2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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キャスターをやっていたときに最初の市民運動セクターにいたことが役に立つんですけど、その前にさっと略歴の自己紹介だけすませちゃいますね。
その後(フリーキャスターの後)、2010年の10月に内閣審議官に就任しました。
当時、菅さんが突然総理大臣になってしまいまして。鳩山さんがひょっと辞めてしまったんで、なんの準備もなくいきなり総理大臣になった。
学生時代、さっきお話ししたように新人議員・菅直人のところで多少、市民選挙とかやってたんですが、当時から菅さんは、学生の我々と飲むと、新人1年目の議員で泡沫でしかも社民連というたった6人の政党の分際で、「何十年後には総理大臣になる」って構想を語ってたんですよ。「おもしろいこと言うなあ」と思ってたんですが、本当になっちゃった。
2010年の6月に(総理大臣に)なって、その8月にたまたま会う機会があったので、当時まだ私はTBS『みのもんたのサタデーずばッと』という番組のキャスターをやってましたが、こう尋ねました。
「菅さん、なにやってるの? 総理大臣になってからなにやってるか、全然国民に見えないよ。学生時代から知ってる僕に見えてないんだから、一般の有権者に見えてるわけがないよ。急になっちゃったからしょうがないけど、もうそろそろ情報発信だけを考えるスタッフを近くに置けないの?」と、うっかり言っちゃったんですね。
これが地雷を踏んでしまって「じゃあ、あんたやってよ」と言われてしまった。
「いやいや、私はメディアという安全地帯から批判だけしてますから」とはなかなか言えなくて、しょうがないなということで「わかった」と。民間任用という制度がありますからそれで内閣広報室に入って、TBSというメディアからいきなり職場が首相官邸に変わってしまいました。これが2010年の10月です。
民間任用の任期は普通2年だけど、菅さんの言い草が「延長ができるから、俺が総理の間は続けてくれ」と。結局、「どっちが先に辞めてんだ」というかたちになったんですけど(苦笑)。
私はその後、丸2年の任期満了はしましたが、その満了時は野田政権の末期で、まだ東日本大震災や福島原発事故の問題に忙殺されて官邸の一般的な情報発信がまだまだ改革の途上という時期でした。だから、もうちょっとこの仕事に関わり続けてちゃんと国民に政府のやっていることが伝わるようにしたいなと思いました。
内閣広報室側からも残留を要請されたので、民間契約で「内閣広報アドバイザー」というかたちで継続契約しました。そしたら途端に総選挙になっちゃって、自民党政権になりまして。
でも何党になろうと、私は別に民主党の広報がしたくてメディアから転身したわけではない。政府の広報をやって、政府と国民を近づけたいということですから、別に自民党でもいい。むしろいろんな政党・政権によって広報がどう違うのかを見てやろうと思って、そのまま残りました。
ですが、結局安倍政権については4ヵ月関わっただけで、年度末の2013年3月をもって官邸側から事実上「さよなら」と言われて去った、ということです。
このときやってたことを簡単に言うと、菅政権ではとにかく新たな発信づくりということで、官邸と国民を近づけるために色々試みました。
国民からくる声をもとに、官房副長官だった福山哲郎さんと私がDJのような番組を作って、「○○さんからこんな質問が官邸にきてます」と私が読み上げて福山さんがちゃんと説明する、というような動画を作るところまでやっと漕ぎつけたんですが、試作品を撮った数日後に震災が起きてしまって。結局それは頓挫してしまいました。
続く野田政権では、今後の原発依存度をどこまで減らすかについて「国民的議論」というのをやりましたよね。みなさん、はるか昔のことのように感じていらっしゃるでしょうけど、2012年の夏です。
このときに「革新的エネルギー・環境戦略」というのを作って、2030年代までに原発依存度をゼロにするという、政府としてのオフィシャルな決定をしたわけですけども。各地を巡回する「意見聴取会」の司会をしたり、その戦略の文章を考える6人チームの1人に加わったり、野田政権のときはそのあたりを中心にやっておりました。
安倍政権では初動3ヵ月余でしたけども、Facebook・LINE・ラジオなど基本的に民主党政権時代から内閣広報室で作っていた枠組みを継承・発展させて。今、安倍政権はこれを非常に上手に活用してうまくやってます。民主党のときはぜんぜんうまく使えなかったんですけれども、その辺は安倍政権は(政策自体の評価は別問題として)非常に広報マインドが優れているなと思いながら見ております。
私は13年3月でお払い箱になったので、今は慶応義塾大学と関西大学と栃木の白鴎大学、この3つを軸にしながら教育セクターに軸足を移し、そこで今やっております。ですから、市民運動セクターから報道に行って、政府に行って、今は教育ということで、4つの畑を渡り歩いて今度はどこにいくんだろうなという感じです。
せっかくですから、それぞれのセクターでの体験をざっとお話ししたいと思います。まず市民運動については、やりながら一番感じたのは、例えばチラシを撒いたりとか、そうやって一般の人たちに働きかけることの難しさですよね、やっぱり。市民運動セクターを経験されてる方はみなさん感じていらっしゃるでしょうけども、輪を広げることの難しさ。
でも、一度前にいる誰かがチラシを受け取ってくれると、その次の人も受け取ってくれるんですよね。ダダダダッとはけて、また急にはけなくなってみたいな、世間の受け止め方のムラみたいなものをリアルに学生時代に経験して。それが体の中に原体験として非常に染み付いてます。
それから報道の世界に入ったわけですけど、そこでの一番印象深い仕事は「SOS100円ダイヤル」という仕事でした。みなさんでお若い方はご存じないかもしれませんけども、かつて「ダイヤルQ2」というものがありまして。NTTが開発したサービスなんですけど、0990で始まる特定の電話番号にかけるとそこでなにか音声情報サービスが流れて、聞き終わって電話を切ると、電話代のほかに「情報料」というのが課金される。例えば1分100円とか、いくつかのランクがあるんですけど。
電話代と一緒にそれが徴収されて、NTTはその上乗せ徴収分を、音声情報サービスの発信者のところに払う。そういうサービスがあったんですね。
しかし、これは非常にエロ番組などが横行して、子どもたちがやたらめったら聞いちゃって。なにも知らないお父さんのところに突然50万円の電話代の請求書がくるみたいな社会問題になりまして、結局ダイヤルQ2はそのまま廃れていくんですけども。
このQ2がまだ好調な頃に、それを使って、私とNTTで組んで在宅募金システムを開発しました。これは、まさに市民運動団体で「すごく意義のあることをやってるんだけどお金がなくて困ってる」というところを、当時私がやっていた『ビッグモーニング』という朝の番組で1週間に一団体ずつ紹介する。
そのときに「0990~」という番号を画面に出して、「この電話番号にお電話ください。1分間、この団体についての説明を流します。そして自動的に切れます。その1分で電話代のほかに100円がNTTから徴収されます。それがTBSに転送されて来たら、100円をその団体に届けます」と。そういうシステムを作ったんですね。初の在宅募金。
きっと「募金箱に入れるのは恥ずかしいけど、本当は自分のお金を社会に役立てたい」という人がいっぱいいるはずだという仮説でこれを始めたんですけども、予想以上に当たりました。
第1回の放送は、盲導犬が足りないということで中部盲導犬協会というところに寄付を呼びかけたんですけど、次の団体に切り替わるまでの7日間、用意した回線は一度も途切れませんでした。24時間ずっとかかり続けてる。つまり多くの人がお話中で待ち続けてるという状態になりました。
僕がこの企画を考えたときには、1週間で5,000コールかかってきたら、1コール100円ですから計50万円になると。50万円がその団体に寄付できたらそれはうれしいよねという目標でやろうとしたんですけど、なんと最初の1週間でいきなり11万コールかかってきて。その団体に1,100万円をいきなり寄付できてしまいました。
その後もずっと同じ調子で、だんだん初モノの珍しさはなくなるので少しずつは減りましたけども、少なくとも200万円くらいずつは各団体に寄付できるという状態がずっと続いておりました。
そうこうするうちに阪神大震災が起きて、このときは400万コールの電話がかかってきまして、4億円を寄付することができました。1人100円です。みんなの100円玉で、4億円を寄付することができました。
このシステムを思い付いたのはそもそも市民運動セクターにいたからなんですが、視聴者から番組にくる感想の中で「こういう募金のシステムを思いついてくれてありがとう」という声がずいぶんあったんですね。募金をもらう側がありがとうって言うんじゃなくて、募金をする側がありがとうって。
これを見て「やっぱりそうなのか」と確信しました。なにか仕組みさえできれば、ちょっとのブレイクスルーができれば、そこからバーッと日本社会だって市民の力だって結集できるんだなと。現実に結集できた仕事だったので、それはすごく印象深く覚えております。
ダイヤルQ2自体がなくなっちゃったので、今はTBSにも100円ダイヤルはありませんけども、いまやこれのブラッシュアップというか、クラウドファンディングというものがインターネットにありますから、そういう意味では幸せな時代になってるなと思います。
それから、これも今につながってくるんですけども、報道の世界での体験で一番恐かったのは「簡単に報道に反応する視聴者への危機感」です。やわらかいのとかたいのと2つご紹介します。
やわらかい方は「エイプリルフール事件」というんですが、ちょうどある年の4月1日に私は朝6時半から7時までのニュース番組のキャスターをやっていました。
オープニングのフリートークのところで、4月1日だったので「さて、4月1日から日本もいよいよ夏時間になりますね。この番組が終わった7時の時報と同時に、時計の針は8時ということになります」とポロッと言った。
その後30秒くらいスポーツキャスターが別のことを言ってからもう1回僕に戻ってきたときに、「そしてもう1つ。今日4月1日はエイプリルフールです。さっきのようなジョークにはみなさんひっかかりませんように」と言ったんですね。
そしたら、30分の間に全国の系列局、北海道放送から琉球放送まで抗議の電話が鳴りっぱなしになってしまいました。要するに信じた人たちからの問い合わせや、「今まで何十年もJNNの報道は信じてきたけども今日から信じない」とか。
先輩たちが営々と築いてきた信頼を一瞬で打ち砕いてしまったんですね。サブ(副調整室)の部屋から何回も「もう1回訂正しろ」「もう1回謝れ」ってメモがきて、30分間に何回訂正したかわからないんですが。
そういうことがありまして、当然ながら私は社内で平謝りです。そのときに本当に感じたんですけど、ご存知のとおりイギリスのBBCとかはエイプリルフールになると手ぐすね引いておもしろいジョークのニュースを流したりするわけなんですよ。
でも日本でやるとこんなひどい目にあうのかと。本当にみんな、マスメディアというのは絶対の真実しか伝えないと思ってるんだなと。「今から刺し違えに行くから玄関で待ってろ」なんて電話もきましたし。「俺たちは情報は鵜呑みにしてるんだ。バカにするな!」ってよくわかんない電話もありました(苦笑)。そこで本当に怖いなと思いました。
でも、これはシャレがすべったという事件ですからまだいいんです。しばらく私は「ミスターサマータイム」って呼ばれてましたけどね。
(会場笑)
その後、もっと深刻な危機感を募らせる事件が起きます。松本サリン事件です。
地下鉄サリン事件の半年前に起きた松本サリン事件では、第一通報者の河野義行さんという会社員の方が……まだオウムの犯行だってわかるずっと前ですが、第一通報者でありながら、奥さんを亡くされてご本人も1ヵ月入院してという第一被害者でもありながら、もっとも発生源に近い家だったということで警察から家宅捜索を受けました。
その家宅捜索が大々的に報道されたことをきっかけに「この河野がやったに違いない」ということで、逮捕もされていないのに日本中のメディアが踊り、それを鵜呑みにした全国民が踊り、河野義行さんに対してものすごくたくさんの抗議の電話やらFAXやらハガキやらが殺到するということが起きました。
彼はサリンの被害者でありながら、これによる二次被害で職も失い、本当に社会的に抹殺されてしまいました。
さらにそのことについて、私たちが番組で「河野家にあった薬品をどう調合してもサリンはできない」という報道をすると、今度はTBSにも「下村はなんで殺人者の肩を持つんだ。亡くなった遺族の気持ちを考えろ」というような抗議が殺到しました。
「遺族の気持ちを考えてるから真犯人を探そうとしてるんじゃないですか」と言っても、まったく聞く耳を持ってもらえませんでした。
このときの社会の反応、いろいろな抗議をしてきた人たちに全部共通してるのは、「みんな正義感に燃えていた」ということです。義憤にかられて「自分は正義だからこらしめてやる」ということで抗議を殺到させ、河野さんを追いつめていきました。
これは神風が吹くと信じていた頃の日本社会となんにも変わってないなということを、私はこのときに痛感しました。
あのときにもきっと「いや、日本が英米に勝てるわけがない。戦争に勝てるわけがない」と思っていた人たちがいましたよね。でもその発言をするとこういう目にあったんだなということを、私も河野さんもそのとき“非国民”扱いされて痛切に実感させられました。戦後70年とか言ってますけども、国民のメンタリティはなにも変わってないかもしれない。
今はインターネットがあって多様な意見が聞けるようになったからまだマシかもしれないけど、もしかしたら逆にインターネットができたことでもっと炎上が激しくなるかもしれない。
あのときはわざわざポストまでいやがらせの手紙を入れに行かなければいけないという面倒なハードルがあったのに、それでも河野さんは十分追いつめられました。今はそんなことしなくても、気軽にいくらでも人を追いつめることができますから。
インターネットの使い方を間違ったら、ものすごく恐ろしいことになる。そのことをこの時期にすごく感じました。これが今の第4のセクター、教育の場で私がやってることに直結してくる体験です。
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