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【第198回】日本は性犯罪大国!?の嘘を暴く(全2記事)

性暴力は本当にマンガ・アニメ・ゲームの影響なのか? 「日本は性犯罪大国」の嘘を暴く

マンガ・アニメ・ゲームをはじめとした、表現の自由を守るための活動を続ける、参議院議員・山田太郎氏が送るニコニコ生放送「山田太郎のさんちゃんねる」。198回目の今回は、「日本は性犯罪大国!? の嘘を暴く」をテーマに、諸外国の強姦件数を比較しながら、日本の性犯罪の実態に迫ります。2013年の性犯罪認知件数統計を見る限り、強姦件数は諸外国と比べると極めて低いという結果が出ています。しかし山田氏は「少ないからといって喜んでいてはダメ。これをゼロにしていかなくちゃいけない」と、性犯罪・性虐待撲滅に対する思いを語りました。

諸外国と比較すると日本の強姦件数は少ない

坂井崇俊氏(以下、坂井):はい。今週の「表現の自由」を。

山田太郎氏(以下、山田):今週の表現の自由なんですけれども、前回の余韻がまださめやらぬ中で……。今日は図書館に国際比較の調査をしてもらいまして、私のFacebookやTwitterのほうでは上げさせていただいたんですが、こういう資料を作ってもらいました。

山田:これは何かというと、国連が発表している性犯罪に対する各国の実態件数、それから10万人あたりの割合です。(データは)2013年ということでちょっと古いんですけども、比較したものを作ってもらいました。調査は国連の……。

坂井:UNODCと略するんですかね。

山田:(おもに)ドラッグね。いわゆる薬物と犯罪等に関する国連の……。

坂井:国連薬物犯罪事務所という名前ですね。

山田:そういうところが調査したものでありまして、これはホームページでもちゃんと出ているものです。ちょっと見てもらいたいんですけど、日本は強姦が2013年に1409件、アメリカは79770、およそ8万件ですね。イギリスが約2万件、ドイツが7408件、フランスが約11000件ということで、日本は10万人あたり1.1件だと。

ゼロじゃないから「少ない少ない」って喜んでいてはダメだし、これをゼロにしていかなくちゃいけないんですが、やっぱり比較的、ケタが違うくらい少ないといわれています。

性暴力。今日はこれがポイントになると思いますが、これは日本の場合約9000件。アメリカは州によって統計の取り方とかがいろいろ違ったりするということで、集められてないようです。イギリスは約56000件、ドイツが46000件、フランスが約27000件ということです。人口10万人あたりでも日本は7.1件ということで、他がおおよそ50件~100件ということにおいては、やっぱり少ないのかなと。

子どもに対する性犯罪も、日本の場合は2013年に4515件です。イギリスは約24000件、ドイツは約12000件、フランスは約16000件ということで、(10万人あたりで)おおよそ100~200件に対して日本は22.4件ということであります。

これを見ると「日本は取り締まりが甘いからこうなってるんじゃないか」とか、逆の意味で批判をする人がいるかもしれませんが、それを加味したとしてもケタが違います。勘違いしないでくださいよ? 私は「性犯罪が少ないからいい」とは、決して言いません。ただ諸外国と比べて比較論としては少ないのではないかと、要は数値として言えるんですよね。

日本の性犯罪はマンガ・アニメ・ゲームの影響?

山田:にもかかわらず、日本はなんとなく国連から……今日はここがテーマなんですよ。言われっぱなしというか、「日本は非常に性犯罪が多くて、特にマンガ・アニメ・ゲームに起因している」という文脈でもって国連が勧告するという。

国連が自分たちの資料で「日本は圧倒的に少ないよ」ということをちゃんと指摘しているにもかかわらず、日本は非常に性犯罪ならびに性暴力が多い(と言われている)という。それはなぜかというと、マンガ・アニメ・ゲームのせいであると。

こういうことを主張しているような論調が多い、また出ているということで、どうしてそういうふうに言っているのか少し中身を見ていきたいと思っています。

今日取り上げたいのは、冒頭でも説明しましたが去年の11月27日に「児童ポルノ排除対策推進協議会」というものが開かれまして、その詳細な内容、資料・議事録等が出ました。ここでどんなことが話されていたのかというと、「なぜマンガ・アニメ・ゲームや創作物が児童ポルノとしてよくないか、規制するべきなのか」というものがあった。

その理屈の研究をしてみたいと。良いとか悪いとかではなく、規制したい人はどういう論拠で言っているのかということを研究していきたいと思います。

まず「国際社会における児童ポルノの位置付け」ということで、いろんな人権条約があります。子どもの権利条約とか。それで「創作物も人権侵害である」と、こういう主張がされてるんですね。とくにどういうふうに発言されてるかというと、例えばこれの位置付けをしている人は「実在する子どもに見せて『君がやろうとしていることは普通である』と性行為を促すといったことが懸念されているわけです」と、こういうこと。

要は、実在している普通の子どもに見せて「マンガとかアニメとかゲームでみんながやってるから!」「こういうふうにみんなやってるじゃん」「君がこれからやろうとしていることは普通だよ、性行為しようよ」と促しちゃう懸念が強いんだと。こういうふうに言うんですけれども、どうでしょう。

遊佐めぐみ氏(以下、遊佐):うーん、バカじゃないのかなって思いました。

坂井:(笑)。

山田:そうですか。わからなくなくもない……まあわからないんだけども、まず整理しないといけないのは「性表現を見てる人は成人なのか子どもなのか」という分類が要るんですよ。それで、見られている対象のポルノらしきものは「成人のものなのか、児童のものなのか」ということを整理しないといけないわけですよ。

まず、児童が何を見てるのかというのを取り上げてみたいんですけども、「児童が成人のポルノを見ている」「児童が児童のポルノを見ている」というそれぞれの理屈を考えたとき、問題視してるのは児童が児童のポルノを見ていることについてよろしくないんだと言っているわけなんですよ。

でもね、考えてほしいんですけど、性虐待をするのは児童より成人のほうが多いと僕は思っているんです。だから問題視するべきは、「成人が」児童のもの、または「成人が」成人のものを見ているということ。そこをまず対象にして議論をスタートするべきなんじゃないかなと思うわけですよね。

遊佐:はい。

マンガやアニメはダメで小説やテレビドラマはいいのか?

山田:逆に、この論理で言えば「成人が成人のものを見ていること」も否定されなきゃいけないんですよ。そうでしょ? 強姦されても「みんなこういうふうなことで性行為やってるんだから」となる。児童であるとか成人であるとかいうことは、全然関係ないと僕は思うんですよね。分類としては。

最初から「児童が児童のものを見ている」という項目的にいうと極めて少数のケースを扱って、これが普通であるということで「じゃあやりましょう」と。本当にそれで性行為が促されるのかというと、ちょっとどうなのか。しかもCGとかマンガとかアニメとかゲームですよ。子どもが見てるってことだから。

それともうひとつ。そんな創作物が問題だとしちゃったりすると……もし、仮にこれが事実だったとするよ。「ある子どもが創作物を見てそういう性行為をすることを促される」ということが仮に是だったとすると、どういうことが言えるか。「小説はいいんですか?」って議論になるんです。

それから、テレビでやっているような殺人シーンみたいなもの。刑事ドラマみたいなのあるじゃないですか。そうすると、殺人が促されちゃうからやめましょうと。こういう議論にもなるわけですよね。

遊佐:はい。

山田:だから、僕は何でも議論はできると思うし、そういうことも確率的にはあるかもしれません。あるかもしれませんが、どうしてマンガとアニメとゲームだけを取り上げて議論するかがわからないんです。

坂井:そう。

山田:毎日ニュースが流れていて「こんなことがありました」と言ったら「(視聴者が)ああ、みんなやってるんだからやりましょう」。あるかもしれない。あると思うよ、もしかしたら。だからといってそれを全部取り締まってしまったら、何にも情報発信ができなくなっちゃうんじゃないの? こういうことなわけですよね。

殺人だけじゃないですよ。傷害事件なんていったら殴り合うドラマは全部ダメということになりますし、「子どもには何も見せないのが一番だ」となるわけです。子どもはテレビも見てるし、小説も読んでるし、ニュースも見てるし、いろんな話も聞いていると。

その中で、どうしてソースとしてマンガ・アニメ・ゲームだけが対象になるのかがまずわからない。たぶんね、最初から子どもに見せたくない。

坂井:そういうことなんですよね。

山田:あるいは嫌いなんじゃないのかなと思うんですけども、ただ理屈としてきちっと理解したいのは「創作物も人権侵害である」と。ただ、ちょっとこれは間違いだと思ってるのは、子どもの権利条約やサイバー犯罪に関する条約、子どもの性搾取および性的虐待からの保護に関する条約は、創作物も人権侵害であるとは断定していませんから。基本的には。

創作物について問題視している箇所は書いてあるけど、イコール創作物自体、しかもマンガ・アニメ・ゲーム自体が人権侵害であるということを決定的に位置づけてるわけではないので、ちょっと極端だよと。こういうふうに思ってます。

それから次の論点が何かというと「創作物の有害性というのは、実在する子どもも性的に虐待可能な存在であるとみなされかねないことだ」と、こういうことを言ってるんですよね。これはどういうことかというと、日本製のそういった創作物……マンガとかアニメとかゲームを指してるんですけど、(犯罪者が)それを所持していたり実際の犯罪に使用した事例が報告されていると言っているわけです。

だから、創作物に有害性があると。つまり、児童ポルノを描いているマンガ・アニメ・ゲームは「実在する子どもが性的虐待可能な存在である」とみなされちゃう。そんなことを言っちゃったら集合の話をしなきゃいけないんですが、「犯罪を犯している集合体」と「児童ポルノを持っていた集合体」が同じ円に入ってるんですか?

児童ポルノを所持している人は犯罪者予備軍なのか

山田:「犯罪を犯していない集合体」を一番大きなものとして考えたときに、児童ポルノを持っている団体は犯罪者予備軍なんですかと。しかも、児童ポルノと呼んでしまうところがいけない。いわゆる、そういうマンガ・アニメ・ゲームですよ。性的なものを扱っているマンガ・アニメ・ゲームを持っている人は、基本的に児童ポルノ犯罪を犯す犯罪者予備軍なのかと。こういうことになっちゃうわけでして。

しかも、創作物をマンガ・アニメ・ゲームに限定していることが解せない。そんなことを言っちゃったら、さっきも言ったドラマや小説はどうなんですかと。(判断基準は)「影響を受けているかもしれないし、受けてないかもしれない。たぶん受けてるんでしょう」と。なぜマンガ・アニメ・ゲームだけがその対象物なのかということは、ちょっと理解できない。そういう理屈なんですね。

坂井:まさにあれですよね。包丁で殺人を犯した人の家には絶対包丁があるし、交通事故を起こす人は絶対に車を持ってるんですよ(笑)。

山田:そう。だったら車に乗らなければいいということになるわけで。

遊佐:はい。

尊厳のある性表現はOK?

山田:次に、おもしろいことも言ってるんです。「決して性表現のあらゆるものすべてが問題であると考えられているわけではありません」と。「お?」と思ったんですよ。「なるほど、リベラルじゃん」と。どういうことかというと、性表現がすべて悪いとは言っていないと。性暴力が描写されているのがダメだと。性表現にも尊厳を盛り込まなくてはいけないと言っているわけです。

尊厳のある性表現はOKであり、性暴力が描いてあるものはダメだと。なぜダメかというと、攻撃性とか強姦神話が生まれるんだと。(強姦神話は)「強姦はしたいもの、していいものだ」ということで、その発生を促してしまう。それから攻撃性を著しく増加させると。こういうふうに言ってるんですよね。

おもしろいなと思ったのは、「尊厳のある性表現」。

坂井:(笑)。

遊佐:例えばどういうものなのかが全然わからないです。

山田:わからない。人権保護のアプローチというのは、一言では「性表現にも尊厳を盛り込もう」と。何をどう盛り込むのかよくわからないんですけど、そういうことだそうです。つまり、線引きがわからない。

だんだんわからなくなってきたけど、(それでも)わかってきたのは「性表現は否定されているわけじゃないんだ」と。僕は性表現がすべて否定されてるんじゃないかと思ってたんだけど、どうもそうじゃないらしい。

性表現にもいろいろあって、たぶんイチャイチャしていてつねって「痛い~!」って喜んでたら暴力じゃないんだけど、「いてえ!」って怒ってたら暴力。

具体的にいうと、もしかしたらそうかもしれない。尊厳としては「つねっていいのかどうか」と。こういうことになると思うんですけども、難しい哲学的な世界に入ってきてしまっているのかもしれません。

それから、リテラシーが必要だということを主張してるんですが、ひとつには子どもの性描写のゆがみというものがあると。どういうことかというと、子どもを性的に描く創作物は「早くエッチがしたい」とか「自ら誘っている」という印象を見る者に与えかねないと。

2点目は作り手の意図ということで、売れるためには受け手に都合のいい情報を出さなきゃいけない。だから、子どもに対する性で受け手の罪悪感をかき消してしまう。つまり、(性行為が)美しく描かれていると。「あれ?」と思って。美しく描かれているものは尊厳的なんじゃないの、と僕は思ったんですよ。

坂井:なるほど(笑)。

山田:わかるよね。「性暴力シーンで嫌になるものはダメだ」って前のところで言っていたのでそう思ったんだけど。

3つ目は、ネットとの相互作用で児童ポルノの愛好家が集うようなコミュニティができて、自分の意見が肯定されたり、普通のことのように考えてしまうと。内心の自由じゃないけど、実際に犯罪を犯してしまうのは問題だけど、私はどんなことを話し合ったとしてもいいんじゃないかと思うんですよ。悩みだってあるわけじゃない。

遊佐:はい。

立ち向かうべきなのは「ポルノ撲滅」ではなく「性虐待をなくすこと」

山田:「正直言うと、自分はそういう児童を強姦してみたいと思ってしまうので困ってます」と。それはやったかやらないかが大きな線なのであって、そういうことを残念ながら……残念という言い方も悪いけども、思うこと自体は内心の自由。

それは前にこの番組でも言いましたが、人を殺してやりたいほどめちゃくちゃ憎んでると。殺してやりたいと思うだけで、内心パトロールでもあるまいし、いちいち来て「殺人未遂だ!」というふうになってしまったら大変ですよ。

殺したいと思っていても実際には殺さない、あるいは殺そうとしないのでいいわけでありまして。前にも言ったけど、「あいつが憎い」ということでナイフで殺してる自分しか見ない絵を描いていて、「こいつは人を殺してる絵を描いたんだから殺人者予備軍だ。けしからん、逮捕するべきだ、取り締まるべきだ」というのは、内心の自由としてどうなのか。

つまり表現というのは、内心の自由がある客体物というか創造物に転写された段階だと思うんですよ。それをある程度の人たちと共有することについては、僕は自由だと思ってるんですよね。それを実行しちゃったら全然レベルの違う話だけど、話し合ってみたりすることについては別にギリギリセーフじゃないのと思っています。

思うだけ、表現してみるだけ、話し合って共有するだけで罪になってしまうとすれば、表現の自由というのは基本的に保証されないということになると思うんですよね。

いろいろあったんですが、論点としては今言ったようなところ、結局マンガ・アニメ・ゲームを規制するべきだという論拠なんです。プラスアルファ、世の中にある論拠としてはさっきも言った「そういうもの持った人は犯罪を犯しやすい」とかいろいろ言うわけですよ。「本当ですか?」と。

それと、どうしてみんな児童ポルノにばっかり話がいくのかが理解できない。要は、大きな枠組みとして我々が立ち向かわなきゃいけないのは「ポルノ撲滅」ではなくて「性虐待をなくすこと」なんですよ。特に児童の性虐待もなくそうという話なわけですよ。

それに向かって議論をしないといけないにもかかわらず、「ポルノ」という極めて矮小化されたものについてのみ議論をしていることは、非常にゆがんでいると思います。

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