
2025.02.12
職員一人あたり52時間の残業削減に成功 kintone導入がもたらした富士吉田市の自治体DX“変革”ハウツー
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中俣博之氏(以下、中俣):LITALICOの中俣です、よろしくお願いします。 今日最後のセッションですね。「新卒でベンチャーに就職して、経営に関わる方法」というところで、ベンチャー界隈ですごく有名なご三方をお招きしてます。
その前に、本日5月14日は登壇者である海野さんの誕生日……ということで、ビールを持ってきていますので、みんなで飲みながらやりたいと思います。
ではみなさま、ご唱和ください。海野くん、おめでとうー!!
(会場拍手)
ということで、始めて行きましょうか。テーマは「新卒でベンチャーに入社して、経営に関わる方法」ということで3名のゲストです。
DeNAの赤川さんと、じげんの海野さんと、クラウドワークスの成田さん。お三方とも新卒でそれぞれの会社に入られて、役員までやられてきたというところです。
赤川さんに関しては、僕は前職がDeNAなんですけれども、DeNA時代の先輩であり、上司であると。海野くんは僕と旅行友達。成田くんは、私が今LITALICOで一緒に働いているメンバーの旦那さんというところで、すごい内輪メンツです。
成田修造氏(以下、成田):内輪ですね(笑)。
中俣:この4人でやらせていただきたいなと思ってます。
赤川隼一氏(以下、赤川):家族のような(笑)。
中俣:ちょっと飲み会みたいなね。
赤川:リラックスして。
中俣:じゃあ自己紹介、赤川さんからお願いします。
赤川:DeNAの赤川といいます。今日はよろしくお願いします。DeNAという会社で今10年ほど仕事してます。2006年に入社して……これって軽く入社前とかも話すの?
中俣:そうですね。
赤川:学生のときは、こういう説明会とかにも一切行かないような、「ザ・不真面目」な学生でした。ずっとバンドやってまして。音楽ライターになるか、バンドやるかで悩んでたんです。音楽ライターになれるぐらいのマニアだったんですね。
それで絶対受かるだろうと思って、ロッキング・オンという会社に、ものすごい小さい字で、履歴書がはみ出るぐらい送って。「これで受かったな」と思ったら、まさかの履歴書落ちしまして(笑)。
「やばい」と思って、初めて行った説明会がたまたまDeNAという会社でした。それからずっと仕事が楽しくて仕方なくなっちゃいまして、10年間バリバリやってます。
立ち上げた大きな事業でいくと「Yahoo!モバゲー」という事業。今でもたぶん日本で一番大きいPCのソーシャルゲームのサイトです。
その立ち上げをやったあと、海外事業の責任者をやりました。DeNA Seoulという韓国の支社を作って、そのあとはDeNAが海外に行くところの責任者を執行役員としてやってました。
執行役員をやったあとに「どうしてもプロダクトが作りたくてたまらない」ということで、「今はプロダクトの時代だ!」ということで、現場に戻りました。去年から「Mirrativ(ミラティブ)」というサービスを作ってます。Mirrativ知ってる人、どれぐらいいますか?
(会場挙手)
まだまだ少ないなあ……がんばります。Mirrativというのは、スマホ1台だけでゲームの実況ができる、自分が今見てるスマホ画面をそのままライブストリーミングするという、もう超画期的なむちゃくちゃいいプロダクトです。
これを今グローバルに展開して、着々と伸ばしてます。今日は1日楽しい会にしたいと思いますので、よろしくお願いします。
(会場拍手)
中俣:よろしくお願いします。じゃあ海野さん、お願いします。
海野:こんにちは! いや、どうも。今日は僕の誕生日祝いに集まっていただいて、本当にありがとうございます。恐縮です。初めましてなのに(笑)。
たぶん残念ながら、このなかでIQは一番低い自信があるんですけれども……。ここ笑うところですよ(笑)。真に受けられるとちょっと悲しくなるので。
僕は新卒で2007年に、今のじげんという会社の前身である、ドリコムジェネレーティッドメディアという長い名前の会社がありまして。リクルートさんとドリコムという会社のジョイントベンチャーで始まった会社です。
僕はそのドリコムという会社に新卒1期で入社しました。研修を終えて、「すぐ子会社のほうに行かせてほしい」というところで、入社しました。
学生時代は、赤川さんはすごいバンドをやられてたということなんですけど、僕はこんなことを仕事としていながら、学生時代は途上国の協力開発とか、発展途上国経済促進をどうしたらいいか、みたいなことにすごい関心がありました。
外務省とか国連とか、まあ行けないんですけど「行きたいな」とか、「NGO就職しようかな」みたいなことをけっこう真剣に考えてたんですけど。
ひょんなことから、ぜんぜん違う資本主義の権化みたいな世界に来ちゃいまして。なんでそんなふうになったのかとか、そのへんのお話の詳細は割愛させていただきますが、興味ある方はぜひメッセージでも何でもけっこうですので、聞いてください(笑)。
入社してからは、じげんのなかで求人のサービスや生活のサービスを立ち上げたりしてきました。今は20以上のサービスを展開しています。
比較的長いこと求人のサービスに関わってきていて、今はベトナムの子会社の代表を務めています。今日はみなさんよろしくお願いします。
(会場拍手)
中俣:よろしくお願いします。じゃあ、結婚式帰りの……。
成田修造氏(以下、成田):こんだけカジュアルな場なのに、チーフまでつけて登場するという。実は結婚式帰りで、少し酔ってるんですけれども(笑)。
クラウドワークスという会社をやっております、成田といいます。ぜんぜんビジネスに興味がなかったお二人とは対照的で、私は学生時代からずっとビジネスに興味があってやってました。
大学2年生のときから、現在のアスタミューゼという会社に2年ほど、学生時代に正社員として働いてました。有給休暇を使って、学校のテストを受けながら、平日は基本的に15時間ぐらい会社にいるという生活をしてました。
そのあと、1年間起業しまして。今DeNAに買収されました「MERY」というメディアがあるんですけど。その「MERY」の社長をやってる中川綾太郎と一緒に会社を立ち上げて、1年間ぐらい自分でビジネスをやっていました。
ただ、なかなかトゲのあるメンバーが集まりすぎて、結果、空中分解しました。1年間まったくうまくいかず、「このママだとまずいな」と思って、自分は社長を退任しまして、でもどこか働き口を探さないとと思って、就職活動をし始めました。
その就職活動をしてるときが、クラウドワークスという会社の立ち上げのタイミングで、代表の吉田と会いまして、そのなかでインターンとしてジョインしました。大学4年生のときにインターンシップをしてたんですね。
そのなかで3ヶ月ぐらいしてから「一緒に働こうぜ」というようなことを言ってもらえまして。またその後正社員になりまして、その段階で執行役員というかたちでクラウドワークスに入社しました。
なので、学生時代に普通の正社員と、起業をしてたので一応社長と、そして会社の役員と、3種類の経験をさせてもらうという、稀有なかたちでやらせてもらったというのが学生時代です。
中俣:濃いねえ。
成田:今はクラウドワークスの取締役副社長というかたちで、ビジネスの全社統括と、あと組織マネージメント、そういうところを全般的に見ているというようなかたちでございます。
中俣:若いよね。今いくつだっけ?
成田:26歳です。
海野:若い。
中俣:若いよね。
成田:よろしくお願いいたします。
(会場拍手)
中俣:今回、このセッションの「新卒でベンチャー企業に入って、そのまま経営者になっていく」というテーマに「誰を呼ぼうかな?」って思ったなか、この3人がふと思い浮かびました。
すごい業界でも有名なお三方なので、そのストーリーを一つひとつ紐解いていこうかなと思います。
お三方が、この会社に入ったタイミングって、会社の規模って何名ぐらい、それぞれどれぐらいでしたか?
赤川:僕は180人くらいですね。
海野:僕は、ドリコムは120人だったんですけど、今のじげんは10人いないくらい。
成田:私は3人。
(会場笑)
中俣:ちょっと一番左(成田氏)が参考になるかどうかわかんない(笑)。
成田:立ち上げ期なのでまったく参考にならない(笑)。
中俣:じゃあ、1個1個いきましょうか。
イメージが、プレイヤーからマネージャー、マネージャーから部長、部長から役員、みたいな、そのステップで紐解いていこうかなと思うんですけれども。
お三方、まずプレイヤーは大部分が経験するところですけど、マネージャーになったタイミングのエピソードとか出来事とかプロジェクト。振り返るとこんな感じみたいなのを。
赤川:なるほど。ビール飲みながら意外とちゃんと仕切るね(笑)。
中俣:シラフはあと5分ですね(笑)。
赤川:じゃあ、僕から。僕は1年目は広告の営業をやってました。「ポケットアフィリエイト」というサービスで、広告の営業をやってました。なので、会社の規模は180人でしたけど、事業全体で20人とかのサイズでしたね。
入社して、研修とは名ばかりのほぼ実地営業みたいなのをやったあとに配属されました。初日に先輩に言われたのが、営業数値の目標と、「赤川くん。この数字はそのままIR資料に出るの。なので、君が達成しないと株価下がっちゃうので頑張って」という、まるっとした無茶振りをくらいまして。それで、ゴリゴリ営業を始めました。
最初の2ヶ月ぐらいは成果が出なかったんですね。ぜんぜん成果が出なくて。今思うと、今やっても達成できるんだろうかぐらいの目標だったんですけど(笑)。
「赤川くん、私が聞きたいのはできない理由じゃないの。成果を持ってきて」みたいなことを毎日言われ続けて、半分病みかけるみたいな(笑)。
それを2ヶ月ぐらいやって。3ヶ月目に仕事の中身が若干変わったところでちょっとずつ成果が出始めました。
大きな転機になったのは、ちょっとかいつまんでですけど、僕が入社した年に「モバゲー」という新規事業が立ち上がりました。
当時、今だと考えられないですけど、みんな携帯ではゲームをしてなかったんですね。市場もすごく小さくて、なので誰も広告なんて出さないよと。
ただ、モバゲーという事業が立ち上がったので、「そりゃゲームのサイトなので、ゲーム会社が広告出すでしょう」と。
僕は素人だったので非常識に、業界の非常識だったことがいけるんじゃないかと思って、「東京ゲームショウ」というイベントに行きたいと言ったんです。
「行ってもいいけど、100枚名刺配ってこい」「100枚名刺もらってこい」という指令を受けて。100枚名刺を配ったところから、おもしろいように案件が取れ始めていって、成果が出たのが、1年目の9月とか10月ぐらいですね。
10月に成果が出たので、「じゃあ、11月からお前マネージャーね」みたいな感じになりまして(笑)。
海野:早い。
中俣:成果が昇進に連動してるんですね。
赤川:そうですね。チームで一番数字が出たので、「今後マネージャーやってくれ」ということでマネージャーに変わりました。
マネージャーになってから、周りが全員年上で、有名広告代理店出身みたいな人もいて。「なんでこんな若造の言うことを聞かないといけないんだ?」みたいな。
中俣:何歳ぐらいのメンバーなんですか?
赤川:29歳とか。とはいえ、30歳手前でベンチャーに飛び込んできたぞという。
中俣:当時23歳とか?
赤川:僕は22歳です。なのでやっぱり、ぜんぜんやり方わかんなくて。でも、最初は数字出してたという。とはいえ、若者なりの自負がありまして。「なんで数字出ないんですか?」みたいな、すごい感じの悪い……(笑)。
(会場笑)
中俣:マネージメントあるあるですね。一番最初、できない理由を聞くという。
赤川:「ええっ、なんで数字出ないんですか!?」みたいな感じでやってたんですけど。やっぱりチームもすごく雰囲気悪くなっちゃって。バラバラになった時期がありました。そこですごい悩んで。
当時の僕が、はっきり変わったタイミングとしては、まず思いを共有すると。「僕、とにかく達成したいんです」「達成したいので、助けてください」という話をして。
自分で指示をするというよりも、自分がやったことを資料に残していって、フォローしてもらう。したかったら、フォローしてくれという、人に指示するやり方から、とにかく自分の思いを伝えて、残せるものは残して、みんなついて来てくれるといいなという。
まず、自分が一番足を使って営業するということを必死にやったら、ちょっとずつ成果が出始めて、チームの結束も強くなって。というのが、年が明けた2月とかですね。2月ぐらいにようやくチームの目標数字が達成できて。
そこから、今でもDeNAで最強の営業チームだと思ってるんですけど、ものすごいいいチームになった。というのが、最初にプレイヤーからマネージャーになったときのエピソードって感じですかね。
中俣:僕も覚えてるんですけど、昔の赤川さんって、もともと音楽少年で、やる気0の学生だったわけじゃないですか。やる気0の学生がいきなりそんなハイボールの営業目標になった瞬間に「あんなん達成できないよ、ふざけんなよ」みたいな。
グレる人がだいたい7割、8割。できない理由を探し始めるというのがすごいですけど、そこをやりきれた理由みたいな?
赤川:そうですね。とりあえず、やっぱり僕は入社する時、本当に世の中なめてた学生で。「3年ぐらいベンチャーで揉まれたら、そこから仕事辞めて、音楽やっても食っていけるかな」みたいなことを本当に思ってたんですね。
なので、「とにかく成長環境に置いてくれ」ということしか人事にも言ってなくて。そう言ったからには、やるしかないというのがあって。
それでいざ始めてみたら、ボーンとでかい目標があって、それに向けてなにやってもいいから達成してくれというのって、けっこうエキサイティングなんですよね。
実際にDeNAという会社は、今もそうですけど、目標を達成することを第一に考えるので。どういう動き方をしても許容されたし、とにかく自分で考えて動いてみると。
でも、まったくうまくいかなくて。「赤川くん、私は数字が欲しいの」みたいのを告げられてしまうと。
それが悔しいから、負けたくない精神だけで必死でしたね。やっぱり自分が言ったことだし、目標を達成しないとダサいじゃないですか。とにかくダサくありたくないという、まあプライドだけで走ってたような、若気のいたり感満載でした。
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