2024.10.10
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Stanford Graduate School of Business MasterCard CEO Ajay Banga on Taking Risks in Your Life and Career(全4記事)
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司会:本日はご来場いただきましてありがとうございます。大変うれしく思います。本題に入る前に、今日の対談につきまして、おおまかな進行を決めたいと思います。
まずバンガさんのキャリアについてです。その30年間の軌跡を時系列で申し上げますと、ネスレ、ペプシコ……。
アジェイ・バンガ氏(以下、バンガ):私の歳をいやにあっさりバらしますね(笑)。
司会:ええと、ネスレ、ペプシコ、シティグループ、そして現在はマスターカードですね。
バンガ:はい。
司会:直近の10年でシティグループからマスターカードへと移りましたね。バンガさんには、グローバルな展望を身につけるチャンスが多くおありでしたので、そのあたりをお聞きしたいと思っています。
バンガ:オーケイです。
司会:さらにワークライフバランス、ご家族のことやダイバシティなど、プライベートについても掘り下げていきたいと思います。
バンガ:承知しました。
司会:さて、いよいよスタートしたいところなのですが、その前にバンガさんに1つ取引を持ちかけたいと思います。僕のマスターカードの支払いを半額にしていただければ、あまり難しい質問をしないことにしますが、いかがでしょうか。
(会場笑)
バンガ:逆に支払いを倍額にしたら、どうなるの?(笑)
司会:難しい質問をさせていただくことになりますね。
バンガ:ひどい仕打ちだ(笑)。
司会:はい、では30年前のお話からはじめます。まず新卒で、初めて就職した先はネスレですね。
バンガ:はい、そうです。
司会:ネスレには13年間いらっしゃったわけですが、どうしてネスレを最初の就職先に選んだのでしょうか。
バンガ:私と妻はビジネススクールでクラスメイトでした。彼女は今あちらの席に座っています。1979年から1981年にかけてですから、もう大昔のことですね。
当時のインドは規制緩和の黎明期で、多国籍企業がどんどん入って来てビジネスを展開し始めていました。いくつかの企業は長年インドに留まって、企業形態モデルを変えて行き、ネスレもその1つでした。他にはユニリーバなどがありますね。
他の企業は、インド政府が海外資本に対し、以前ほどの寛容性がなくなった時期に撤退してしまいました。
ですから私たちが卒業する頃には、ネスレやユニリーバといった多国籍企業は、働く場として大変魅力的だったわけです。ビジネスを学び、世界を股にかけて展開する企業のカルチャーを理解し、高品質維持のコンセプトや職業倫理を理解する場として特に最適でした。
私たちは皆、これらの企業で働くことに憧れていました。キャリアの初歩で必要なことを学ぶことができるからです。
私たちの頃は、皆さんのように一旦社会に出てからビジネススクールに入るわけではなく、大学から直にビジネススクールに入る時代でしたので、皆とても若かったのです。
私がビジネススクールを卒業したのは、21歳の時でした。ですからこの話に出て来る人物については、そのあたりを念頭に入れて聞いてください。
ネスレは今でもそうですが、すばらしいパワーと企業体質を持ち、学びの場として魅力的な職場でした。ですから私はネスレを選びました。
入社はとても困難でしたし、ごく少数しか募集されていない職種には、クラスの全員が応募したでしょうし、とても競争率が高かったのです。
司会:そしてバンガさんは、13年間ネスレで働くことを選んだのですね。
バンガ:そのとおりです。学ぶのにいやに長い時間がかかったわけです。
(会場笑)
ネスレでとても魅力的だったのは、社内での異動が頻繁にできたことです。私が入社した理由も、そこが狙いの1つでした。
私がマスターカードや、シティグループで構築しようと試みた採用プログラムでも、プログラム本体に影響を与えない形で、地理的にも機能的にも機会としても、1つの場所に固執せず、社内で様々な場で働くチャンスを、皆に持ってもらおうとしました。その場その場で臨機応変に対応をしてもらいます。僕がネスレで働く大きな意義が、ここにありました。
まず営業に配属され、それからマーケティング、工場、品質管理に回されました。1つの地域をまるまる任され、インドにおける会社の在庫管理のシステムそのものを変えたり、在庫と労働資本の管理の改善を行ったりしました。私にはそういった知識は全くありませんでしたが、会社は私に、そういう知識の幅と深みを与えてくれました。
インド各地にも赴任しました。私が常々言っていることなのですが、これはお金をもらって旅ができる唯一の機会です。必ずしも素敵な観光地ばかりではありませんが、お金をもらって行くことができますからね。
司会:30年経った今、ネスレ時代を振り返って、もっともためになったことを1つないし2つ挙げてください。後年、大成功を収めるあなたのキャリアで、ここでの13年間に学んだことを、です。
バンガ:ネスレで学んだことは多々あります。私が就職した時に社長だったのはバリー・ラインで、私には雲の上の人だったのですが、彼はいまだに、私がもっとも多くを学んだ人物です。
私は、違いを作るのは企業だけではなく、人だと考えています。恐らくこの対談でも、何度もこの言葉を使うと思いますが、違いを生みだすのは個人です。そしてネスレを変革して行ったのも、バリー・ラインその人でした。
私が入社した当時、ネスレは変革の真っただ中でした。ネスレの品質に対する姿勢や企業倫理、スタンダードはさることながら、ライン個人としての方針は、「『ノー』と答えることなかれ」というものでした。正しいソリューションに至る道は必ずあるというのです。
考え方としては、障壁となるハードルにぶち当たった時、回り道をしたり、諦める言い訳にしてはなりません。インドではこれを、「ジュガール」と言います。
「ジュガール」とは、何にでも迎合してしまうことを言います。ラインは、これをビジネスとしては禁じ手とし、チャレンジせよ、と言いました。「ノー」と答えてはいけないのです。
ラインが私に教えてくれた2つめの事柄には、私は感服しています。それは、自分は事業に参加する一人であり個人に過ぎないが、物事を変えられるのは自分一人だ、ということでした。
行動に移すエネルギーと情熱、さらにコミュニケーション能力があればそれは可能です。ちなみにコミュニケーション能力は、若いうちには一番自信が持てないものですが、成長するにつれ、大切な戦力となります。
これら2つの能力をうまく使いこなすことができれば、まったく新しい世界が見えてきます。ラインのおかげで、私はネスレでこれらのことを非常に良い形で学ぶことができました。
私が特にお話ししたいことは、伝統として、セールスから叩き上げとしてボスに昇格していく社風の中で、私が若きMBAとして入社したことです。私たちは社内で最初の、MBA所持の新入社員でした。
ですから社内では常に「俺が仕事の仕方を教えてやったくちばしの青い若造が、半年後に戻って来て、ビジネスのイロハについて垂れる講釈に耳を傾けなくてはならない」ことに対する鬱積がありました。
これは社内の人間関係を構築する上では最悪のスタートだと思いました。そこで、社内の全ての人間からは何がしか学ぶことがあり、学ぶべきだ、という方針に変えました。
こうすれば、自分の持つ価値を会社に貢献することができます。だたし自分のほうでも、全ての社員から学ばなくていけません。これで空気が一変しました。
ネスレで学んだ2、3のことは、以上です。
司会:次に、バンガさんはネスレを去って、ペプシコに入りましたね。13年をネスレ、2年をペプシコ、13年をシティグループ、4年から5年目をマスターカードで過ごすわけですが、結構な回数の転職ですよね。
我々学生も将来転職を経験するものと思われますが、バンガさんがこれらのキャリアを積み、大きな仕事を成し遂げていくにあたり、転職のタイミングや理由はどのようにお考えだったのでしょうか。
バンガ:タイミングは特にはありません。その時だと感じる時に、踏み切るだけです。私たちの世代では、1つの会社に30年くらい長く就くことが一般的でした。
皆さんの世代ではそうではありませんよね。それは正しいアプローチだと思います。なぜなら、新しいことをやってリスクを取らなければ、今現在構築されているシステムの、わずかな褒章しか手にすることができないからです。
ですから皆さんが仕事を変えたり、社内で違う役職に就いたり、会社や業種を変えたければ、大いに結構です。考えるのも良いですが、前に進むべきです。いつまでも延期したり、ためらったりしてはいけません。
つまり、私の場合の転職のタイミングとは、学ぶべきことは充分学び尽くして違うことをしたくなった時ということになります。私は停滞地点に到達したと感じました。
ペプシコはまた別件で、わずか2年しかいなかったのは、ペプシコがKFC、ピザ・ハット、タコ・ベルなどのレストラン業をスピンオフすることになったためです。私はインドでのローンチに参加することになりました。
しかし私は、インドのローカルなフランチャイズではなく、大きなグローバル企業で働きたかったのです。つまりペプシ自体の方向性が原因で、私はポジションを離れ新たな道に踏み出しました。
ネスレとシティでは充分やりつくしたと感じて転職しましたが、それぞれの会社で私がやったことは、まったく異なる仕事でした。ネスレでの話はしましたね。
シティでも私はさまざまなことをしました。インドでのマーケティング参入や、中欧・中東・アフリカなどの地域での経営、アメリカに渡り融資部門経営、そして消費者金融です。
その後はグローバル・コンシューマ・ビジネス部門の責任者を務めました。次に、参入が始まっていたアジアに移り、経済危機の間の経営を一手に引き受けました。その後、マスターカードへ転職しました。
転職にあたり私が感じたのは、私にはもっと貢献できることがある、もっとやるべきことがある、でもそれはここではないのだという思いでした。
司会:僕が特に興味を持っているのは、シティグループからマスターカードへの転職です。バンガさんのキャリア上では、経済危機の直後でしたね。シティグループは安定している上、人脈もあったと思うのですが。
バンガ:ええ、私はシティの人間とは皆知り合いでした。実際に一緒に働いていましたしね。おっしゃるとおりです。
司会:にもかかわらず、あなたは腰を上げてまったく新しいことをやってみようと思いたった。
バンガ:もしシティにあのまま留まっていたら、僕は間違いなく次期CEOになっていました。役員会から通達があったのです。当時のCEOのヴィクターが、イベントで役員に実際に通達していたことですし、CEO本人からも直接聞きました。
しかし私には、向こう10年は銀行のCEOに就任する気はありませんでした。なぜなら、銀行業はこれからは撤退・縮小に向かい、革新・拡大などの新しくて面白い方向にではなく、規制が進む業界だという認識があったからです。
マスターカードにはテクノロジーとデータがありました。私は若いころはテクノロジーとは縁がなく、小中学校などではテクノロジーを勉強しましたが、大学ではやりませんでした。
私はテクノロジー分野が大好きです。私にはもしかしたら、オタクの気質があるのかもしれませんね。テクノロジーやデータ、人脈づくりやグローバリゼーションと呼ばれるものが大好きなのです。
グローバリゼーションにはこれら全てがあります。BがBであり、BとBは、すなわちCであると言うような、多様な考え方が興味深く混ざり合うさまが、私にはとてもおもしろかったのです。
当時の私には考えることがたくさんありました。必然的に、会社について考える機会も多々ありました。
次に、マスターカードの社員数が比較的小規模であった、ということが理由として挙げられます。私の退職時には、私の下で20万人が働いていました。3、4、5年程度のスパンでは、20万の人員を抱えての変革などは到底不可能でした。
しかし、5000人、2000人、1万人、1万5000人程度の組織であれば、社員と触れ合い、その存在を感じ、抱きしめることができます。社員全員と顔見知りになって皆に理解してもらい、変革をもたらすことが可能です。会社を変えて行くことができるのです。
さっき学長とお話しさせていただいた時、私がマスターカードに入社したばかりの時期には、社内のミレニアル世代は9パーセントだった、という話が出ました。それから4年半経った今、去年最終的に入社したミレニアル世代で、34パーセントになりました。シティではできなかったことです。
司会:ミレニアル世代と株価は関係があるのでしょうか。
(会場笑)
バンガ:(笑)。彼らは株を買ってくれそうにはないですが、株価を良くする働きはしてくれると思いますよ。
でも、確かにそうです。わが社の株価はこの4年間で4倍になりましたから。しかしそれは、弊社がしっかりとした戦略を定めて、2つのことをうまく行なったためだと思います。これは容易にわかります。
対策が必要な所への投資を、一定期間しっかり遂行すれば、株式市場が損失を埋め合わせてくれます。
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