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吉岡秀人氏・青島矢一氏・米倉誠一郎氏による鼎談(全4記事)

家族で行ったキャンプ場に再び泊まる夢を実現し、翌朝他界 小児がんの子どもと家族を支える、医療NGOの取り組み

四半世紀にわたるミャンマーでの無料診療などその無私なる姿勢が注目され、『情熱大陸』ほかメディア出演も多い小児外科医の吉岡秀人氏が、一橋大学一橋講堂で行われた「ソーシャル・イノベーション・セミナー」に登壇。本記事では、一橋大学イノベーション研究センターの青島矢一氏や一橋大学名誉教授の米倉誠一郎氏との鼎談の模様をお届けします。小児がん患者と家族への医療者の付き添いや、災害避難所への看護師・保健師の派遣、そして吉岡氏がいつも瞬間に決断する理由などが語られました。

医療者が付き添う、小児がん患者と家族の旅行

米倉:もう1つ、たぶんわかりづらかったと思うのは、日本の小児がんの制度。あれは旅行とかどこかに行く時には、医者や看護師が付いていかないといけない?

吉岡:何が起こるかわからないじゃないですか。特に末期の子は、その場所で突然急変することもあるんですよね。いくら覚悟ができているとはいえ、旅行先で亡くなると家族も動揺します。

診ている病院としては、それから連絡が来てもストレスですよね。まあ病院側にも、人が最期に死ぬ時は病院で安らかに、という考えもあるのかもしれないんですけど。そういうのがあって、外で何かあったら病院の責任になるかもしれないわけです。だから許可が出なかったんですよ。

だけど、医療者が付き添うことによって、それを早くキャッチしたりできる。実際にこの前、神戸、姫路に行った子は、まだ小さい頃、お父さんとお母さんが離婚する前だったと言っていましたが、「家族で一緒に行ったキャンプ場に行ってベッドで寝たい」と言って。お父さんと子どもときょうだいで、そこに泊まって一緒に寝たんです。そこで朝亡くなっていたということがありました。

そういうことも起こるんですね。だけども、小児科の医者も旅行に、付き添っているから、ちゃんと病院に連絡もいって、最善のことができるわけですね。そういう保証がないと、やっぱり病院は許可を出せないですよ。

米倉:聞きたかったんですが、ジャパンハートはその時にどんな役割を果たしているんですか?

吉岡:患者の子どもたちは、主にがんの拠点病院の患者たちですね。ジャパンハートは、例えば小児科医と看護師、あるいはボランティアの人を出すんです。その人と家族が一緒に旅行だったりに……。

米倉:行くと。そうすると、そのお母さんたちは、この子を最後の旅に連れて行きたいと、病院に申請するんですか? それともジャパンハートに申請をする?

吉岡:ジャパンハートにまず来ますし、病院の先生に相談してから来る人もいます。こちらに来たら、病院のほうに僕らから連絡します。リスクを減らすためにですね。そして、病院と連携を取る。

例えば、大阪の子が東京に来た時に、何かあったらどこの病院に搬送したらいいですか、というところまで全部相談して、決めて、その搬送先の病院にも連絡をします。という感じで、比較的万全な体制を整えながら、旅行を完遂していく。

米倉:なるほど。海外でやっている事業と、国内でやっている事業は、そういう小児がん専門の、派遣や付き添いとかをやっている。

吉岡:そうですね。

災害時の避難所への看護師・保健師の派遣

米倉:他にも何か国内でやっているお仕事はありますか?

吉岡:今は災害緊急救援を。

米倉:あ、そうか。コロナもそうですよね。

吉岡:コロナもそうですけど。たぶんみなさん、最近何回も災害が起こっているからわかってきたと思うんですけど、災害の時は、必ずどこでも避難所ができるじゃないですか。例えば、「DMAT(災害派遣医療チーム)」という組織がありますけど、DMATはそんなに長期間いらない。アメリカとかブラジルとかと違って、日本はすぐ近くに病院があるから搬送できてしまう。

そうすると、災害の本当にごく初期はDMATみたいな組織が必要かもしれないですけど、中長期になると、あくまでも避難所生活がメインになってくる。そこで一番必要なのは、看護師と保健師だったりするんですね。ここを補填できる組織がないんですよ。それを今僕らがやっています。

ふだん東北のほうにいる人、山形とか新潟の県境にも、人が足りなくてあっぷあっぷ言っている病院があるので、ふだん看護師さんにそこに行ってもらっています。で、何か災害があったら、例えば勤務の予定の最大で3分の1の期間だけ抜けさせてください、と。

6ヶ月働く予定なんだけど、もし何かあった時は勤務予定が6ヶ月の場合は最大2ヶ月、抜けさせてください。その間の給料はジャパンハートが払うので、病院は払わなくていいです、と。ふだんはへき地や離島に張り付いてもらって、何かあった時にそこから招集して、災害現場に行ってもらっています。

吉岡氏が目指す、看護師が全国をまたぐ仕組み

青島:がん患者の方に付き添うとか、災害のあったところに行くとか、ものすごく需要が多いと思うんですよね。そうすると、需要側とジャパンハートの供給側でいうと、どんどん需要側のほうが膨れ上がりそうな気がするんですけど、そんなことはないんですか?

吉岡:コロナの時は全国あっちこっちでクラスターもあって、けっこう需要がすごかったので、もう追いつかないですね。一番被害のひどいところから優先的に派遣を出すしかないんです。

だけど、まあ現地の看護師さんたちもいるので、わかっている人間が1人、2人入れば済んでいくし。ちょっとコントロールできたら次の場所に移っていく感じで、今はなんとかやっています。

最悪の時は、海外から呼び戻して、張り付けるようにはしています。東北の時もそうだったし、クラスターの時も、海外から呼び戻して、その人たちが行っていました。どこまでやることを広げるか、というのはあるんですけど、一応、僕が思っていることがあります。看護師が全国をまたぐような仕組みがないんですよ。それをジャパンハートで作ろうよ、と話をしています。

そうしたら、ふだんは別に都内の病院などに人材をセットする。何かあった時に集まって助けに行く、という、社会のセーフティネットとしてのそういう仕組みを作っていったらいいのではないか、と話をしていました。全国をまたぐ組織にしてしまおうとは、思っているところです。

米倉:組織論としても考えているんですよね。

吉岡:はい、そうです。

オープンで透明な、ジャパンハートの組織づくり

米倉:そこがすごいなと思うんです。1つはその時に、国境なき医師団などは、英語ができないといけないですよね。先生のところはけっこう自由なんですよね? 誰が来ても体制ができる。

吉岡:そうですね。まあ、チームではドイツ人はドイツ語で、スペイン人はスペイン語でやっていますから。要するに、なんで英語をしゃべれないといけないかと言うと、一部の人はしゃべれてもいいんですけど、それは日本でそんなチームがないから、中が英語やフランス語になってしまうだけです。

日本でしっかりしたチームの国際医療団みたいなものができれば、その中は日本語がカルチャーだから、日本語と極端な話、現地語でやれる。まあ英語をしゃべれる人が数人いたら済む、という話になると思うんですね。それは、そういうチームがなかったということだと思うんです。

だから、日本語でいいよと言ってます。でも、英語をしゃべることができる人も増えてきている状況ですね。

米倉:何を言いたいかというと、3日からでもいいし、2日からでもボランティアに行ったらいいと、すごくハードルを低くしている。トランスペアレンシー(透明性)を高めるだけではなくて、組織の作り方がすごくオープンだと思います。そういう組織を作っているから、たくさん人が来やすいんですかね。

吉岡:そうですね。今は拘束されるのをみんな嫌がるんですよ。だから、非常に出る、入る。医局も含めて今までの組織の形態は、動物の細胞みたいだと、僕はいつも言うんです。細胞壁がしっかりあって、中に核があってという感じの。

だけど、これからは植物の細胞みたいに、細胞膜でいい。自由に通り抜け、入り出ていくような。それがこれからの組織じゃないか、そういう組織を作ろう、という話です。まあ核はしっかりしていないといけないんですけど、周辺はぼやけてどこが境界かわからないようにしてしまおうというのが、僕の感覚ですよね。

米倉:組織論者として聞いても、意外にいいでしょ。青島くんの専門は組織論ですから。

青島:組織論が専門ではないですが(笑)。でも、今回ワクチンを打つ時も、もう辞められていた看護師さんに来てもらったりしている。世の中にいるさまざまな能力のある人たちを、いかに無駄なくいつも糾合できるか。今言われたのはまさにそういうことだなと思います。すばらしいですよね。

米倉:ですよね。海外から呼び戻してしまうのもね。ちょっと想像がつかない世界がここで、グローバリゼーションをはるかに超えて起こっている。

「本当の決断は瞬間でやらないといけない」

ということで、せっかく会場に来ているので、吉岡先生にここは聞いておきたいということがあれば、質問を取りますよ。「質問は?」と言われたら、パブロフの犬のように手を挙げる。はい、どうぞ。

質問者1:本日は貴重なお話ありがとうございます。私は米倉先生が主催するソーシャル・イノベーション・スクールに在籍してる高校生です。本日の吉岡さんの話を聞いて印象に残った部分が1つあるので、そこについて質問させていただきます。

冒頭に「人間には無限の可能性があると信じていたけど、周りに反対された。でも、自分の可能性を最後まで信じて医学部に進んだ」というお話がありました。そこからたぶん、吉岡さんの今の人生ができているのではないかなと私は思うんです。

吉岡:はい。

質問者1:その吉岡さんが当時自分の可能性を信じて良かったこと、あるいは後悔したことがあれば、教えていただきたいです。

吉岡:はい。どうぞ座ってください。人間だから、生きることは「生老病死」で、言ってみればつらいことばっかりじゃないですか(笑)。後悔もあるし。後悔というのは、どうせここにたどり着くのなら、躊躇なんかしなければよかったと思っているんです。

若い時はビビってやらなかったこととか、やらないといけないとわかっていても先延ばしにしたことがたくさんあって。あれをもうちょっと巻いておいたらよかったなと思います。そうしたら、今もうちょっと高い山の上にいるんだろうなと後悔しているんです。

医学部に行こうと思った時になぜそれを否定しなかったかのかは、今でもはっきりしています。いろんなことがその後も続いて起こるんです。徐々にですけど、例えば、手術を始めた時のこととか、患者を日本に連れてくる決心をしたこととか。

その度に僕は、いつも決断を瞬間にしているんですよ。日本語には「間」という言葉がありますよね。間を空けるの「間」。この「間」って、時間とか空間の間を指す言葉ですね。もともと日本語は音しかないから、「間」という言葉ですね。

この「間」は、魔境の「魔」、悪魔の「魔」に通じるんです。間を空けると、やっぱり迷う。間に酔っ払うことですね。で、間違う、そうじゃないですか。

米倉:「魔が差す」と言いますしね。

吉岡:そうなんですよ。だから、僕はずっと、本当の決断は瞬間でやらないといけないと思っているんです。

人生の豊かさにもつながる「直感の声」

吉岡:じゃあ、僕が思っている、このパッションを伴った瞬間的なひらめきや決断は何か。乱暴な言い方をすれば、理性の声が左脳の声だとすれば、瞬間的なひらめきは左脳と右脳を全部合わせた全脳の声だと思っています。

悟りを得る時に、例えば、ぱらぱらと落ちる葉っぱを見て悟る人もいるじゃないですか。すなわち、それは最後のトリガーであって、別に悟りとは本質的に関係はない。でも悟りに至るまでに、最後のひとひらのトリガーが必要だったんですね。

その時パッと悟るんですけど、僕はひらめきはこういうものだと思っています。要するに、僕が生まれてまだ物心ついていない頃、見たもの、聞いたものを言語化できない時からの、いろんな情報が全部僕の脳の中にしまってある。それはふだん取り出せないからわからないんです。

そこに、例えば何かの情報、僕にとっては葉っぱの代わりに、(大学案内の本の中の)医学部のページだったのかもしれないです。パッとページを開いた瞬間に、僕にとってはそれが最後のひとひらだったわけで。それで、パンッと「医学部行こう」「行かないといけない」と思った、ということだと思うんですね。

それを、僕は「直感の声」と言っています。僕にとってこれは全脳の声であって、少なくとも今僕に出せるベストな答えだと思っているんですね。それを今ひらめいた。これは言葉を変えて言えば、「今を信じられるかどうか」ということだと思うんです。今を信じられないと未来なんて開けないのは当たり前で。

その答えが目の前の問題を解決するかどうかはわかりませんが、少なくとも、僕に出せるベストな答えであることは確かで。それを信じられるかどうかだと思うんですね。そして、それを信じ続けたほうが絶対に、理性だけの声に従って生きていくよりも、僕ははるかに人生が豊かになると思っています。衝動とかひらめきとか、そういうのは常に瞬間的に決断して動くようにしてきたんですよ。そういう感じで生きてます。

米倉:なるほど。高校生にわかったかな? ちょっと話があちこちいったけど、まず自分の直感を信じて行け、どうせここに来るんだったら躊躇するんじゃなかったな、と。

吉岡:そうなんですよ。

米倉:やりたいことをやりなさい、ということです。

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