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出資本主義社会 〜カリスマ起業家からの自己変容ストーリー〜(全6記事)

投資家が出家してようやくわかった、お金の「魔力」 「もっと欲しい」の欲求がなくなって気づいたこと

まだあなたが気づいていない「未知なる可能性に気づく体験(Transformative Experience)」を提供するプラットフォーム、ヒューマンポテンシャルラボが開催するウェビナーに、ジモティーやグルーポンなどの創業を率いた元投資家兼シリアルアントレプレナーで、インドで出家した小野龍光氏が登壇。出家前の身勝手さや苦悩や、未来でも過去でもなく「今」と向き合うことの大切さを語りました。

出家前の身勝手さや苦悩

小野龍光氏(以下:小野氏):先ほどお話しした10月の大改宗祭というイベント。1年で一番大きな仏教徒のイベントがあると知らずにこの旅行に行き、そのナグプール(大改宗祭)に参加した。初めて会った佐々井さんに何度も「お前は坊さんになるんだ。これ(大改宗祭)で得度するんだ」と予言のようにおっしゃっていただいた。

こんな縁があって得度に至りました。その時の映像もYouTubeにありますが、日本と同じで、坊主頭にして宗派によって衣をいただき、龍光というありがたい名前もいただきました。

そのあと、佐々井さんは一度倒れて、亡くなりそうになりましたが、最初にもらった衣よりもいい衣をくれるとうかがっていたので、病院からようやく戻った佐々井さんに(衣を)おねだりして。出家しても未だに欲まみれ。

胸が詰まる思いですが、このような恩をいただいて、生まれ変わることができました。

得度前は、いろんな悩みがありました。数字に対して結果を出しても、「もっともっと」とキリがない。結果が出せない時は自分が無価値のように感じる。そして数字を求める中で、どんどん自己中になる自分がいる。周りの人間に対して傲慢になったり、人に対して優しくない言葉をかけたり。効率ばかりを求めて穏やかでない心で、周りに対して優しくなくなっていった。

もともと自分はモノをあまり持たない人間ではあったんですけど、資本主義の中で新しいものを作っては捨てて、ゴミまみれの地球を作っていないかとか。ソーシャルメディアの功罪でもありますけど、数字で簡単に比較をして、永遠に人との比較に苛まれる自分がいたり。いろいろな悩みを持っていました。

当然得度してすべてがなくなるわけではないんですが、ずいぶん考え方は変わりました。得度とは「1回死んで戒名をいただいた」という考え方ですが、佐々井さんがやっていらっしゃるように自分も生まれ変わろうと思いました。

1回死んだ人間で、お金も名声も全部ゼロリセット。ずいぶん恩をいただいて生きてくることができたので、今後はとにかく恩返しをする。利他、他人さまのために生きていこうという今の心持ちになってから、ずいぶん気づきがありました。

「もっと欲しい」の欲求がなくなって気づいたこと

小野:モノも今は(スライドの)これしか持っていません。

犬は持っているものではないんですが、ほとんどのものは捨てました。服も今着ているこれと黒い袈裟だけです。パンツもTシャツも4枚だけです。

お金も今40万円ぐらいまで減ったんですけど、上限を設けました。もともと108万円を一生分のお小遣いにしたんですが、多すぎるなと思いました。南無南無というダジャレですが、76万7,600円以上に増えたらすべて誰かに送る。佐々井さんにも送らせていただきました。

モノもお金も持ちすぎない。あるものだけでやっていく。こういう生活をするといろんな気づきがあります。当たり前のことですが、永遠の成長なんてもともとなかったよなと。物理でも習っていなかった。般若心経でも不増不減とあります。

命も、必ず老いていつか死ぬんだから、慌てなくても大丈夫。残りの時間はわからないけど決まっているんだし、急いでもしょうがない。どうせ死ぬ時は全部灰になる。肩書きや名声なんて、灰にすらならないんですね。

銀行上の数字なんて持っていても灰にもなりません。でもお金ってすごく強い魔力を持っている。このあたりも得度してようやく自分なりに少しずつ見えてきました。

自分の体や持ち物もそうですけど、すべて地球上の元素が集まって、分子が集まってまた戻ってくる。いわば借り物にすぎませんよね。人との比較も無意味で、生きられるのは自分の人生しかなくて、比較なんかしてもしょうがない。

あと、ずいぶん体重も減ったんですが、毎食毎食に対するありがたみも変わりました。自分たちは日々誰かさまの命をいただいて生きながらえているという、当たり前のことに気がつかされたことも大きかったです。

今までいかにもっと欲しいと言ってきたか。もっと数字が大きい方がいい、もっと若く見える方がいい、もっと名声もある方がいいと求めていた。ないものばかり求めて、キリがない苦しみに苛まれていたんですが、今は「ある」ことがありがたいじゃないかと考えています。

「ありがとう」は「有る」ことが「難しい」と書くわけですが、あることに対して「ありがとう」の気持ちが増えました。感謝が増えることによって、日々の幸せと言いますか、おだやかさを取り戻すことができましたし、時間に対しても同様で慌てることがなくなって、非常にゆったりとした生活を過ごすことができております。

これはもともと得度前から考えていたことではありますが、あらゆる状況に対してケチをつけることも、おもしろいと捉えることも、全部自分の心次第なわけです。そういった何事も限られた時間の中で楽しんでいこうという考え方も、ずいぶん強くなったことが得度後の気づきです。

未来でも過去でもなく「今」と向き合うことの大切さ

小野:今日のこの場もそうですが、今は少しでも誰かさまの役に立つと言われれば、参ってお話しさせていただいたり。今日もお金はいりません。交通費ぐらいはいただければいただくこともありますが、そんな生活をやらせていただいています。

(スライドの)これはソクラテスの言葉です。

金や名誉ばかり考えるのではなく、魂を磨きなさいと。もちろん彼は仏教徒ではありません。たまたまソクラテスさんは、仏陀とほぼほぼ同じ世代というか、同じ時代を生きているんですが、同じようなことをおっしゃっています。

(スライドは)「そんなことはわかってるよ」という方が大半かもしれませんが、自分なりの気づきや考えを少しまとめさせていただきました。

もし今の世の中が曇って見えたり、汚れて見えると思ったら、ひょっとしたらそれは自分の心が汚れているのかもしれません。埃をかぶっているかもしれないという思いを持つようにしています。

そしてどんな状況であっても、自分の心次第で見方は変えられる。今晩隕石が落ちて死ぬかもしれませんし、いつまで命があるかはわかりませんが、限られた人生だったら、せっかくだったら心楽しく、仲間と支え合っていきたいというのが今の心持ちです。

最後に、自分自身はどこかの道場に入っているわけではありませんが、自分の一言一言の発言や、一息一息、一歩一歩、すべての生活が修行になりうるという捉え方をしています。

その中で自分自身に常に言い聞かせているアンチョコ。ついつい未来のことを考えてあれこれ悩んでしまうんですが、未来はまだ来ていないのでわかりません。過去は過ぎ去ったことなので変わりません。できることは今この瞬間にどう向き合うかということだけだと思っています。

ありがたいことに、これは仏教経典にもちゃんと書いてあります。何かに囚われたり、貪られたり、怒りが生まれたり、他人を軽んじたりする心が、たやすく生まれるのが人間ですが、今の自分に集中するための手段として呼吸に集中して、心を集中する。

自分の心を見つめることで、悪しきことを避けることができやすいし、良いことをしていきやすい。そしてすべてに対する感謝が生まれる。これが自分なりの心持ちです。こんなことを日々考えながら、時にここから外れそうになりながら生きています。

ソーシャルアカウントをすべて消してしまったので、Twitter、Facebook、どこから連絡いただいたかは覚えてないんですが、今日も山下さんから連絡をいただいてこのような場にあるということで、簡単ではありますけども、お時間をいただきありがとうございました。

山下悠一氏:ありがとうございます。長いストーリーを短くまとめていただいて恐縮です。

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