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なぜ、ネットメディアで震災を取材し、本を出版するのか(全6記事)

ブロガーと記者の文体はどう違う? 初の著書を上梓したBuzzFeed石戸記者が訴える「共感の危うさ」

BuzzFeed Japanの記者・石戸諭氏が初の著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を上梓。出版を記念して、創刊編集長・古田大輔氏とのトークイベント「なぜ、ネットメディアで震災を取材し、本を出版するのか- BuzzFeed Japan記者 石戸諭『リスクと生きる、死者と生きる』-」が開催されました。ネットメディアが震災報道をする意義・できた理由、ネットの良さや再編集して本になる良さなどについて語り合いました。

ブログの書き手は「読者との距離感」が絶妙

古田大輔氏(以下、古田):またインターネットメディアの話に戻りたいんですけれども。「自分語り」「一人称」という話があったじゃないですか。

僕、2年前に朝日新聞からインターネットメディアに転職したんですけれども。それでどんどん若いスタッフを雇ってですね。そのなかには、インターネットメディアから転職してきたり、ブロガーから転職してきたりしてる20代の書き手がいるんですけれども。とくに、ブログをやっているインターネットメディアの書き手の文章の書き方を見て、僕、感動したんですよね。

何がすごいかというと、ブログって基本的に一人語りじゃないですか。一人語りなんだけれども……さっき石戸が「新聞でコラムを書くと説教くさいものが多い」って言ってましたけれども。ブログをやっているインターネットメディアの書き手って、そういう説教くささがないんですよね。なんて言うか、読者と近しく、親しく書けている。

「なんでこんなのが書けるんだろう?」「僕には書けないな」と。うちの書き手だと嘉島唯とか、山崎春奈とか。例えば、自分の家族のことを書いてても、ぜんぜん読者から見て、押し付けがない。読者との距離感が絶妙。

やっぱりブログって反響がすぐわかるから、読者との距離感というものを、読者からの反響でずっと学んでるんですよね。だからこそ、新聞で、紙で書いてきた人たちとは違う、文章スタイルの進化があったんだろうなと。僕は今それで、日々学んでいます。

諭は、ネットメディアに来ていろいろな反響を日々受けながら、自分のなかのスタイルとか文体の変化を感じることはあった?

共感とともに、ある種の「排他性」ができてしまう

石戸諭氏(以下、石戸):いや、もう意識的に変えましたよね。かなり鍛え直したというか、つくり直したというか。文体はすごく大事で、日々模索してます。

文章を書くというのはすごく大変で。……最近、自分のなかで物書きとしての自覚が、ようやく芽生えてきてですね(笑)。1冊書いてみたら、「あ、ちゃんとできることってもっとあるな」と思ったりとかんですけど。

リスクと生きる、死者と生きる

ええとですね……何を話さなきゃいけなかったか。あ、そうそう。これはけっこう重要なことだと、自分でさっきから「重要なことだ」とか何回も言ってるんですけど。

(会場笑)

古田:押しつけがましいな(笑)。

(会場笑)

石戸:いや、それはね、僕があくまでも自分にとって大事だという、「一人称の大事さ」みたいな話なんですよ(笑)。

古田:(笑)。

石戸:考えたこととしてね、インターネットって共感のメディアだなって思うんですよ。共感というのはいいこともたくさんあるんですけど。

人に共感してもらいたいとか、「わかった」と言ってもらいたいとか。ちょっと相手と距離感を取りながら、その距離感で伝えて共感を呼んでいくやり方がすごく上手な人が多いと思うんですけど。

ただ一方で僕は、共感というのはすごく大事な感情なんだけど、すごく危ういんじゃないかと思う時もあって。で、最近ちょっと流行ってるハンナ・アーレントという女性の哲学者がいます。彼女が主要なテーマとしていたのは、全体主義の話なんですね。その中に僕なりに読み解くと、「共感の危うさ」という話も入っている。

僕、この本の終章に書いていることを後で読んでみて、「あ、すごく(ハンナ・アーレントに)影響を受けているんだな」と思ったんですね。

やっぱり共感を求めると、どうしてもわかりやすい物語を提供しする方向にいってしまう。共感の危うさとはこういうことです。

「ほら、こんなにかわいそうな人がいるでしょ」「そのかわいそうさ加減に、あなたたち共感できますか?できないあなたはおかしい」となりがちなんです。共感できる人間と共感できない人間にスラッシュで線引きしてしまうところもある。共感とともに、ある種の排他性みたいなものができてくる。

「溝」ではなく「地続き」という考え方が大事

石戸:だから、そこの線引きとか、排他的にしないような伝え方というのは、一体なんなんだろうなっていうのが、すごく僕は気になってるんですよね。

わかりやすい正義感、わかりやすい物語、わかった気にさせるようなこと、で、わかった気になったら次の瞬間から忘れていく。そういうやり方じゃないやり方ってどうするかといったら、一色に塗りつぶされないなにかを、ちゃんと書きながら伝えていくというやり方が当然あるだろうと、インターネットメディアに来てから思いましたね。

共感をすごく大事にしながら、それを超えていくっていうのかな。排他的にならずに、線を引かないで伝えていくやり方が大事だと思ったんですね。

当事者と非当事者の話で言うと、そこに大きな溝があるんじゃないんだ、と思ったんです。「大きな溝がある」のではなくて、「地続きなんだ」と。立ってる位置は違うかもしれないけど、なにか引っかかる部分というか、自分の感情のなかで共振していくなにかがあるのかもしれない。

そういう伝え方をどうにかできないかな、と思っています。インターネットに来て一番思ったのは、そこですね。なんか……共感って、ダーッとこう1色に塗りつぶしちゃうような恐ろしさがあると思う。

あと、自分たちの周りの強い言葉とか強い意見に対して、強い同調っていうのがあるんだけど、その強い同調って、そんなに長い時間もたないと思うんですよ。同調って、そんなに長い時間もたない感情だから。そうじゃなくて、もっと長い時間必要なもの、長い時間残るようなもの。それは、やっぱりどこかで考えさせられるもの。

もちろん、共感そのものは大事な感情なんです。もちろん感情移入してもらいたいと思いながらやる時もあるし、感情をちょっとこう、震わせたいなという思いもあるんですけど、それだけじゃなくて、……「ちゃんと考えるんだ」「ちゃんと考える時間というのがあるんだ」というものを書いてみたい。

すごく強く思ってます。

インターネットに足りていないものがあるとしたら、それは「考えること」

古田:いや、すごくその話、僕も共感するところが多いんですけど、って「共感」したら……。

(会場笑)

でも、それとは違う感情というか、思考というか、なかなか言葉にしがたい部分……。

石戸:それは思考ですよ。インターネットになんでもあるんじゃないんですよ。なんで僕がインターネットメディアに来たかというと、新しいことがやりたかったです。

今までにない、そういう新しいことを伝えたいんだっていった時に、インターネットに足りないものをやんなきゃいけないだろう、と当然思ったんですね。足りてないものがあるとしたら、それは「考えること」だと思ったんですね。「思考だ」と。

僕らは、あっちかこっちかに、すぐいきたがっちゃうんです、わかりやすいから。わかりやすいほうにすぐ流されていくんだけど、でも、そのわかりやすさから、ちょっと距離を置いて考える。少しだけ距離を置いて思考していくというのを、もっと肯定していきたいって思ったんですね。

考えることそのものを肯定するような書き物を出していきたい。だから、結果として、この本に描かれてる話はわかりにくいんです。とてもわかりにくいです。僕は自分で読んでても、なんだかよくわかんないところがあると、今でも思ってる。だけど、それが人間の姿です。

ノンフィクションでありながら、多様に成立する「物語」でもある

石戸:星野(智幸)さんと岸(政彦)さんという、著名な作家と学者さんが帯を書いてくれたんですけど、2人とも共通して「物語」という言葉を使ってくれたんですね。で、物語の一番大事なことというのは、「多様に成立する」ということなんですよ。

いろんな物語が同時に成立するということが、一番大事なんだと僕は思うんですね。1つじゃない、多であるということなんだ、と。で、多であることがどういうことかっていうと、世界に対して開かれるっていうことなんですよ。この世界に対して開かれてるんだという感覚を持っておく。

個人が生きていく過程を追うことによって、その本の中なら本の中、記事の中なら記事の中で、もう1つの世界観みたいなものが出てくる。その世界観っていうのは、いろいろ同時に成立するという世界観。それを、もっともっと肯定していきたいと思ってるわけです。

だから、新しいことは足りないものなんだ、と考えたときに、結果的に僕が立ち返ってることというのは、自分たちの物書きの、……物書きっていうか、ノンフィクションならノンフィクション、新聞なら新聞でもいいんですけど、そういうのを大切にしてきた歴史もあるわけですよね。

そういう揺らぎとか、繊細さとか、「社会では、いろんな物語が同時に成立するんだ」ということを、大切にしてきた歴史もある。で、その大切にしてきた歴史のなかに、もう一度そのヒントが見つかるんじゃないかと思ったんです。

インターネットで新しいことをやりたいと思った結果、やってることはとても古くさい手法で古くさいことを、今の時代にアップデートさせて、僕なりに咀嚼をして落とし込むというようなことをやっています。

それは自分のなかではわりと新しいチャレンジをしたと思ってるし、もっともっとできるだろうとも思ってます。そういうことがね、インターネットには足りないんじゃないかって、ずっと思ってます。

「時間に耐えうるもの」ばかり書いていてもビジネスとして成立しない

古田:今、インターネットを日本でみんなが使い始めてだいたい20年。確かにそれが言えると思うんですよね。20年だけど、コンテンツの数が爆発し始めたのって10年ぐらい。今、ネットで遡って見れるのも、だいたいそれぐらいじゃないですか。それより前のものって、なかなか探しても見つからないような状態になってて。

確かに10年間のなかで、思考せざるを得ないような、わかりづらいけれどもなにかがそこにあって、そこから学び取って……もう本当に苦しみながら読まないといけないようなものって、実はまだそんなに足りてないなと、僕自身も思っています。

僕らは、そういうのをやっていきたい。今は主に、石戸が担当してるんですけれども。

ただ、これ、大変なんですよね。僕が編集長としての立場から考えると、じゃあ、そういう記事を出してて、メディアがメディアとして成立していくのか。本当にビジネスとして成り立つのかというと、まあ、無理なんです。そのなかで、「じゃあ、やらない」ではなく、そういうものもやりながら、メディアとして成立させていくにはどうしたらいいのかを、日々考えています。

あと、もう1つ。そんなにめちゃくちゃ読まれるわけではないんですよね。最初に「読まれないわけではない」って言ったじゃないですか。読まれないわけじゃないんですよ。けっこう読まれるんですよ。けっこう読まれるんだけれども……。

今、BuzzFeedで出してるコンテンツって、おかげさまでけっこう読まれるものが増えてきてるんですよね。そのなかで石戸が書くコンテンツが、他のコンテンツと同じぐらいバーッと読まれるかというと、そうではない。でも、それはそれでいいと思うんですよね。それでも読んでくれる人がそこにいるし。

あと、石戸がよく使う言葉で、「長く読まれるもの」「時間に耐えうるもの」になって、それが長く読み継がれていけば、僕はそれでいいと思ってるんですけれども。

でも、くやしい(笑)。なんか、もうちょっと読まれてほしいなと思うから。

石戸:いやいや、まだまだです。

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