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元関脇 貴闘力氏が語る赤裸々ギャンブル体験(全2記事)

「借金1億、財布には500円」貴闘力が振り返る、相撲とギャンブル漬けの日々

2014年の厚生労働省の発表によると、日本のギャンブル依存症罹患者数は推定536万人とされています。もはや国民病ともいえるギャンブル依存症について多方面から語り尽くす「ギャンブル依存症対策推進フォーラム」が、11月に開催されました。田中紀子会長による、開会の挨拶に続いて、登壇したのは元関脇の貴闘力忠茂氏。貴闘力氏は、現役引退後、親方として部屋を預かるも2010年に野球賭博問題から解雇処分に。名誉ある立場にありながら、どうしてギャンブルの沼から抜け出すことができなかったのか。自身のギャンブル体験について話しました。

代表もギャンブル依存症に苦しんだ当事者

田中紀子氏(以下、田中):みなさま、本日はお忙しいなか、このように大勢の方にお集まりいただきまして、ありがとうございます。私は、一般社団法人ギャンブル依存症問題を考える会の代表を務めます、田中紀子と申します。

実は私は祖父、父、夫がギャンブル依存症、そして、自分自身もギャンブル依存症に苦しんだ当事者でございます。

私が30代のときは、本当に毎日、ギャンブルに明け暮れてですね、夫とともに数千万円のお金を使いながら、ギャンブルをやめることができませんでした。そして、やっと相談にたどり着いたのが、ギャンブルに苦しみながら10年たったあとでした。

ギャンブル依存症、まさかそんな病気があるということに、私自身も気が付かなかったんですが。今日、まだ今なおギャンブル依存症という病気を知らずに、この問題で苦しんでいる人たちに、声が届くような、そんな社会を目指していきたいと思っております。

今日、まだここに集まることのできない、ギャンブル依存症で苦しんでいるご家族や当事者の方々に、「こういう問題があるんだ」「こういう病気があるんだ」ということを、ぜひ、今日ここにいらした方、一人ひとりが広めていただけるような、そんな会になるといいなと思っております。いろいろと至らないところ、拙いところはございますが、今日4時半までの時間、どうぞお付き合いください。

また、今日はスペシャルゲストとして、貴闘力関に来ていただくことができました。

実は、私、貴闘力関のギャンブルに関するテレビ番組を見まして、大変感銘を受け、お会いしに参りました。そこで、「本当にこの問題に苦しんでいる人のために、どうかご尽力いただけないか?」ということで、お願いを差し上げたところ、快くご快諾いただきまして、今日の会を主催することができました。

そのあとに、巨人軍の野球賭博問題が出てまいりまして、私どもも「なんとタイムリーな!」と驚いたんですが、今日、これだけ大勢の方々にお集まりいただけたのも、貴闘力関のご協力のおかげと感謝いたしております。

みなさま方も、今日の会でいろいろなことを知っていただけたらと思っております。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

司会:田中紀子代表のあいさつでございました。さて、それではこのあと、「ギャンブル依存症とはどんな病気なのか?」というシンポジウムに入る前に、体験者の基調報告として、元関脇、貴闘力忠茂様から、「赤裸々ギャンブル体験」というテーマでお話をしていただきます。

貴闘力忠茂様、どうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

ギャンブル好きな親のもとで育って

貴闘力忠茂氏(以下、貴闘力):こんにちは、貴闘力と言います。相撲の話は結構話すんですけれど、ギャンブルについて話すのは今日が初めてです。今日はよろしくお願いします。

(会場笑)

自分がもともと育ったのは、神戸のほんとにガラの悪いところで、母さんがサイコロを振ってたときにお腹のなかにいて生まれてきたので、幼稚園ぐらいまでで、掛け算、九九、割り算、小学校入る前にこれが全部できるぐらい、お金の計算は早い人間でした。

(会場笑)

まあ、そんなこんなで、お父さんがそういう稼業の人間だったので、自分は小学校を卒業するまでに、6回も7回も、転々と学校を変わるんですよね。

父は毎日「ギャンブルで何億勝った」「何億負けた」って、ギャンブルの話をしてるんだけども、家には一切お金を入れないんですよ。それがギャンブル依存症の特徴の1つでもあって、お金を手に入れて、パッと、時計買ったりとか、家買ったりするような人は、あんまりギャンブル依存症じゃないと思うんですよね。

そのお金を、また次の種銭のためにずっと取っておくような人間は、ほとんどギャンブル依存症ですね。あんまり服もいい服を買わなかったりね。そういう奴、いっぱいいるじゃないですか。

だからそういうかたちで、小学校6年のとき、「もう、こんな生活は絶対に嫌だ!」と思いました。ギャンブルしている親とか絶対に嫌で、「俺は絶対にギャンブルせーへんぞ!」と。

そう思いながら、ふとテレビを見たときに、ちょうど相撲やってて、「よっしゃ! 俺、もうこんな生活は嫌だから、相撲取りにいく!」と思って、自分で相撲部屋に入門しました。

入門したとき、今は亡くなっている、初代貴ノ花親方に「入門さしてくれ」と言って、小学校6年卒業した時点で入ったんですけど、あんまり小さいものなので、「卒業してから来なさい」と。

絶対ギャンブルはしないと思っていたけれど

それで、(中学校)卒業してから相撲部屋に入ったんですけれど、相撲部屋っていうのは、ほとんどギャンブルばっかりしているような人間が多くてですね。「お前、ギャンブルぐらいできなきゃ、相撲取りじゃないよ」みたいな。

全体の8割、9割はギャンブルしてました。小学校のときにものすごい嫌な思いをして、借金取りに追われて転々と逃げて、「こんな状態は絶対に嫌だな」と、ずっと思いながらしてるんだけど、やっぱりDNAがギャンブルになってるんでしょうね(笑)。

「もう、絶対にギャンブルしない!」と思ってた俺が、ふと、先輩のお相撲さんに「ちょっとお駄賃やるから、馬券買って来い」と言われて、たまたま馬券を買ってしまったんですよ。それが、日頃の行いがいいのか悪いのか、5,000円が40万円になりまして。

そっから、「麻雀やろう」とか、そういうのを稽古の合間に。

若い衆のときは、だいたい朝3時か4時に稽古するんですよね。それで11時まで稽古をして、新弟子、入ったばかりの子供は、そこからもいっぱいあるんですけど、幕下くらいの、ある程度先輩になると、「おい、洗濯せい!」とか(言うようになるので)。ある程度先輩になって、そういうことをしなくなると、ちょっと余裕が出てくるんですよね、時間に。

で、昼まで練習して、昼寝して、それから麻雀やったりとか、いろいろするようになりました。「自分は絶対ギャンブルしないで、しっかりコツコツお金貯めたろ!」という気持ちは、ずっと持ってたんですけど。持ってたんだけど、いつの間にか、毎日ギャンブルをするようになりました。

集めたお金をギャンブルに使われて

関取になったときも、十両に上がったら、化粧まわしとか、いろんなものを作らないといけないので、だいたい400万円くらいの、お金がかかるんですよ。それを相撲協会が出してくれればいいのに、出してくれないで「後援会で集めてこい」って言うんですよね。

普通はそんなのあり得ないんだけど、地元帰ってお金を集めてきたんです。その集めてきたお金を、ちょっと人に預けてたら、それをギャンブルでみんな使われてもたんですよね。

(会場笑)

それで「どうしようか……」とか言って、化粧まわしも作れない、締め込みも作れない。「これはどうしようか……」と思って、部屋の師匠にもうふてくされながら、「400万貸してください」って言ったら、どつきまわされて、「お前、何考えてるんだ!」とか言われてね。

それで、しゃーないから、大井競馬場に行ったんですよ。たまたま、みんなから集めた10万円持ってね。それがまた、日頃の行いがええのか悪いのかわからんで、400万になってもたんです。

(会場ざわつく)

それで、なんとか、お偉いさんとこにそれを放り込んで、化粧まわしと締め込みを作ってもらったんですよね。

相撲とギャンブルだけの生活でズルズルと

そっからが、だから、まあ……。相撲取りって、朝練習したら、昼から暇なんですよね。昼まで練習したあと、もう少し趣味がいっぱいあったら良かったんですけど、真面目な人は、ゴルフやったりとか。そういう趣味もなくて。また、ギャンブル以上の心ときめかすようなものがほかになかったんです。

毎日、朝5時から昼まで練習をして、ご飯を食べて、すぐ大井競馬場とか、平和島とか、浦和競馬場とか。月曜日から金曜日まで、あるところ全部に行って、それで夜終わったら11時くらいまで麻雀をして、そこからまた寝て、また朝の稽古というようなことを、毎日毎日、繰り返してました。

そのときは関取になったんで、現金も持っていて、千秋楽終わったあとになったら、だいたい2、300万くらいのお金は手元にあったんですよね。場所中はいくらなんでも、俺も競馬も競輪もできないので。相撲って千秋楽が終わったら、月曜日から金曜日まで休みなんですよ。

その月金までの間に、競輪、競馬、ボート、麻雀、ずっとやり続けて。で、そのときにお金があれば、地方巡業行っても、またそこで麻雀やったりとか、いろんなことやってました。

場所終わって、(ギャンブルに負けて)すぐ金がなくなると、もうお金がなくなると練習するしかないんで、そういうときは、場所はいい成績を残せますよね(笑)。

(会場笑)

お金があるときは、あんまりいい成績は残せなくて。3日くらいでお金がなくなってくると、だいたい2か月くらいで500円とか1,000円しか財布のなかになくて、それで生活をずっとしてたんです。天下の関取が(笑)。

そんななかで、朝から晩まで練習するしかないんで、ずっと練習してると、次の場所、大勝ちしたりして。また三賞とかたくさんもらったら、その金でギャンブルしてる。でも、それまではよかったんですよね。自分の金で、自分で負けてるから。

人にお金を借りるようになって本当の地獄が始まった

でも、それからだんだんお金がなくなってくると、人にお金を借りだします。そこからが地獄になるんですよね。人にお金を借りてまで、ギャンブルをするようになった自分が。だんだんそれで地獄に落ちます。

そこで、借金が500万円、1,000万円、2,000万円、3,000万円、4,000万円って、ずっとふくれ上がってきて、それを場所後に払っていくような状況が、また続いていきました。2回か3回くらい、(借金が)きれいになるような時期もあったんです。

25歳のときに、大鵬親方の娘と結婚しました。そのとき、大鵬親方が「お前、借金いくらあるんだ?」と。

「親の借金も含めて、1億円くらいあります」と。そしたら、銀行でお金貸してくれたんですよね、親方が保証人になって。で、「月々払え」ということで、毎月、200万ずつくらい、払っていって、5年くらいでなんとか払いました。

そこでやめときゃいいのにね。また、そこでだんだん借金の払い付けで生きてるのもバカらしくなってきて、2年くらいずっと払い続けて、それで1億円はなんとか払い終わったんですけど。

30歳くらいになって、また悪い癖が出ました。またそこで、ギャンブルをして(借金を作ってしまいました)。

それで優勝したときに、またそれぐらいの額が何千万円か入ってきたんで、「神様が助けてくれたんかな」とか思いながら、そこでもう1回きれいに借金を清算して、「もう2回目やで、やめとこう」と思いました。

だけど、また、悪い人間がいっぱいおって。「まあまあまあ、ちょっと、遊びやったらええやんか」と。「いや、おれもう、やめてんだから、ギャンブルやらないやらない」。「いや、まあまあまあ、ちょっとちょっと、少しだったら大丈夫だよ。お前、意志固いから。」って言って。

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