2024.10.10
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ドミニク・チェン氏(以下、ドミニク):安田登さん、玉川奈々福さん、漱石『夢十夜』の実演をありがとうございました。今日の『日本的ウェルビーイングの設計の可能性』という場で、なぜこの作品を演じていただいたかという点を説明させていただきます。安田さんは僕の能のお師匠で、奈々福さんは僕の先輩、姉弟子にあたります。
そういうご縁で安田さんと繋がっているのですが、安田さんはいわゆる普通の能楽師ではなく、たとえば過去にゲームの攻略本を執筆されていたり、バーチャルリアリティー(VR)にもとてもご関心が高かったり、そして言語マニアでもあられるので、古代中国語にも造詣が深い、という方です。
現代のテクノロジーが我々にどういう本質的な作用をもたらすのかということと、能に代表されるような日本の古典的芸能の中で人の心がどのように描かれているのかということを、この1年間いろいろな場でともに話をさせてもらいました。
安田さんの能の教室は、謡(うたい)の練習中にだれかがおもしろい議題を話し始めると、1時間くらい脱線が始まります(笑)。たとえばネストリウス派キリスト教徒についての講義があったり、古代中国で漢字が生まれたときに人間の心にどのような影響があったのかという議論が起こったりする、すごくおもしろい教室です。
日本的ウェルビーイングについて先ほど石川善樹さんが深掘りしてくれましたが、僕の中で能やそれより古い芸能の中で描かれている「心」と、現代人の心に対するイメージはだいぶズレがあるなと思います。日本的なウェルビーイングを考えるには、そこまで深掘りしていく必要があると感じます。先ほどの石川さんの分類だと能は「直観」にあたりますかね。そういう理由で安田さんに参加を依頼し、快諾していただきました。
打ち合わせで安田さんから夏目漱石の『夢十夜』を演じるのはどうかとおっしゃっていただき、そのときはあまり論理的に理由や目的を決めずにに阿吽の呼吸でぜひよろしくお願いしますとお答えしたのですが、あらためて、日本的ウェルビーイングを考える中で、今回能を演じようと思った理由を教えていただけますか。
安田登氏(以下、安田):大きくいうと3つあって、1つは日本の芸能の脳内ARを発動する芸能であるということ。もうひとつはいわゆるコンピューターがなくてもできることをわざわざコンピューターでやろうとする必要はないということ。たとえば昔スプーン曲げのような念力が流行りましたが、う~と額に青筋を立てて念力でコップをあげるよりも、「はい」と手で持ち上げた方がはやいし、簡単。そういう無駄な努力はあまりしない方がいいのではないかということを示したかったのです。
もう1つは、石川さんが「直観」とおっしゃっているような日本的な視点でウェルビーイングというテーマを考えるとしたらこの作品はとてもいいと思ったんです。
奈々福さんが三味線を合わせてくれましたが、打ち合わせはほぼないんです。アドリブなんですよ。
玉川奈々福氏(以下、奈々福):はい。アドリブです。どういう音が求められているのかわからないけれど、語りの呼吸の間にこんな音を入れたらいいのではないかと直感的に判断して、入れていきます。
安田:奈々福さんとは何回もやっているので、僕のことを先読みしてこうくるだろうなと思ったら、わざと僕がはずしたりとか、ほぼ全部呼吸だけでやってますね。
奈々福:そうですね。日本の芸能はコンダクターがいないので、お互いに腹を合わせて息をとっていくのですが、慣れてくるとここでくるだろうというところを、先生がわざとはずすという高度なテクニックを使われてこちらは翻弄されます。
安田:日本の芸能ってお客さんよりやっている方が楽しかったりする。お客さんが、そこでみているかぎりは30パーセントくらいしか届かない。みなさんがこっちに近づいてはじめておもしろくなる。先ほど自律性の話がありましたが、こちらがお客さんの方にいかないというのがすごく大事で、いかないことでお客さんの自律性を引き出し、みていただくというのが重要です。
ドミニク:同じような話で、文京区六義園にあるいくつもの石柱には和歌が書かれています。あれを、安田さんは昔の武士にとってのバーチャルリアリティテーマパークだったのではないかとおっしゃっていますね。
安田:それは僕のオリジナルではなく、柳沢吉保があそこを作ったときから、そのようなコンセプトで作っています。正確にいうと、先ほど申し上げた、脳内ARを発動させるための場所なんです。
たとえば、六義園には石柱があって、そこにはたとえば和歌の第一句が書かれています。「わかのうら」とかね。で、「わかのうら」と書かれていれば、それをみた人は、「和歌の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」という山部赤人の歌が浮かばないといけないんです。そして、六義園の景色に自分の頭の中、脳内で思い浮かべた和歌浦の夕方の景色を重ねて、そこにこの歌にあるようにツルが飛んでいく景色を重ね、ツルの声も聞かないといけない。
こうした脳内ARの訓練のための石柱がかつて六義園に88個あった。石柱は、脳内ARを発動させるためのARマーカーのようなものですが、その情報を極端に切りつける、それによって武士たちは脳内ARを発動させる稽古をしていました。脳内ARは武士にとってが戦いのためにとても大事なものでした。そういった稽古の場所だったんです。
ドミニク:このような話を聞いていて、スマホアプリなどをつくっている自分にとっても、あまり情報を増やさないようにする、あるいはむしろみせないことによってその人の意識によって情報を生成させるということをデザインに活かせるのかな、というヒントを得ました。
ドミニク:過去に TEDxTokyoでも漱石の『夢十夜』を演じられていますよね。安田さんにとって、『夢十夜』はどんな意味をもった作品でしょうか?
安田:今日は明るすぎたのですが、本当はみえないくらい暗いところでやるのがいいんです。そうすると多くの人が森をみたりなど脳内ARを発動させる。実は日本人はかなりAR民族なんです。たとえば小さいころソロバンをやる人が、暗算で空中に玉を置きますでしょ。これって、まさに脳内ARです。で、ARソロバンを置いて、答えもそれをみるでしょう。はじくときも、歌をうたいます。「願いましては~56円なり~」とか、歌によって脳内ARを発動させるのがすごく得意な民族だと思います。
それはこれから先のシンギュラリティも含めて、ARを考えるときにすごく大事。僕たち、AR、VRってどうしてもフォト・リアリスティックな絵をだしがちですが、それよりも脳内 AR・VRを刺激するものの方がおもしろいものがつくれると思います。
ドミニク:漱石のこの話は安田さんの関心のどの辺の部分に呼応しているのですか?
安田:いっぱいあるんです。1つは、先ほどから挙げているように脳内ARを発動しやすい。3回ほど歩きましたでしょう、あのとき三味線が同じ旋律を弾きます。
ゲームなどの分野でウォークスルーという手法があります。僕は、3DCGの本を20年前ぐらいに2冊書いたことがありますが、そのころ、アメリカからウォークスルーゲームが入って、全然おもしろくないんです。でも日本に入ってくるとRPGとして結実するじゃないですか。
なぜかといえば、すべてがみえている世界ではなくて、歩きながら変化していく世界、このウォークスルー的な文化はすごく日本的だと思うんです。それは六義園もそうですし、『夢十夜』もそうですし、なにが起こるかわからないけれど歩いていくと変わるという構造をもっているんです。
ドミニク:『夢十夜』の構造はウォークスルー的だということですね。
安田:僕たちはプログラムを書くときに必ず、論理的に書きます。論理的というのはパースペクティブ的だということでもあります。ところが論理的に書いたプログラムにはどんなにすばらしい検索エンジンでも「いま」から論理的にしか進まない。たとえばネットショッピングをすると「あなたが興味があるのはこれですね」という情報が送られてくるけれど、「あなたが興味はないのはこれですね」というのは絶対に来ない。
ところが、僕たちにとって変化が起きるのは、この「興味がないもの」からだけです。むろん、ランダムという手もあるけれども、ランダムはダメ。「興味はないけれども、自分のクオリアに引っかかる」、そういうものだけが変化を起こし得る。こうした可能性というのは、このウォークスルー文化からみえるんじゃないかなと思います。
もう1つは漱石はイギリスに留学して心を病んで帰ってきた。イギリスで「私」というものを身につけた漱石は、はたしてそれで自分は、日本人は大丈夫なんだろうかと考える。『夢十夜』はそれを悩んでつくった作品なんです。
ドミニク:先ほど石川喜樹さんから福沢諭吉の話がありましたが、近代的な概念や用語は19世紀の明治維新あたりで西洋語から翻訳されてつくられていて、心という概念もその流れの中で更新された感がありますね。日本文化の中で比較的新しい心の解釈がもたらされた。夏目漱石は『こころ』という小説を書いたり、人間の心の西洋バージョンと日本バージョンがぶつかり合う中で苦しみながら創作をしていた人でした。
ドミニク:先ほどシンギュラリティという言葉がでましたが、その観点での漢字の発生と心の誕生についての説明を聞いてもいいですか。
安田:僕が最初に書いたのは漢和辞典なんです。調べていくと、いま見つかっている一番古い漢字は紀元前1300年位のもので、その時点で約5,000文字ありました。でも、その中に「心」という文字は存在しないんです。「心」という文字がはじめて出てくるのはそれから300年くらい経ってからで、中国にとっても新興概念です。そしてたとえば最古の言葉であるシュメール語でも「心」というのはわりと新しい概念なんです。
漢字の「心」という概念がどんな風に出てきたかといえば、簡単にいうと、中国の殷の時代、羌(きょう)族の人たちは生贄になることを運命づけられていました。しかし、そうした運命を変えるために手に入れたのが未来を知る力としての「心」です。この文字と概念を手に入れて殷周革命を起し、生贄としての運命から自由になりました。つまり、未来を変えることができるようになったわけです。
ところが、それを手にした瞬間に心の副作用も手に入れてしまった。たとえば未来に対する「不安」や過去への「後悔」といったものです。そういうのをなんとかしようとした最初の人が中国では孔子であり、インドでは釈迦、そしてヘブライではイエスだったのではないかと思います。
ドミニク:心という概念を手に入れて、『夢十夜』の台詞の中でも出てきましたけど、未来を変えることができるようになった。しかし、その副作用として過去を後悔し、未来の不安も生まれてきた。現代はそういった副作用が大きくなりすぎているのではないかと前に安田さんがおっしゃっていましたよね。
安田:私は高校生のころからそろそろ心の時代は終わるのではないかと思っていました。イエス・キリストと釈迦と孔子以上の人が2000年以上現れてこないって不思議じゃないですか。そろそろ終わるんじゃないかと思っていたところ、シンギュラリティという言葉が出てきて、これのことかもしれないと思いました。シンギュラリティがきたら、心の上書きがされるんじゃないかと思います。
ドミニク:AIというものだと想像がしやすいですが、Facebookの実験の話を先ほど生貝さんがしてくれました。結局、僕たちは自分たちでつくりだしている情報技術によって、自分たちの心がどう操作されているのかということにあまり気がついていない部分があります。そういった潮流は止めることはできないけれど、生贄となっていた羌族の人たちと同じで、現代の私たちはどういう方向に未来の向かう先を変えていけるのかという話ができます。
いま目の前にある、僕たちが普段話しているような心の定義だけではなくて、漱石が西洋と東洋の狭間で悩んで考えていたような、もともと我々の文化の中に眠っていた心の原型のようなものを探ることが、未来の心をデザインする上でのヒントになるのかなと思います。
さらにいうと安田さんはシュメール語も堪能で、ヘブライ語もできて、実は『イナンナの冥界下り』というシュメールの神話を、能の形式でシュメール語で演じています。先ほどの羌族の話は中国で心が生まれたときの話ですが、それに通じるような心の描写が日本の能の中でもみつけられるし、そして最古と言ってもいい言語であるシュメールの神話でもみつけられる。
その周辺の話はとてもおもしろくて、たとえば心のありかというのがもともとは下腹部にあって、お腹の内臓とか、子宮とか、男性の性器によって指示されていたんですよね。これが、だんだん上がってきて、胃腸になって心臓になって、現代人に「心はどこにあるか?」と問うと多くの人が頭を指しますね。現代科学の中で、胃腸が第2の脳として見直されているという話もあります。
我々が意識的な理性の範疇の中で、人間は合理的に動くんだという思い込みがどんどん破られて、もっと無意識や情動といった自分が普段気づけないような心の動きが行動を決定してるのではないかということも見直されている。こういったことを本質的に考えるときにシュメール語の神話もヒントになると思います。
安田:文字とは実は脳の外在化だったのではないか。身体の拡張、ロボットの代わりが家畜だったのではないかという視点で、過去のシンギュラリティである文字の発明と、そしてこれから来るシンギュラリティを『論語』から読み直す『あわいの時代の論語』(春秋社 2017)という本も書いています。
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