2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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小宮悦子氏:こんにちは、モデレーターの小宮です。ジャパンハートの理事をやっております。まず最初の25分間、ジャパンハート代表の小児科医吉岡よりお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
吉岡秀人氏(以下、吉岡):よろしくお願いします。さっそく話をしたいと思います。僕が医療活動を始めたのは、今からちょうど20年前の1995年です。
(スライドを指して)この赤ちゃんはそんなに前の赤ちゃんではなくて、わずか7、8年前の赤ちゃんなんですね。見ていただいたらわかると思うんですけど、生まれつき腸閉塞に陥ってまして、お腹がパンパンなんです。
ところが、どこの病院も診れないんです。日本でもこういう子供はたくさん生まれてくるんですけど、僕らは子供の外科医ですから、こういう子供を今までたくさん診てきて、すぐに病院に搬送して助けることができます。
この赤ちゃんは、助けてもらう前に、16時間満員のバスで揺られて、ようやくたどり着くんですけれども。村の人ですから、お金があまりありませんので、治療が受けられないと。
ほとんどの農家のお金のない人たちは、そのまま村に引き返して、このような子供を見送っていくというのが現状なんですね。僕たちはずっとミャンマーで医療をしてますので、こういう子供がしょっちゅう搬送されてきて、手術をして助けていくということをしています。
この子も死ぬつもりで、村に帰る途中に僕らの病院に寄って、手術をして助かった子供です。これが退院のときです。この子も生まれて数日ですけど、感染症に陥りました。
現地の医者には、「もう今日の夜死ぬ」と言われて、最後の希望だっていうので僕のところに夜中に訪ねて来ました。非常に厳しい状態だったので、僕ももうだめかなって思ってたんですが、この子もなんとか一命を取り留めることができました。
これはもう、1週間ぐらい後ですね。経腸栄養と点滴でここまで持ち直しました。今は元気に暮らしています。
吉岡:この女性はエイズでもう死ぬ直前です。ミャンマーという国は、最近まで軍事政権だった国ですから、13人に1人しかエイズの薬がもらえないんですね。約9割の人は、薬がもらえないままこうやって亡くなっていきます。
見ていただいたらわかるんですけど、最初は入院してたんですけど、あとは自分の家の近くで亡くなっていくんですね。こういうのが、僕が医療をやっているミャンマー、ラオス、カンボジアの現状です。
僕が最初に働いた街は32万人の人口に対して、医者がたった1人、病院はたったの2つだったんですね。(スライドを)見ていただいたらわかりますように、竹の壁、土の床ですね。こういうところに看護師さんが1人だけおりまして、いろんな医療をしていました。
僕はこんな状況の中で医療を始めたわけです。向こうの市民病院と呼ばれている、比較的大きな病院の当時の状態は、中国製の薬、インド製の薬しかなくて、今でもそうですけど、薬のクオリティに非常に問題があります。当時、現地の人たちはこういう薬しか手に入らなかったんですね。
注射器を鍋みたいなもので煮沸殺菌して、使い回すという状態だったんです。こういう状況でずっと医療を続けてきて、今はミャンマーだけで年間2000人の手術をするんですけれど、約半数が子供なんですね。
ところが、どうしても未だに助けられない子供たちがおりまして、その1つが心臓病の子供たちですね。
心臓病の子供というのはどこの国も変わらなくて、100人に1人生まれてきます。だから日本では1万人生まれるんですね。ミャンマーは人口は日本の半分くらいですけど、倍くらいの子供が生まれますから、(日本と同じ)1万人なんですね。こういう心臓病の子供というのは形が奇形なので、手術をして形を治さないといけない。要するに、外科医が治していく病気がほとんどなんです。
実はミャンマー、カンボジア、ラオスも同じで、子供の心臓外科医が1人もいないんです。ということは、1年間に1万人近い子供たちが命を落としてる可能性があるんですね。なんせ100人に1人ですから。
(ミャンマーの)1歳半くらいの男の子なんですけど、生まれてからミルクしか飲んだことがないんです。それ以上飲んで体重が増えると、心不全になるから。
3人兄弟の末っ子なんですけど、母親がやってきました。この国ではもう治療できないので、やろうとしたら外国に行くしかないんです。だけど、一般のミャンマー人たちは受けられないですね。だから、100人に1人の子供が死んでいってる状況です。
この母親は僕に訴えたんですね。「とにかくこの子を助けたい」と。現地の医者は、もう後は寿命が限られてるので、「村で静かに大切に育てなさい」と言うんですけど、この母親は僕のところに来まして「この子を助けたい」「私は家を売ってもいい、全部財産を処分してもいいから助けてください」と。
その彼女が当時住んでる家は、売ってもわずか1000ドルくらいですね。それでも「財産全部処分してもいい」と言って、目で僕に訴えて来ました。
ただ、どうしようもないですね。後は死ぬのを待つだけです。現地のお医者さんは相手にしてくれませんから、僕は一生懸命お金を集めて海外に連れ出そうとしてたんですけど、間に合わずに、この子がやがて亡くなります。
夜の22時くらい、雨季の雨の激しい夜だったんですけど。この子が昼に診察に来る日だったんですけど来なくて、夜にお父さんとお母さんだけがやって来まして、「子供が亡くなりました」と。
風邪を引いたときに、現地の看護婦さんが点滴をぶち込んだものですから、心不全になって亡くなったんですね。
それで、1枚写真を置いていきました。「この子がわずか1年6ヶ月の人生の中で、唯一1回だけ元気だったときがある」「そのときに、この民族衣装を着せて写真を撮りました」と。「先生これを持っててください」と言われまして、今でも僕の手元に残っています。
この心臓病については、まったく手を付けられずに、100人に1人の子供をずっと見殺しにしてきたんですね。これをなんとかしたい、もうここから立ち上がるしかないと思いまして、やり始めました。一人ひとり日本の心臓外科医に声をかけて、「協力してほしい」と始めたんですね。
最終的には日本の政府にも行きましたけど、政府というのは、向こうの政府としか動かないんですね。こういう子供たちのために動いてくれと言っても、向こうの政府の要請がないと動かないんです。
ところが向こうの現地の医療というのは、大人の治療が中心に動くものですから、弱い子供たちの医療というのは、後回しにされてしまうんですね。
結局僕はどうしたかというと、産経新聞とドッキングしまして、最終的には産経新聞さんがドナーになってくれることになりました。
そしてこの後、東京女子医大、日本の子供の循環器系内科の最高のところですね。あともう1つは、国立循環器病センターですね。この外科医たちが協力してくれると。
僕が彼らに迫ったことはたった1つです。「1年2年じゃ人は育たないから、10年一緒にやってくれるか」と。「やってくれるなら一緒にやる、やってくれないなら僕だけでやる」と言ったんですね。
そうすると国立循環器病センターも女子医大も、「10年やるよ」と言ってくれたんです。それで、一緒にドッキングすることになりまして10人くらいのチームができました。そして何十人と手術して帰っていきました。
この後、現地から看護師さんや医者をどんどん受け入れて、トレーニングしてくれるんですね。これを5年から10年、産経新聞がファンウダーになってやってくれることになりました。
これで僕は心臓病の治療に関しては、もう彼らに全面的に任せることができるようになったんです。
ところがもう1つだけ、僕が助けられてないことがあるんですね。それは何かというと、癌の子供たちなんです。日本でもだいたい2千数百人が毎年癌になって、白血病が一番多いんですけど、けっこう助かるんです。白血病の子が7〜8割助かるんです。
ところが、僕がやってる東南アジアの国々では、ほぼ全滅して死にます。ということは、毎年数千の子供たちが、未治療の癌で死んでいっているんです。これも見殺しにしてきたので、なんとかしないといけないと思いました。
前もお話したんですけど、もう一度みなさんとこの子の話を共有したいと思いまして、もう一度出します。
この子は13歳のライミョウという男の子なんですが、生まれつきこの顔なんです。もっと大きくなって酷くなりました。
初めて来たのは11歳のときで、すでに癌になってました。癌になるというのは、実はこのくらいのときは5歳か3歳かわかりませんけど、良性腫瘍なんです。途中で癌化したんですね。
それで来たときに、この子はもう「化物、化物」と現地の看護師さんたちに言われてました。小さいときから化物だったんです。
僕はこの子を助けようと思って手術したんですけど、出血量がすごすぎて、術中死ぬ可能性が高かったものですから、途中で止めざるを得なかったんですね。
でも、「化物、化物」と言われて、お父さんはもう死んでいないんですけど。僕はこの子に、死ぬ前にどうしても伝えないといけないメッセージがあると思ったんです。
それは何かというと、「君は化物じゃない」「君は大切な人間なんだよ」というメッセージを、この子にどうしても伝えたかったんですね。
それで、ある看護婦さんを選びまして、口頭でそのメッセージを伝えてほしいと頼みました。非常に激しい雨季で、ものすごいぬかるむような泥で、四輪で行ってもクラッシュして進まないんですね。
そこからさらに船に乗り継いで村まで行くんですけど、この子が僕の病院に通ってきた道ですね。それで僕はその看護婦さんに、「この子が亡くなるまでに、『君は大切な人間だよ』というメッセージを伝えてくれ」と言いました。そうすると、その看護婦さんは、毎日言ってくれましたね。
今でもそうなんですけど、ミャンマーは村に外国人が泊まれないんですよ。行ったら必ず帰ってこなければいけないんです。朝5時に出て、(帰ってくるのは)毎日夜の23時位ですよ。
でもまた朝に出て、その道を行き来するんですね。そうやってこの子に、死ぬまでにメッセージを伝えてくれました。それで、その看護婦さんからメールが2通来たんですね。そのメッセージを、今から看護師さんに読んでもらいます。
看護師:1通目のメールです。
最近、ライミョウに会えない日が続いています。夜にスコールが降ると、翌日道がぬかるみ車が動けなくなりますので、会いに行かれません。雨が降り、会えない日には、ライミョウは泣いてくれます。こんなにも雨が切なく聞こえる日はありません。
ガーゼ交換中に、自分にたかるハエはさておき、私の虫刺されだらけの足がさらにかまれないように、団扇で追い払ってくれます。「お菓子を食べて」と、むくんだ手で勧めてくれます。
一緒に歩くときも、決して私には体重をかけません。あと何回こうやって一緒に歩けるのかと思うと、その1回1回が愛おしくて。でも、心がちぎれそうです。早く会いに行きたいです。ライミョウに会えて、幸せな気持ちをたくさんもらっているのは、私です。
2通目のメールです。
ライミョウですが、歩けなくなってしまいました。3人で抱えて、椅子に座るのがやっとです。しかし、私たちが訪問したときは必死に座ってくれ、ガーゼ交換の間も耐えてくれます。食事も入らなくなってきました。
私が訪問した際に必死に食べるとき以外は食べていないと、お母さんが話していました。しかし、今日は2回笑ってくれました。腫瘍が大きくなりすぎて、顔も腫れ始めて、笑いにくくなった顔で、私の顔を見て笑ってくれました。
そして、マンゴーをフォークで口に運んでくれました。「甘いお餅が好きだ」と言うと、手に乗せてくれました。肉まんを2人で半分こして食べました。
彼を愛おしいと思う気持ちに、ブレーキが掛かりません。朝の瞑想時間は、いつしか雨が降らないように祈る時間になりました。
吉岡:この子は、この最後のメールの翌日に亡くなるんです。その後、親は何回も僕のところに来てくれまして、幸せだったと言ってくれました。
2000人、3000人の子供たちが死ぬというのは数ですけど、子供たち一人ひとりにはこうやって家族がいて、人生があって、ということを僕はようやく理解できたんです。
僕は何をしたいかというと、一人ひとりの人生というか、一つひとつの命を、自分が大切に扱いたいと思うんです。
この子も、さっきの子供たちもそうですけど、その家族にとってはもう大切な、絶対なる1じゃないですか。だからみなさんの子供がそうであるように、僕の中では自分の命を救う行為でもあるんですね。絶対なる1、最も大切なもの、我が子を救う行為であるんですね。
人間は、自分の延長線上でしか他人を認識できないんですね。逆に他人の命を救うことによって、自分の命を見つめなおすこともできる。
他人の命を見つめなおすことによって、自分の命を大切にすることもできると思ってます。だから、僕らにとってはぜんぜん関係ない海外の子供たちを救うことは、実は日本の命を救うことだと思っています。だからやってるところがあると思ってますね。
これに僕は楔を打ちたいと思いまして、立ち上がることにしました。お金なんかないです。でも、立ち上がることにしました。先のことはわかりません。
今年(2015年)ASEANが統一されまして、ユーロをモデルにしていますから、医師免許の統一が始まります。看護師免許も統一が始まります。そういう社会的なバックグラウンドの中で、今後カンボジアでこういう病院を作って、癌の子供たちを助けようと思います。
(医師を)アジア中から連れてこれる時代になりましたから、カンボジアで病院を作ることにしました。ここで、ASEANの若い人たちを集め、そして癌の子供たちを集め、ここを拠点にして、特に貧困層ですね。
日本政府は、富裕層に対するお金はいっぱい付けています。成人に対するお金も付けています。でも貧困層の子供たちに付けてる補助金なんか、一切ないんですね。0と1の違いは決定的に大きいので、誰かが1を刻まないと、話が進まないと思ったんですね。
それで僕が、最初の一歩を踏み出すことにしました。最初の1になることを決めたんです。ないものだらけなんですけど、やること決めました。カンボジアにこの病院を立ち上げるた今どんどん建設も進みまして、来年の5月に病院を開院します。とにかく1日でも早くやろうと思ってます。1年間に3500人が死ぬとすると、1日遅れれば10人死にますから。1日でも早くここを開院したいと思っています。
1人で1995年に始めた活動が広がりまして、支部ができたり、緊急救援があったり、東北や日本の僻地離島にも毎年たくさんのスタッフを数十人派遣できるようになりました。
2004年にジャパンハートを自分で作ったんですけど、それからずっと増えてます。今年は600人以上の医者や看護師たちが、全部自腹で参加してくれています。この人たちを使って、このカンボジアの病院で癌の治療や他の子供たちの治療を大展開しようと思っています。
僕は1日も早く、さっき言った見殺しにしてきた子供たちを救うようにやっていきたいと思います。以上です、ありがとうございました。
(会場拍手)
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