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ソラビト・青木隆幸氏(全2記事)

「嵐の日も雪の日も倉庫を巡った」事業意欲旺盛なベンチャー社長が持つ、建機業界への課題

アマテラス代表・藤岡清高氏が、社会的課題を解決する志高い起業家へインタビューをする「起業家対談」。今回は、ソラビト株式会社・青木隆幸氏のインタビューを紹介します。※このログはアマテラスの起業家対談を転載したものに、ログミー編集部で見出しなどを追加して作成しています。

チャレンジ精神旺盛な家系のなかで育つ

藤岡清高氏(以下、藤岡):青木社長の生い立ちを教えてください。

青木隆幸氏(以下、青木):名古屋で祖父母と両親、兄弟4人の8人の大家族で長男として育ちました。

青木家は伝統ある家柄らしく、私は直系8代目で、正月やお盆には親戚が40人程度集まるような賑やかな家で育ちました。家系を辿っていくと、代々、さまざまな事業をやってきた流れで今の家があるらしく「先祖を敬え」「新しいことに挑戦しろ」と、祖父や父から教えられてきました。

父は主に建設業をやっているのですが、ハワイでお寺の改修や苺の高設栽培もしていました。さまざまなチャレンジをして一族を守ってきた経験から「やりたいことをやろう」という価値観を大事にしています。

藤岡:伝統ある家ながら、新しいことにチャレンジする家風なのですね。

青木:はい。愛知に住んでいて、事業家の方が周りにもたくさんいました。父より年配の方がいろんなことにチャレンジされていて、それに感化されたところがあるかもしれないですね。

隣町は盛田昭夫(ソニー創業者)さんの出身地で、豊田初期の創業地でもあり、そういった外部要因あっての青木家の気質かもしれません。僕の妹も起業していて、食育をテーマに新しい農業を広めています。

藤岡:事業意欲旺盛な環境だったのですね。

そんな青木さんの幼少時代から学生時代のお話を聞かせてください。

青木:本当に田舎でした。ゲームもやりますが、それより自分たちで秘密基地を作ったりして外で遊んでいました。隣近所も仲が良く、歩いていると果実、枇杷をもらうこともあり、ほのぼの系で過ごしていました。

青木家は、基本的にチャレンジするのであれば、なにをやっても許されるような家でした。ふつうの家なら心配して止めに入るようなことでも、うちの家族では「やってみれば?」と言われます。

そういった環境で育ったので、ブレーキ思考ではない人間になりました。僕自身も幼少期、自分がやりたいと思うことをやってきました。高校くらいから家業の手伝いを始め、父と仕事で接点を持つようになっていきました。

藤岡:家業の手伝いとは、具体的にどのようなことをされていたのでしょうか?

青木:大規模な建設がちょうどあった時期で、国際空港関係で道路などのブロックを運んだりする手伝いをしていました。当時は夏休み中だったのですが、手伝いすぎて筋肉がつき、秋の体力測定で学年2位になりました(笑)。

また、その時期に行政関連の仕事をやっていて、偉い方の家の管理もしていました。その後の起業にも繋がる話ですが、愛知県半田市の元市長・深津家を管理させてもらったのを機に家族ぐるみでお付き合いするようになり、僕が深津さんの家に届け物をするようになりました。

訪問すると、ご家族で歓迎してくださり、なにかあれば深津さんに人生相談をさせてもらうようになりました。

例えば、家業を継ぐのか、次の会社をやるのか……など、人生の節目で助言をいただきました。そのころはマイクロソフトにスポットが当たっていた時期で「世界でチャレンジできたら面白い」と思うようになっていました。

将来について相談すると、「後悔ないようにやってみたらいい」「一回外に出てチャレンジして、うまくいかなければ戻ってくればいい」と外に出るのを応援してくれたのは起業を後押ししてくれたきっかけです。

戦い方、勝ち方を学ぶためにMBAへ

青木:21歳のとき、リサイクル会社を父と立ち上げました。リサイクルは当時、市の施設だけでは回っておらず「民間からなにかできないか」と、市・自治体という枠にとらわれずに考えた結果、会社を作る結論になりました。

若くしての起業はいい経験になりました。「こうやって会社を作るのか」「ビジネスではこういう人たちが関係してくるのか」「製品や交渉の良し悪しより大事なのは、その人(買い手)を好きになることなんだ」といったことに気づいたのがその時期です。

藤岡:21歳で起業は、本当に早いタイミングです。後押しした要因があるのですか?

青木:当時、市のリサイクル事業にいろんな方々が関わり、規制が生まれていたため、第1号の店を作ることが最も大事だったのです。そのため、そのときしかありませんでした。

周りが助けてくれたこともあります。なにかをやってみたいとずっと思っていました。やるなら家業よりも大きいものを作って、父を認めさせたいとも考えていました。ただ、自分1人でやっても、あまり上手くいきません。助けを借りるしかない。

結局、父を含め、さまざまな人の力を借りて事業を起こすことができました。しかし、実際の経営は難しく、父にかなり助けてもらい、自分自身は大学を卒業するまで大きなチャレンジはせずにきた印象です。

その悔しさから「もっと殻を破りたい」「経営をもっと勉強したい」と思うようになり、MBA(経営学修士)に行くかどうか悩みました。

実はこのときも(半田市元市長の)深津さんに相談しました。MBAにはいろんな方々がいますし、自分がこれまで学べていなかったところを勉強できることから、MBAへ行くことにしました。これから事業をやっていくためには、戦い方、勝ち方があるんじゃないか。それを学ぶ必要がありました。そして、早稲田大学大学院会計研究科(MBA)に進みました。

父の仕事を見て、建機(建設機械)流通業界の非効率さを感じていた。ITの力でこの業界を変えたい。

建機の販売に違和感はなかった

藤岡:MBAを取得し、現在の事業(建機販売の国際オンライン取引プラットフォーム)に至るまでの経緯を教えてください。

青木:MBA在学中から起業プランを練り、事業家をしていた仲間に起業の相談をしていました。就職を考えていた時期もありましたが、相談する人のほとんどから「起業するチャンスがあるならやってみたら」と言われました。「今、やれる環境があるならやってみよう」ということで、MBA修了し、2011年から事業を始めました。

在学中から中古の建機販売というアイディア自体は持っていました。ですが、それよりも前に、海外からモノを仕入れてきて国内で販売するのは商売としてありだなと思っていました。

例えば「BUYMA」がやっているようなモデルです。同じようなビジネスを大学院のころにやってみようと思い、実際に、安く仕入れて高く売る商売をやりました。

そのとき、3万円のものも、100万円のものも、売る手間はあまり変わらないと思ったのが、今のビジネスを実現するきっかけになりました。「もし本当に手間が変わらないのだとしたら、高額なものを売ったほうがいい」と思い、そのとき、建機を商材にすることを思いつきました。

なぜ建機なのかは、家業に由来します。父がもともと建設業をやっていた影響で、建機自体をいかに安く、有利に仕入れてくることの大切さをわかっていました。幼少時代、父は僕を連れて国外のオークションで建機を買ったりもしており、その光景をそばで見てきたのも一因かもしれません。

建機を買取るには、国内外に点在するオークション会場や売り手拠点に自ら足を運んだ上で売買交渉に望まなければならず、業界には大きな非効率が生じています。ですから、建機を仕入れるのに苦労していた父を見て、1つの解決策になれれば、と思いITを活用した建機の販売を考えたのです。

幼少のころから建機が目の前にあって、建機の横に座らされた写真もあるくらいだったので、建機の販売をすることに違和感はありませんでした。

中古建設機械の買取り販売貿易からスタート

藤岡:建設業界をより良く変えていくベンチャービジネスですね。

青木:はい。ですが、当初は今のようなオンライン販売プラットフォームビジネスではなく、中古建設機械の買取り販売貿易からスタートしました。仕入れた建機をヤフオクで売買していたり、直接貿易会社の方を通じて海外に販売したり、国内のオークションに参加させてもらったりしました。

仕入れ先として、建機などのリース会社とお付き合いを深めていきたいと考えました。そして、有力リース会社のK社長との出会いが大きな転機になりました。Kさんは日本のリース会社をまとめているリース業界の会長もされているような方でした。

あるきっかけでKさんの会社の40支店の倉庫の整理をする仕事をいただきました。いざ倉庫に入ってみると支店にある倉庫の半分くらいが古い建機で埋まっていました。

そこにある建機は修理が追いつかなくなったもの、事業的に使わないもの、安全性が良くないものが多かったです。そこで「使わないなら買い取らせてくれ」と頼むと、快く了解してくれました。

それから倉庫の行脚が始まりました。全国の支店に行くため、夜中に出発し、早朝に現地に到着し、1時間程度で倉庫の整理を終わらせると、次の支店に移動して使わない建機を回収する。1日3カ所回って、夜遅くに自分のヤードに戻る。当時は本当に嵐でも雪でも関係なく、倉庫を巡っていました。

倉庫を整理した上で、使わない建機の買取りを続けるうちに、Kさんからいろんな相談を受けるようになってきました。「iPadを活用した業務管理システムを導入したがみんなが使いこなせていない」と相談されたので全国の支店を回り、社員にiPadセミナーをしました。

また、本部長からは営業マンの販売成績のバラつきが多いという悩みを聞いて、営業管理システムを提案して導入していただくと、みるみる販売成績が向上し、喜ばれました。

仕事を取るためには、あらゆることをやってきました。Kさん主催のリース業界の新年バーベキュー大会では、みなを喜ばせるためにスーツで川に飛び込んだこともあります(笑)。

Kさんとの取引をきっかけに、いろんなリース会社さんや買取り会社さんとお話しすることができました。この業界はまだまだ変えていける実感を持つことができ、問題意識も明確になっていきました。

「世界中の建機が集まるプラットフォームを作りたい」

青木:2011年のMBA修了後、2014年までは建機の買取り販売をしていました。

しかし、この事業を起こすきっかけになったのが、建機のオンライン取引プラットフォームを作る必要性を感じたことだったので、2014年からは買取りはしないというポリシーに転換しました。プラットフォームを作って、売り手と買い手をつなぐのですが、直接、我々が仕入れ販売を行うのではなく、売り手と買い手を繋ぐことに徹して手数料をいただいています。

やはり、買取り事業とプラットフォームを作るところは分けた方がいいです。色んな方々に出品していただいてこそ、良いサービスができるので、自分の利益のために買取りや販売をしていたら、これはフェアじゃないですよね。

そこで、ポリシーとして買取りとプラットフォーム、どちらをやりたいかと選択したとき、買取りも儲かったのですが、プラットフォームを作ろうと思いました。世界中の建機が集まるプラットフォームを作りたいと素直に思ったので、そちら側に振り切ることにしたのです。

当時は、買取りをすれば採算も良くなり、売り上げも上がると思いましたが、そこはぐっとこらえました。そして2014年にソラビト株式会社を創業し、中古建機の国際オンラン取引サービス「ALLSTOCKER」を開始していくことになります。

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