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漫画「いちえふ」作者 竜田一人が語る「福島の今を知る3」(全6記事)

福島第一原発は「興味深く、働きやすい職場」だった 3.11後を描いた漫画『いちえふ』作者の独白

漫画「いちえふ-福島第一原子力発電所労働記」の作者・竜田一人氏が、毎日メディアカフェに登壇し、当時の体験を語りました。原発作業員としての日常を丁寧に描いた「いちえふ」。同会では、竜田氏が漫画を描いた背景や、福島の現在などを参加者らに解説。本パートでは、福島第一原発で働こうとした動機、現地の労働環境などを語っています。

竜田氏が語る福島の今

竜田一人氏:今日はありがとうございます。竜田一人でございます。いきなり覆面で現れて、事情を知らない方は「なんだコイツは?」と思うでしょうが、私は先ほどもご紹介していただいた福島第一原発で、2012年と2014年に働いておりました。

そのときの様子を、こちらの『いちえふ』という漫画に描かせていただきました。まだお読みになっていない方は、後ろのほうで売っておりますので、よろしかったらお買い求めいただきたいと思います。

そんな感じで、2012年にまず、休憩所で……現場に行く作業員の人が装備を整えたりとか、現場から上がってきて休んだりとか、そういうところで仕事をしていて。現場から帰って来た人は汚染されている可能性があるので、サーベイメータで測る、それと装備を用意したりというのが主な仕事でした。

それで初めて、2012年に……それまで福島なんてほとんど関わりがなかったところなんですけれど、その前から私は漫画の仕事をやっていまして。でも、漫画でぜんぜん食えなくて。もう本当に、にっちもさっちもいかなくなって。その頃別の仕事もしてたんですけど、それもうまくいかない。

苦労してたどり着いた福島第一原発

転職しようかなっていうタイミングで、あの地震が起こった。原発事故があったと。どうせ働くんだったら、宮城でも岩手でもどこでもよかったんです。どこでもいいっていう言い方は失礼ですけど、どこか被災地でちょっとでも働ければいいかなと、仕事を探し始めて、なんだかんだあって。

なんだかんだのところは、(漫画を手にとって)1巻に描いてありますので(笑)。これを読んでいただければ。いろいろ苦労があって。2011年から探し始めて、2012年にやっと福島第一原発にたどり着きました。

そのときの様子を最初から漫画にしようと思って行ったわけではなくて。本当に仕事に困って、就職先として行ったので。でも、もともと漫画を描いてたから、実際に見てきて、おもしろいと言っちゃなんですけど、いろいろと興味深いこともあって。

なによりも中の雰囲気とか、そういう実際の様子っていうのは、あまりにも……私は関東に住んでるんですけども、それまでイメージしていたものと実際に中で感じた空気とかそういうものがあまりにも違うので。

その実態を世間に知らせるというよりも、記録として残しておけたらいいかなと。そんな感じで、漫画にしました。

実際に働きに行くまでは、それこそ新聞とか、インターネットとかでいろいろデマもありましたけど。とにかく「福島に行ったら死んじゃう」くらいの勢いで言われていたのが、実際に働きに行って中に入ってみると、意外とみんな明るいんですよね。

普通の職場として働いている人がいる。そんな空気の違いだけでも、上手い具合に当時の記録として残しておけたらなという感じで描き始めました。

新生・竜田一人の登場!?

それと同時に、前々からこのギターで、主に演歌ですけど弾き語りなんかもしてました。ついでに歌でも記録しておこうという思いが、だんだん働いているうちに強くなってきて。

2012年の通勤途中に作った歌です。それをちょっとやってみようかと……その前にですね、昨日、一昨日だったかな。私のTwitterアカウントをフォローされている方は(知ってると思いますが)、「満員になったらマスクを脱ぐ」と(笑)。

(会場笑)

こんなにいっぱい来ていただいてうれしい限りで。約束通り脱がなきゃいけないんじゃないかと思って。まあ、プロレスに詳しい方は、マスクに手をかけてなにが起こるかっていうのはだいたい……プロレスマニアはだいたいわかると思うんですよ(笑)。

(会場笑)

これはドス・カラスっていうメキシコのレスラーなんですけど。お兄さん、ミル・マスカラスの入場シーンというのを思い出していただければ、なにが起こるかだいたいもうわかってると思うんですけど、やりますよ。

(竜田氏、マスクを脱ぐがその下にもマスクを被っていた)

(会場拍手)

新生・竜田一人でございます。

(会場笑)

実は、あのマスクは歌いにくいんですよ(笑)。口が大きく開かなくて。水も飲めない、飯も食えない。それが今まで不便でしょうがなかったので、この際だから。前回荒川のほうで、5月くらいにこんな感じの弾き語りをやらせていただいたんですけど、そのときにもう懲りました。

「これはちょっとやってらんない」と思って、歌いやすいマスクを探したら、これがAmazonで手に入ったという。これからこれでいこうかなと、そんな感じです。

窓の外から見えた風景から生まれた『ROUTE6』

2012年の通勤途中に、まだ当時、警戒区域と言われていた時期ですね。作業員の集合場所というのは、楢葉町と広野町の間のJヴィレッジというところで。そこから地図でいうと、南の下の方から楢葉町、富岡町、大熊町というのを通って、大熊町と双葉町の境のところに1F、福島第一原発があります。

そこまで国道6号線で北のほうにさかのぼっていくんですけど。その間に見える風景とか、毎日毎日車を運転したり、バスで帰ったりなんかで見ているうちに、2012年の時点の警戒区域の記録として、震災あるいは原発事故。

当時こういうことがあったというのをいろんなかたちで、文章に残したり映像にしたり、いろんな方がいろんなことをやっていると思うんですけど、そこを通っていた奴が歌にして残すのも一興かなと。一興というのも、まあちょっと失礼ですけどね。そういうかたちがあってもいいのかなと思って、歌にしてみました。

『ROUTE6』。そのままですけど、国道6号線という歌でございます。あくまでも2012年のことです。今はだいぶ変わっていると思います。逆に、そのままのところもあります。

今その6号線を車で走ると、変わった風景、まだ変わってない風景、いろんなものが見られると思います。この歌をちょっと頭の片隅に置いて、一度国道6号線を走ってみようという方は行ってみていただけるといいかなと思います。

(竜田氏、『ROUTE6』を歌う)

(会場拍手)

ありがとうございました。これが2012年、福島第一原発への通勤途中で作った『ROUTE6』という曲です。いきなり宣伝なんですけどもCDにしまして、後ろに1枚1,000円で売っておりますので、よろしかったらお帰りの際にでもお買い求めいただけるとうれしいです(笑)。

こんな感じで、あくまでも2012年の風景って言ったのは、その後だいぶ変わったところもありまして。まずなによりもJヴィレッジに集合っていうのはなくなって、今はもうそれぞれの会社の車とかで1Fに集合、みたいな。準備するのも1Fの入り口までは普通の格好で行って、入り口に入退の機械とかがあって、そこで着替えて中に入る。そんな感じ。

第一原発は働きやすい良い職場だった

中に入るにしても、最初のころはJヴィレッジで全部タイベックっていう防護服に着替えて、全面マスクを付けて、Jヴィレッジからずっと全面マスクで通勤していた時期があって。私が行ったころには、Jヴィレッジから途中のあたりでマスクを付けてましたね。

そのあとにはもうJヴィレッジから1Fまでは、普通の作業服と普通のマスク。そのうちマスクもいらなくなって。今では普通の格好で1Fまで行って、1Fから中に入ります。

中に入るのも普通の作業服のままでとか。中の移動も普通のマスクすらいらなくなったりとか。日々刻々と中の状況も、汚染度なり危険度、安全度など変わってますので。

それに伴って、6号線の周りも片付いたところがあったり、あるいはいまだにセガのゲーセン、コナカ、しまむら、トヨタカローラ販売店なんていうのは地震で崩れたまま、そのまま残っていたりします。そういうのも震災の爪痕として、見られるうちに見ておいたほうがいいとは言いませんけども、興味のある方は行ってみるのもいいんじゃないかなと思います。

まあそんな感じで。2012年はそういう休憩所の仕事。そのあとで原子炉建屋の中ではないんですけれども、使用済みの燃料の冷却プール、基本プールを冷却している水がグルグル回ってますから、その配管のお仕事をしに。2号機と3号機とで、2012年の年末まで働いて。

だいたい作業員1人あたりの年間の被曝量の限度が、20ミリシーベルトくらいに決まっているので、2012年の仕事でそれをいっぱい使い切っちゃったので1回帰ってきて、そのあと漫画を描き始めて。それがおかげさまで、こうやって単行本になりまして。

でもやっぱり戻って来ても、またあそこに行きたいなという想いが強くて。なんでわざわざあんなところに行きたいのかという疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんけど、1回行ってみて働いてみるとわかると思うんですけど、けっこう……おもしろいっていう言い方はさっきからいろいろしてて失礼かもしれないけど。

でも働いている者からすると、わりとこう……楽しいっていう言い方もなんですけども、やりがいがあって興味深い、私にとっては働きやすい良い職場だったんですよ。

もう一度働きたくて、2014年に再度福島へ

当然、そこで作業することで多少なりとも……別にね、日本のために福島のためにとか、そんなふうに大それたことを思ってやってる奴は、たぶん誰もいないんですけど。多少なりとも、なにかの役には立つんじゃないかっていう思いはみんなあって。そういう思いがあって、また現場に戻りたいなっていう希望を下請けの社長に出したら、2014年にまた呼んでもらって。

今度やったのは、1号機の原子炉建屋の中だったんですけど、ロボットが調査をするんですけども、その調査に行くロボットのお世話をする仕事。そのあとにやったのが3号機、やっぱり原子炉建屋の中。瓦礫を撤去しているロボットがあるんですよね。放射線が高くて、人が中で作業できないところはロボットがやってくれるんです。

ロボットはバッテリーで動いてるんで、そのバッテリーを交換してあげたり。リモコンで操作するんですけど、中継する機械とかもあって、そういうのを引っ張っていったりするのも大変なので、その周りの仕事をやったり。そのへんのお話は、3巻のほうに。

(会場笑)

原子炉建屋の中がどうなってるんだとか、興味のある方も。これも何年か前の話になってしまいましたけど、あの中の仕事はどんなことをやってるんだろうなというのが、多少なりともわかればいいなと思って。そこのところまで漫画にしてみました。

いろんなことを言われたので、自分の目で見たかった

3号機の瓦礫撤去以降現場のほうには入れてないんですけど、機会があったら中の様子をお伝えできればなと思っています。描く、描くと言ってなかなか次が描けなくて。いろんな人から「続きはどうなってんの?」ってよく言われて。本当にそれはもう、申しわけございません。(深々と頭を下げる)

(会場笑)

1回連載が途切れちゃって、なかなか次っていうのが……正式な続編を描こうと思ったら、本当に働きに行かないと描けないので。それがまだできていない。でも、その周りの様子なんていうのは、番外編みたいなかたちで漫画にして発表したいなと常々思ってるんですけど、なかなかかたちにできなくて。そのうち……担当の編集者も来てるので、言っておかないとね。ただいまネームをやっているので、もう少々お待ちください(笑)。

私がやってきた仕事はそんな感じ。中の様子や通勤途中の様子は、さっき語ったような感じだったんですけど、よく聞かれるのが、「行ってみて一番驚いたことはなんですか?」とか「実際、中の様子はどうなってるんですか?」とか「行くのは怖くなかったですか?」とかね。

行く前の段階では、さっき言ったように「福島に行くだけで死んじゃう」とか、そんな勢いで煽られてた時もあったり。でも、よくよく落ち着いて情報を精査していくと、みんな働いてるんだし、行っても大丈夫なんじゃないのっていう思いで行ったので、そんなに怖くはなかったですね。ただやっぱり、本当はどうなんだろうって興味があって。いろんなこと言う人がいたから、だったら自分の目で見るのが一番かなと。

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