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老荘思想でザッソウ第1回 ホントに「上善は水の如し」なのか(全2記事)

現代人を苦しめる「思い通りにいかない」現実と理想のギャップ ビジネスの世界でのヒントになる「流れに身を任せる」老荘思想とは

ソニックガーデンの代表・倉貫義人氏と仲山考材の仲山進也氏が、毎月さまざまなゲストを迎えて「雑な相談」をするポッドキャスト「ザッソウラジオ」。 今回のテーマは、「老荘思想」。クラシコムの青木耕平氏をゲストに迎え、本記事ではビジネスで使える老子・荘子の思想や、儒家である孔子との違いについて語りました。 ■音声コンテンツはこちら

青木耕平氏をゲストに迎えて「ザッソウ」

倉貫義人氏(以下、倉貫):倉貫です。

仲山進也氏(以下、仲山):仲山です。

倉貫:ザッソウラジオは倉貫と「がくちょ」こと仲山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談の「ザッソウ」をしながら緩くおしゃべりしていくポッドキャストです。7月のゲストは、なんとクラシコムの青木さんです。よろしくお願いします。

青木耕平氏(以下、青木):お願いします。

倉貫:青木さん、2回目ですね。

青木:あれはもう1年ぐらい前なんですか? もっと前なのかな。

仲山:ちょうどザッソウラジオが始まって、2回目のゲストですよね。

青木:そうだよね、しのまき(篠田真貴子)さんが僕の前に出ていて、僕が2人目のゲスト……。

倉貫:1年4ヶ月ぐらい。

青木:あっ、けっこうやっている。

仲山:倉貫さんと僕の友だちがついにいなくなったというわけではなく(笑)。

倉貫:いやいや、半分正解ではある(笑)。「僕たちの知り合いをゲストにお呼びして」と言っているその知り合いが、もう1年ちょっとで枯渇してしまうことになりまして、青木さんにもう一度来てもらっているんですけど(笑)。

いつもはゲストをお呼びしてゲストについてのトークをするんですけど、この春ぐらいに私とがくちょでずっと「ソース原理」(※人のあらゆる活動において「特別な役割を担う1人」がいるという考え方)の話をしたことがあり、ゲストが来ているのにまたソース原理に話を持っていくという(笑)。

「いやがくちょ、それだけソース原理について話したいなら、もうソース原理の回をしよう」「これ、もしかして1つのテーマで3回ぐらい収録できるんじゃないかな」ということになり、1回実験してみようと。

老子の教えにはビジネスパーソンへのヒントが

倉貫:そこで何かいいテーマはないかと思ったところ、ここ最近僕が青木さんと定期的におしゃべりしている中で、「老子がすごい」と。あっ違うわ、老子と荘子、老荘思想ですね。

最近は特に老子にはまっていて、青木さんとも経営についておしゃべりしてたんですけど、(気づいたら)1時間ずっと老子の話をしていたことがありました。

それでもしかしたら、老子(の教え)にはビジネスマンや経営者の方へのヒントが隠れているんじゃないかと。

その後に、老子の系譜で諸子百家の中に荘子という人がいると知って、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、すごく昔にがくちょが推していた人だと思ったんですね。

「あれ、もしかして老子と荘子、2つを並べたテーマで話せるのでは」と思いまして、今回は老子と荘子の老荘思想のテーマで、3回にわたりお届けします。

仲山:青木さんはあれですよね、急にFacebookに道徳みたいな話を書き始めたんですよね。

青木:そうですね。道徳じゃなくて徳についてね。

仲山:「徳が大事」みたいな話を……。

青木:そうなんですよね。だからまず、(僕たちは)「にわか」なんだということを聴いてる人たちに理解してほしいですよね。

仲山:そうですね。

青木:老荘思想に詳しい人の話というよりは、今頃そういうのに触れて「えっ、これおもろいやん」と言っているだけのおじさんの話を、これから(みなさんは)3回にわたって聞くという(笑)。まず、その覚悟を決めてほしいですよね(笑)。

倉貫:そうですね。まず(ザッソウラジオは)教養番組ではないので「正解かどうか」はないというのと、老子荘子についてただ雑談をしたいだけなので。

現代における科学の「限界」と「窮屈さ」

青木:老子荘子は「やたらいろんなことを勉強して覚えているやつは駄目だ」という思想じゃないですか。「(いろんなことを)忘れて、知恵から去れば去るほど道に近づく」ということなので、聞いていて僕らの話が馬鹿っぽいなと思ったら、それはもう道(真理)に近づいているんだと。

倉貫:そうですね(笑)。

青木:そういうふうに思いながら聞いてほしいんですけど、(老荘思想に注目したのは)なんのきっかけだったのかな? 僕も最初は忘れて、でもずっとこのテーマ(にヒントがありそう)だなと思っていたんですよね。

ソース原理の流れとも近いというか、今の社会の価値観って、カントとかの18世紀頃の、いわゆる理性主義の延長線上にあるじゃないですか。

要は「頭でロジカルに考えるのが最強だし、それが正しい」という考え方って実はそんなに歴史が長くなくて、本当に18世紀ぐらいに出始めて。それが結局、その前のキリスト教全盛の神学の世界から、理性で合理的に考えていくのがいいんだという科学全盛の時代につながっていくじゃないですか。

自然科学を科学的に扱うようになったことはすごくよかったと思うんだけど。意外と社会科学みたいな観点で、人間社会のことを定量的に、あるいは要素還元的に考えて、その正しさを見出していくやり方で発展もしてきた一方で、限界があるというか窮屈さがずっとあるんですよね。

倉貫:科学ですからね。

青木:そう。その先に行きたい感じがあるし、あと時代も変わってきているじゃないですか。僕らが子どもの頃は、まだバブル期前ぐらいの、いわゆる高度成長している頃で。社会人になったら今度は「今までの日本のやり方はまずいんじゃないか」「もっと科学的にやったほうがいいんじゃないか」という(時代が)30年ぐらいあって。

ここ最近はみんなも、「科学は科学でいいんだけど、人間の集まりと社会の営みである、経済とか経営って科学だけでいけるんだっけ」「理性だけでいけるんだっけ」みたいにずっと思っていて、ソース原理もそういう問いにはまったんだと思うんですよね。

倉貫:なるほど。

一見「行き当たりばったり」でも、合理的なマネジメント

青木:僕はその前はけっこういろいろやってきて、イタリアのマネジメントを研究していたこともあるんですよね。アメリカの話ってよく聞くけど、そういえばイタリアとアメリカって、価値観とか生き方なんかだいぶ距離がある気がするじゃないですか。

アメリカ人は「めちゃくちゃハードワークしています」「めっちゃレバレッジかけています」みたいな。

でもイタリア人って、もうちょっと緩やかでいろんなことをあまり決めすぎてなくて、今を生きていそうみたいな……。研究していくと、本当はぜんぜんそうじゃないとわかったんだけど。

仲山:ステレオタイプがありますよね。

青木:そうなんです。実は僕がイタリアに興味を持ったのは、歴史上イタリアって、ローマ崩壊以来、政治とか国家が安定したことがあまりないので、そういう不確実な状況の中で、ああいうふうに見えているのはもしかしたら非常に合理的な理由があるんじゃないかと思ったからなんです。

イタリアのマネジメントをけっこう研究していたのも、「安定した社会じゃなくなると、とたんに科学っぽいやり方が通用しなくなる。だから人が見たら行き当たりばったりに見える、予測・計画・管理みたいなことを重視するのではない合理的なやりかたがあるんだな」みたいな。そういう前提の中で老子を読んだ時に「えっ、ずっと考えていたことが書いてある」となったんです。

倉貫:ソース原理と一緒だ。

青木:そう。「こういう真理をこれで初めて知りました、目からウロコです」というか、「そうだよね」というのがけっこういっぱいあって、「あっ、なるほど」みたいになった。僕はあまり記憶力が良くないので、「第何章にはこういうのがあったよね」といっぱい語れるほどの知識がないというか、経緯としてはそんな感じなんですけど。

老荘思想は、上昇志向が強い孔子へのアンチテーゼ

倉貫:ありがとうございます。そうですね、このザッソウラジオは歴史の教科書ではないので、そういうのはちゃんとした文献を当たっていただくということで。

「老子と荘子がどういう人か」みたいな話もしないので、「老子と荘子の本を読んで僕らがどう感じたのか」だけをお伝えしていくという前提になります。

とはいえ、さすがにリスナーさんも「聞いたことあるかな」ぐらいの感じだと思うので、ちょっとだけご紹介すると、老子と荘子は紀元前の中国の哲学者の方たちですね。

中国春秋時代の諸子百家という、孔子とか孫子みたいに「なんちゃら子」と子が付く人たちがいっぱいいるうちのお一人ということですね。中国の春秋時代だから、漫画『キングダム』のちょっと前ですかね。

仲山:そうですね。

倉貫:(中国に)いっぱい国があって、いろんなところで戦争しまくっている時に出てきた人たちで、今回出てくる老子荘子の前に有名なのが孔子ですね。

孔子は中国でたぶん一番有名な哲学者じゃないかと思いますけど、孔子の「論語」は今の日本の経営者の方もすごくリスペクトしている人です。

孔子はけっこう上昇志向が強いというか、国を栄えさせ、そこで立身出世して、いろんな国に仕官していくみたいな立派なことをされたんですけど。それに対して今日のテーマの老子とか荘子は、けっこう孔子に対するアンチテーゼというかオルタナティブというか。

上昇志向とか立身出世ではなく、「国は小さくていいし、栄華よりは自由に生きたい」みたいなことが老子荘子の思想である、というくらいのふんわりした導入で、正直言うと僕が知っているのはそれぐらい(笑)。

老子、荘子はビジネスの世界でいう「マイノリティ」

仲山:いわゆる儒教の「儒」に「家」で「儒家(じゅか)」という流派で、これが孔子とか孟子。老子荘子は「道」と「家」と書いて「道家(どうか)」と言われている……。

倉貫:儒家と道家の比較ですね。

仲山:はい。流派の違いがあって、儒家の人たちは「がんばって偉くなって活躍しようよ」「それで活躍するためには徳が大事だよ」みたいな話で……。

倉貫:それで立派になって最後に祀られる、みたいな。孔子廟(※中国、春秋時代の思想家・儒教の創始者である孔子の霊を祀る建物)みたいなのがいっぱいできる……。

仲山:伝説の人物に(なっていく)感じなんですけど。

倉貫:メジャーになっていきますね。

仲山:「そうやってがんばって偉くなっていった結果、みんな戦争に巻き込まれて早死にしていますよね」「それって幸せなんだっけ」というのが老荘思想ですね。

倉貫:みんなめちゃくちゃがんばって「戦争に勝つぞ」ってやっている中で、「いやいや、そんなのしたら早死するじゃん」ってちょっと距離を置くみたいな、身も蓋もないことを言っちゃう。

仲山:「そういう生き方って自然じゃないよね」という感じですよね。

倉貫:でもだからこそ、歴史上は老子と孔子でいうと孔子のほうがやはり有名だし、孔子だけ祀られる。老子も荘子もそこまでメジャーになりきれないけど、それはもうそういう思想だからしょうがないですよね。

仲山:ビジネスの世界でいうとマイノリティ派な感じですよね。

倉貫:そうですね。もうみんなが「グロースだ」「スタートアップだ」「Jカーブだ」「ムーンショットだ」みたいに言っているそばで、「いやいや、まずは楽しく仲間と仕事していきましょうよ」って言っているところが、すごくシンパシーを感じます。

仲山:そうですね、「時価総額だ」みたいな。

倉貫:時価総額、いやぁ考えたことない。

不確実な社会をコントロールしようとすることの是非

青木:いやでも本当に、今説明してくれましたけど、前提としてやはり時代背景はすごく関係しているなと思っています。前提として戦国時代だから、世の中がもうめちゃくちゃ不確実性に満ち溢れた時代であったと思うんですよね。その中でたぶん思想としては儒家のほうが先行しているじゃないですか。

倉貫:そうですね、先にいますからね。

青木:成り立ちとしては(儒教の思想が)先にあって、ある程度それが広まった世の中でアンチテーゼとして老子とかが言うようになったという順序なのかなと。そう思った時に、「人間の理性とか意思とかで不確実な社会をコントロールすることの是非」がたぶんスタンスの違いになっているかなと。

不確実性が極まった時代にその議論になっていることに、けっこう僕はおもしろみを感じています。どっちが合っているかはわからないけど、自分が会社を経営していても思うことがあって。

やはり規模感とか、関係者やステークホルダーの幅とか、いろんなことが大きくなっていけばいくほど、「こうしよう」と決心しすぎて取り組むと、現実との乖離に結局苦しみ続けることになるじゃないですか。

倉貫:そうですね。

仲山:思いどおりにいかないことが多くなる。

青木:なのでそれに対して、「なんとか思いどおりにするための力を身につけよう」みたいな感じがなんか儒教っぽい。そういう「人格を身につけよう」とか「技量を身につけよう」とか、孫子だったら「戦争の時にはこう戦おう」みたいなスキルフルな感じというか。

それで思いどおりにしようとする考え方に対して、「思いどおりにならないことにどう適応するのか」が老荘だなと。そこが自分もずっと限界を感じ続けているポイントに近いんですよね。

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