2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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吉岡秀人氏:この子は顔のがんの子なんです。正確に言うと、神経から出たがんなんですが、もう生まれたときからこの顔です。
真ん中に写っているあの男の子ですけれども、お父さんはおそらく死んでいなくなっているのかもしれないです。途中で13歳の頃に、がん化したんですね。
彼は4人兄弟の長男です。この子のことをミャンマー人たちは化け物、化け物というんです。こんな顔だから、母親はこの子のことが非常に、不憫で不憫でしょうがなくて、普通の顔にさせてあげたいんだけれども、もうどうしようもないんです。がんだから。ミャンマーではがんの子どもは全滅ですから、どうしようもないんです。
そうしたらだんだん腫瘍が大きくなってきて、痛くなってきたんですね、さっきの顔になってきたら。母親はこの子のために、せめてもの気持ちで、農家の小作として働くんです。1日働くと100円ぐらいもらえるんですね。5日働くと500円たまって、小舟と、満員のバスを乗り継いで僕のところへやってくるんです。そうすると僕が注射して、痛み止めの注射をして薬をわたして帰すと。
根本的な治療ではない。限界があるんです。だんだん悪くなって、結局もうだめだなと思ったんです。治療ができない医者なんてのは羽根をもがれた鳥と一緒で、今さらどうすることもできないんですよ。でも、この子のために何ができるんだろう、この家族のために何ができるんだろう、そしてこんなに醜く変形してしまったこの子の顔を、死んでから家族が思い出してくれるためには、僕にできることはなんだろう、と考えたんですね。
それは先ほどビデオの中で言ったように、こんなふうに見た目は醜くなっても、弱っても、あなたたちの子どもは、そして君は、すごく大切な人間なんだよと。大切な存在なんだよと。親にそうやってこの子どもたちのことを思ってもらう以外ない、と思ったんです。そしたら本当に、この親も、死んでいくこの子どもも救われるんじゃないかと思ったんですね。
でも僕にはもう治療はできない。いったん日本に帰って、いろんな用事をしないといけない。だから、おそらく最期、会えないかもしれない。でもそのときに僕は何ができるだろうということで、実はある看護師さんにこう言ったんです。「この子が死ぬまで、ぜひ付き添ってほしい。そしてこの子に、幸せだったと思ってもらってくれ」と、そう言って、僕いったん日本に帰ってくるんですね。
そしたら、だんだん子どもが弱っていくんですけれども、その看護師さんから日本にメールが来るんですね。そのメールを一部読みます。この子はライミョウという名前なんですが、雨期で雨が非常に激しくなって、時々車でも行けなくなるんですよ。死ぬまでの2、3週間だと思うんですけど、そんな毎日の中で、彼女から2通の手紙が届きます。
「最近ライミョウに会えない日が続いています。夜にスコールが降ると翌日、道がぬかるみ、車が動けなくなりますので、会いに行けません。雨が降り会えない日には、ライミョウは泣いてくれます。こんなにも雨が切なく感じる日はありません」。
「ガーゼの交換中に、自分にたかるハエはさしおいて、私の虫刺されだらけの足をそれにかまれないようにと、うちわでおっぱらってくれます。お菓子を食べるよう、むくんだ手ですすめてくれます。見送ってくれるときに腕を組んでも、決して私には体重をかけません。あと何回一緒に歩けるのかと思うと、その1回、1回が、いとしくて心がちぎれそうです。早く会いに行きたいです」。
そしてまた数日後に、何日か経ってまたメールが届くんですね。こう書いてます。
「ライミョウですが、歩けなくなってしまいました。3人がかりで支えて立ち、椅子に座るのがやっとです。今では寝て過ごすのがほとんどです。しかし、私たちが訪問したときは必死に座ってくれ、ガーゼの交換の間も耐えてくれます。座ってガーゼ交換するのはもう限界かもと思い、昨日マンダレーに行ったときに、車いす、座椅子を探してみましたが、やっぱりありませんでした。食事も入らなくなってきました。私が訪問して一緒に食べるときしか摂取しない、とお母さんが話していました。
しかし今日は2回笑ってくれました。もう腫瘍が大きくなりすぎて、顔も腫れ、初めて笑いにくくなった顔で、私の顔を見て笑ってくれました。そしてマンゴーをフォークで口に運んでくれました。私が甘いお菓子、おもちが好きだというと、手に載せてくれました。肉まんを2人で半分こして食べました。
彼を愛しいと思う気持ちにブレーキがかかりません。朝の目覚める時間は、いつしか雨が降らないように祈る時間になりました。ミャンマーの神様にお願いするために、新しいミャンマー語を覚えました。『モーマユーバーゼーネ』という言葉があるんですが、『雨が降りませんように』という言葉です」。
彼は翌日、最後の死ぬ前ですけど、最後に頑張って立って、翌日亡くなります。だけどそのあと家族が来てくれましてね、本当にたくさんお礼を言ってくれたんです。「幸せだ」と言ってくれたんです。「子どもも幸せだった」と言ってくれたんですね。今も助けられない子どもはたくさんいますが、でも何かできる。さっき言ったように、生まれてきた幸せを、短くてもいいから、とにかく家族にも子どもにも感じてほしいと、そういうふうに思ってやっています。
同じように、がんの子どもたちというのを、僕は日本でたくさん見てきました。この国にもたくさんがんの子どもたちがいます。この子たちも、同じように戦っているんです。その子どもたちのために僕は何かできないだろうか、と考え続けていまして。それは、今まで僕も日本でもがんの子どもたちの死をたくさん見送ってきて、そして亡くなった子どもを霊きゅう車で見送って、また医療に戻って、ということを繰り返してきたんですが、だけど僕はミャンマーに行って気付いたことがありました。
それは、病気は子どもだけの問題じゃない、ということなんです。単純なことなんです。子どもが死ねば、家族が1年も2年も苦しまないといけない。弟を失ったお姉ちゃんとかお兄ちゃんは、ずっとさみしい思いをしないといけない。せっかく弟が治るために戦ってきたのにですよ。そういうことが向こうに行って見えてきたんですね。日本にいたときは全く見えなかった。
あるとき、僕がたまたま岡山県に何かの病気の関係で行ったとき、空港で、あるがんの子どものお父さんにバッタリ会ったんです。何年か前、僕が日本で医者をしてたときに、その亡くなった子どもの主治医だったと思うんです。その子も神経から出たがんで、途中で目に転移しまして、全くの盲目になっちゃったんですね。全く見えなくなって、最後亡くなっていったんですけど。
そのお父さんに会うちょっと前、通帳をパッと見たらですね、その子の名前で8230円が振り込まれていたんです。最初は名前を見ていなくて、通帳に8230円という記載があったので、僕は、普通は1万円とか5000円とかなのに、8230円というのが非常にめずらしくて、なんか中途半端な値段があるな、と思って見たんです。そしたら死んだ子と同じ名前だったんです。それで空港で会ったとき、お父さんに「この前、息子さんの名前でお金を振り込んでくれました?」と聞いたんです。
そしたらお父さんが「はい、振り込みをさせてもらいました」と。「実はタカヒロが、生きているときに貯金していたお金なんです」と言ったんです。それを死んだタカヒロの気持ちを込めて、振り込みさせてもらいました、と言われたんですね。僕はもう寄付が怖いなと思いました。こういう人たちの思いが乗っているというか、そのお金をいい加減になんか使えないなと思って。できるだけ現地へ運ばないと申し訳ない、と本当に思うようになったんですよ。
もしかしたら、そうやってやってきたけど、最近ゆるんでいたから、こういう出来事に僕は遭遇したんだろうと、もう一度気を引き締めたんです。僕は日本のがんの子どもたちにも何かしたい。なぜかというと、戦っている間はいいんですよ、がんと。でも3割ぐらいの子どもたちが亡くなるんですけども、もうだめになった瞬間に、子どもたちはどんどん悪くなって、死んでいきますね。
人間というのはトラウマの記憶と一緒で、本当につらい記憶をあとで消し去るようにできているんです。生きていくために、それは例え愛しい子どもでも、その愛しい子どもが本当に苦しんでいる記憶というのは、家族から消えてなくなるんですよ。だけど、僕はいつも思うんですね。本当に、死に落ちていくその時こそ、その子どもが最も人生で頑張った時だと、そう思う。
でもそのときのことを、家族に思い出してもらえないことほど不幸なことはないんじゃないか、と思うんです。死のその時まで、しっかりと子どもを見届けてほしいのに、生きている人たちはそのことを辛くて思い出せないから、思い出したくないから思い出してもらえない。
こんな親子の絆の断絶があるんだろうか、と思ったんですね。どうしたらいいだろうと考えて、僕はあるときに、この落下していく人生の最期の中に、思い出したくなるような、1つ、2つでもいい、本当に楽しい記憶を貼り付けておけば、亡くなった時に、親はそこだけ思い出してくれるに違いないと思ったんです。
例えば、子どもが弱っていくんだけどすごく楽しそうにしていると、子どもがおなかいっぱいご飯を食べてくれたとか、そういうことを家族が見て、そしてそれを子どもが亡くなった時に思い出してくれたら、子どもは(体調が)悪くなりながらも確かに生きた、ということになるんじゃないかと思ったんです。
そして今、「すまいるスマイル事業」というのを始めたんですね。これはもう僕らしかできないこと、ということで始めたんです。それはなぜかというと、僕らにはたくさんの医療者がいるので、がんの末期の子どもでも、悪い子どもでも一緒に付き添っていけるからですね。
そして、今これは北海道のほうですけれども、沖縄の水族館でイルカに乗りたい、イルカと一緒に遊びたいということで、一緒に連れて行っているところです。
この子は北海道の子です。脳腫瘍が悪くなってきて、でもディズニーランドに行きたいということで、親と一緒にディズニーランドへ連れてきた子どもたち。こういうことを日本でも今はやれるようになりました。たった1人で始めた活動ですけど、だんだんだんだん仲間が集まってきてくれるからですね。
これは前にも少しお話ししましたが、医療だけでは助けられない人たちがいるんです。ミャンマーとタイと中国の国境地帯というのはエイズが蔓延しておりまして、いろんな事情で売春に行ったり、献血したり、売血したりして、エイズで若い親たちがバカバカ死んでいくんです。そのときに、子どもたちだけ取り残されて、おじいちゃんおばあちゃんだけになる。そしたら食べていけないので、そこで何が起こるかというと、タイとか中国からブローカーがやってきて子どもたちを買い取っていく。人身売買が起こっているんです。
人身売買が起こって、何がどういう事態になるかというとですね、この一番右の女の子は10歳とかぐらいですけれども、このぐらいの子が買い取られていくんです。食べていけないから。そして最初のうちはいろいろお手伝いとかさせられますけれども、教育は絶対受けられないですね。12歳ぐらいになると、売春宿に立たされるんです。そして売春させられて、またエイズになるんです。
今度、中国とかタイでエイズになると、もう国が違いますから、保健なんか受けられないですね。そしてそのうち警察に捕まったり、警備隊に捕まったりして、施設に入れられて、死んでいくんです。たった14、5年の人生です。こういうのがもう後を絶たないんです。
これは薬とか手術とかでコントロールできるもんじゃないんですね。僕はこれはどうしたらいいのかと、僕にはマフィアと戦う力もないし、どうしたらいいのかと思ったときに、こういうふうにしました。この国境地帯をまわりまして、とにかく僕に子どもを預けてくれと言いました。その代わり、預けてくれたらお腹いっぱいにご飯を食べさせます。好きなだけ勉強もさせます。そして手に職を付けて返します。僕を信用して預けてください、預けてください、と。新しいブローカーと疑われながらも、僕は説得を続けたんですね。
とにかく説いて回ったんです。そしたら最初28人の子どもたちを預かりました。28人。僕思うんですけど、さっきの女の子が連れていかれて、売春させられて、エイズになって死んでいくでしょう。それをね、僕らが許容できますか、ということなんです。
単に自分の外に起こっている出来事として認識したら、何も思わないかも。もし皆さんがですよ、神様になって、そのシーンをずっと映画を見るように、子どもがブローカーに引き取られてから、売春宿に連れて行かれて、家のお手伝いさせられたあとに12歳ぐらいになって売春させられて、そのうち熱が出て、そして弱って死んでいくシーン。神様のようにずっと見られたらね、本当に僕らは我慢できるのかということです。
僕は先ほど言ったように、お金にあてがあったわけじゃないんですね。いろんなことをやりすぎていて、お金がないんですけれども、だけど僕思ったんです。1人でも、2人でもいいと。この世から、さっき言った死を消し去りたい、と思ったんですよ。それは1つでもいいんです、2つでもいいんですよ。結果的に100になるかもしれない。だけど1つでも消し去ることに意味がある。この1つを消し去れたら、さっきの話じゃないんですけど、僕が生きた意味があるかもしれない。医者になった意味が、ミャンマーに来た意味があるかもしれない。だから1つでもいいから消し去ってやれと思ったんです。
だからお金のあてがないのに始めたんですよ。そして最初、28人のこの子どもたちを預かりました。それから1年弱ぐらいで、1番左の奥に見えるのが、最初作っていた建物ですけれども、その倍以上の建物を作れるようになりました。そして今、200人以上の子どもたちを預かることができるようになりました。
もちろん僕1人の力じゃないです。いろんな人の力があって、日本の人たちもたくさんここにお金寄付してくれていますし、そして今、たった1人でもいいと始めた活動が、200人以上の子どもたち、さっき言ったシーンをこの世から、200数十個も僕は消し去ることに成功したんですね。
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