2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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小林 それではお時間になりましたので、始めたいと思います。今回、非常に忙しい講演者の方が皆さんのために時間を費やして頂けるという事で、私も非常に嬉しいですし、皆さんにもとても良い機会になるんじゃないかと思います。
一点注意点としましては、聞いていて何となく「刺激になりました」となる人は全体の8割位いても、行動を変えられる人って、多分2割くらいしかいない気がします。
その2割になる為にはどうしたらいいかっていうと、自分自身の意識の高さ、つまり、「自分だったらどうするのか」そんな視点で常に聞いていくようにして頂ければ良いと思います。
今回は、「挑戦する生き方」という事で、皆さん本当に起業家という事で、挑戦する生き方をしているのかなぁと思います。その生き様を皆さんに語っていただきたいと思っています。
まず、今回ご登壇頂くのは、GREEの田中さんと、GMOインターネットの熊谷さんです。よろしくお願い致します。モデレーターは私と同じくベンチャーキャピタルファンドの運用をしています田中章雄です。
田中章雄(以下、田中章) 皆様おはようございます。IVPの田中です。
今日ここにお集まりの皆さん多分、この朝のセッションに来てるってのは、意識が高い人達だと思うんですが、普通に過ごしてしまうと、安定した企業に入社、あるいは官僚とかになって、ある意味安定してるんですけどチャレンジのない面白くない人生に進んでしまうかもしれない。
今回の目的は、そういう王道の道から外れて、より日本を面白くする為にチャレンジングな若者を増やしていきたいという目的を持ってやってますので、どうしたらチャレンジできる、挑戦できる人生に軌道を変えられるのか、実際に実現してきた田中さん、熊谷さんの二人から、その辺の話をお聞きしようと思います。
ただし、いきなりそっちから入ってしまうと、余りにも敷居が高いかもしれないんで、まず田中さんと熊谷さんに、20歳の頃、「何を考えててどういう事をしていたか」を聞きたいと思います。 ちょっとタイムマシンに乗って頂いて、当時の事を思い出して欲しいんですが……。では、まず田中さん。
田中良和(以下、田中良) おはようございます。今二十歳の頃、何をしてたのかって思い出してたんですけども、僕は二十歳の頃位は、まだインターネットが使われ始めるか始めないか位の時代にいました。将来、インターネットに関わる仕事がしたいなぁと思って、ベンチャーの会社に出入りしてましたね。
それこそmixiやってる笠原君とかも大学の頃から知り合いで、あるベンチャーに出入りしてて、昔から顔見知りだったんですよね。僕今35なんですけれども、35歳位の人達で結構昔からインターネット興味ある方は、同じベンチャーに出入りしたりしてました。
田中章 出入りしてたって、具体的に何してたんですか?
田中良 本当に出入りしてたっていう衝撃的な事実があるんですけれども(笑)。
当時はインターネットが普及してないんでインターネットの仕事がしたいって言っても、滅茶苦茶な話になるわけですよ、基本的に。これから電気自動車が流行るらしいから電気スタンドで働きたいんですよ~って言っても、そんな会社ないじゃないですか? だからそういう会社らしいよと聞いたら、とりあえずオフィスに行くっていう、良くわからない事してましたね。
田中章 当時はどんな会社に行ったんですか?
田中良 本当にですね、検索エンジンで「インターネット」って検索して、上から出てきた会社に行く! みたいな活動をしていました。アポ無し訪問して、行って怒られた事もあります。何しに来たんだ! って。
「僕インターネットに興味があるんですよ~」って言いに行ったっていう、よくわかんない、今考えるとアブナイ学生でした。今うちの会社に来ても断っちゃうと思うんですけど、そういう事してましたね。
田中章 熊谷さんは、二十歳の頃何してたんですか?
熊谷 みなさん、おはようございます。よろしくお願いします。
僕が二十歳の頃はですね、皆さんとは違って、私は高校2年で中退をしてまして、二十歳の頃は私の父が会社を経営してたので、そこで勤めてました。また、二十歳で結婚をして、二十一歳の時に娘が出来まして、その娘が今27歳で、もうじき結婚するという状況です。
さらに、皆さん放送大学ってあるじゃないですか? 僕は放送大学の85年の一期生でした。高校卒業資格が無くても、一定期間大学にいて単位を取得すると正規学生になれたんですね。
二十歳の頃は、そのような状態で、仕事をしてました。今49歳なので、今から30年前の話です。だから、インターネットのイの字もない時代ですよね。
で、親父の会社を手伝って仕事をしてた。夫業もしてた、父親業もしてた、学生業もやってたっていう、一人4役が当時の二十歳の頃です。
うちの父親は満州に出兵してたんですね。で、伊勢丹の裏で軍からもらったサッカリンを使ってしるこ屋をスタートしたのがうちの父親でして。そこから、当時高度成長期に合わせてサービス産業が成長した時期に、パチンコ店とか映画館とか喫茶店とかレストランとか、その先不動産業などを展開して、一代で築いた事業家なんですね。すごい厳しい人でした。
僕は二世なんです。所謂、二世のイメージって、皆さん、すごくお給料もらって、お仕事もしない、ってイメージあるじゃないですか? うちの父親の場合には、「お前は一番長い時間、一番安く働きなさい」というポリシーでしたね。
僕が8時とか9時とかに帰ろうとした時に、うちの父親に「おまえは学がないんだ! 優秀な大学を出た優秀な方と比べて時間短く働いてどうするんだ」、と怒鳴られました。そして、飯田橋あったうちの会社の近くに富士銀行があったのですが、そこを見て来い! と言われました。
当時の優秀な学生さんとかは金融機関とかを選んで入ってたわけですね。そこで父の言う通りその銀行を見に行ったら、終電間際まで皆さん働いてんです。
その姿を見て、僕自身も本当に深夜まで働くようになりました。
そして、うちに帰って、むずがって起きてきた娘をあやして、そのあとうちのかみさんを宥めて、家族が寝静まるとそれから大学の勉強してっていう、そんな感じの生活をしてましたね。
田中章 今じゃちょっと想像出来ない時代ですね。それが今のベンチャーの下積み時期だったって事ですか?
熊谷 その時に僕が住んでたのが江戸橋の同潤会アパートという所で、日本で最初の近代建築型アパートなんです。
今、普通、杭っていうと鉄筋じゃないですか。でもそこは、松杭で建てられた地上5階建て位のアパートだったです。松杭って水が枯渇すると腐っちゃって、傾いてるんですよ。僕、そこの一番上のアパートの部屋に住んでたんですけど、家が傾いてましてね。
今から29年前に住んでたのは、傾いていた家に住んでて、お風呂もないし電気は15アンペアでレンジとドライヤー使うとヒューズが飛んじゃって、ヒューズは今みたいに部屋にあるヒューズじゃなくて、屋上にあるS字型の銅のヒューズね。ヒューズが一度飛ぶと、翌日の朝までヒューズを交換してもらえないんですね。だから、ローソクの生活とかをしてたんですよ。
田中章 なんか戦後の話みたいですね……。
熊谷 戦後の話じゃないんですよ。29年前の話なんですけど、そんな生活をしてましたね。やっぱその時に、自分の理想としてた生活と違って苦しい思いをした事があって、それが今の事業のベースになってますね。やらなきゃっていう。
田中章 田中さん、因みに学生時代はどんな生活をしてたんですか?
田中良 そういえば僕もなんか色んな歴史がありまして、結構10代の後半の頃位から、これから自分の人生どうなっちゃうんだろう? という、よくわかんない不安に襲われていました。
世間ではオンリーワンになれだとかナンバーワンになれだとか言われるわけですけれども、すごく自分を分析した結果、オンリーワンでもナンバーワンでもない普通だって結論に達しまして、こりゃまずいって思いました。しかも、将来の夢はないのかって事を色んな人に聞かれるんですけど、そんな夢もないんですよね。
だって、そんな「子供の頃に難病で助けられてお医者さんを目指してますとか」そんな事もないし、「警察官に助けられて警察官を目指してます」ってわけでもないし。「サラリーマンですかねぇ?」 みたいな感じで夢を語っちゃうみたいな感じでした。
夢もないし、ナンバーワンでもオンリーワンでもないし、すげぇ普通すぎて、どうしたらいいんだろう? って当時悩んでたんですけども。
ただ、男子たるもの二十歳までには人生の目標が無ければならないという風に強迫観念に襲われてまして、自分でも何かやる事ないかなぁ~って事で考えてたんですけど、その時丁度ですね、皆さんも読んだ方がいいと思いますけど、「二十歳の頃」という色んな人が二十歳の頃何してましたか? ってインタビュー集があるんですけど、それを読んで、非常に落ち着いたというか。
その本には、今では社会に出て一線で働いてる人達の二十歳の話が書いてあるんですけど、今すごい人でも、二十歳の頃何してましたか? って聞くと、 毎日マージャンしてましたとか、あまりにもやる事がないんで女を口説いてましたとか、「この人しょーもねーなー」という人の人生がいっぱい書いてあるんですよ。
こんなしょーもない人生の人でも将来偉くなるんだなぁって思ったら、俺の人生も今しょーもないけど、頑張ったら何とかなるかも、って思いました。そこから気づいた所はありますね。
田中章 その結果、お二人について、一番最初にやった仕事、どういう理由で最初の仕事を選んだのか、そこで何してたのかってとこをちょっと教えてください。田中さんの最初のお仕事は?
田中良 そこからですね、僕は色々なことに興味があったので、マイケルポーターっていう経営戦略の本書いてる人が僕が二十歳位の時にパシフィコ横浜で講演してまして、そこに講演を聞きに行ったんですよ。
そしたらですね、日本企業は駄目だって話を延々と1時間位していたんです。そして、その中で言ってる根本的な重要な事は『戦術じゃなくて戦略なんだ』ということでした。
田中章 Competitive advantageとか言ってた人ですよね?
田中良 そうですそうです。
例えば『どんな業界に参入するかが重要であって、参入した後にこの中でいい製品をどうしようなんてもがいている場合じゃない』とか。そもそも儲かる産業とか成長する産業に入らなければ、勝てるわけないんだから、そこが一番重要なんだってのを延々と言ってまして。
僕はそこから「確かにな~」って思って、自分の人生に置き換えると、何なんだろうと。これから夢を見つけて何か仕事をするにあたって、瑣末な事を頑張るというより、まずは根本的なビッグピクチャーの中でどう捉えるかだなぁと思った時に、インターネット業界であれば、これから相当に成長する分野だから良いだろうと。
あまり成長しない分野でその中で参入して、周りの友達より5点高いとか5点低いとかやってるんじゃなくて、根本的に自分で有利なフィールドに入らなければいけないって事を自分なりに学んで、その時に一番いいのが、インターネット業界だなと思って、どうやったらこの業界で働けるのかなぁと思って頑張ったというのが、僕の初自我でありますね。
田中章 その結果、就いた会社の仕事は何ですか?
田中良 最初の仕事は……ちなみにですね、僕、学生の頃に自分が何者でも無さ過ぎてしょうがないなぁと思ったんで、一台サーバーを10万で二十歳位の時に買いましてサイトを作っていました。どういうサイトだったかというと、当時は検索エンジンってのがほぼ無かった状態だったんで、いろいろなサイトが集まっているリンク集のサイトがすごい重要だったんですよ。そういうのを自分で作って、ユーザーを集めてバナーを売っていました。
バナーを売るといっても、やっぱ学生だっていうとヤバいかなってのがありまして、さも社会人のような振りをしながらあるプロバイダーに営業しました。メールで。一回も会った事もないのに、お金を振り込んでもらってたっていう。月10万位はもらっていました。それで、ある意味アルバイトをしなくても良くなったんで、さらにどうすれば良いかって事で、さっきみたいに色んな人に会ったりとか、そういう事をしてましたね。
田中章 それは最初の仕事っていうより、自分で作ったビジネスですけど、田中さん、大学卒業した後就職した先はどこですか?
田中良 その後ですね、僕はソネットという、今でもありますけれども、ソニーのインターネットの部門に入りました。
ちなみに僕は就職活動を4社程しか受けてませんで、当時はインターネットの仕事がしたいって言っても、そもそも産業がないんで会社がないっていう新卒が入れる会社がないって状況にあったんです。
ちなみに、YahooとリクルートとNTTとソネットと4社受けたんですけれども、Yahooはですね、前の社長の井上さんって人の最終面接で落ちまして、リクルートは二次試験の集団面接で落ちまして、NTTとソネットに受かってソネットに入ったというところはありますね。
熊谷 落とした会社は今頃後悔してますね。
田中良 いやもう僕は、孫さんに会った時にですね、僕ソフトバンク最終面接落ちたんですよ~ って嫌味を言ったら引いてましたね。ちなみにリクルートの社長に会った時にも、僕二次試験の集団面接で落ちたんですよ~っていう感じで言ったら、謝ってました。
田中章 でも逆に落ちてなかったら、今のGREEも無かったかもしれないですよね?
田中良 そうですね、僕よく就職活動してる学生に言うんですけど、結構就職活動しくったら自分の人生終わりだ位追い込んじゃう人がいるんですけど、僕みたいに色々落ちても何とかなる場合もあるんで、皆さんも落ちてもあんまり気にしないようにした方がいいし、万が一すごいイケてる人がいて、GREEの面接ありますよね? 落ちるかもしれませんけど、その場合は見る目が無かったと考えてもいいなって事で。
田中章 ありがとうございます。熊谷さんは?
熊谷 あの~今日の僕のテーマは、僕今自分の人生の中で5社上場させて、あと、上場企業1社TOBをしたので、6社の上場企業がグループ内にあるんですね。で、全体で60社以上あって、今期700億円で、利益は大体100億に手が届く位出してます。で、グループのスタッフが3100人今いるのね、今日のテーマはこんな会社を高校中退でこんな奴でも出来るんだ。だから俺たちも出来るって自信を持って帰って頂きたいと。というのが僕のテーマなんで。いかに僕が変だったかとか、何にもやってなかったかとか、その辺をもっとちゃんと説明したいと思うんです。
田中章 はい、是非教えてください。
熊谷 僕が一番最初にやったのは、さっきちょっとお話しましたけど、父の実家を手伝ってたんですね、それは高校2年で中退して、アルバイトしました。ディスコのDJから喫茶店のカウンター、あと、クラブのバーテンまで、様々なアルバイトしてました。ビラ配りとか、マクドナルドとか、そんな普通の若者だったんですけど、ある日、親父とお袋が襖隔てた向こう側に寝てたんですけど、そこで困ったという話を親父がしてまして。
どういう話だったかっていうと、親父はパチンコ屋のチェーンもやっていたんですね。で、長野県に信州マリーというお店を、パチンコ店の名前ですけど、2階が喫茶店になってて、18号線沿いの脇にそういう店があったんですけど、その店が調子が悪いと、で、そのお店はですね、実は母が長野県の東御市の出身で、そこで、母の故郷に錦を飾るみたいな感じで母の実家の近くに千数百坪のすごい土地に投資して建てたお店だったんですよ。で、親戚一同が住んでるじゃないですか。だから店長さんとか30~40人のスタッフがいたんですけど、その時の店長さんとかって親戚のおじさんだったりしたんですね。
田中章 家族経営の会社って事ですか?
熊谷 ま、家族経営というか、支配人が親戚だった。後は地元の方にご就職頂いていたんですけど、その店がうまくいかない。で、うちのポリシーとして人種国籍学歴、何の差別もしないんですけど、パチンコ業界ってのは、外国の方がやられているケースもあって、うちは日本人経営だったんですけど、日本人経営のお店があって、周りから攻められて、すごく劣勢だったんですね。
その時に、親父が困ったと、お店をやめるかどうかって話をしてて、うちのお袋も支配人が義理のお兄さんなもんだから、お袋も困っちゃってて、なんてんでしょうかね、非常に親父とお袋の関係も良く無くなりそうな感じがしたんで、ハッと何を間違ったか、パーンと開けて、「父さん僕がその店建て直しに行くよ」って言っちゃったんですね。で、なんと17歳で釘の猛特訓を一ヶ月位してですね。
田中章 パチンコの?
熊谷 はい、釘師。東証一部上場企業の社長で釘師のキャリアがあるのは僕だけだと思いますけど、で、建て直しに行ったんですよ。約2年位だったかな。ありとあらゆる事を、通常のパチンコ業界じゃ有り得ない事を考えられないような仕組みを色々入れてですね、例えば当時は両替機が無かったんで、トレーナーに100円玉のマークを入れて、両替金を持ってもらって、お客さんが立たないでも両替が出来るようにするとか、後は、釘でもビックリ台ってのを作って、朝市で15分位で打ち止めになるような台を作って、それまで閑古鳥だったお店が朝から鈴なりで、駐車場が入りきらない位お客さんが来るような事をしたりですとかね。
ちょっと考えられないようなマーケティングをしてたんですね。で、パチンコって感覚でやってそうですが、当時から確率の世界のビジネスで、閑古鳥が鳴いてるお店ってのは損益のコントロールがし辛いんです。出る台にお客さんがついちゃって、出ない台はお客さんがつかないから、一旦混み出すと確率の中に経営が落ちてきて、総てのマネージメント、経営がうまくいくんですね。
そういう状態に約一年半から二年くらいで、地域一番の繁盛店に戻してですね、十数店舗あったんですけど。で、東京に凱旋したというのがありまして、一番最初にやった仕事がそれなんですけども、そこでの色んな経験とか苦労、成功体験みたいな事がやっぱりすごく今の経営に生きてます。
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