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2015年5月20日 翁長雄志・沖縄県知事記者会見(全3記事)

翁長雄志氏「基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因」土地返還後の経済効果を語る

2015年5月20日、翁長雄志・沖縄県知事が外国特派員協会で記者会見を開きました。質疑応答パートでは、記者から寄せられた「アメリカ訪問」の意図や基地返還後の町づくりや沖縄の経済発展について説明し、「今や基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因である」と辺野古への基地建設に断固として反対する意を表明しました。

沖縄の声は中央のメディアでは無視されてきた

司会: 質問を受けたいと思います。

記者1:ドイツのシーグモントです。オーシャンニュースペーパーに寄稿しています。

沖縄は、第二次大戦の大きな被害を受けたとおっしゃっています。沖縄の人たちの現在の抗議を見てみますと、まだ70%ほどの米軍施設が沖縄に集中しております。 すなわち、紛争が起きると沖縄が敵の攻撃の主要な標的になるのではないでしょうか。

しかし、それについて政治的な議論がありません。沖縄が再び大きな犠牲の地になるということが議論されていません。何故、これが議論されていないのでしょうか。何故このポイントというものが指摘されていないのでしょうか。教えてください。

翁長雄志氏(以下、翁長):新辺野古基地が候補地に挙がったときには、アメリカのジョセフ・ナイさんとかマイク・モチヅキさんなどがですね、海兵隊はもうここに置かないほうがいいのではないかと。

何故かというと、今、中国のミサイルも大変発達しているので、万が一があると、あまりにも中国に近すぎて、ミサイルの何発かが普天間飛行場や嘉手納飛行場にぶつかったときには、沖縄県民の生命もさることながら、米軍の軍人軍属も危ないですよと。

だからグアムとハワイとかに下がって、もう1回抑止力というものを考えてください、というのがアメリカの考え方としても2、3年前まであったんですが、残念ながら沖縄の(仲井眞弘多)前知事が承認をしてしまったもんですから、それが免罪符になって、アメリカ側もそういう考え方になっております。

しかし沖縄県からすると、今おっしゃったように、70年前にあのようにして10万人も沖縄県民が亡くなった。そして2年後にはサンフランシスコ講和条約で、あれだけ日本という国に尽くしたこの沖縄県をさっさと切り離して独立をしてしまった。

残された沖縄は、日本人でもないアメリカ人でもないなかで、27年間無国籍人で過ごしてまいりました。そういったことを考えますと、万が一があったときには沖縄がまた切り離されるのではないかと。あるいはまた10万人亡くなるのではないかと。

こういう恐怖心を持つのは沖縄の人間としては当たり前でありまして、その件について、日本政府が日本の防衛という視点からしか物事を発信しない、沖縄の声が地元では結構あるんですが、中央のメディアではそういうことは一切無視されております。

私たちからすると、本土の方々にご理解を得る術がないという、この意味での悔しさはありますが、今日このようにして皆さまの前でお話ができました。

安倍さんと菅さんと中谷防衛大臣とお話しをしましたら、メディアの世論調査では、10ポイントほど「新辺野古基地を作ってはいけない」という本土の世論調査が出ております。どの新聞でもそうなっております。

ですから、本土の方もやっと理解してくれたなあという気持ちからすると、今日この特派員の場所で考えを申し上げられるのは大変にありがたいと思っております。

沖縄独立論について

記者2:先ほど前知事のお話しをされましたが、2010年の選挙におきましては、彼は辺野古に反対してたんですが、これはきっと圧力を受けて考えを変えたと思うんですけれども、どのような圧力を彼は受けたと思いますでしょうか。よくご存知の方だと思いますが。

翁長:2010年のときには、私が選対部長をして、県外移設ということでご一緒して、選挙をして仲井眞さんが当選をいたしました。

2年半は全く同じ考え方を発信しながらやっておったんですが、最後の1ヵ月で考え方を変えたということは、私にも相談してからやるという話もしていたんですが、全く相談のないまま変わりましたので、私からするとそのいきさつはわかりません。

記者3: 日本記者クラブでも「沖縄どうするんだ」って聞かれると、「日本の問題なんだから、皆さんの問題として考えてくれ」とおっしゃってましたが、それを承知の上であえてお伺いします。

政府が辺野古の方針を転換しないという場合に、沖縄としては今後どのような選択肢というものがあるとお考えになっているのか。最後は沖縄独立論のようなところにまでいかれるおつもりがあるのかどうか、というのが1点目。

もう1つが、本土の人間で沖縄を何とかしたいと思っている人もいると思うんですが、そのときにどのようなことが可能か、あるいはどのようなことを本土の人々に知事としては期待するか、その2点をお願いします。

翁長:日本の国の問題ということで私が話をして、それでも物事が前に進まない場合には独立論でいくか、という話が1番目にあったのかなあと思っております。

今の問題なんですけれども、沖縄は確かに日米両国という大きな権力を相手にして、小さな島の沖縄がこれと戦うというのは大変なことであります。

しかし、さっき歴史で申し上げました27年間の米軍の政権下で、銃剣とブルドーザーで土地を奪われて、そしてプライスさんというアメリカの下院議員が来て、プライス勧告と言って、この奪い取った土地を強制的に買い上げをするということになったんです。1956年頃ですね。

そのときに沖縄は、裸足で芋を食べながら生きてるような貧しい生活でしたから、喉から手が出るほどお金が欲しかったんでしょうけれども、それでも保守も革新も関係なく、みんなで心を合わせて、今の権力よりもずっと大きなものを跳ね飛ばして、その土地を売らなかったんです。

ですから今の沖縄の土地は、基地は全部民有地と行政が持っているわけですね。ですから反対という話ができるわけなんです。

そういったものがありますので、私はこの新辺野古基地は、今のやり方でいきますとできないと思っております。これは、何も私たちが変なやり方をするとかではなくて、私は必ずできないようになるだろうと思っております。

しかしながら、どういう理不尽なやり方で建設をするかというのはまだ見えませんので、そういうことは、これから予測をしたりするのは大変僭越でありますから申し上げませんが、独立というのは、これは議論としてはありますけれども、実際はなかなか簡単ではないというのはわかります。

しかし、「沖縄放っとけ」ということになるのであれば、「そういう決意もないところには、もっと基地を置いておけ」という話になると、それはわかりません。

私たちも生きる権利がありますし、尊厳も持っておりますし、なんで本土の皆さん方は自分のところで基地を預からないで沖縄に74%も押しつけるのか。「日本の国の安全保障は日本国民全体で負担してくださいよ」と。

仮想敵国からしても、沖縄県だけに押しつけているような日本の安全保障は見透かされてると思いますよ。

ですから私は、サンフランシスコ講和条約で切り離されたように、沖縄はもう1回切り離されるんじゃないかと。沖縄が独立するというよりは、日本が切り離すんじゃないかというそういった心配のほうがあるわけでありまして、この辺のところはしっかり見ていただきたいなと思います。

辺野古基金と日本の安全保障体制の今後

2番目。辺野古基金というのをやりましたら、7割の方が本土のところからお金ががきまして、今、2億円を超えております。3億円に手が届くのも間近だと思います。辺野古の支援としてですね、今、本土の方々が沖縄県民と一緒になって支援をしているということがひとつございます。

そういったことが出てまいりますと、今まで無関心・無理解だった本土の方々も、こういったところでの議論を聞きながら、あるいは安倍さんや菅さんや中谷さんとの議論も聞きながら「あ、これは変だよね」と。

小さな沖縄県に戦後70年間も、10万人も県民が地上戦で亡くなって、日本国に尽くして、日本国を思っている人々をこのような形で延長するというのが、僕は日本国の品格としてどうかなと。

アジアのリーダー、世界のリーダー、国連でもしっかりとした地位を占めたいという日本が、自国民の人権も平等も民主主義も守ることができなくて、世界の価値観と共有することもできなくて、これからリーダーになれるかというと、私はそうはならないと思います。

ですから、そういったことに気付く方々がおられましたら、日本の安全保障は日本国民全体で考えるということをよくよく理解しながらやりませんと、今の新辺野古基地ができなくなった場合の日米安保体制、日米同盟の危うさというものが私には見えてまいります。

私は自由民主党の出身ですから、日米安保の大切さはよくわかります。しかしそれを新辺野古基地を認めるというのとは全く違うと思います。

私は沖縄の自由民主党でありますから、何よりも沖縄の将来の子や孫のために沖縄がどうあるべきかということを一番考えるのが私の仕事でありまして、そのなかで日本との全体との調和も考えていきたいと思っております。

アメリカ訪問で伝えたいこと

記者4:辺野古の日米の担当者は、多くの方たちが基本的にはもう辺野古は決まったものだと認識していると思います。ワシントンの方たちも多くが考えていると思います。その段階でなぜ米国に訪問するつもりなんでしょうか。どういう目的があるのでしょうか。

翁長知事:私が行く前に日米首脳会談がありまして、オバマさんと安倍さんが共同声明を出しました。「2+2(閣僚会合による声明)」も出しました。辺野古(移転)が唯一(の解決策)だというアメリカの下院の決議もございました。

そういう最中に行くわけですから、大変厳しいものを感じておりますけれども、それでも先ほど申し上げましたように、あの辺野古に基地を作るというのは簡単ではないんです。

ジュゴンが住んで、美しいサンゴ礁があって、たくさんの魚が住んでいて。そういったようなところを埋め立てて(基地を)つくる。それは大変な作業になるわけで、知事の権限、名護市長の権限、法的な措置もいろいろございます。

あそこに土や石を運ぶために、どれだけのトラックが使われるかというと、10tダンプが10万台、1年かけてあそこに埋め立てに走るんですね。

こんなものがメディアのなかで、インターネットで世界に知らしめられたときに、本当に日本が民主主義国家として世界から尊敬され、そして愛されるかということになると、私はその受ける大きな痛手というものが格段にあると思います。

2、3日前、(米軍基地反対運動に)35,000人集まったように、年配の方々や若い青年たち、男女が集まるような事態になったら、今、100名規模ですけれども、1,000名規模で辺野古に行くと思います。

辺野古に行っての反対の集まりというのは、海上保安庁や機動隊で止めるようなことは簡単でないと思います。なおかつあの美しい海であります。

こういったことを考えますと、「絶対に作らせない」ということをアメリカには伝えたいんです。「あなた方が決めたから、できると思ったらそれは間違いですよ」と。

「あなた方は、これは日本の国内問題だから俺たちは知らんよ」と必ずそう言います。ところが、辺野古がダメになったら日米同盟が崩れるということからすると、これは国内問題ではないんですね。

私からすると、アメリカは今度の日米首脳会議でも辺野古にはあまり言及してない感じがいたします。本当は嫌々ではないのかなあと推測しております。

そういうこと(基地移転)をできない、ということを伝えたいということと、私自身が安保体制というのを理解しているからこそ、そういう理不尽なことをして日米安保体制を壊しちゃいけない。

日米安保の品格のある、誇りあるものをつくり上げて、そしてアジアのなかで尊敬される日本、そしてアメリカも太平洋国家として尊敬されるアメリカ、こういうものにならなければ、私はこの平和のなかにアジアの経済がさらに安定するということはないだろうと。

沖縄の将来の目標は、東西1,000キロ、南北400キロのなかに160の島々があって、40の有人の島がありますけれども、将来は平和の緩衝地帯として、この場所があってもらいたい。

日本の防衛とかで基地をたくさん置くのではなくて、平和の緩衝地帯として沖縄が役割を果たせられる、アジアと日本の架け橋になる、こういったことを夢見ながら今やっているところであります。

沖縄から見た「日本の独立という神話」

記者5:私の質問は「日本の独立という神話」というものです。

先ほど日本の歴史についてお話をされましたけれども、16世紀に豊臣秀吉が沖縄に中国、朝鮮への進攻を支持してほしいと頼みました。薩摩藩からのプレッシャーもありましたけれども、しかしながら、この支持はできないということだったので、結果的に豊臣秀吉が負けたわけなんですけれども。

これが400年経って、同じ状況にあると思います。沖縄がアメリカの基地を持っている。こうした将来の経済の発展を考えますと、中国との関係があるので、秀吉の求めには応じなかったわけですが、今日、沖縄がアメリカ軍の基地がなく経済的にもサバイバルできるとお考えでしょうか。

翁長:朝鮮(への進攻)のとき、確かにこの沖縄は断ったわけであります。武器のない島ですので、そういった意味からすると参加することは不可能であった。その代わり、サトウキビ含めていろんな形で相当お金を出したと聞いております。

今、日本の独立の神話という話がありましたけれども、私が「日本の独立の神話」と3日前に申し上げたのは、戦後27年間米軍の政権下にあって、そのときのキャラウェイ高等弁務官が「沖縄の自治は神話である」という話をして、私たちの人権、自由、平等、そういったものが保障されませんでした。

保障されないなかで私たちはいろいろ工夫はしたんですけれども、なかなか良い形での解決はございませんでした。

今、沖縄から見てみますと、沖縄は米軍基地の73.8%がありますので、いわゆる日米地位協定というものがどういう内容かがよくわかるんです。

今、辺野古に基地を作ろうとしているときに、フロートといって、他の人に邪魔されないものを作ってるんですね。今の工事は、アンカーの代わりに45トンもするブロックを使ってるんです。

サンゴを壊してるんじゃないかと、調査させてくれと言ってるんですけれども、米軍が日米地位協定を盾にとりまして、沖縄の人がそういう調査をする合理的なものはないから、運用の邪魔だからと調査させてくれないんです。

ですが、工事の作業船は皆入ってるんです。海上保安庁の警備船も入ってるんです。防衛局の調査船も入ってるんです。沖縄の調査船は入れないんです。

私が、「あの銃剣とブルドーザーで、基地の建設が始まりつつありますよ」と言っているのは、そういうことなんです。沖縄の調査船も入れないような日米地位協定、これは犯罪もみんなそうです。

27年間の統治下のときには余計大変だったんですけれども、それでも日米地位協定というものがいかに日本を縛っているか。防衛局に抗議に行っても、何にもできませんよ。ただ「米軍に伝えます」と。沖縄大使に言っても「米軍に伝えます」と。

これだけ当事者能力が日本にないのを見ますと、「日本の独立は神話だ」とアメリカが言っているのではないかと、こんな感じさえ受けるんですね。

本当に日本の誇り、日本を取り戻すという、美しい国・日本というものが本当にでき上がっているのか。あるいはでき上がろうとしているのか。

もっと自分の力でしっかりと地に立って、自国民を愛して、そのなかから日米安保を作って、日米同盟を作って、誇り高いアジアのリーダーとしての日本というものを作っていただきたいと、こういうふうに私は思っているわけでございます。

米軍基地は沖縄経済発展の阻害要因

経済的にいいますと、基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因になってるんです。終戦直後はGDPの50%ありました。27年後の復帰するときには、基地関連収入は15%まで落ちてます。今どれだけかと言いますと4.9%です。

沖縄の経済がどういうふうに阻害されているかといいますと、那覇市の新都心には52億円の軍用地料がありまして、25年前に返されたときには地主さんは、「これを返されたら、うちは生きていけるかねぇ」などと言っておったんですが、私が市長になって15年前に区画整理をして町ができました。

どういうふうに変わったかといいますと、52億円が600億円に。雇用は180名しかいなかったんですよ。芝生を刈ったり、米軍の家を直して歩いたり、180名しかいなかったんですが、今18,000名。100倍働いているんです。

そして税収は6億円から97億円。15倍に増えてるんですね。基地がなくなると、今沖縄は大きく発展するんです。基地関連収入なんて、沖縄からしたら、もう問題でないんです。むしろ邪魔なんですよ、経済の面からみたら。実に迷惑な話になってきてるんです。

日本の安全保障という意味だから、一定程度我慢しましょうという話であって、基地が私たちを助けてきたというのは、あの戦後の貧しいときに食料を与えてもらったというときにはあったかもしれませんが、それも日米両政府がやったことですので、沖縄からすると、それは私たちの責任じゃありません。

もう爆弾で産業も何もないわけですから、それに頼るわけしかなかったんですが、今はそのような形でライカムという新しいのもできました。

跡地利用には、世界の資本が「ホテルをつくりたい」「何をつくりたい」と言って県庁にもよく来るんです。基地があるから何にも前に進まないんですよ。これだけ迷惑をかけてるんだということを日米両政府はよくわかって頂きたいんですね。

仲井眞さんのときに、この経済効果を計りました。そうすると、安倍さんが「今、着々と進んでいますよ」という普天間や那覇軍港、それからキャンプ・キンザー。これが返されたときの経済効果。今、基地関連収入が、この5つで500億円あります。返されたらどれだけの効果があるかということを試算しましたら、8,900億円です。約20倍。

普天間とかキャンプ・キンザーとか返されたら、20倍の民間の施設がここに立ち上がって、ホテルだとかいろんなものが立ち上がって、沖縄経済はぐーんと伸びていくんですよ。これを、基地があるから邪魔してるんですよ。

だから基地で沖縄が食っているというのはもう30〜40年前の話であって、今や基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因であるということをしっかりと皆さん方ご理解いただきたいと思います。

土壌汚染された土地の町づくり

記者6:基地が返還されますと、土壌汚染などがあるんですが、その問題をどのように解決しようとしていらっしゃいますか。日本政府と一緒にどのようにされているんでしょうか。そして来週アメリカにいらっしゃるときに何をおっしゃるんでしょうか。

翁長:私は15年前の少女暴行事件のときに、抗議のためにワシントンDCに行きました。カリフォルニアからサンフランシスコも行ってまいりまして、アメリカの基地閉鎖の状況を見てきたんです。

アメリカの基地閉鎖は、あのときで100くらい閉鎖したと言いますから、私たちが見てきたのは3つ4つですけれども。閉鎖をして、汚染されてますから、まず土壌を1〜2メートルくらい削って、これをどこそこに持っていくんですね。

取った後に大きなタンクができまして、地下水を汲み上げて、きれいな水にして、15年も経たないと町は作らせないんですよ。それぐらい軍隊の汚染というものは大変なものなんです。

アメリカはどこでも環境問題をしっかりやって、それ以上やった後にしか町づくりはさせません。

ところが今の日米の地位協定は、アメリカ軍のなかに私たちは入れないんですね。入れないなかで、ドラム缶からいろんなものが出てきたりしますので、「環境問題だけでも調べさせてくれ」と言うんですが具体化はまだしてません。

3年前から「調べさせてくれ」ということも言っていますけれども、当然まだ確定はしておりません。

アメリカ並みにするためには、15年前から環境汚染について作業をしなければいけないのに、3年前に返して、「さあ今すぐ町づくりやりましょう」というのは子供たちにとって大変なことなんですね。

キャンプ・キンザーも那覇軍港も返されたら15年間は、地下水から水を汲んで、きれいにして返して、きれいな土になってからじゃないと町づくりはできないんですよ。

こういったことを考えますと、いかに今のやり方が理不尽であるか。ですから、日米地位協定のそういう環境の条項を変えるとは言っているんですが、それさえも手は付けられない。

だから、日本の独立は神話ではないかというのは、私は、自国民を守ることができないような、そんな日米地位協定は、何にも触ることもできない日本が、日本を取り戻すことができるのかということを先ほど申し上げたわけでありまして、そういった意味からすると、今の環境問題も、私は大変理不尽な状況だと思っております。

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