2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
山本一太の直滑降ストリーム ゲスト:菅義偉 官房長官(全1記事)
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山本(以下、山):はい、直滑降ストリームの時間がやって参りました。ニコ生ユーザーの皆さんお元気でしょうか。金曜日の夜、先週に続いてこの直滑降ストリームお送りしたいと思います。さて、今回もですね、IT政策担当大臣特別企画第9回ということで、いつもは「大臣VS大臣」なんですけれども、今日はなんと「官房長官VS大臣」ということで、今をときめく、私の兄貴分である、菅義偉官房長官にご登場いただいています。菅長官すみません、お忙しいところ、ありがとうございます。
菅義偉(以下、菅):どうも、こんばんは。
山:実は菅長官はですね、官房長官会見、ニコニコ動画の生放送がずっと入っていまして、実はネットでも大人気なんですね。
菅:そうなんですか。
山:ネット上では菅義偉官房長官はガースーと呼ばれているんですけど、それをご存知でしたでしょうか?
菅:子どもから言われました。親父はガースーと言われているんだと。
山:これは長官ですね、どの大臣にもニックネームがついているわけじゃないんですね。例えば稲田大臣は、先週出ていただいたんですが、稲田姫と呼ばれている。私はいった大臣とか、ICTって呼ばれてるんです。IT担当でいちただから。あるいは、新藤大臣はシンディ。それから、田村厚労大臣は、たむたむ。そして、例えば、石破自民党幹事長はゲル。そして、麻生財務大臣は閣下って呼ばれているんですけれども。今やおそらく、このガースー人気にですね、比肩しうる政治家はいないんじゃないかと思うんですけれども。今日はその菅官房長官、本当にお忙しいところ来ていただきました。皆さん、官房長官といえば危機管理のスペシャリストということなんですが、実はこのスタジオは、山本一太の議員会館事務所でございますので、何かあれば5分で官邸に帰れるということで。
管:そうですね。
山:そういう点には十分に配慮してですね、今週もお送りしたいと思います。実は官房長官の会見は、毎回ニコニコ動画で流れてまして、実は官房長官の会見に来ているバンキシャの方々の顔も映るわけなんですね。今日はですね、そのバンキシャの方の中で「親方」と呼ばれている有名な記者が来ているのでちょっと映していただけますか。親方、あの方はお名前はなんとおっしゃいますか?
菅:親方は、小西関でしたっけ?
小西(以下、「小」):すみません、入幕してませんので。
山:長官、こっち戻してもらえますか。ということで、長官、かなりリラックスしていい感じですけれども。
管:でもね、親方じゃなくなっちゃうんですよ。
山:あ、そうなんですか。
管:120kgくらいあったんですけれど、どんどん減ってまして。近いうちにもう100kg切っちゃうんですよ。90kg切ったら私、ステーキをご馳走しようかなと思っているんですけれども。
山:ちょっと、番組の趣旨がどんどん変わっていっちゃって、最初の数分間は親方の話題で終わってしまったということなんですが。今日は菅官房長官にですね、自らの政治哲学、安倍総理への熱い思い、それから安倍政権への評価、これからの課題等々について思う存分語っていただきたいという風に思っております。まず最初に菅長官にお聞きしたかったんですけども、第一次安倍内閣のときは総務大臣をなさった。閣僚としての経験は二度目ということですけども、官房長官。本当に忙しい、まさに内閣の要なんですけれども。この5ヶ月を振り返っていかがですか?
菅:正直なところですね、総務大臣の経験がなければ官房長官はなかなか務まらなかったんじゃないかなと思いますよね。いま山本さんも大臣やられてさまざまな経験をされていると思いますけれども。やはりあの、いわゆる危機管理。とくに安全保障、結構色んなことありましたからね。それとやはり、次から次へと色んなことが出てくるんです。ですからそういう意味で、やはり総務大臣をやった経験があったからこそ、なんとか今務まっているんじゃないかなと思っていますね。
山:皆様覚えていらっしゃるかどうか分かりませんが、第一次安倍政権の時の菅総務大臣、これはですね、名大臣だったんですよね。ふるさと納税とかね、NHK改革ね、地方分権の法律とかですね、ずいぶん大臣のときに大事な法律通しましたよね。
菅:やりたいことをやりました。
山:やりたいことをやったという菅官房長官なんですけれども。官房長官になられたら実は外に一切出ないということもいっぱいおこるわけですよね。ちっちゃいことでも。
管:ありますよね、まあ六ヶ月弱ですよね。私選挙区横浜なんですけれども、この間日帰りで帰ったの一日だけなんです。
山:それ以外は、ずっと。あの官邸ですか。
管:ずっと官邸です。この周辺ですね。
山:でも、菅官房長官は本当にやっぱり強靭だなと思ったのは、官房長官になってから何度か色んな事態が起こって、缶詰になるときありましたよね。私時々菅官房長官に電話して、官房長官のすごいところは、めちゃくちゃ忙しいのに、すぐ、繋がるんですね。で、留守電になっても、忙しいのにすぐ返事をくれると。まぁ、私だけじゃないと思いますけれど。ここは本当にすごいと思うんですが、やはり、相当精神的にも参っているじゃないかと思うんですけれども。寝られないときもあるし。全然挫けないっていうか。それでも、何ていうんでしょうかね、まったく動じないっていう。これはどっからきているんですか。
管:まあどうなんでしょうね。ある意味では、正直言ってアルジェリアの事件だとかありましたね。テロの。色々考えて寝られないこともあるんですけれども。ただやはり、私って意外に単純なんですよ。基本を大事にするとか原点を大事にする。すれば物事って見えてくる感じがしますよね。
山:基本を大事にしているから、何か起こってもいちいち慌てたりしないということでしょうか。
菅:私色んな人に出会って育てていただいたんですけれども、そういう物事の考え方とかですね、色んな方から教えていただいたんですよね。必ず自分でわからなくなったら、壁に突き当たったら、絵を描いてみろって言われたんですよね。
山:絵を?
菅:はい、どこに何があって登場人物がどうなって、と自分の中で考えてそこで判断すれば、意外にわかりやすい、間違わないということを。それをずっと、ある意味では訓練をしてますよね。
山:なるほど、そうすると官房長官は、官房長官として、色んな状況に直面するわけですけれども、そのたびに絵を描いているんですか?
菅:わかんなくなったら自分の頭の中で絵を描きます。
山:どういう絵を描くんですか? 頭の中で描くんですか? あ、別にこう、ノートに書くわけではないんですね。
菅:ええ、そうじゃなくて。どういう立場の人がいて。一つの絵と同じような中にそういう立ち位置がありますね、皆さん。そういうことでも整理をするというのが、ある意味では趣味みたいになってきてね。
山:なるほど、なるほど。いやずいぶんと菅長官とお付き合い長いんですけれど、こんな話初めて聞きました。それで皆さん、菅長官のイメージね、ニコ動ユーザーの皆さんがちょっとどんなイメージを、これまでの話を聞いて持たれたか。ちょっとせっかくですから。これも即ですね、世論調査できるものですから、聞いてみたいと思います。
四択で思いつくまま。1、頼りになるアニキ。実は菅長官は永田町では「アニキ」って呼ばれています。私がつけたニックネームなんですけども、これがジワジワと広がっています。菅義偉官房長官のイメージ、1、頼りになるアニキ。2、筋金入りの党人派、2ね。筋金入りの党人派。3、これお友達が言ってたんですが、誠実な不器用男。これお友達が言ってたんですよ。私が言ったんじゃありません。誠実な不器用男。4、実は優しくて繊細、実は優しくて繊細。この四択で、菅長官のイメージをですね、アンケートにかけたいと思います。
まあしばらく時間がかかりますので、話を続けたいと思いますが。なんか毎回キャスターやってたらどんどんキャスターみたいになってきちゃって。どっちが、あ、いや私は政治家ですから、大臣は99%、いや100%のエネルギーでやってることをお断りしておきたいと思いますが。長官、官房長官として二度目の安倍内閣に入られたわけですよね。官房長官としてまさに総理の近くにおられるわけですが。安倍内閣どうでしょうか。第一次安倍内閣と第二次安倍内閣を比べて。今回は、官房長官という立場なんですけれども、それをどういう風にご覧になっておられますか。
菅:第一次安倍内閣というのは、とにかくやれるものは何でもやってやろうみたいな。ダーッとこう、進んできた感じがしますよね。今回も、昨年の12月26日に組閣してから、その日のうちに全部やっちゃったでしょ。年内に補正予算。
山:早かったですね。
菅:前回も同じようにこうやってたきたんですけれども、今回はやはり順番をつけているんですよ。何と何をいつまでにやろうという。前回と比べると、私は戦略的になってきているような感じがしますね。
山:前回はもうとにかく「何でも何でも」という感じだったんですけれど。
菅:総理はやりたいことたくさんありましたから、一挙に、強引にやったというのが前回ですね。今回は国民の皆さんと呼吸をしながらというんですかね、話し合いをしながら物事を進めていこうと。そういう、ある意味で、総理自身がこの6年間の間に学んだ「余裕」というんですかね、幅が広くなったというんですかね、そこは私ものすごく感じますよね。
山:なるほどね。大体ちょっと結果が出たと思うので。出たでしょうか? 大丈夫かな?あ、コメントがでました。
スタッフ:大臣、すみません、「癒し系」というのも実はですね、会見で言ってまして。すみません勝手に入れました。
山:では、「癒し系」というのも急遽加えさせていただきました。さあ、菅官房長官のイメージ。ニコ動ユーザーの見る菅官房長官はどんな人か? 1、頼りになるアニキ、27.2%。あれっ、ちょっと少ないな。頼りになるアニキは27.2%。2、筋金入りの党人派、7.9%。3、誠実な不器用男、私が言ったんじゃありません! お友達が言ったんです。10.7%。4、実は優しくて繊細、9.5%。5、癒し系。官房長官!
管:私が癒し系なんですかねえ。
山:ユーザーからはやはり癒し系と思われているということで。44.6%ということで。まあ意外な結果が出ましたけれど、やっぱりニコ動ユーザーの方は、あれですね。政治家の本質を見抜くというところがあるんですかね。やっぱり、長官の強いところじゃなくて、すごく優しいところを見抜いているのかもしれませんが。
そこでちょっと話は一気に戻しますが、安倍総理ですね。官房長官、第一次安倍内閣でも6年前、ずっと安倍総理を見ていたと。まあもともとその前から、安倍応援団ですから、二人とも。今度安倍総理がスタートしたと。この番組も7、8人の大臣を呼んで、非常に危険な番組なんですけれども。ここで私がキャスターを務めながら議論を重ねてきたんですが。皆が言うのは「安倍総理が変わった」と。そこはいかがでしょうか? 官房長官が一番よくわかっていると思うんですけれども。
菅:先ほども言いましたけれども、やはり余裕をもってやっていますよね。幅が広がったといいますかね。そういう落ち着きをもってやはり運営していると思いますよね。それと、ただ譲らないところは絶対譲らないでしょ。
山:頑固なところは同じですよね。
菅:そこは強いものを持ってますよね。
山:ユーザーの皆さん、実は自民党の中でも私とか、河野太郎衆議院議員とかですね、まあ実に、派閥の偉い方々からいつも叱られているこの二人をですね、優しく見守っていただいてるのがガースー長官でございまして。河野太郎と私は「KYコンビ」と言われていまして、永田町ではKYでも国民にはKYではないというのがウリなんですけれども。あの随分ガースー…。
菅:実際そうなんですよね。
山:実際KYなんですか?
菅:永田町の人から見たらKYの部分があるんでしょうけれど、私から見れば極めてまともですよね、二人。ですからなんとなく生意気な言い方ですけれど、可愛いんですよね。河野太郎と山本一太というのは。
山:河野太郎と山本一太は可愛い。これがやっぱりアニキなんだという風に思います。さて、今、ちょっと安倍総理が変わったというお話を伺っていたんですが。今日はですね、私の番組に来ていただいたんで、なかなか普段見れない官房長官の素顔に迫りたいと思って。官房長官、けっこう照れ屋なところがあって、あんまり自分の苦労話とかされないんですけれども。もともと秋田のご出身で、ご実家農家ということなんですよね。なぜ、東京に出てこられたんですか?
菅:私、農家の長男だったんですよ。私は昭和23年、1948年生まれなんですけれどね、当時というのはやはり東京に出てくればなんかいいことあるような、そんな雰囲気でしたよね。私、生まれたところは秋田県の、今は湯沢市だったんですけど、昔は雄勝町。今は小学校も中学校もなくなった、まさに過疎ですけれども。当時中学校120人いたんですよ。そのうち60人が中学卒業して東京で就職です。残った60人のうち30人が家の仕事やってたんです。高校に行ったのが30人しかいなかった。私そのひとりだったんですけど、当然、家、長男坊でしたから農業を手伝うとか、そういうことになるんですよね、普通。だけど、やっぱり息苦しかったんですよ、当時。「東京に出て行けばなんか良いことあるんじゃないかなー」と思って、東京へ。私は家出同然で東京に出てきたんですよね。
山:えっ、家出同然だったということは、親御さんは反対されていたんですか?
菅:ええ、親父はやっぱり田舎にいてほしかったんでしょうね。で、逃げるように東京に出てきたんですけれども。しかし、何も良いことない現実に気がつくわけです。
山:東京出てきたら?
菅:そういう意味で、現実の壁というんですかね、現実の厳しさというんですかね、そこに直面をして、そこから人生を考え始めたって感じですよね。
山:集団就職で出てこられたっていうことでしたよね。それで、東京のダンボール会社か何かに就職されたんですか?
菅:ええ、町工場ですけれども、そこに入ってですね。そこで、田舎で考えて東京に出てきたのとは、まるきり違いますよね。そこで、「このままでいいんだろうか」と考え始めるわけです、自分の人生について。そこからこう、放浪が始まるんですよね。
山:放浪?
菅:何を目指すのがいいのか、というんですかね。そこから始まって、結果的に、もう一回、「やっぱり大学に入るべきじゃないかな?」というんで、二年間遅れて、私法政大学ですけれども、入って、まあアルバイトばっかしでしたけれども。で、卒業してからも、また「田舎に帰らなくてはダメだ」という。まぁ農家の長男の血が脈々と私に流れていましたから。
山:ではご自分では「やっぱり帰らなくてはいけない」という思いはあったんですね。
菅:それはずーっとありましたよね。だけど、「帰ってもどうかな」と思って。ずっと迷って迷って。で、こちらで、また就職してすぐに辞めて、アルバイト。築地に朝早く行って、夜はまた皿洗いと、まあ、色んなことをやってですね。そういう中で、「もしかしたら政治じゃないかな?」というような。そこに辿り着くまで、どれくらいかかったんですかね。
山:その「もしかしたら政治じゃないか?」と思ったのは、長官何歳くらいの時なんですか?20代?
菅:私は、25歳くらいの時ですかね。25~26歳ですね。
山:で、25歳か26歳くらいの時に政治家になろうと思われて、それで秋田から出てきた東京はとくに地縁血縁がないと。それで長官は神奈川に行って、横浜から市議会議員に出た。この経緯はですね、誰も知らないと思うんですけれど、なぜですか?
菅:私はですね、政治の世界に入ろうにも誰も知らないですよね。地縁血縁も何もないし。それで大学のですね、OB会というのがあるんですよ、法政大学の。そこに行って、事務局長さんの方清水さんという人ですけど、その人に、法政大学の出身の政治家の方紹介してくださいって紹介してもらったんですよ。そこがようやく、ですから、大学卒業したのが24ですよね。で、26超えて初めて、そこに、秘書の道に辿り着くんですよ。
山:それで、小此木彦三郎先生。
菅:いえそれで、たまたまですね、その時私、紹介していただいた方が、法政大学の中村先生という先輩がいらっしゃいまして、その方のところに預けられるんですね。そこの秘書の方がたまたま小此木彦三郎さん。私の親分ですね、最初に秘書になったんですけれども。そこの小此木さんと非常に懇意な人で。中村先生のところに行ったんですけれども、次の衆議院選挙に出ないということになって。それで、なんにも知らなかったんですけれど。小此木さんを紹介してもらって。横浜へ行ったというのが、横浜の出会いなんですよ。
山:そこから、菅長官は、11年間くらい、小此木彦三郎先生、大変な大物でいらっしゃいましたけれども、秘書をなさったと。で、そのあと市議会議員に出るチャンスが巡ってくるわけですね?
菅:そうです。私は正直なところですね、秘書になったときに、市会議員とか県会議員になれるとは全く思っていませんでした。ずっと高嶺の花みたいな感じだったんですけど。ただ、人生って何が起きるかわからないですね。一生懸命に、私は政治にある意味で人生かけてましたから。一生懸命頑張っていると、周りの人が「出ろ」とかですね、色んなことを言ってくれるようになるんですよね。そこからですよね。それで私、38歳の時に横浜の市会議員に当選させていただいたんですよね。で、当選させていただいて、一生懸命やりますよね。ですから、何もないゼロからのスタートでしたから。
で、一生懸命やってる時に、2期8年勤めて衆議院に挑戦するんですけど。やはり市会議員やってた時に、「中央の壁」というんですかね。当時、横浜の少子化、待機児童大変な時だったんですけど、そういう意味では「保育所作ろう」。そうすると必ず「国の補助基準」と言われました。あるいはちょうど、特別養護老人ホーム。高齢者の方が、そこに入居待ちがようやく始まったときだったんですよね。しかし、そういうものを作ろうとするときも、やはり、国の補助基準と、実態の横浜市と全く違って、そういうのができなかった。それで、「これじゃあ……」と思って、国に行こうかという決意をするんですけれども。そのときちょうど小選挙区制になったので、そういう意味で出馬できるチャンスも出てきたということですよね。
山:なるほど。皆さん、今日はちょっと色々安倍政権の政策課題とか聞こうと思ったんですけど、私この話初めて、けっこう付き合い長いんですけれども、官房長官から聞いたので。どっかのテレビ局のファミリーヒストリーみたいになってきましたけれども。こっちのほうが面白いので、この感覚で続けさせていただきたいと思いますが。
実はですね、この菅長官が、横浜で市議会議員になるときに、ものすごくガースー長官の本質を示すエピソードがあるんですね。それは山本機関で調査をしたんですけれども。菅長官は小此木彦三郎先生の秘書をずっとやっていたと。で、実は引退する市議会議員から「この選挙区から菅さん出ないか」と。もうこの11年間の働きぶりが凄かったんで、誘われたわけですね。でも、実はその選挙区には、ガースー長官と仲の良い若手の市議会議員がいたんです。で、この若手の市議会議員も、「菅さんだったら仕方ない、一緒に戦おうよ」と説得したんですけども、出なかった。やっぱり二人との友情があったから出なかったんですね?
菅:本当に仲の良い議員でしたからね。二人とも秘書仲間だったんですよ。で、その人が市会に出るとき、私が一生懸命にやったわけですから、たまたまそこの市会議員の人が、あえて私に後継指名してくれたんですけれども、そこはやっぱりやるべきじゃないなあと思ったんですよね。
山:いや、こういう人って、皆さん。いそうで、政治家にはなかなかいません。それで結局、菅長官が選んだのが市議会議長のいる選挙区だったわけですよね。ものすごく難しいと言われていた選挙区から出た。
菅:そうです。これもですね、私、ひとつの運命みたいだったと思うんですけど。定員数3だったんですよ。そこで、自民、公明、当時民社。で、3人いて、400票の間に3人いたんですけどね。そこで、自民党の候補者の市会議員の人がですね77歳だったんですよ。で、ご本人は引退してですね、息子さんに自分の後釜を継ぐということだったんですよね。その息子さんが私と同い年で、お子さんもいたんですけれど。その方がある日突然、亡くなっちゃったんですよ。風呂でポックリ病みたいなかたちで。非常に不遜だったんですけれど、私は勉強は全然していないんですけれど、歴史の本だけは読んでまして、もしかしたら……。
山:ここが……!
菅:運があるんじゃないかなと思ったんですよね。そこで勝負をかけてみようかなと思いました。当時37歳のとき決断したんですよね。で、結局、菅長官、ここを勝ち抜くわけなんですが。その時、奥様が、「なんで菅はこんな大変な選挙区から出なければいけないのか」と聞かれて、C社の方に、「いや、必ず今は、お金もない、地盤もない、でも必ず菅の近くに人が集まってきて、必ずこの選挙を勝ち抜ける」というふうに伏し目がちに仰ったという話を聞いたんですけれども。
菅:それは、どっから調べてきたんですか?
山:いや、色々と、色んな方から聞いてきたんですが。もともと奥様とはどこで出会われたんですか?
菅:私は小此木彦三郎先生の秘書やってて、女房の妹が同じ省だったんです。そういうことで。
山:もうパッと見て長官はこれだと。長官は決断力があると言われていますけれど、奥様を見た瞬間に、もう、「これは俺のパートナーだ」と思われたんですか?
菅:なんとなくそんな感じですね。それと、あと、いわゆる私、市議会議員に出るときにですね、男の子3人なんですけど、6歳、3歳、6ヶ月なんですけど。そこで色んな後継、備えを渡してなかったもんですから、無所属で挑戦するわけですよ。今思うと、もう二度とスタートできないですよね。ですけど、そこの選挙が私の政治の原点ですよね。
山:なるほど。いや皆さん菅長官はですね、市議会議員になる前も、やっぱり、ほとんど地盤も看板もない、お金もない、若い市議が挑戦する、まあ仲間なんでしょうけれど、すごく応援をされて、自分もちっちゃい子供を抱えて、あんまりお金がないのに、背広をプレゼントしたり。「これを使ってくれ」とかですね、秘書をやっている間に貯めたお金を彼に渡そうとしたりですね。そういうエピソードもあったと伺っておりますが。
菅:いやそんなアレじゃないですけれど。ただ私は本当に人に恵まれてましてね、出馬するときも色んな人が応援してくれましたよ。今からもう30年近く前ですけどね、本当にありがたかったです。
山:あの今日はですね、菅義偉官房長官の実像に迫ろうということなんですけど、実は安倍総理とあるところで菅長官に接点ができたんですけども。なんと、この、ICT、私がですね、実は大事な役割を果たしているということを、ガースーファンの皆さんにお伝えしたいと思いますが。菅長官が、なぜ、安倍総理と近くなったのか?
それはですね、皆さん。北朝鮮経済制裁シミュレーションチームの座長になったからなんですね。何しろその、北朝鮮経済制裁法案は、実は、私がここまで言ってもいいかもしれませんが、実は中心になって勉強会をやって、仲間と一緒に通した法案で、それについて、安倍、官房長官、でしたですかね? 副官房長官だったですかね。「フォローアップしてほしい」ということで言われて、その座長に、実は、安倍長官が「やっぱり胆力のある菅さんがいい」と言って抜擢をされたと。私が北朝鮮の法律を通してなければ、官房長官と安倍総理はここまで仲良くならなかったと、勝手に思っているんですけれども。あれからですよね?
菅:そうですね。その前にちょっと出会いましたけれども。あの、具体的には……。
山:あ、会ってたんですか!
菅:まあ具体的には、初めての。そうですよね、懐かしいですよね。
山:ええ、懐かしいです。
菅:事務局庁で視察に行きましたね、一緒に。境港とか。
山:行きました行きました、境港に行きました。境港に行ってですね、カニのアレを見たりとかですね。色々、北朝鮮についての話を聞いたりとかですね。色々した覚えがありますね。
菅:でも、誰もがあの時に、万景峰号入港禁止の法案が成立できるとは思ってなかったですよね。誰もがね。でもやはり、当時は6人でしたっけね。
山:6人で一応、大変申し訳なかったんですが、万景峰号の入港を阻んだということがありましたですね。実はですね、その後ずっともう菅義偉官房長官と大変親しく付き合うことになると思うんですが、それ以来菅長官が安倍総理の応援団の中心的な役割を担うようになってきて。実は、皆さん、安倍総裁、当時の、総裁じゃないですね、今の総理が最初の総裁選挙に出るときにですね、私は群馬県選出だったんですが。私は今でも本当に群馬県の皆さんに申し訳なかったと思っているのですが、当時、もうひとり総裁候補として囁かれていたのが、福田康夫元総理だったものですから、その中で安倍晋三しかいないと言い続けて、大変なことになってですね。
今でも福田系の方々には大変申し訳なかったと思っているんですけども。何しろ党の長老の方々に大変お叱りを受けて、毎回某派閥の総会で正されて怒られて。それでも全く怯まずにずっと「安倍さんしかいない」と言い続けたんですが。そのときにしょっちゅう電話をかけて励ましてくれたのが菅官房長官だったんですよね。覚えてらっしゃいますか?
菅:そうでした?
山:「よく言ったな。あんたの言うことは正しいよ」とアニキが言って。「山さん大したもんだよ」とか言ってですね、毎日のように電話くれて、それで私結構たえられたっていうのがあるんですけれど。さっき言った、菅長官のオトコ気ね。アニキの。自分にお金がなくても、市議会議員に挑戦しようと思う若手に、やっぱり、秘書の時にせっせと貯めたお金を、ちっちゃい乳飲み子がいるのに持って行ってしまう。あとお金がそんなにないのに無理して背広を作ってしまう、こういうところが本当に菅長官のですね、本質だと思うんですが。
実は、安倍総理がああいうかたちで辞められたと。第一次安倍内閣では総務大臣として活躍をされて、本当に残念な思いをされたんだと思うんですけれど。その雌伏の時も、安倍総理の、一貫して安倍総理のカムバックを言い続けていたのも菅長官だったんですよね。
菅:そうですね。私はやはり色んな政治家を見ていて、安倍晋三という政治家が、やはりもう一度日本のためにですね、私は登板すべきだと、これはもうずっとそうですね。
山:ずっとそれを一貫して言っておられてますよね。皆さんさっき菅長官がですね、「万景峰号をあのときに止められるとは誰も思わなかった」というふうに仰いましたけど。今回、安倍総理が挑戦をしたと。本当に安倍総理がもう一回総理になれると思ってた人は、あまりいなかったですよね。
菅:少なかったですよね。ほとんどいなかったような感じがしますよね。
山:でもその時も、実は菅官房長官はじめ、いわゆる安倍応援団の人たちと5、6人で何度も集まって議論して、本当に今回、安倍総理はやるべきかどうかという議論をして、私は同じように安倍新派で、ずっと総理のこと損得抜きで一緒に応援してきたんで、私は最初慎重論だったんですね。「まだやっぱり国民はあのこと忘れてない」と。しかし長官は、やはり、「勝負するすべきじゃないか」と言ってですね。やはりああいうことになったんですけれど。あの時のことを振り返ると、よくしかし、二度目の登板まで漕ぎつけましたですね。
菅:まあ大変な状況で厳しかったですよね、皆さん。要はその、私も自分で進める限りにおいては、自分で世論調査もやりましたよね。非常に厳しかったんですけれども、ただやはり私は安倍晋三という政治家がですね、もう一度その国民の前に立つ、野党の総裁選挙ですけれども、次の総理大臣になる可能性が高いからですね。そこで総裁選挙を戦えばですね、必ずカムバックしてくれますから。安倍晋三というのは可能性出てくると思っていたんですよね。そこはもう信じてましたよね、ずっと。
山:で、菅長官が安倍内閣の官房長官になったと。別に番組に出ていただいてるから、お世辞を言うわけじゃなくて。菅長官で本当に良かったと嘘の吐けない私は思っていまして。やっぱり官邸に入る、総理の近くにいる人の条件ってあると思うんですね。まず「ペラペラ喋らないこと」「大事なことをリークしないこと」。今日は親方を始め、番記者の方々もいるんで申し訳ないんですけれども。本当に国益上大事なことをリークしないっていうこともある。それから…。
菅:今ね、私ね、北朝鮮のことで、毎日ね、質問受けているんですよ。「事柄の性質上、お答えは控えさせていただきます」とずっと言い続けています。
山:これも大事なことで、ノーコメントということで、別に直滑降ストリームに来たから違うことを仰るということはないんで、とにかく余分なことはリークしない。それから、自分のために、例えば総理の時間をとるとか、自分のために、人に会わせるとか、こういうことは絶対にやっちゃいけない。これは3つの条件と言われているんですが、安倍内閣にはそういう人が誰もいなくて本当に良かったと思っていますけれども、やっぱり官房長官がそういう姿勢でいるということは皆分かっているんで、本当に官房長官で良かったと思っているんですけれども。いかがでしょうか、私のこのコメントに対する。
菅:いや、やはり閣僚の人たちが皆協力してくれてますよね。ここはやはり一回失敗していますし。それと、自民党は後もうないし、もっというと、もう日本が後もうなかったんですよ。ですから今回、やはり皆さん、一つになって戦っていかないとですね、やっぱりこの国はもう終わりかなという思いぐらいまで日本は追い込まれていたと思いますよ。
山:官房長官が、閣議の中身は外に話しちゃいいけないんですけども、「とにかく発言には気をつけてくれ」って言ったときに私の方に向いて言っていたので、ちょっと気になったんですけど。私は不注意そうに見えて、かなり慎重で。ま、時々ご迷惑はかけますが、直滑降ストリームも大変慎重にやっています。で、あっという間にもう時間になっちゃいまして。
ここからちょっと政策に行きたかったんですが、今日はとにかくやっぱり、菅長官がどういう人か、もちろん皆さん、菅長官、癒し系で、ガースー長官で人気があると思うんですけれども。やっぱり本質の部分を知らない方が多いんで、ライフストーリーのほうにですね、ちょっと重きを置かしていただきましたが、最後にお聞きしたいと思うんですね。安倍内閣の最大の課題、官房長官としてどうお考えになっているのか、それから、これから参議院選挙を迎えていくわけですが、どういう姿勢でこの選挙に臨んでいくべきなのか。これについてぜひお聞かせ頂きたいと思います。
菅:やはり私たちの一番の課題というのは、日本は自信を取り戻すことじゃないですかね。やはり戦後、厳しい状況からこの経済発展を遂げてきましたよね。皆さん、この豊かで平和な日本にはなったわけですけれど、その中で失ったものってありますよね。そうした日本をですね、もう一度私たちは、原点に帰って取り戻すことだろうという風に思います。
それと、参議院選挙は、やはり今、掲げております、やはり経済ですよね。経済と東日本大震災の復興と、それと徹底的な危機管理。入閣の時にそれから言われましたよね。あれをやはり、もう一度国民の皆さんにしっかり説明をして、この国のあるべき姿というのをですね、やはり訴えていくべきだと思いますね。
山:ありがとうございました。ちょっとですね、お忙しいのに、時間が3~4分オーバーしてしまいましたが。ちょっと、菅長官に待ってて頂いて。「がーすー愛してる」とかですね、「もっといてくれ」とか、「ガースーファミリー激増」「ありがとう」「仲良くしてください」「延長だろう」、色々あるんですけれども、この反応ですから。本当にありがとうございました。これでさらに直滑降ストリームのファンが増えたと思います。
長官、とにかく私も幸か不幸か、というか非常に幸せだと思っていますが、官房長官と一緒に安倍内閣の一員に加えていただいて、私も長官と同じように、この内閣が失敗すれば日本は終わりだと思っていますから。緊張感を持って、不注意発言はしないように一生懸命やりますので、これからもぜひ、しっかりとご指導いただきたいと思っております。
菅:こちらこそよろしくお願いいたします。
山:本当にありがとうございました。それでは皆さん拍手で長官をお送りしましょう。すみません。ありがとうございました。すみませんでした。
菅:すごいですね。
山:まだちょっとアレがあるので。どうぞ。残りのやつを私からアレしますので。
菅:すみません。
山:すみません。本当にすみませんでした。
山:はい、今親方を始めとするバンキシャの皆さんも菅官房長官と一緒にこの部屋を立ち去ったところですけれども、いかがだったでしょうか。菅義偉官房長官は本当に多忙なんです。それでも本当に二つ返事で「山本さんが言うなら」ということで直滑降ストリームの出演を引き受けていただきました。もうちょっと政策のことを聞きたいという方もいらっしゃったかもしれませんけれども、今日は、なかなか、テレビでも新聞でも雑誌でも見ることのできない官房長官の本質、それはですね、ガースーファンの皆さんに伝わったのではないかなというふうに考えております。
さて、直滑降ストリーム、ゲストとのガチンコ対談を終えて、いつものように質問タイムに入りたいと思います。
あの伝説の七尾記者もいるんですが、今日は質問タイムに入る前にですね、ちょっと皆さんにお見せしたい動画があるんですね。この直滑降ストリームでもユーザーの皆さんからちょっと話題になっていた、北方領土問題啓発のゆるキャラ。エトピリカという鳥にちなんだ、エトピリカという鳥をモデルにした、エリカちゃんというゆるキャラがいまして。これ、エリカちゃんなんですけども、大きいゆるキャラもいつかここに連れてきたいと思うんですが、実は、このエリカちゃんの、ゆるキャラのですね、シンプルな動画ができました。
今日からフェイスブックにですね、アップされていまして、後でそのフェイスブックのアドレスもここに載せたいと思うんですけれども、まずエリカちゃんの動画を2分、これを皆様にぜひ見ていただきたいと思います。
(動画流れる)
山:はい、エリカちゃんの動画いかがだったでしょうか。ちょっとこう、ほのぼのタッチで作ってみました。極めて真面目な試みです。やっぱり、ユーザーの皆さんからとくに興味を持ってもらわないと。とくに若い方々からも「動画だ!」ということで興味を持っていただかないと、なかなか啓発が進まないんじゃないかと思って。第一弾、この、ほのぼのエリカちゃんということで。さらに進化をさせていきますので。ぜひユーザーの皆様もですね、このゆるキャラアニメ、エリカちゃんの進化に注目していただきたいと思います。
さて、今週もフライデーナイトでお送りしていきました。直滑降ストリーム、いよいよお別れの時間が近づいて参りました。恒例によって、最後は山本一太のオリジナル曲で閉じさせて……。え? あ、そっか、ごめんなさい! 歌よりも質問でした。大変失礼いたしました! この歌のためにやっているわけじゃありませんので。失礼いたしました。それでは恒例の、七尾記者からの、ユーザーの方々を代表しての質問を受けたいと思います。
七尾(以下、七):七尾です。大臣ありがとうございます。なんか今日の番組はすごい「神回だ」、神の回ですね、「神回だ」というユーザーのコメントが多いです。ありがとうございます。質問なんですけど、今日は実は私もですね、実は若干やりにくくてですね、いつも官房長会見でいらっしゃる記者の方々が同席されていたのでちょっと緊張しました。ありがとうございました。まずあれですね、やっぱり気になるのは二井宏さんだと思うんですけれども。なんか山本機関の、危機管理の官房長官も言われていましたが山本機関の力っていうのはすごいんですが、どうなんでしょうか。
山:山本機関としては大変申し訳ないのですけれども、二井宏さんの正体を突き詰めるまではですね、これは活動せざるをえないということで、まあうちのウェブマスターに本気でやりすぎるなと怒られていますから。宇佐美さんという大事な私の親友でウェブマスターにですね。それに気をつけつつですね、やはり粛々と探していきたいと。今回もまた同じことを申し上げますけども。
ちょっとブログにも書いたんですけれど、人間は気がゆるみますから。私は何年でも追いかけるわけなんで。一回直滑降がロックオンしたら離しませんから。ぜひその前に名乗り出ていただいて、この直滑降ストリーム、とくにこのニコニコ動画の公式放送で、ぜひ今回のことについてですね、堂々と議論しようじゃありませんか。このことを二井宏さんに、今回も、今週もこの番組を通じて、訴えかけたいと思います。
七:はい、ありがとうございます。あと、もうひとつ質問が来ておりまして、7つの顔をもつ大臣、宇宙政策担当。これに関しまして、政府がですね、その大型の人口衛星などを打ち上げる主力ロケットでH2Aロケットがありますが、その後継機の開発に来春から着手するという情報があるんですが、これはいかがでしょうか。
山:一部そういう報道が出てるんですが、まだ正式決定したわけじゃありません。ただ、ロケットについて言うとですね、すべて民間でできるかというと、これはたとえばその、ロケットを発射する回数、全体のパイも限られていますから、そこはやっぱり戦略的に国がサポートするという考え方もあると思うんで。いま宇宙戦略室のもとに設けられた宇宙政策委員会というのがあるんですが、そこではかなり前向きな方向が出つつあるということで、私もそれをよく見ながら政府として判断していきたいという風に思ってます。
七:今週はそんなかたちです。ありがとうございます。
山:ありがとうございました。それでは皆さん、このためにやっているわけじゃありません! 今回もですね、恒例によって、山本一太のオリジナルソングでこの直滑降ストリームを閉じたいと思います。ほのぼのエリカちゃんの動画も見ていただきましたので、今日も癒し系の菅官房長官に出てきていただきましたが、癒し系のラブソングで締めくくりたいと思います。山本一太オリジナルソング「素顔のエンジェル」。聞いてください。
山:はい、素顔のエンジェルいかがだったでしょうか。実はちょっと皆様にひとつ言い忘れてたことがありました。来週24日金曜日の夜、直滑降ストリームには古屋圭司拉致担当大臣が登場する予定です。そして27日、ちょっといつもと違って金曜日じゃないんですけれども、火曜日でしょうか、確か、月曜日でしょうか。月曜日の夜は岸田文雄外務臣、このスタジオに足を運んでいただくことになっております。直滑降ストリーム、これからもガンガン飛ばして参ります。来週もぜひアクセスしてください。それでは皆さん、良い週末をお過ごし下さい。ありがとうございました。
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