2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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小林(以下、小):皆さん、こんにちは! スピーカーを簡単にご紹介したいと思います。昨年もこの会場でも登壇いただきましたけども、Googleの開発本部長をされている徳生健太郎さんです。よろしくお願いします。
そしてそのお隣が、ちょっと前までサイバーエージェントという会社で取締役をされていた方で、最近は色々な活動をされている西條さんです。よろしくお願いいたします。
3番目は、最近DeNAの南場さんが本(『不格好経営―チームDeNAの挑戦』)を書いた……読んだ方どのくらいいらっしゃいます? あ、結構いらっしゃいますね。
赤川(以下、赤):ありがとうございます。
小:そこにもちょっと赤川さんが出てくるらしいんですけども……。
赤:本の中で「マッチ棒のような男」と称されているんですが(笑)。
小:マッチ棒と言われている、DeNAの赤川さんです! よろしくお願いします。あと、本とか色々書いてるし、日経ビジネスオンラインとかで記事書いてるので、ご存知の方多いかもしれませんけども、最後はビズリーチの南さんです。よろしくお願いいたします。
この人選なんですけれども、かっこいい大人を見せようということで、僕以外皆さんかっこいい方々を並べて、男の魅力を出したいなという風に思います。ということで、恒例の自己紹介を徳生さんから、よろしくお願いいたします。
徳生(以下、徳):皆さんこんにちは! 徳生です。経歴ということで、もうガキの頃からコンピュータに興味があって、12歳の時にこのちっちゃい8ビットのコンピュータを買ってもらってやったんですが。
高校生の時は、東京の高校でちゃんと普通の高校生らしい生活をしてました。ですが3年生になってくると、皆さんご経験があると思うんですけれども、クラスが分かれたりして、受験モードに入ってくるじゃないですか。
その間に高校が面白くなってきたのに、追い打ちをかけるように彼女にフラれると……。そういう事もありまして、この2つの方程式で、僕はその答えが「もう日本にいる理由はない!」と(笑)。そういう考えを若気の至りでしてまして。
親の助けももちろんあったんですけれども、高校3年生の6月にアメリカの高校に自分で突入しまして、英語とか全部5とかなんですけども。こういう会話の英語「What’s up?」とか言われても、upって前置詞だよなぁとか、よく分かんなくて。
アメリカのB級映画を観て「Fuckin’ great!」とか言ってれば、友達ができちゃうような世界だったんですね(笑)。これは簡単だと思って、色んなアメリカのB級映画を観てた甲斐があったと思ったわけなんですが、ちゃんと一応高校でも勉強しまして。
88年からアメリカのコーネル大学、それからカリフォルニア、やっぱりコンピュータのメッカに行きたかったんで、92年シリコンバレーのスタンフォード大学でコンピュータ・サイエンスを勉強しまして、それで色んな仕事も考えたんですけれども、やっぱなんかスタートアップがいいなぁと思って。
僕、起業してませんけれども、最初10人とか12人とか、ちっちゃい会社で入ってやりたかったんでそういう会社に入って、25歳の頃……あ、高校生2年続けてます。転校した時にやっぱり英語とかあったんで、高校2年生を繰り返してます。
ちょっとだから年齢ずれてきてるんですけども、これナスダックのコンポジット・インデックス。94年から2000年くらいまでうなぎ上りで。その途中、嫁さん見つけてちゃんと結婚したり、謳歌していたという時がありました。
が! このインターネットの音声認識のナビゲーションをするという会社に入って、スタートアップの醍醐味みたいなことを楽しんでいたら、駆け抜けすぎまして(笑)。一挙に株が下落するというのを経験いたしまして、株が落ちたら景気も悪くなって、家も安くなるんですよね。
アメリカ同時多発テロもあって、ファンディングとか一挙に枯渇した時期があります。それで会社が給料が半分しか払えないとかいう事になって、変えたりしたんですが。家が安くなってたんで、最初のうなぎ上りの時に会社が買収されて手にしたお金でマイホームを、2003年4月、30年ローンを組んで買いました。が! その3ヶ月後にレイオフ! ということで、30年ローンを抱えたまま、経済的危機が僕自身あったんですけれども。
その時一生懸命色んな仕事を探して、スタートアップは大変かなぁと思ったんですけれども、やっぱりそういう勢いのある会社がいいなと思って。ここに入ったいきさつは色々また後でまたお話しできるんですが、アメリカの本社の方にプロダクト・マネージャーとして入りまして。
最初アドワーズ、広告製品の国際化とかやって、その後はやっぱり日本人だったら日本向けにグーグルの製品を持って行きたい! ということで、2005年にグーグル・マップを持って来たり、モバイル検索をKDDIとやったりとか、そういうプロジェクトをずっとやってって、グーグル・アースとか。
今、検索やってるんですけれども、2009年までアメリカにいまして、開発拠点が日本でも大きくなってきましたので、東京の方に2009年に来まして、4年くらいになります。そういう形でざっと今、僕がしてる仕事の経歴です。
小:ありがとうございます。続きまして、西條さんお願いします。
西條(以下、西):西條です。よろしくお願いします。私は徳島県、田舎の方で生まれまして、私はたまたま小学校4年生の時に、今で言うパナソニックの町にあるお店で、MSXというパソコンに初めて出会いまして。
親に頼んで小学校5年生の時に、NECのパソコンを買ってもらって、高1くらいまでは少しプログラミングでゲームとかも作ったりしてたんですけれども、小学校後半くらいの時に、やはり自分も当時はお金持ちになりたいみたいなとこもあったと思うんですけれども、コンピュータ関連、ゲーム関連とかで「社長になりたい」というのを思いまして。
それ以来ずーっとそれが熟成されてきて、その延長で大学時代に、実は就職活動……皆さんも就職するか起業するか、あるいは就職でも大企業にいくのかベンチャーにいくのか、というテーマがあると思うんですけれども。
私の頃はまだネット業界というのがなくて、1996年くらいの時なんですけれども、起業というと当時から有名だったのは、孫さんとか、パソナの南部さんとか、カルチュア・コンビニエンス・クラブの増田さんとか、H.I.S.の澤田さん。
この辺りがちょうどベンチャーの若手経営者という感じで有名だったんですけれども、なんか彼らを見てても、自分はじゃあ何で起業するの? というのがわからなかったので、最初、商社の方に入りまして、しっかりビジネスの基礎を学んだというとこです。これは今もすごく役に立ってます。
その後、本当はせっかくの商社なんで貿易とか事業投資とか、そういう事をやりたかったんですけれども、配属の方が財務部だったりとか、為替いわゆるディーラーをやってたんですけれども、ちょっと違うなというので、そうこうしているうちに、自分が昔からイメージしていたコンピュータで起業できそうとか、会社を作れそうとかいうことになって。
それで、ただ自分で何をやっていいかわからないという事で、たまたま転職したのがサイバーエージェントで、社長の藤田さんとは全然知り合いでもなんでもなく、たまたま転職のエージェントに紹介されて入ったということですね。
入ってから、いつか起業というところで、とにかく新規事業を僕はやりたいんだと。おっきな軸の事業とかをやるっていうんじゃなくて、とにかく僕は新規でやりたいんだというのをずーっと貫いて、社内で色々事業を多分10個弱くらい立ち上げたと思うんですけど、そういうものをずっとやっていました。
国内をずっとやってたんですけれども、海外もぜひ経験を積みたいという事で、最初はアジア、色々な国にベンチャーキャピタルの拠点を作っていって、これは事業よりも金融の方がボーダーレスに活動しやすいというので、そういうチョイスをしました。
その後事業をやりたいというとこで、スマートフォンが普及したり、Facebookが普及したりしたことによって、作ったコンテンツが簡単に世界中に出せる、それから決済もついてくる、マーケティングも手段がある。
この3つが揃ったので、そろそろ事業で海外やりたいという事で、2010年にアメリカに行って、2年ほど事業の立ち上げをやっていました。そのまま戻ってきて、サイバーエージェントの仕事をやること色々あったんですけれども、この辺でそろそろ自分でやろうというので、去年サイバーエージェントを退職しまして、今色々活動をしていると、そんなところになります。
小:ありがとうございます。では続きまして、赤川さんお願いします。
赤:赤川です。私は1983年生まれで、つい今月30歳になりました。今日はテーマが「20代の生き方」ということなので、30になったばかりのおっさんからのメッセージということで、話ができればという風に思ってます。
DeNAに入る前の話ですが、私は「THE・普通の大学生」でした。好きなものは音楽。とにかくレコードを買い漁るのとバンドが好き。ただそれにコミットしてたか? と今思うと、どっかで自分はすごいミュージシャンだと思ってたんだけれども、真にチャレンジをし切ってなかったなと、当時に関しては思っていて、どこにでもいるお酒が好きな「THE・大学生」でした。
周りが就職活動を始めるというので、僕も就活というのをやってみないとヤバいんじゃないかという、超普通の大学生的思想をしまして、色々受けたんですけど。最初、結構うまくいくじゃん、なんだ余裕じゃん、と思ってたら、テレビ局でダダっと落ちたんですね。
あ、結構就職って難しいかもと思って、初めて就職説明会というものに行こうと思って行ったのが、たまたまDeNAという会社でした。そこで南場智子っていうファウンダーのキラキラしたおばちゃんがいるんですけれども(笑)、そのおばちゃんが非常にエネルギッシュで魅せられたわけですね。
すごい面白そうだなと思ってそのまま面接に進むと、現社長が面接で、僕学生なんですけれども、ものすごい真剣勝負を突きつけてきて、喧嘩まがいの面接をしてるうちに、面白そうな会社だなということで、最後は自分の勘を信じて、こういう場所でチャレンジしたら自分も変われるかもしれないという思いで、DeNAにジョインしました。
それが2006年です。そこからのキャリアなんですが、いっぱい失敗しているんですね。とにかく色んなうまくいかなかった事があるんだけれども、それでもめげずにやってると、どっかでまた上がる機会があるということなのかなと、まず全体としては思ってます。
DeNAにジョインしたのが2006年で、最初に配属されたのが広告営業でした。DeNAって高い目標を追うのが大好きなんですね。とりあえずポンと高い目標を置くんですね。その時は、当時アフィリエイトっていう事業のサイトをやってたんだけれども「これの獲得件数を増やしてくれ」と。「この数字はIR資料に出るので、君が未達になると株価が下がるんだからよろしく」というのだけ、まるっと振られて仕事を始めたと。
ゴリゴリやると、なかなかうまくいかなくて、とにかく悩む、いきなり禿げるんじゃないかくらい悩む。そういう事をやってるうちに、とはいえどんどん結果も出るようになりまして、1年目の段階で10人くらいのチームのマネージャーにDeNAが抜擢しました。周りが全部年上で、最初は非常に悩みながら、全然うまくいかないんですね、やった事ないんで。
それを模索しているうちに、チーム自体もすごく強いチームになりまして、この辺りは『『不格好経営―チームDeNAの挑戦』』に書かれてあるんで読んでください(笑)。ということで、なんとかかんとか。最後は自分の達成したいという気持ちしか当時はなかったので、それでなんとかチームをまとめて成功させました。
うまくいったと思ったら、今度はまた無茶振りをするのがDeNAの文化でして、営業じゃなくてマーケティングをやってくれということで、今ベイスターズの球団社長をやってる非常に武闘派の池田という人間がいるんですけれども、その人間の下に異動して、今度はマーケティングをやりました。
マーケティングをやった後、今度はマネージャーをやろうということで、モバゲー事業。この頃2006年にDeNAってモバゲー始まっているんですけれども、2009年くらいってソーシャル・ゲームっていう、今すごくうまくいってる事業を始める直前で、非常に苦しい時期だったんですね。
メンバーの心もなかなか……うまくいかない時の組織って厳しかったりして。そういう状況でなんとかしろということで、そのマネージャーをゴリゴリやってて、これは非常にしんどい時期でした。そこからソーシャル・ゲーム事業っていうのがうまくいきまして、僕自身のやった事としては、ヤフージャパンと組むといいんじゃないかということで、ヤフー・モバゲーっていう事業の立ち上げをやりました。
これも交渉が何度も頓挫しかけて、非常にしんどいプロジェクトだったんですけれども、最後は孫さんにご納得いただいて、なんとか握手ということで良かったんですが、今度はこれがローンチ直後に大障害を起こしまして、大炎上するというマイナスの所から、なんとか黒字化に持ってったところで、モバゲー事業から離脱したというキャリアです。
その後は、海外の仕事は一切やったことなかったんですが、ヤフー・モバゲーという事業がPCのゲームだったので、韓国はPCの市場もデカいということで、早めに市場を考えたらどうだという立ち話を守安っていう今の社長としてた所、「じゃぁ赤川考えて。責任者ね。1ヶ月でどうするか持ってきて!」以上、みたいな感じのまた無茶振りを受けまして、その後韓国事業を立ち上げたと。
その後、今は海外事業中心にみてまして、2012年からDeNAの執行役員として、今は全社のプラットフォーム戦略というのを統括してます。これがざっとしたキャリアなんで、細かい所はこの後、議論の中で話していけたらという風に思っております。
DeNAが今、どういった事をやってるかというのを一応紹介しておくと、多分世間的にはモバゲー事業のイメージが強いと思うんですけれども、もともとeコマースから始まってまして、今もかなりたくさんのサービスをやってます。
社是としては「エターナル・スタートアップ」「A級ベンチャー」というのを掲げてまして、基本的にはベンチャー同様にチャレンジして、それを資本力も含めて勝てるとこにはどんどん突っ込んで勝っていくということで、様々な事業をやってます。これを繰り返すことで、日本発の世界で勝てるグローバル企業をつくるというのが、僕が今コミットしてやってるところです。以上です。
小:ありがとうございます。では最後に南さん。
南:はい。ビズリーチの南と申します。僕たちの会社でやってきた事は、お3方に比べて、まだ小さく、胸を張ってお伝えできるものはございませんので、これまでの自分自身が経験してきたことを通じて、本日は皆様にお話しできればと思います。
僕自身、大変恵まれていたのは、幼稚園から中学校まで父親の仕事の関係で、カナダで育ったことです。その後、日本語もあまり上手に話せない上に、日本のこともあまりよくわからない状態で、中学生の途中でいきなり静岡県磐田市という当時人口6万人くらいの街に帰国しました。
そのまま一生懸命静岡での生活に慣れながら、地元の県立高校に進学しましたが、転機は、高校2年生の終わり、地元の本屋さんで、世界の大学ランキングという表紙の雑誌が目に入ったことです。中身の記事を見たら東京大学が40何位で、上位は、アメリカの大学ばっかりでした。そこで、アメリカの大学に進学してみたくなり、ボストンのタフツ大学へ95年に進学しました。
大学入学直後は、日本の生活に慣れていたこともあり、英語や文化の違いに苦労しました。しかし、体育会サッカー部に入ったこともあり、人種の壁を超えた交流も増え、アメリカらしい大学生活を送ることができました。大学時代の夏休みに、ウォールストリートでインターンをさせてもらったこともあり、卒業後は、モルガン・スタンレーという投資銀行に就職しました。
新卒時代は、2か月の厳しい研修を経た後、M&Aアドバイザリー業務を営む部署に配属されました。新入社員の頃は、当たり前のことを当たり前のようにできるまで、徹底的に先輩から指導を受けました。
彼らの教育のおかげもあり、プロフェッショナルとしての仕事の仕方を勉強させてもらいました。その後、企業買収のお手伝いをしたお客様からお誘いを受けて、香港を拠点とする投資会社の日本支社へ転職しました。
金融業界で4年ほど働いた後、当時、スポーツの仕事がどうしてもやりたいと強く思い、会社を辞めて、個人事業主としてスポーツに関わるお仕事を色々とやりました。こう言うとかっこよく聞こえますが、スポーツの仕事といっても、フットサル場の管理人やテニスの国際大会の通訳を少しやっていただけで、決して胸を張って自慢できるような仕事ではありませんでした。
ただ、この結果については、自分自身は、仕方ないと思っていました。当時の自分が選んだ道でありましたし、完全に自分の実力不足が招いた結果です。スポーツの名が付く仕事であれば、1年半くらいどんなことでもやりましたが、本当に、自分が期待したような成果は一切出ませんでした。
そのような状況の中、運が良かったことに2004年9月、楽天がプロ野球界に新規参入するニュースが流れました。過去にお仕事で関わりのあった三木谷さんに球団の創設のお仕事がしたいと直談判したところ、ありがたいことに、入社の機会をいただきました。
そのおかげもあり、楽天イーグルス準備室の一人として、プロ野球球団の創立に関わらせていただくことになりました。球団時代は、仙台に引っ越ししまして、毎日、ワクワクしながら、プロ野球チーム創りを3年間やっておりました。
本日、参加されている学生のみなさんは、起業したいという気持ちを持たれている方々が多いのではないかと思いますが、僕自身は大学時代も、楽天イーグルス時代も起業したいと思ったことがありませんでした。
たまたま、楽天を辞めた後、転職活動をしていた時に、海外生活が長かったこともあり、日本の働き方に疑問を持ったんです。なぜ日本の働き方はこんなにも窮屈なのだろうか、もっと自分たちの時代に合った働き方ができないものか、率直に感じたことがきっかけで、今のビジネスモデルに至り、会社を仲間と創ることになりました。
僕自身の仕事における世界観は大変シンプルなもので、世の中に新しい価値を創り、社会に大きなインパクトを与えてみたいということだけです。たくさんの仲間が集まり、価値あることを正しくやることにより、みんなで楽しみながら、その世界観を実現したいです。
そのため、弊社の採用方針は、世の中に大きなインパクトを与えられるような事業を仲間とともに創りたいと感じている学生です。
現在は、働き方をテクノロジーで変えようと、採用領域で事業を営んでおりますが、今後も、インターネットの力で、世の中の選択肢と可能性を広げられるような事業を展開していきたいと考えています。
僕たち自身、まだまだ小さなベンチャー企業ですので、これからが本当の勝負だと思います。ぜひみなさんも応援してください。よろしくお願いします。
小:ありがとうございます。それでは、パネルディスカッションに移りたいと思います。
質問者:南さんは、世の中に大きなインパクトを与えられるような事業を一緒に創りたいと感じている学生を採用していきたいとおっしゃられましたが、どのような学生とお仕事したいですか?
南:僕たちは、当社の理念である「インターネットの力で、世の中の選択肢と可能性を広げていく」ということを真摯に追い求めています。よって、必然的に、その理念を一緒に追い掛けてみたいと感じてくださる学生を探しています。
ただ、入社直後は、まだキャリアを始めたばかりの新入社員ですので、いきなり現場で即戦力として働くのではなく、最初は、キャリアのスタートラインに立つための教育や育成に力を入れています。何をするにも基礎がとても大事だと考えているからです。そして、価値あることを正しい手法でやっていくことは、僕たちが大切にしてきた企業文化でもあるため、教育や育成でも、その価値観を大切にしています。
特に、我々が、社会人のスタート地点に立つためにまず求めることは、シンプルなことばかりです。3つあるのですが、2つは、会社としてお願いしたことを最後までやり切ること。そして、2つ目は、設定された目標に対して、自分なりに計画を立て、期限内に達成すること。最後に、自分ができるようになったことを、まだできていない後輩や同僚に正しく伝え、できる仲間を増やすこと。
とても地道かつ地味なことではありますが、社会人のスタートラインに立ちためには、まずはきっちりと社会人としての基礎をじっくりと学んでもらいたいと考えています。我々としては、本業がキャリア支援領域にありますので、今後、どんどん働き方が多様化していく中、どのような環境でも、どのような状況でも、きっちりと市場や他企業でも評価される人材を育成していくことが重要だと思っています。
そのため、我々の教育方針を明確に理解して下さり、会社とともに成長していきたいと考えられる学生と、今後、お仕事をさせて頂きたいと考えています。
また会社としても、このような社会人としての基礎を新入社員時代に学ぶという姿勢を社員に求めるだけではなく、社内でも、きっちりとした教育と育成の体制や仕組を創り、採用した新入社員全員が、社会人としてのスタートラインに無事立てるよう、今後も、投資を続けたいと考えています。
小:赤川さん、いかがでしょうか。
赤:うちの会社は新卒かどうかよりも、そいつができるかどうかとか、そういう視点で任せるので、新卒かどうかという判断の仕方はしてないですけど。さっきの質問もあったので……僕は起業というのは手段だと思ってます。
ただ結果的に、DeNAが欲しい人材像を考えた時に、起業してる人っていうのは、欲しい人材像に含まれる事が多いですね。僕は3点あるかなと思っていて、まず1個は、起業するっていう人は意志を持ってるっていうことですね。仕事ってそんな楽しい事ばっかりじゃなかったり、同じ事やって勝ち続けられるほど甘いビジネスってそんなにないんですよ。なので、必ずどこかで現状を疑って変えていかなきゃいけないんですね。変えるって結構しんどいんですよ。
その何かを変えるっていう時に、それを成し遂げるものって、頭がいいとかロジカルだとか色んな要素があるんだけれども、最後はその人に意思があるかどうか、変えられる人間か変えられない人間かの、ものすごく大きな違いなんですね。
まず起業を経験してる人間っていうのは、自分はどうしたいという意思を、少なくとも明確に持ってることが多いかなと思ってます。なので逆に、別に起業していなくても、自分は何かをしたいとか、ここは絶対に曲げないという思いを持ってる人間が僕は好きだし、DeNAはそういう人間を採りたいと思いますね。
2番目が責任で、僕はビジネスマンの成長っていうのは、基本的に責任と視野の掛け算で決まると思ってるんですね。どれだけ自分の事として1個1個の仕事を責任持ってやっているか。要は、この事業が失敗したら自分の責任ですと。
あるいはこの仕事は僕の責任ですという、100%自分がコミットしてる領域をどれくらい持っているかというのが、成長のすごく大きなドライバーだと思っていて、そういう意味で起業する人っていうのは、少なくとも「自分do or 自分 die」なので、全部が自分にのしかかってくるんですよね。そういう責任を強く負っている人っていうことで、素晴らしい人が多いなという風に思ってます。
3番目はちょっと近いんですけど、当事者意識ですね。世の中色んな事が起こるんですけど、結局どれだけ自分事として捉えられるかっていうのが重要で、正直全ての問題、環境問題でも何でもいいんですけど、関係ないなって思うことは可能なんですよ。
ただそこで、どれだけ自分のものだという風に捉えるかって大事だと思ってて。例えば昔、黒船が来たじゃないですか? 黒船来た時に、明治維新やった人たちって「俺が日本を救わねば!」って勝手にコミットしたわけですね。その当事者意識みたいなものって、ビジネスの上でも何かを変えるっていう時にすごく重要な事だと思ってます。
結果的に、今話した責任の話、意思の話、当事者意識の話、そういうのを持ってるやつを、起業家っていうのは持ってることが多いのかなと思っています。そういう人間だから、成長してる人間も多いだろうなと思っています。
あとは、DeNAみたいな会社がどんどん引っ張りあげて、高い視野をその人たちに持ってもらって、色んな物事を変革できていけるといいなという風に僕としては考えてます。
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