。その後どういう発展があったんですか?
内:インターシップを経験することでお金の利回りを学んで、起業をする時に大学でどのように学べば良いかを知る手がかりになりました。
田:ありがとうございます。では、そろそろ本題のほうに入っていきたいと思っているんですけど、学生のうちに起業して稼いでいる人もいれば、バンドの夢破れて雀荘に通っている人もいれば、インターシップと称してこき使われている学生もいれば、高島さんのようにみんなから羨ましがられる憎い存在の人もいる訳ですね。
で、このパネリストの皆さんどこかで起業しようと思って起業家としての道を歩んできたと思うんですね。次の質問なんですが、皆さん何がきっかけで今の起業に繋がったのかをお聞きしたいと思います。イベントだったり出会いだったり何か不思議なシチュエーションだったりするわけですが、ちょっとそれを振り返って教えてくれますか?
高:僕は大学院の時に一個目の会社を作ったんですけども、会社をやりたいというよりはインターネットに衝撃を受けたんですね。
田:何屋さんだったんですか?
高:インターネットを使って何かをしたいというのと、一度やった仕事は二度としないというルールだったので、ネット関連で違うことをやりたいと思って2年間仕事をしていたんです。事業計画も何もなくて、単にインターネットに触れてたいと思ってやったら、すごいおもしろくて。
田:何人ぐらいでやってたんですか?
高:最初10人ぐらいでやってたんですけど最後には50人ぐらいになって。
田:それは毎回違うことをやるわけですか?
高:深夜会議してると、一階だったんですけど入るスペースがなくて、外の駐車場まで学生が溢れ出て来たという。よく通報されたりとか、信仰宗教だと思われたりもしたんですけども。
田:たとえばどういうプロジェクトをやっていました?
高:たとえば、世界鉱山サミットっていうのが青森県でありまして、それを世界の鉱山に中継するという仕事を受託したりしていました。
田:中継できたんですか?
高:できました。ものすごいゆっくりな画像で。
田:そういうことをしながら、現在の起業に繋がったきっかけとかなにかあるんですか?
高:どうしよう、起業したいけどうまくいきそうにないという時に、漫画でサンクチュアリというのがあって流行ってたんですけど、みんなで読んで。
田:どういう漫画だったんですか?
高:日本を変えようという若者二人が、片方はヤクザの組長になり、片方は衆議院議員になり、のちほど合流して国を変えようとするという、非常に漫画的な漫画です(笑)。「これだ!」て僕ら思ってしまって、「3年後に合流しよう」って言って、それぞれ別の仕事について、実際は2年後に合流して、設立したのが今の会社なんです。
田:一回やってたメンバーで、それぞれ別の道に行って戻ってきたわけですね。なぜオイシックスをやろうと思ったんですか?
高:人の役に立ちたいと思ったんです、本当に。それで、衣食住のどれかかなと思って。それで、食っていうところが、いろんな矛盾も多いし、いいかな、て感じですね。
田:藤田さんはバンドを辞めて雀荘に通って、目的が見つからないという中で、どういう経緯で起業を始めるきっかけになったのか、ターニングポイントを教えて頂きたいのですが。
藤:21歳の時に、今で言うインターンとしてリクルート出身の経営者の、僕と10歳しか変わらない、当時30歳くらいの人たちを間近で見たっていうのが大きくて、それで将来起業をしようという目標ができました。
田:そこでは、何を真近で見ることが出来たんですか?
藤:社長というものが、昔だと手の届かない人だと思ってたのが、大したことないじゃん、ていう。これがでかかったんです、ほんとに。親が経営者の人がよく自分も経営者にっていうのは、やっぱり親を見てるんで自分もできるって思い込んでるだけだと思うんですけれど、そういう意味では、このイベントとかコンセプトは素晴らしと思います。
つまり、経営者を真近にみることで、自分も出来るんじゃないか、と言う気になる。大企業の取締役に会っただけで震えちゃうし、部長はすごい人だし、課長にはいつも怒られてるし、社長なんて肉眼で見たことありませんみたいな会社にいると、起業なんて恐れ多いみたいな感じになっちゃうんですけど、こういう間近で見られるイベントを組んでいるっていうのは素晴らしいですよね。
田:こういう接触はいいということですよね。
藤:そうですね。
田:内藤さんのときのインターンシップと全然違いますね。こういうのが本来求めていたインターシップだったんじゃないですか?(笑)
藤:当時は僕ただのバイトですよ(笑)。
田:ありがとうございます。千葉さんは? 学生時代にCD-ROM売って稼ぎまくって車買ってMAC買ってという素晴らしい生活をしていたのに何故、起業をしてみようと思ったんですか?
千:就職氷河期だったんで、どうしようかなーって。あまりにも楽して儲かってたんで、いっしょにやってたメンバーと話して、「ないな」と。こんなのがずっと続くわけがない。就職しよう、でもどっかで起業しようぜ、て誓って。一回大企業行こうと。で、別れました。
田:3年間と言うのは何をしてきたんですか?
千:リクルートに新卒で入りまして、色々悩んだ結果、一番面白そうだなと。最初の頃はお金が動機だったんですけど、やっぱそれじゃダメだなと。一瞬設けることができても続かない。一生を費やせる何かのテーマが欲しいと思って、もやもやしていたんですけど、そのときたまたま、メーカーさんといっしょに携帯端末がインターネット機能をもって、ブラウザが使えたりといった未来が来るかもしれない、という共同研究をいっしょにやる機会があって、当時はダイヤルアップ接続でテレホが始まったくらいのタイミングで。
田:内藤さんがコタツに入っていた頃にですね?
千:これからは、インターネットでウェブが来るって言われてた時代に、それは古いんじゃないかってもんもんとしてて、日本人はもっと手の中でコニョコニョやるものが好きなんじゃないかと思っていて、今でいうモバイルインターネットみたいなのを考えていて。
田:モバイルインターネットみたいな言葉はなかったですよね。
千:その時に共同研究していたときに、これだと。携帯電話があって、日本人はそこでゲームしたり音楽を聴いたり位置情報連動で広告が降ってきたりみたいな未来が絶対来るなと思って、これを一生のテーマにして自分はやっていけたらいいなと思ったのがきっかけです。
田:ベンチャー企業をやっているかたは、「これだ」て思う瞬間をそれぞれ経験してると思うんですけど、内藤さんの何かきっかけのようなものをお聞きしたいんですけど。
内:高3のときに皆大学進学を考えていて、日経新聞を見ていて、主催のシンポジウムに応募して行ったところ、慶応の商学部のマーケティングなんかを教えている先生が前で教えていて、就職をするという選択肢のほかにベンチャーをするというのがあるんだと。それが自分の選択肢に加わったことが一番のきっかけです。
田:ベンチャーをする時に今例えば内藤さんはインターネット関係をしていますけど、そう決めたきっかけは何ですか?
内:一番最初にやって失敗した事業は、インターネット関係なくパソコンの家庭教師の派遣をするっていうのを20歳の春に始めて、まったくもってうまくいかなかったんで。
田:内藤さんパソコンの先生だったんですか?
内:パソコンの先生を募集するのにインターネットを使っていたっていう。集客のほうは、ビラをたくさん刷って毎日投函していました。
田:藤田さん、ビジネスをやるにあたって、何かこれだという決定的な瞬間とかありますか?
藤:僕は、すごい会社をつくろうというのが目標であり、大学二年の時に『ビジョナリーカンパニー』という本を読んだのがきっかけで。事業が大事じゃなくて、すごい会社をつくろうと。21世紀を代表するすごい会社を作ろうというのが、うちの会社のビジョンになってるんですけど。それを軸にやっているので、それにふさわしい市場となったときに、インターネットがこれからの本流だろうと。
田:ありがとうございます。時間が押してきているので、まだ質問あったんですが僕がしてても意味が無いので、会場に来て頂いている皆さんのほうからパネリストの方々に何かありましたら質問お願いします。
参加者:大阪からきました。今年中にインターネットを使ったサービス、最初はウェブ制作の受注からやって、自分でサービスの開発もやろうと思っています。質問ですが、藤田さんはメディア事業。高島さんは野菜の販売事業をはじめ主軸の事業として、最初の頃はかなり赤字が出ていたと思うんですが、その間に社内外から反対があったと思うんですけど、それに対して自分のやりたいことをどういうふうに貫いていったのかということをお聞きしたいです。
藤:基本的には耐え切るしかないんだけど。起業家はメンタル。ハートが強くないと、赤字赤字言われるんで。いいときは、何をしても「こういうところが藤田社長はいいんだよ」て褒められるんですけど、逆に赤字だと、これだからダメなんだと社員からも文句言われるし、外からも批判を受けるし大変なので、だからなんだと、その期間耐えられるハートの強さが問われるので、それはもう鍛えるしかないと思います。
田:アメーバ事業もそんな感じだったんですか?
藤:アメーバはもろそうですね。ぜひ、『起業家』を読んでください。
田:高島さん、どうでしょう?
高:やっぱりメンタルが必要なんですけど僕は結構、誤魔化すってことをやりました。ほとんど潰れそうなんですけど、社内的にはすごい楽しい雰囲気を出して、なんか食べ物がいっぱいあるオフィスとか。
田:ローマ帝国が滅びる前に、みんなでパーティをやるとかそんな感じじゃないですか?
高:あと、資金調達で潰れそうだったんですよ。藤田さんに言っても、そんなんじゃなーみたいな感じだったんですが(笑)。そういう資金調達のしんどくて潰れそうなことを一切言わなかったんですよね。他の役員にも言わなくて。言ってもしょうがないと思って、ネガティブな情報を社内で遮断して、いい感じだよって言ってました。
田:騙しぬくってことですか?(笑)
高:はい(笑)。
田:でもその時、高島さんご自身はその苦悩を抱えていたわけですよね? やばい潰れるかもと思いながらどうやって笑顔を振る舞えるんですか?
高:あの、やっぱりほんとに僕の場合資金調達にすごい苦労して、ベンチャーキャピタル年鑑みたいなのを片っ端から行ってほとんど失敗するみたいな感じだったんですよね。結構落ち込んでたんですけど、辛いと思っていても潰れる時は潰れるし、笑っていても潰れる時は潰れるのが同じなんだったら、なんか笑っていた方が自分的にも良いっていう感じですね。
田:はい。参考になりましたか?
参加者:なりました。なんか、それぞれ違うっていう。
田:もし、自分で同じ状況になったら藤田さんみたいに耐え抜くのか、騙しぬくのか二つの選択。どっちが自分のスタイルに近いと思いますか?
参加者:えっと、騙しながら耐え抜いていきたいと思います(笑)。
会場:(笑)
田:すごい平和的な回答ありがとうございます。じゃあ次に質問のある方は挙手をお願いします。
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