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音楽で人が集まる街(全3記事)

「街に音楽を戻す」ため、日比谷野音の“暗黙のルール”を覆した 亀田誠治氏が展望する、これからの日本の音楽シーン

新型コロナウイルスによって国際観光がストップし、2019年には4.8兆円あった市場が消滅したことで、インバウンド業界は遭遇したことのない嵐の中にいます。今回のインバウンドサミットのテーマは「日本の底力」と題し、観光の枠に囚われない日本が持つ底力、可能性を多様なメンバーによって議論しました。本記事では「音楽で人が集まる街」のセッションの模様をお届けします。

海外と比べて圧倒的に少ない、日本の“日常の音楽体験”

佐藤明氏(以下、佐藤):亀田さんが最初に「(音楽の種類や音楽の世代に対するアンテナを)日本は抑えちゃっている」とおっしゃっていましたね。

亀田誠治氏(以下、亀田):「亀田さん、証拠は何なんだ」と言われたらちょっと困るんですが(笑)。「実際に音楽が鳴っている」ケースと、「『音楽が鳴っていて当たり前』ということを受け入れている」という景色が、日本は圧倒的に少ない気がするんです。

佐藤:例えば海外とストリートミュージシャンの数を比べると、たぶん日本は少ない。少なくとも、東京は少ないかな。

亀田:しかも、例えば日本のストリートミュージシャンって、どこかカウンターカルチャーに引っ張られちゃっていますが、もっと自由でいろんな音楽があってよくて。よくあるのは、海外だと急にみんな踊り出しちゃったりする。

志村季世恵氏(以下、志村):そうそう。

亀田:ね、するじゃないですか。しかもいわゆるダンスミュージックじゃなくて、若者も交じってワルツやポルカを本当にうれしそうに踊ったりすることもあったりして。

わびさびを捉えながら表現していったり、日本で暮らす僕たちの良さも本当に素晴らしいところもいっぱいあるんだけど、どこかで1個だけゾーンを作りたいなと思っていて。無理やりこじつけるわけじゃないんですが、音楽を受け入れていくと、最終的には人と人との距離を縮めていくようなきっかけになるような気がしています。

コロナが明けていくことを前提としていて、たぶん明けていくと思うんですが、大前提として日本人の心が文化に対してもっと開いていると、「日本だから邦楽だ」「歌舞伎だ」といったことだけではなくて。

日本人が日常の中で鳴らして聞いて・歌っている音楽を、例えば海外から来てくれた人たちに、街になじんだ音楽として違和感なく受け入れてもらえるようになるといいなと思います。しばらくかかるかな? とも思ったりもしますが。

志村:でも、昔のほうがそれがあったと思うんですよね。

亀田:なるほど。

志村:私が若かった頃のほうがあって。

日比康造氏(以下、日比):今でも若い。

志村:ありがとうございます。

亀田・日比:(笑)。

志村:じゃあ「幼かった頃」って言ったらいい?(笑)。

音自体を制限する日本の風潮

志村:電車の中でも、人の声もあんなに静かじゃなかったんですよ。今は音自体を制限するというか。

亀田:わかる、わかる。

志村:あるでしょう。だから、赤ちゃんが泣いてもいけない感じになっちゃっているし、子どもの笑い声もちょっとノイズに感じちゃって、そんなことは絶対にないのに、音楽の要素を全部閉じ込めちゃっているのかなと思ったりしています。

海外に行くと、電車や街の中に「スマホをするな」「携帯電話を使っちゃいけません」なんて書いてないでしょう。学校みたいに「大きなお世話」なことは書いていない。スペインなんかに行ったら、電車の中に突然アコーディオンの人が出てきて「なんか弾いてるぞ」と思ったり。

亀田:(笑)。あるある。

志村:ヨーロッパやアメリカもそうなんでしょうが、いい意味で音楽や音を出してオッケーになっている。昔はもっと多かったと思うんだけど、小学校でも地域でも盆踊りが盛んだったんですよ。だけど、今は盆踊りするところが減ってきちゃっているんだって。街並みの中で「遊ぶ」というカルチャーが減ってきているんだろうなって。

そういうものを、もう一回「良かったんだな」と私たちが取り戻していくプロセスになるのかなと思っているんです。コロナの時にテレビやYouTubeをいろいろ見ていて、マンションで暮らしている人たちが窓を開けてみんなで音楽をしていましたよね。

亀田:イタリアとかニューヨークでありましたね。

志村:本当に感動したんだけど、病院の前でみんなで歌を歌ってあげたり、働いている人たちもそれで元気になるとかね。日本だってそういうのをやってもぜんぜんオッケーなんだけど、「やっちゃいけないんじゃないかな?」という思い込みがあって、今はそれを取り除く時期だなとすごく思っています。

日比谷野外音楽堂の“暗黙の了解”を変えた亀田氏

佐藤:亀田さん、今までは金曜日の夜って日比谷音楽祭をやっちゃダメだったんですよね。今の話で言うと、あれをやったのはすごく前進じゃないですか?

亀田:そうなんですよ。日比谷野外音楽堂、通称「野音」は、周りに官庁街があったり、周辺施設への配慮ということで、土日祝日しか使えなくて。「環境確保条例」というものがあるんですが、デシベル数が昔取った数字のまんまで、暗黙の了解で「そこは触れちゃいけないゾーン」という感じで放置されていたんです。

街に音楽が戻ってきて、さまざまな人が日常の中でちょっとでも音楽に触れる機会が増えていくといいなと思って。拍手が大きいと規制の音量を超えちゃったりとかするので、「拍手はここまでね」なんて音量調査をして、ディレクションもしながら今回試験的なコンサートをやったんですが、これはすごく意味のあることです。

さっき佐藤さんがおっしゃっていましたが、大きな前進なんだけど、一歩間違えると「不要不急」と言われちゃったり。さっきのカウンターカルチャーじゃないけど「騒音だ」「たまっているものを吐き出しているんじゃないか? そのための手段じゃない?」とか、どこかまだ偏見もあって。

音楽とは、本当はもっとまっさらなところから生まれている、生きるための心の声であったり、人の心を癒やしていったり、みんなと1つになれるものなんだけれども、ずっとそこに1枚の壁がある感じがしていて。今、ちょっとずつ風穴を空けようとしていて。東京都やさまざまな人たちが関わりながら、少しずつ取り組んでいます。

街中では閉ざされている、オープンな「音楽」の楽しみ方

亀田:これ、本当に難しいんですよね。僕らは音楽が好きだから、街で鳴っている鐘の音や音楽をうれしいと思うけど、やっぱりそうじゃない人もいて。

さっき季世恵さんが「電車の中も静かになっちゃって」とおっしゃっていましたが、赤ちゃんが鳴くと「うるさい」ってなっちゃったり、昔は違ったところが今はどんどん閉じる方向になっている中で、ちょっとずつ開くきっかけを作っていきたいと思っているんです。

そのためには根気良く、こちらの言い分だけだとダメなので周りの人たちの意見も取り込みながら、僕らの持っているノウハウや技術を提供しながら、時代に即してオープンに、日比谷音楽祭としてできることをちょっとずつやっています。

いつまで経っても「このサイズの音量でしかできない」「平日の音楽は禁止だ」って、1970年のビートルズのゲット・バック・セッションじゃないんだから。あれから50何年経っているんだからもういいじゃん、みたいな。

日比:(笑)。確かにな。

亀田:お巡りさんが来て、ゲット・バック・セッションを「うるさい」って言っている人に対して「まあまあ」と言ったり、結局はお巡りさんも乗り込んでいったりとか。

喜んでいるおじいちゃんおばあちゃんもいれば、「騒々しくてなんだかわからない」という人もいる。53年前にあった、そこの会話までも行けてないような感じがしちゃって、なんとか開いていきたいなと思いますね。

インバウンドの観点でも、地域の「音」は大事な要素

日比:そもそも論なんですが、今回のセッションの主題に戻ると、ここに登壇している4人の方々は「そもそも音楽が好きだ」という好きな側としてお話ししてますが、街にたくさん音楽があふれるような国になると、旅行者の人たちはうれしいんですかね。日本にそれが求められているのかな? というのを、あらためてみなさんに問いたいんですが、どう思われますか?

亀田:僕は喜ばれると思いますね。しかも、あるがままの日本の音楽でいいと思います。

日比:そこですよね。

志村:私もそう思うな。京都とかに行ったら、どこからともなく三味線の音が聞こえてきたりするじゃないですか。沖縄に行くと三線の音楽が聞こえてきて、海岸にいても誰かが練習していますよね。あれもすごくすてきで、「ああ、旅行に来たんだな」とその場所で感じられる。

弘前に行くと津軽三味線を弾いている人もいたりして、街や地域の音はあるんだなとすごく思うんですよね。それは日本を知る上ですごく大事な要素じゃないかなと思うんです。

じゃあ、例えば渋谷はどうなのか。渋谷へ行くと、若者たちもお店もみんな音楽を鳴らしているけど、「これは日本の中の一部なんだな」と感じたりするじゃないですか。だから、いろんなところに「らしさ」があるんじゃないかなと思ったりしますけどね。

アニソンから伝統的な音楽まで、日本ならではの「ごちゃっと感」

日比:なるほどな。佐藤さんはどうですか?

亀田:渋谷や原宿、あとは最近だと新大久保とかで、むっちゃくちゃ今の音楽が流れていて。韓国の音楽とかもいっぱい流れているんですが、それもあるがままの日本の音楽の状況のような気がしていて。

日本だと、人格がVTuberやアニメとかになっているような音楽も流れているし、さっき季世恵さんのおっしゃっていたような、ドメスティックで伝統的な音楽がかかっていたり。そこのミクスチャーが均等に、包み隠さず全部提供できるといいのかなと思います。

佐藤:「ごちゃっと感」はいいですよね。この間日比さんに話したけど、一方で自分が海外に行った時の音楽って、ニューオーリンズからミシシッピ川、ナッシュビルやセントルイスへ行ったり、メンフィスからシカゴみたいな音楽の楽しみ方もありますよね。

あるいはニューオーリンズのバーボンストリートも「このストリートはジャズ、ブルースばっかり楽しめちゃう」みたいなのもありで、両方あるとすてきな感じがしますけどね。

日比:ニューオーリンズで急にバロック音楽だと「いや、別にここでその音楽は聞きたくないよ」とか。切り口を揃えてあるから、旅行者の人たちもそれを聞きにこられる。

さっき季世恵さんがおっしゃっていたように、沖縄には沖縄の、京都には京都の音楽が流れているから「京都に来たな」と感じる。秋葉原には秋葉原の音像が、渋谷には渋谷の音像があるんだと思うんです。

特に東京はそうですが、ストリートで何かをやるのにも許可が必要です。許可が通っても「何時から何時まで」と決められていて、音楽の後ろにそういう会議が少し透けて見えるような感じを受けると、ぜんぜん自由度を感じないというか。人の悪口を言っちゃいけないんですが。

もう少し自然発生的に、「やりてえからやってんだ。どう、これ最高じゃない?」というところに、街のグルーヴが出てくると思うんです。もう少し衝動的と言いましょうか、そんなことが街で起きてくると、切り口も揃ってくるのかなあと個人的には思うんですけれどもね。

日本の街に足りていないのは「ご機嫌」?

志村:「ご機嫌」を作ることは大事だなと思っていて。おうちの中で、お母さんの機嫌がいいと鼻歌を歌ったりしてご飯を作っていたり、「おはよう」と言うと歌を歌っているでしょう。それはお母さんだけじゃなくて、家族の人たちがみんなで「今日はいい日だね」と、ご機嫌を作っていっていると言うのかな。それと街も似ているのかなと思っていて。

日比:確かに。

志村:ただ音楽だけがあるんじゃなくて、笑顔があったり、「こんにちは」とか「ようこそ」が重なっていくことによって、いろんな意味で許容されていくことが多くなっていくのかなって。

日比:そういった意味では、日本は街がご機嫌じゃないのかな?

亀田:(笑)。

志村:うーん、どうかな。ご機嫌かもしれないけど、もうちょっとご機嫌を出したっていいんじゃないかな。海外では「ハロー!」って簡単に言えるけど、日本で「こんにちは」ってあんまり言えないし。

日比:今、日本ではあいさつするとびっくりされますものね。

志村:どっちかと言うとね。インバウンドだと、来た人に対して「ようこそ来てくれたね」と言うのはとても大切だなと思っていて。だから、音楽を聞く人も音楽をする人も、そこに交ざる人たちがそういう動きを大事にできたらいいなと思います。

世代を超えた音楽の楽しみ方

亀田:ちょっといいですか? YouTubeからコメントが来ていて。

佐藤:来てますね。

亀田:「来日公演の時に盆踊りの音楽を流して場がしらけた」という話を覚えています。日本って、国民が共有している伝統音楽みたいなものがない気がする。世代で好みが違うから好きじゃない音楽に聞こえてしまう」。あなた! 日比谷音楽祭に来てください! って感じなんだけど。

(一同笑)

志村:本当、本当。

亀田:ここに来たら「なるほど。世代が違っても好みの音楽がいっぱいあるかも」って思える。これも日比谷音楽祭の宣伝をしているわけではなくて、そういう場があったり、「いやいや、世代やジャンルじゃないよ。ちょっとこれ聞いてみなよ」と発信する人たちがたくさんいるといいですよね。

佐藤:それもあるし、アレンジを変えてみるとか。石川さゆりさんと布袋(寅泰)さんとか、違う世代の人と一緒に演奏をやってみると逆に楽しくなっちゃうとか。それは日比谷音楽祭でもガンガンやっているし、僕の『コトノハ』もわりとそういうコンセプトでやっているんですが、そういうのがあったりするといいなと思いますね。

亀田:「推し」って、近い推し同士だとぶつかり合っちゃうんだけど、推しと推しの距離があまりにも離れているとめちゃウェルカム、みたいな。「これ、いいかも」が起こると思っていて。

佐藤:そうですよね。ゴダイゴをEXILEが歌ったことがあったじゃないですか。じゃあ、今はもっと若い人たちが歌うとか、そういうのがどんどんあるといいですよね。亀田さん、コメントを拾っていただきさすがです。

亀田:気になりますものね。

佐藤:うん、気になる気になる。

“無菌の音楽”だけが流れていても意味がない

佐藤:さっきの話って、ぐるぐる回るような気がして。みんなどんどん人に厳しくなっていくんだけど、だから余計に「音楽を聴いてよ」というか。僕の世代だと、気がついたら満員電車で隣の若い人とかに「音がうるさい」とか、キレちゃったりするんですよね。そういう時に「キレる前に音楽を聴けよ」みたいな。

亀田:(笑)。

佐藤:「だって昔バンドやってたじゃん」とか。だから、みんながもっと音楽を聴いて五感に染みてくると、もうちょっと人に寛容になってくる。音楽ってそういう力があるから。力を入れてサイクルを回すわけじゃなくて、自然に回っていくようになったらいいなと思います。さっきの話のように、口笛、鼻歌はすごくいいですね。

日比:さっきの季世恵さんの「ご機嫌であることが、音が流れてくる大本だ」というお話にちょっと近いのかもしれないですが、僕は音楽も好きなんだけど虫オタクで、虫が大好きなんです。

例えば高層マンションとか、高気密でまったく他の生物が入り込まないところに1匹の蛾が入ってくるだけで大騒ぎになるし、ゴキブリ1匹で絶叫になるんだけれども、同じ人がたった3日間くらいキャンプに行くと、高気密のマンションの3倍ぐらいの蛾が飛んでいても、だんだんなんでもなくなってくる、というのに近いものが音楽にもあると思っていて。

完全に無菌の状態で、誰かがウォークマンでシャカシャカ音を聴いているとものすごく気になるけれども、街で大きなうねりの音楽が鳴ってたら、そんなこと1ミリも気にならない。

肉とか血とか、そういう肉感的で地球的なものに近づいていかないと、音楽も“無菌の音楽”しか流せなくなる。「ただ無機質な音だけが鳴っている状態」になっても、あんまり意味がないのかなと思うので、人と人との距離が近くならないとなと思ってます。まとまっていない話でごめんなさい。

佐藤:一番最初におっしゃった、「お店の中で自然と流れていて」という話と通じる話ですよね。溶け込んでいるというか。

日比:そうかもしれないですね。

佐藤:そうだよね。

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