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がん予防が切り開く新しい社会(全4記事)

「啓発だけでは予防は進まない」日本の医療制度に欠けた“インセンティブ”の視点

2016年11月3日〜6日の3日間にわたって、「サイエンスアゴラ2016」が開催されました。キーノートセッション「がん予防が切り開く新しい社会」に登壇した高橋真理子氏は、「予防にもっと戦略を」をテーマに講演を行いました。

予防にもっと戦略を

高橋真理子氏:みなさん、おはようございます。朝日新聞の高橋です。今日は「がん予防」がメインのテーマですけれども、もう1歩下がって、予防全体についての「そもそも論」を考えてみようということで3つのポイントをご用意しました。

最初に、英国流の考え方をご紹介します。ポイントは「啓発だけでは予防は進まない」ということです。

次に、ちょっと自分の本の宣伝をします。古い本ですので、別に今更買っていただかなくてけっこうです。

最後に、日本の医療制度の課題についてお話しします。

予防について議論されるときに、「啓発が大事ですね」「そうですね」で終わってしまうことが多いのですね。そのことに対して私は不満というか、ずっと思ってきたことがあります。まずはそのことをお伝えしたいと思います。

ユーロサイエンスオープンフォーラム(ESOF)とは

英国の話をどうやって仕入れたかといいますと、今年(2016年)の7月に、英国のマンチェスターで「ユーロサイエンスオープンフォーラム(ESOF)」という催しがありました。2年に1回ヨーロッパ各地で開かれるもので、サイエンスアゴラのような催しです。

アゴラはこのESOFやアメリカで開かれているAAAS(アメリカ科学振興協会)などの先進的な例を見て、日本でも科学に関係するいろんな分野の方が一堂に集まる機会があるべきだという発想で始まったと聞いています。ESOFは2年に1回、ヨーロッパ各地を回るというところがアゴラとは違いますが、ここに行ってきました。

会場はいろいろありまして、街の中でも科学に関連するイベントをやっています。そこで「耐性菌問題の分科会」がありました。

耐性菌問題とは

今日お集まりの方は「耐性菌問題」をよくご存知かもしれませんが、私はふだん「WEBRONZA(ウェブロンザ)」で記事を書いていまして、そこでも(「耐性菌問題」について)書いたのですが、ざっと復習しますと、ペニシリンに代表される抗生物質は、細菌をやっつける本当に魔法の薬でした。

ところが使っていると、抗生物質で死なない菌が出てきます。これを耐性菌と呼びます。それを殺すために新しい薬を開発して、そうするとまた新しい耐性菌が出てきて、というイタチごっこになりました。

問題なのは、薬メーカーにとって、新しい抗生物質を開発することが割に合わなくなっているということです。新しい抗生物質の開発に滞りが出てきてしまったと。

そうすると、薬が効かない耐性菌が跋扈(ばっこ)するようになって、気がついたら「ペニシリン」以前の時代に戻ってしまっているではないかと。これが耐性菌問題です。

英国の医療経済学者の発想

これをどうしたらいいかというお話が分科会でありました。そこで発表された、英国の医療経済学者の方の発表内容に、私は深い感銘を受けたというか、大変強い印象を受けました。彼女は2つの視点で考えました。

「個人vs社会」で考えると、その瞬間は自分の病状をよくしてくれるということで、やはり個人にとっては抗生物質の利用にメリットがあるわけです。一方、抗生物質を使うことによる(耐性菌出現の)デメリットというのは、自分ではなく他人が被るわけです。

「現在vs将来」というかたちで考えると、将来耐性菌が出るかもしれないけれども、現在は薬を使ったほうがメリットがあるということで、結局みんな抗生物質を使ってしまって、その結果、耐性菌が出てしまうことになるわけです。

耐性菌を抑えるためには、抗生物質の使用量をもっと減らすべきだと。そうしなければいけないということは一致しているわけです。

では、「どうしたら抗生物質の利用を減らせるのか?」です。普通に考えたらみんなで使いたいと。そこで、この経済学者が言った言葉がこれです。

「抗生物質利用に税金をかけたらどうか?」と。

抗生物質を使うときには税金を取ると。こういうことがやはり日本人はなかなか思いつかない、イギリス流の発想だなと思ったわけです。

抗生物質に税金をかけたらどうなる?

もし抗生物質に税金をかけたらどうなるか。当然、抗生物質の値段が高くなったら使用量は減るだろう。どのくらい減るかは、いろんな要素があって決まってきます。

例えば、いくらくらいの税金をかけるか、人々がお金をどれくらい持っているか、その抗生物質を使わないとして代わりのものがあるかどうか、その値段がいくらぐらいか、それから「抗生物質を飲めば3日で治る、飲まないと5日かかる」という差をどのぐらい大きく感じるかといったいろんなファクターが関係して、税金をかけたときにどれだけ使用量が減るかが決まってくるだろうというわけです。

スピーカーの見解

この方が英国の医療経済学者です。彼女の見解としては、「耐性菌問題は、単に科学の問題ではなく、社会問題である」「耐性菌をめぐる医療経済学(を含む社会科学)の研究はまだまだ不十分」であるということでした。

先ほど言った、(抗生物質の使用量を決める)要素がどのくらいの大きさかという見積もりはまったくできていないというわけです。

それで「そもそも、そこに十分な研究資金が投じられているかどうかが問題である」「この問題の議論は多いが、アクションは少ない」と。

「耐性菌が問題だ」という議論はとても多くされていますが、「じゃあこうしよう」というアクションがなかなか出てこないというわけです。

今、日本政府も耐性菌問題に一生懸命に取り組むようになりましたが、とりあえず、イギリスの方がこのようにおっしゃっています。

それで、ここがポイントです。「教育・啓発ばかりに熱心で、インセンティブを変える努力がない」。インセンティブを変える努力というのは、先ほど言ったような、税金をかけて値段を高くしてしまうことによって使用量を減らす。そういう実質的な政策というか、努力がないということを彼女は指摘しています。

タバコと税金

この話を聞いていてすぐに思いついたのが、タバコと税金の話です。2002年の古い資料しか見つからなかったのですが、これを見るとイギリスが健康維持のためにいかに税金を利用しているかがよくわかると思います。イギリスは、タバコに対する税金をこれだけかけていたわけです。

(左の棒グラフは)税金が上がる前の日本ですから(税金が)少ないですけれども、この差はもうイギリスの考え方をとってもよく表しているグラフだと思います。

日本のたばこ会社の主張

これと同じことをJTが表すとこういうグラフになります。これ、わかりますか?

イギリスは税金全体が高いので、日本のこれ(白い棒グラフ)に対する紫のグラフの割合を選べると大して変わりません。JTはこのグラフを一生懸命出して、2009年の税金を上げるか上げないかの大議論になっているときに、「日本の税金はあまり高くありません」といってキャンペーンを張るわけですね。

たばこ増税の経緯

結局どういう状況だったかというと、厚労省は一所懸命、毎年たばこ増税すべきだとおっしゃっていただいています。

2008年と2009年というのは、たばこ増税論が盛り上がって、いったん見送られて、2009年にもう1回増税が議論になったという時期です。こういう時期にJTはさっきのようなグラフを出して「税金を上げるな」という主張を展開したわけです。それでも増税が決まりました。それで、今はこのレベル(1本あたり3.5円)です。でも厚労省は「もっとあげよう」と言ってくださっています。私はたばこ増税には賛成です。

残念な日本の医療の仕組み

残念な日本の医療の仕組みということに話を進めます。2011年に『子宮頸がん予防』という本を出したのですが、このときに非常に感じたのは、子宮頸がん検診というのは、がん検診の中でも有効性が認められたすばらしい検診なのですが、先ほどからご指摘があるように、日本は検診率が低いのです。

とくに若い女性が気軽に受けられる仕組みがない。やはり産婦人科を訪ねるということ自体が、20代の女性にとってはハードルが高いことだと思います。

医療機関側も検診は「余計な仕事」ととらえがちであって、ワクチン行政も透明性が足りない、説明責任を十分果たしていないと感じました。

「もっとインセンティブを!」ということで、まったく同じことが言えると思います。「検診を受けましょう」と言うだけでは物事は進まないということです。やはり「やった方がトク」というインセンティブが必要だと。

それを作るために、大変大きな障壁になっていると思ったのが、予防と医療を別々にしている健康保険制度の根本思想です。

健康保険というのは病気の治療にしか使えません。予防検診に行くときには別の財布を出さなければいけない。もちろん公的な支援はあるわけですが、その枠組みが違うので、スムーズに制度設計ができていないなと思いました。

本来は一体のもの、人々の健康を守るという1つのものなのに、経済制度が違っていることによってゆがめられているなと思いました。

日本の医療制度の最重要課題とは

日本の医療制度の最重要課題を挙げてみます。まず、予防を医療と切り離していて、別々の財布から費用を出していること。

第2に、積み上げ方式で医療政策が決まっていて、全体を見た最適化を考えていないこと。

分野分野では、本当に一生懸命やっていると思うんですけれども、全体を通してどうなのかということを考える場所がないんですね。

3番目が、効果(副作用を含む)は、事後的に測定しないとわからない部分があるのに、それを測定する意欲も体制も乏しいこと。

ワクチンの副作用報告は少し改善されましたけれども、全体的に見てこれを測定する意欲も体制も乏しい。これもインセンティブがないということにつながると思いますけれども、このような問題があると思います。

私のまとめです。予防は、単に科学の問題ではなく社会問題です。予防をめぐる医療経済学を含む社会科学の研究はまだまだ不十分で、そもそもそこに十分な研究資金が投じられているのか甚だ心もとない。

そして、予防についての議論は多いけれども、全体を通してアクションは少ないことは明らかです。

つまり、教育・啓発ばかり熱心で、インセンティブを変える努力がない。さっき見たスライドと同じですけれども、私はまったく同じことが言えるなと思ったわけです。

私はふだんは「WEBRONZA」というサイトで、随時いろんなテーマについて書いております。最後にご紹介するスライドは、ドラッグ問題について3回ぐらい書いた時の記事です。

これも先ほどご紹介した「ESOF」で麻薬撲滅に関する分科会があって、そこでの議論もとてもおもしろかったのでご紹介しました。有料サイトで恐縮なんですけれども、途中までは無料で読めます。

ご清聴ありがとうございました。

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