2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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今日はその旅についてのお話を少ししたいと思います。映像を見て頂いた方が私というものを知っていただけるでしょうから、まずは少しこちらの映像をご覧下さい。
(動画が流れる)
単独で世界一周を成し遂げた最年少者、ラウラ・デッカー。そんな私がいつも耳にするのは「何でそんなことをしたかったの?」や、「どうしてそんな無謀な冒険をしたかったの?」という質問です。その質問の答えを明確にするためには、少し話を遡らないといけません。
そもそもこのボートは私の父が20代前半の時に乗っていたボートなんです。そのボートで世界一周をしている時に母と会い、2人で世界一周の旅に出たのです。
数年後、ニュージーランドに辿り着いたのですが、そこで私の登場です。私が産まれたのです。私たちは1、2年ニュージーランドに住んだ後、再び航海の旅に出ました。
つまり、私は乗組員の1人となったわけです。オーストラリアに行き、インドネシアに行き、それから両親の祖国でもあるオランダに行きました。仕事もしないといけなかったでしょうからね。
母は大道芸人でしたから、蛇と戯れたりだとか、たくさんびっくりするようなこともしていました。母はピエロとして、父は船大工として、各地でとても重宝される存在でした。
色んな場所を旅することができました。辿り着いた先々で、色んな話を聞かせてもらえたものです。オランダに戻ると、私の妹も産まれました。今、彼女は母の近くにいて、サーカスで働いています。
このように私は一風変わった家族から産まれたんですね。私が6歳の頃に、残念ながら両親は別れてしまったので、私は父についていくことにしたのです。その時に約20メートルくらいの新しい船、もっと大きな船を父は建てていたんです。その船を父と一緒に建てながら、一緒に船に乗っていたんですね。
マストはまだつけていないのですが、今この船は太平洋に出ています。父がボートを建てて行くのを間近にしながら、私は育ったのです。
そんな中で私は自分自身のボートを持ちたいと思うようになったのです。それがこの写真のボートです。このボートでオランダの川なんかで航海を始めたのです。航海を続ける内にボートはだんだん大きくなっていきました。このボートではオランダの川で行われる競争にも出たんですよ。
若者の競技大会ではあまりに私ばかり勝ってしまうので、公平な勝負とは言いがたくなってしまいました。なので、簡単に勝てないようにするために誰かをボートに乗せた方が良いんじゃないかって話になったんですね。ボートをもう少し遅くし、勝ちにくくするために。
でも他の誰かと一緒に航海するのは嫌だったので、自分の犬を入れて良いかどうかを提案したのです。私と同じ位の体重だしって。するとそれが認められ、「犬と一緒に航海して」って言われるようになったのです。それから、犬は私の乗組員となっていつも一緒に航海するようになったのです。
そうこうしている内に私たちは若者の競技から閉め出されてしまったので、航海できなくなってしまいました。それで、大人の競技に参加するようになったのです。
その時、私はもう少し大きめの新しいボートとの出会いがありました。そのボートは私たちの住んでいる船着き場にあったので、そのボートのオーナーを見つけて聞いてみたのです。
「このボートを修理して、この港に入れて、こっちに戻って来れたら私が使っても良いですか?」。
驚くことに私はまだ10歳だったのに、「いいよ」って言ってもらえたのです。
私はボートをすごく奇麗にして、整備しました。このボートで少し競技にも出ましたが、競技に出るには大き過ぎるなと思ったので、クルージングに出ることにしたのです。もちろん、犬も一緒に。
私が11歳の時には自分のボートを実際に買いもしました。同じタイプのものです。「どうして11歳がボートを?」って普通は思うでしょうね。良い質問です。私はそういうタイプなんです。8歳の時からですけどね。ある日突然世界一周しようって思い立ったのですから。
どうしてかも、いつ頃からそんな考えが浮かんできたのかもわかりませんが、気がついたら私は自分の人生において、世界一周をしようと決めていたのです。
それから、直ぐに準備に取りかかりました。準備しないといけないことはたくさんありました。色んなことを知る必要が在りましたし、ボートや、お金も必要でした。とにかくどんなことからでも良いから、ひたすら世界一周に向けての準備を始めたのです。お店の掃除や新聞配達といったことから。ある時には一輪車を買って、その乗り方を習得し、街へ出て一輪車乗りのパフォーマンスをしたこともあります。なかなか上手くいったんですよ。
おかげで、11歳の頃には自分のボートを買うことが出来たのです。その時のボートで犬と一緒にオランダ中を回りました。11歳の夏中ずっと、です。12歳の時にも同じことをしました。
そのうち、オランダでは満足できない自分に気づいたのです。もう少し違うものが見たいと思ったのです。私が次に選んだのはイギリスに航海するということでした。24時間、110ノットマイルを。そのことを私は誰にも知らせないで出よう、と思ったのです。
とくに両親には知らせないでおこう、なんてね。そして、実行に移したのです。ボートの準備をして、イギリスへ航海に出ました。すると、イギリスで待っていたのは警察でした。北海と言われるところです。
そこは航海をするには本当にひどい場所なんです。車で高速を横切ろうとする感じと似ています。船は多いし、交通量は多いし、天気も霧だらけだし。その時の私には特別なレーダーだとか、そういうものはありませんでした。紙の地図、チャート、そしてGPSしかなかったのです。
ですので、ほとんどの時間をひたすら座って、がんばって霧の向こうに船を見つけたり、サーチライトを見つけたりして、自分がどこにいるのか、見つけた船がどこにいるのかということをどうにかして探り当てようとばかりしていたのです。
稜線がそこにある、大きな船がそこにある、なんて言う具合に。全て上手くいったおかげで、何事もなく、英国側にたどり着けたのです。
そして、数日滞在している内に、警察が私を見つけ、父が私を警察に迎えに来たのです。どういうわけか成し遂げられたのです。イギリスに行くことが出来たのです。父はボートで来てくれていたので、そのボートでオランダに戻ったのですが、その時に私は思ったのです。
「もう出航しない理由は無いんじゃないか」って。「ボートも、お金もあるし、どうすればいいのかもわかっている」「海路だってわかっているし、イギリスまでだって来れた」「100回イギリスに行っても戻って来れる」「もっと違うところ、同じくらいの距離の南ヨーロッパにだって行ける」。
私にとってその考えはとても論理的な考えだと思ったのですが、そう思ったのは私だけだったのかもしれません。とにかく、「世界一周に出よう」と思ったのです。しかし、たくさんの人の反対に会いました。学校はどうするのだ、というのが主な声でした。
そこで私は海でも学校の勉強を続けられるようにしてくれる人を探したんですね。でも、(海の上での勉強は)とんでもないって。先生も、親も、児童相談所も否定しました。私は航海差し止めをくらったのです。そのことが法廷での提訴にまでなり、争いが勃発してしまったのです。
裁判の行方はメディアの注目を集めてしまって、何だかもうとんでもない状態でした。ものすごく大変な思いをしたのです。世界一周の旅の中で1番大変な時でした。メディアや法廷、判事、そして私自身に対する否定的な反応と向き合わなくてはならなかったのですから。
そんな中、なぜ私が私が世界一周を諦めずにいられたのかというと、ある日のことです。私の目の前には3人の判事が居て、航海についての質問を私にしていたのですが、判事が何も知らないのが丸わかりだったのです。ボートについても、私についても、家族についても何も知らないのが。
そんな状態なのに、私が航海に出られる能力があるかどうかを判断すると言うのです。それはちょっとおかしな話だと思ったんです。私のことも知らない、航海のことも知らない、家族のことも知らないのに、航海して良い、なんて答えが出るとは思えなかったのです。私は世界一周に向けての準備を何年もかけて行ってきたのです。だから、「戦わないと」と思ったのです。
判事の判決では私のボートは航海するには小さ過ぎるから、もっと大きなボートにしないといけないということでした。なので、新たにボートを見つけ出して、使えるように父と直しました。ボートに関する必要なことは全部父から教えてもらいました。修理のことやエンジンのこと、先導のことなど。
実際に私は試運転として、この船の初航海でイギリスに行って戻ってきました。イギリスから戻ってくるときに、なんと私はとても大きな魚網の上を通ってしまったのです。航路の上に、魚網が浮かんでいました。
そのとき私は船の中に座っていたのですが、突然エンジンが停止したんです。風が全くなかったので、どこにも行けなくて。ちょっと外を見てみると、巨大な漁網が浮かんでいるのが見えたのです。水平線からは船がやってくるのが見えたし、他に選択肢もなかったので、私は海の中に潜り込んでナイフで漁網を切り取るしかありませんでした。
その船にはプロペラが2つついていたのですが、漁網を外せたのは1つだけでした。もう1つには漁網が絡まったままでしたから、オランダに戻ってくるのはけっこう大変でした。時間はかかりましたが、帰ることは出来たのです。
中々興味深い話ですが、その次の日に私には裁判がありました。なので、朝の4時かそこらには裁判所に行ったんです。8時か9時には裁判が始まったのですが、私は裁判所に着いた時には本当に疲れてしまっていたんですね。髪には漁網が付いていて、手は傷だらけ。
もちろん、みなさん聞いてきましたよ。何が起きたのかって。それで、何が起こったのかを説明しました。奇しくもそれが最後の裁判となりました。興味深いことです。もう争う必要は何もなくなったのです。そのことは私にとってすごく良い試練でした。何か起きたことに対して、対処をしなければならなかったという経験は。
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