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カイル・メイナード氏講演(全4記事)

「両手足がないことは、私への最大の贈り物だった」無力だった少年を冒険家に変えた、一歩踏み出す勇気

生まれつき両手両足がない障がいを持ちながら、格闘や登山など数々の偉業を達成し続ける男の背景にあるものとはなにか。各界で活躍しているヒーローたちが講演した「HERO'S JOURNEY CONFERENCE JAPAN(ヒーローズ・ジャーニー・カンファレンス・ジャパン)」に、冒険家でありアスリートでもあるカイル・メイナード氏が登壇しました。2012年にキリマンジャロ、2016年にはアコンカグアの登頂に成功した彼を支えてきたものとは? また、障がいがあるからこそ見えてきた生き方について語りました。

「両手足がないことは、自分への最大の贈り物」

カイル・メイナード氏:記憶などをもとに、それが現実だと関連付けていますが、それが本当かどうかって誰がわかるのでしょうか? 自分の過去や、自分の新たな旅を始めようと妨げるものにがんじがらめになってしまいます。

あの日現れたトム・シャイというメンターは、私が新しい道へ踏み出す助けをしてくれたんです。

今日、少なくともメンターやこの場所で話をした他のスピーカーたちが、みなさんに、諦めず、今から他になにができるかを考えさせることができることを望みます。それ以外なにを望めるというのでしょうか? 普通の世界、夢、ビジョンを描き、それに向かって手を伸ばし、掴もうとすることを諦めてしまったら、どうなります? なにが掴めるでしょうか。

諦めないで、言い訳をしないで、困難な道を恐れないで、理想を手にするためにただ始めてください。そうすることで、どれだけの違いがあるでしょうか。ここにいるすべてのみなさんが1年後、どれだけ違って見えるかを想像してみてください。行動する中で、なにかを変えることがどんなに大変か知ることでしょう。

例えば、なにかを変えたいと本当に強く思っても、わらないものもあると思います。でもそれでいいんです。変わるものと変わることがないもの。この2つの違いを知る必要があります。

私が10歳だったとき、本当に無力で絶望的な場にいました。ほぼ毎晩、私は混乱していました。願い、祈りました。翌朝、夕方、両手両足が揃って目覚められますようにと願いました。もし私がそういう生き方をし続けたら、今とまったく違った人生を生きていたと思います。なぜなら、もし私が懇願しようと頼み込もうと、祈ろうと、この事実はなに1つ変わらなかったただろうから。

そしてある時点で、ただ始めることによって、新しい経験を得ること、すなわちフットボールで最初のタックルをするような経験を重ねることで新しい発見をすることができ、さまざまな可能性のドアを開けてくれました。

もしかしたらみなさん私が真剣じゃないと思うかもしれません。でも私は本当に真剣です。過去に戻って自分の人生をやり直せたら、それも両手両足が揃っている状態でやり直せたらとは思いません。

なぜならば、両手両足がないことは、自分にとってこれまでに得た最大の贈り物だからです。でなければ、私もヒーローズ・ジャーニーを理解することができなかったと思うんです。大きな問を考えたりすることはできなかったと思うんです。振り返ってみると、本当に最も暗くて辛い時間というものが、自分自身にとって最善の贈り物だったりするんです。もっとも多くを学べるものだったりするんです。

すべての旅は、大きな網のようにつながっている

困難や奮闘の中にいると「もうその困難以外のことだったらなんでもいいや」と思ってしまったりする時があります。その度重なる失敗の苦しみを克服していくことは楽しいことじゃないんです。

しかし、苦しみが最善のものだったりするんです。ローラ(・デッカー)が話したように、私たちはそれを通り抜けない限り本当になにが素晴らしいことかわからないのです。

普通の世界から遠くへと航海に出た時に、それが起こり得ることなんです。本当になにが素晴らしいかは、そこを通り過ぎない限りはわからないのです。普通の世界から遠くへと航海に出たとき、そしてどこか未知の世界へと移って行くときにそれは起こり得ることなんです。

そして普通の世界から遠くへと航海する中わかることは文字通り、そこに試練、奮闘、味方、ライバル、そして成長があるということなのです。本当にすべてのことが苦しみや困難な状況で起こるのです。

私は、より考え始めるようになりました。もちろん私が初めてこのようなことを考えた人ではないと思います。人生とは、このヒーローズ・ジャーニーによって描かれる螺旋です。それは1つの旅だけじゃなく、すべての旅が結びついているんです。何度も何度も、この本当に大きなネットワークを築いているんです。

そしてそれが後になってどのように繋がっているかがようやくわかるんです。というのも、非常にすべてが似たように見えるんですね。多くの要素が何度も何度も物語の中に出てくるんです。本当に人間的な物語なんですね。

でも約束できるのは、そこには2つのグループがあります。1つのグループは今日このイベントのおかげで、次の24時間で自分がなにができるのかという問いを考えるようになり、そしてその呼び声、天命に応えて行動を起こすんです。

もう1つのグループは、その呼び声を拒絶するんです。そして普通の世界の中に留まるんです。別にそれでいいです。それが別に間違っていることではないのです。しかし、同時にそれは、その中でなにが手に入るかは、きっとわからないと思うんです。

なぜならすべての旅は、大きな網のように繋がっているんですね。そして今でも私の人生は本当にクレイジーで、自分の親友のジェフと新しい会社を始め、写真撮影や動画撮影のやり方を学びながら世界中を周っています。

しかし、それがどこに辿り着くかということはわかりません。なんと言うか、こういう興味や望み、まったく違った方法を私が持つことを、他の人から見た場合、クレイジーだったと思うかもしれません。しかし、それでも私は同時に感謝できるんですね。そしてうれしくも思うんです。

実際にそのように行動し、そこに向かっていくということが、結果的に私自身を今まで想像できなかったところに連れて行ってくれると思うだけで、本当にうれしいんです。でもそれは、困難に何回も何回も立ち向かって行くことでのみで始まるのです。

「始めること」からしか始まらない

私が靴下を初めて履いた時、本当に大変だったんです。本当に大きな戦いだったんです。

父や母が、自分でやらせようとしたことのほとんどは……例えばその靴下を履かせてくれるとかズボンを履くということは、戦いが必要なことでした。母が手伝った方が簡単でした。私は徐々に学んでいったのです。でもこの経験は、自分が最初にレスリングをした時、1年半ずっと連敗したことと似ている感じがします。

ですから、本当にレスリングが嫌になるぐらいでした。でもそのずっと後にビジネスを始めて、「ノーエクスキューズ」というジムを始めたんです。しかし、オープンしてから最初の1年間はジムの中に寝泊まりしていた時も多かったんです。なぜなら深夜までそこにいて、でも朝の5時には戻ってこなければいけなかったから。だから20分運動して帰る、また来る……じゃなくて、もうジムの中に寝泊まりするほうが楽だなと思ったんです。

スピーチをするようになり、最初の200回分のスピーチは本当に嫌でした。とても緊張して、怖かった。そういう感じだったんです。

最初は大変なんですよ。でもそこに変化が訪れる時がくる。最初に靴下を履いた時は、両足で45分かかったんです。みなさんはいい人だと思いますけど、45分間も靴下を履くのは、おそらく待っていられないと思うんですよね。でも今はこんな感じで、10秒でできます。

レスリングやウエイトリフティングでも、最初はめちゃくちゃ下手だったんです。ウエイトリフティングでは、2ポンドとかですね。ギリギリでした。腕立てもこんな感じでしたし。でも身体の使い方をいろいろ学びました。

「情報を集めてから始めよう」と言って待ち続けてスタートしたら、靴下を履けるようになるなんてあり得なかったと思うんです。逆立ちなんでできるようになる可能性はゼロだったのです。

それを解決する唯一の方法は「始めること」だけなんです。

「他人から見た自分」が違っていても、それはあなたのせいじゃない

時に、例えば自分に対して自問して「自分は将来どこにいくんだろう」とか思いますよね。それは素晴らしいことですよ。私は最初に学び始めた時に思ったのですが、そんなに知らなくてもいいことなのではと思います。

すべてが必ず事前に計画をしてなくてはいけないわけではないんです。だって、どうせ進んでいくうちに変わるから。必ず調整するようになるし、そこに適用することになるんです。好きなNLPのコンセプトでもありますが、僕の役に立ってくれたのは、地図は領域ではないということ。これは前提だということなんですね。

例えば、地図を書いているとしますよね。どんな地域でも構いません。地図を描いているとしましょう。その時はそこのエリアに実際に行って、そこの地域を感じなければいけない、そして知らなければいけない、関係しなければいけない、そして理解しなければいけない。そしてそれらを深めないといけません。

でもそれをどれだけやったとしても、ただの自分の中の理解にしか過ぎません。結局は、私たちは全員頭の中の地図に従って生きているわけなんです。

これはいいことだ、悪いことだ。これは正しいことだ、間違っていることだというように、頭の中にたくさんあるわけですね。でも今、本当に頻繁にを聞くことがあります。世界に怒りが満ちていると思う。こっちは保守派でこっちはリベラルで、両サイドでお互いにいがみ合って、嫌い合って戦い合って、深くそうやって怒り合っているんですね。

なぜなら、彼らはこれこそが世界の地図だ、これこそが現実なんだということを頑なに信じているからなんですね。僕を最初に見た時、きっと彼はレスラーや登山家なんて思わないですよね。でもそれが実際の理解の領域なんです。

私がそれについて理解したのは他人が違う視点で見た時は、それは私のせいではない。私がそうさせているのではなくて、その人自身の自分の地図がそう解釈しているのです。

「めちゃくちゃだ!」がヒーローになる本質

例えばヒーローズ・ジャーニーに行きますよね。ローラが最初にヒーローズ・ジャーニーに行った時、みんなは抵抗し、反対したと言いました。それは、周りの反対していた人たちの頭の中の地図が「これは危険だ。これは頭がおかしい」と思っていたからに他なりません。

しかし、ほとんどの人にとっては実際にそうだと思う。頭がおかしい、めちゃくちゃだと思うかもしれない。でもそれがヒーローになることの本質です。

ただ、普通の世界に留まっているヒーローなんて決して存在しないんです。常に「普通」を手放し、なにが可能かを模索していくことから始まり、世界に対して、自分自身の地図はただの地図にしかすぎないということを知る。これ自体が世界ではないと知ることです。

今の自分がただ信じていることにしかすぎない。そして自分の真理、自分の意見にしかすぎない。そしてその現実が現実とは限らない。つまり、他の人の意見や信じていることだってあると。

私にとって違いを見い出した古代の事柄、パニシャードというものがあります。インドの書物です。2500年ぐらい前の書物です。そこにこう書いてあるんです。ブラーメンとアトメンが現実の魂について語っていることなんです。そこで2人が言うんです。知らないものは知らない人のところにしか来ないというような、すごく混乱するような発言だったと思います。

したがって、自分自身の魂や本質を発見する方法は、ただ「知っている」ことを手放すことなのです。つまり、なにかを知らなければ、知らないほどそれを発見する。そうすると自分の知能がどんどん豊かになっていくんです。

そして私がこうやっていること、そして他の人たちがいること、スピーカーの方たちがいること、みんな思っているのは最高に手に入る限りの人生を生きてほしいということなんです。

それに加えて、常にこうやってすごくすごく誰も経験したことのない、話したくないようなことだとも思うんですけども……ヒーローが必ず直面するのは、究極的な犠牲です。つまりヒーローが壊れてしまって敗北して死に直面することなんです。そしてもう1つの側面は、新しく生まれ変わる再生がある。でも死なないと再誕生することはできない。

つまり死は、再生から切り離すことはできないのです。

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