2024.10.10
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飯間浩明氏(以下、飯間):しかし、『三省堂国語辞典』の説明にはまだ続きがあります。
「しべがあり、一定の時期に ひらく」。しべとは、雄しべ・雌しべですね。「しべがあり」というところで救われてまして、さすがにミズバショウのあの白い部分には「しべ」がありませんので、「あれは花ではないな」ということにかろうじてなっております。
ただ、日本語の「花」ということで考えますと、歌曲の『夏の思い出』に「みず芭蕉の花が咲いている」という歌詞がありますでしょう。日本語的には、あの白いのはやっぱり「花」なんです。「タンポポの花」もそうですけど、私たちは、植物学的な「花」以外のものを日常的に「花」と言ってます。
葉っぱのことも生け花では「花」ということが、『三省堂国語辞典』には書いてあります。科学的に考えれば、生け花の葉っぱが花であるはずはないんですが、日本語として「花」と言っている。そういう説明を、この辞書ではしているわけです。
そうすると、どうでしょうかね? 今あるネットの辞書だけでは、今私が申し上げたようなことがわからない。ネット辞書プラス、『三省堂国語辞典』がほしくなるじゃないですか(笑)。
(会場笑)
『三省堂国語辞典』だけあればいいかというと、そうではないんです。
今度は『岩波国語辞典』の「花」を紹介します。「ある時期に開き、多くは美しい色やよい香を有する、高等植物の繁殖をつかさどる器官」と書いてある。
これは「岩波」(『岩波国語辞典』)らしい端正な説明といいますか(笑)。「美しい色やよい香を有する」のところを感覚に訴えてまして、「あ、花だな」という感じがするし、「高等植物の繁殖をつかさどる器官」が科学的なところにも目配りをしている。もう「岩波」が一番いいんじゃないかっていう気がしますけど(笑)。
(会場笑)
でも、「岩波」より「三国」(『三省堂国語辞典』)のほうがいいところもあります。難しい言葉は極力使わない、という姿勢は「三国」のほうが強いです。私としては、そういういろいろな辞書を読み比べることによって、言葉のおもしろさがわかってくると思っています。
「1億総活躍社会」ではありませんが、1億の日本人すべてが『大辞泉』と『大辞林』だけで用を足しているという現状は、私には我慢がならないわけです。とどのつまりは、「もっと『三省堂国語辞典』を買え!」ということですよね(笑)。
(会場笑)
まあ、買わなくてもいいんだけど、借りて読んでもいいんですけど、もっと他の辞書があるということを知っていただきたいんです。
そこで私は、ある提案をしたいと思うようになりました。「紙の辞書でいくらアピールしても限界がある。今は誰もがインターネットを見てるわけだから、各辞書の出版社が協力して、そのネット上に無料の辞書サイトを作ればいいんではないか」と考えたわけです。
「辞書出版社の垣根を超えて、いろいろな出版社が一致協力して、各社共同の辞書サイト、辞書を検索するためのWebサイトを作ればいいんじゃないか」と考えました。
その考えを朝日新聞の「私の視点」という欄に掲載してもらったんです。これが今年3月のことでした。その無料のWebサイトでは、『三省堂国語辞典』も引けるし、『岩波国語辞典』も引ける。『新明解国語辞典』『明鏡国語辞典』もある。いろんな辞書がよりどりみどりなわけですね。しかも、無料なんです。
そうするとどうなるかというと、それを利用する人は「国語辞典っていろいろあるね」がまずわかるはずなんです。そうなれば、それぞれのひいきの辞書ができるであろうと。そこまでいけば、お金になるわけですね(笑)。つまり、基本的には無料なんですけれども、すべてのコンテンツがそうではないんです。
例えば、ワンポイント解説欄といっとたような、発展的な説明をしている部分は有料にしておいて、「もっと『岩波国語辞典』のくわしいことを知りたいんであれば、お金を払ってください」とかね、「『三省堂国語辞典』を使い倒したい人は、有料版をお使いください」とすれば、辞書と利用者の接触する機会が出てくるのではないか。そんなことを新聞紙上で主張しました。
「これはいいアイデアだ」と満足していました。朝日(新聞)に出たんですから、みんなが読んで賛成してくれるかと思ったんです。
ところが、あにはからんやでね。反論をいただきました。
これはお名前をお出ししてもいいと思いますが、『大辞泉』編集部の板倉俊さんが翌月の4月、同じ「私の視点」に投稿されまして、「辞書に個性があることは確かだが……」と。これ、原文をそのまま読みますね。
「辞書には個性があります。引き比べることでさまざまな発見があります」と。これに関しては「そうでしょう」と思いますよね? しかし、このあとにこう続くんですね。「しかし利用者にとって重要なのは個性ではありません」と。大事なことですから、もう一度読みます。
(会場笑)
「しかし利用者にとって重要なのは個性ではありません。手元にある辞書が、今抱えている疑問に答えてくれるかどうかです」と言い切っておられるんです。『大辞泉』の板倉さんがですね。
「利用者にとって、個性は大事じゃないんだよ。花を『種子植物の生殖器官』と書くか、それとも『一番きれいな部分』と書くかなんていうのは、そういう違いはどうでもいいんだ」「とにかく、自分の持ってる辞書にどれだけの情報量があるかですよ」と。
『大辞泉』というのは、まさにその情報量を追求しています。今ネット上で引ける『大辞泉』は、語数にして20数万語、もうすぐ30万語に届く膨大な言葉を収録しています。これは『大辞泉』のまぎれもない長所です。なにかわからない言葉があってネットで引くと、たいてい『大辞泉』の説明がヒットするんです。
こう言っちゃなんですが、『大辞林』がちょっと負けてまして。『大辞林』でヒットしないのに『大辞泉』でヒットするということがよくあります。まあ、『大辞林』も負けてはいなくて、今は改訂作業を進めているそうですけれども。
つまり、言葉を多く載せるということを、『大辞泉』は追求してるわけですね。だから、「個性なんかいらないんだよ」となる。板倉さんのご発言を私なりにちょっと意地悪く解釈すれば、「辞書は『大辞泉』があればいいんですよ」ということではないかと受け取ったんです。
(会場笑)
どうも板倉さんの文章のその後を読んでみても、『大辞泉』がどういう取り組みをしているかという説明をずっとされていますので、結局、「みなさん、『大辞泉』を買ってください」と、そういう話になっているのかなと思うんです。
だから、なかなか辞書出版社の垣根を超えて共同の辞書サイトを作るというところまではいかないかもしれないと思っています。でもなんとかして、いろいろな辞書があるんだということを、ユーザーといいますか、読者の方にわかってほしいなと考えています。
現在のネットの大型辞典を野球の巨人軍にたとえますとね、私としては、巨人軍に挑む他の球団の選手のような感じがしています。今年は広島カープがかなり活躍しているということですが。
私はちょっと暇なときに、ここ数年で巨人が何回優勝しているかっていうのを数えてみたことがあるんですね。そうしたら、ここ10年ぐらいで3分の2ぐらいは巨人が優勝していましたね。巨人が一番強い球団であるというのは確かなようです。
辞書の世界でも、『大辞泉』および『大辞林』が2強である。2つの強い辞書があって、それ以外がどうやらないも同然になってるんじゃないかなと歯がみをするような気持ちなんです。
プロ野球で言う巨人のような存在に、なんとか挑戦を仕掛けていきたいなと考えています。これからはネット時代になる。辞書が電子版を中心に推移していくようになると思いますけど、その中でどんどん冒険をして、「あ、こういうおもしろい辞書だったら、ぜひ買ってやろう」という内容にしていきたいわけです。
さっきも言ったように、私は経済的なビジネスモデルを構築することもできなければ、技術者でもありませんから、ソフトウェア的に新しい検索方法を開発するということもできません。ただ、辞書の内容をおもしろくするということについては、なにかできることがあるだろうと思っています。
ここからは、(辞書を)どういう内容にするか、私の理想とする国語辞典はどういうものかについてお話しすることになりますが、早々と結論を言ってしまいます。それは「人の相談相手になる国語辞典」ということです。
相談相手というのは、ちょっと抽象的な言い方ですかね。「今の辞書だって、十分相談相手になってるんじゃないか」と思われるでしょうか。でも、まだまだ不十分です。
みなさんが辞書を使う時はどういう時でしょうか。漢字がわからない時はどうでしょう。昔だったら、字引き、つまり紙の辞書をこうやって引いて、「この字はこういうふうに書くのか」と納得していました。今だったらスマホで、辞書サイトなどを見て字を確認したり、意味の説明を読んだりしますね。だいたいの意味がわかれば、それで良しとしています。
でも、こういう辞書のあり方はもう古いと思っています。字がわかって、だいたいの意味がわかるというだけでは、実は日本語はうまく使えないんですね。
なにか例を出しましょうか。
例えば、「粛々」という言葉があります。よく政治家やお役人が使いますね。「粛々と政策を進めてまいりたい」みたいに。「どういうことかな? 『粛々』ってわかんない」と思って辞書で引いてみる。今、『大辞林』や『大辞泉』のことを話題にしましたんで、『大辞林』で「粛々」という言葉を引いてみましょうか。
そうしますと、1つは「しずかなさま。ひっそりとしているさま」と出てきます。確かに、「粛々」は「静粛」の「粛」を書きます。
江戸時代の頼山陽の漢詩に、「鞭声(べんせい)粛々夜河を過(わた)る」という一節があります。
これは武田と上杉の合戦で、上杉方の軍勢が川を渡るんですけれど、「行くぞ! オーッ!!」って声をあげて川を渡ると敵方に知られますから、夜、粛々と川を渡っていくわけですね。「鞭声」というのは、馬を鞭で打つ音ですね。ピシッっていう音です。それが、鞭声が粛々と静かに響く、というわけです。そして、軍勢が夜の川を渡っていくという、これが「粛々」の伝統的な意味であるわけです。
あるいは、『大辞林』にはもう1つ書いてありまして、「おごそかなさま」というのもありますね。「師範学校の方は粛々として進行を始めた」というのが漱石の『坊っちゃん』の中に出てくるそうです。
今の政治家が「粛々と政策を進めてまいります」と言いますが、どういう時に使われるのかというと、批判が噴出してる時ですね。「そういう政策はやめろ」とか、いろんなところから文句が出てうるさい時に、「粛々と進めてまいります」と。これはどう解釈すればいいのか。
伝統的な意味で解釈できないこともないんです。「静かに」「騒音があろうとも、静かに進めてまいります」とか。……うん、いいような気もしますが、ちょっとサムシングが足りないかなっていう気がするんですね(笑)。
一方、「厳か」と考えると、だいぶおかしいですよね。「政策を厳かに(進める)」というのは、日本語として違和感がある。「厳か」というのは、なにか儀式とか、お祭りとか……政治も政(まつりごと)か(笑)。
その伝統的な儀式などが「厳かに取り行われた」。これだったら「厳か」というのもわかるんですが、なにかの政策を進める場合に使うのはちょっと違う。
この違和感をどう説明したらいいか。「要するに、こういうことですよ」とわかりやすく書きたいんですね。『三省堂国語辞典』では、「粛々」の意味をこういうふうにまとめました。
まず1番目には、伝統的な意味として「おごそかで、ものしずかなようす」。さっきの『大辞林』の説明を一緒くたにしてしまいまして(笑)。頼山陽の漢詩を踏まえて、「粛々として進む人馬の列」という意味を載せました。その次に、2つ目の意味として「何が起こっても、予定どおり着実におこなうようす」。
(会場笑)
これが今の「粛々」でしょう? 「粛々と業務をこなす」とか、なにか批判があっても「粛々と政策を進めてまいります」とか。これは、「何が起こっても、予定どおり着実におこなう」ということですね。別に私はここで政治家の批判をしようというんじゃないんです。
別の例としては、会社で仕事をしていて台風が来たとします。外は大荒れだし、電車が止まったりして、世間はもう大混乱である。そういう中で、「粛々として業務を進める」というのは、今の意味に適ってるわけですね。「何が起こっても、予定どおり着実におこなう」ということ。
こんなふうに、今はどんな意味で使われているかを観察した結果を、辞書に載せる。現代的な意味で漏れている言葉を探して載せることは、これからの辞書の課題の1つでしょうね。「今日テレビで言っていたあの言葉は、どういう意味だろう?」と思って辞書を開くと、ちゃんとそれにふさわしい意味が載っているようにしたい。
相談相手になるというのは、1つはそういうことですね。みんなが疑問に思う言葉の意味を説明する。ということは、「今どういう言葉が検索される可能性があるか?」に、いつも注意していなければいけませんね。
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