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社員の力を引き出す経営戦略〜ひとり一人が自ら成長する組織づくり〜(全5記事)

組織のトップこそ“ありがとうを言われない人”に一番感謝する ジャパンハート創設者が語る「自分の驕り」から解放されて気づいたこと

特定非営利活動法人ジャパンハートが主催したビジネストークイベント「社員の力を引き出す経営戦略〜ひとり一人が自ら成長する組織づくり〜」。株式会社一休の代表取締役社長・榊淳氏、株式会社シンクロの代表取締役社長・西井敏恭氏をスピーカーに招き、ジャパンハートの創設者の𠮷岡秀人氏と共にトークセッションが行われました。本記事では、生きていくうえで「底を知る」ことの大切さや、𠮷岡氏がふだんから意識している「感謝」のスタンスなどを語ります。

「底を知っておく」ことで、ほとんどの恐怖から開放される

𠮷岡秀人氏(以下、𠮷岡):これは僕がいつも言うんですが、人間は「いくら稼がないといけないか」とか「毎月いくらいるか」ということは考えるけど、今、西井さんが言ったような「底」を知らないじゃないですか。「いくらあったらどのぐらいの期間を生きられるか」は知らないんですよね。

僕はそれをミャンマーで理解したんですが、ミャンマーみたいな国や仏教の国へ行けば、僕は一生懸命医療をやっていたら別にタダで生きられるんですよ。

お寺のお坊さんたちがご飯を食べさせてくれるし、服も寄付してくれるし、タダで生きられるんですね。実際はいろいろあっても、そんなに年間ではお金がかからないんです。僕はそれを30歳の時に悟ったから、底を知ってるんですよ。

それは何の違いかというと、みなさんの給料が減ったとして、僕らは50万円に減っても恐怖しないのに、例えば10億円の貯蓄がある人が一気に5億円に減ると、(残りは)5億円もあるのにめっちゃ恐怖するじゃないですか。

まず1つは、落下の加速度に恐怖しているのと、もう1つはおそらくジェットコースターと飛行機の墜落の違いですね。ジェットコースターは地面すれすれまで来ても、落ちないで必ず上がるじゃないですか。それがわかっている。底を知るっていうことは、そういうことだと思うんですよ。

底を知らないと、飛行機の墜落みたいな心境になって、地面にぶち当たって死ぬんじゃないかと思うでしょう。だからたぶん、みんな上ばっかり見るんですが、実は底を知っておくのはすごく大切です。底を知ると、ほとんどの恐怖から解放されると思うんですね。

“やりたいことをやること”の重要性に気づくには

堀江聖夏氏(以下、堀江):榊さんは底を知ったことはありますか? すみません、大ざっぱな質問で(笑)。

榊淳氏(以下、榊):底を知るっていうのは、その人の心のフリーダムを広げますよね。そうすると、さっき西井さんがおっしゃってたように、どうやって自分の「やりたい」を作るかというのは、「自分が何が好きかがわかる」みたいなものに近いですよね。

底を知ると心のフリーダムが広がって、たぶんやりたいことができるようになりますよね。例えば「住宅ローンが」とか「昇進が」とか言っていたら、心のフリーダムが狭いと、どうしても自分の「やりたい」が何かがわかりにくいですよね。

西井敏恭氏(以下、西井):本当に。僕も何回も(海外へ)行っていて、もちろん僕自身がバックパッカーをやって体験してきたこともそうかもしれないけど、うちの社員は別に全員がバックパッカーなわけじゃなくて。

ジャパンハートのところに行くと、例えばミャンマーのザガインの病院は決して環境が良いわけではない。そこに来ている人たちって、本当にすごい腫瘍を持った人たちが2日、3日かけてバスでそこまで来ているんです。

だから、うちの社員は底を見てるわけですよ。底を見ていて、自分がいかに幸せであるかとか、その部分のハードルが下がってる気がしていて。だからこそ自分のやりたいことをやるっていうのが、すごく大事だということに気づいてるんじゃないかなと思ったりしています。

堀江:ありがとうございます。

顔も名前も出さず、ジャパンハートに寄付し続けた人物とは

堀江:ちょっと話は変わってしまうんですが、私は「ジャパンハート部」というところでも活動させていただいたことがあって。

ちょっとこれは言っていいのかわからないんですが、その時に寄付をしてくださった方がどのような方なのかインタビューもさせていただいたり、名簿とかもあったりして。その中で、1人知らない男性の方が定期的にご寄付をしてくださっていて。ただ、絶対に名前も顔も出さない方がいて、ゆくゆくそれが西井さんだったことがわかったんですね(笑)。

その時、私は西井さんに「インタビューしてもいいですか?」「お名前を聞いてもいいですか?」って言ってたんですが、西井さんは「僕はいいです」みたいな。

今となっては、いつの間にか理事もされて出てくださってるんですが、こんなに謙虚でびっくりして。けっこうみなさんは名前も出されたりする中で、「あれが西井さんだったんだ」ということを後々知って。今もそうですが、そこまでして西井さんがジャパンハートに関わる理由を聞きたいなと思っています。

西井:その話、僕は今初めて知りました(笑)。

堀江:実はそうだったんです(笑)。

西井:僕は関わりたいから関わっていたので、別に寄付しているのを人に言いたいとか、そういうわけではなかったし。今も理事をやってるのは、ジャパンハートの経営を良くしたいから理事として経営に参加させていただいて、いろんな意見を言ってるだけなんですね。

誰かを救うためには「合力」が必要

西井:なんで関わったかというと……話すと長いんですが、ざっくり言うと僕は世界中のいろんな所を旅行していて、いろんな人に助けてもらってるんですよ。アフリカで交通事故に遭ったり、マラリアになったり、そこの医療者の方に注射を打ってもらって2週間助けてもらったり。

僕は、マーケティングの仕事として生まれてずっとこういう職業をやっている中で、残念ながら僕が医療をしてアフリカの子やアジアの子たちを救うことはできない。だから、僕はマーケティングで手伝えるんじゃないかと思って、その機会をいただいたのが大きなところかなと思う。

あとは会社を経営していく中で、僕は僕が働きたい会社を作ってるからこそ、うちの社員にそういうことを少しでも感じてもらえるとうれしいなと思って、今関わってるという感じです。

堀江:なるほど。𠮷岡先生から見てどうですか? お二方の会社がどのような存在なのか、どう感じましたか?

𠮷岡:本当にお二人ともそうなんですが、自分たちのできることをできる範囲でやっていただいてるのが非常にありがたくて。結局、合力なんですよね。それは人の力もあるし、お金だけではないじゃないですか。それだけで人が助かるわけじゃなくて、いろんな能力の人がこのベクトルに沿って集まってくれたら、ベクトルが長く伸びて、結果として人が助かっていく。

僕は若い頃に日本で医者をやっていて、まぁ驕りがあるじゃないですか。みなさん、わかるでしょう? 医者が威張ってるのは。

(一同笑)

𠮷岡:僕らの世代はまだマシですが、僕らの1つ上の世代はめちゃめちゃ威張ってましたからね。バブルの頃、製薬会社のお金を使って学会へ行ったりとか、平気でしている。それからコンプラが厳しくなってできなくなったんですが、まぁバブルの頃ですからね。

30歳の時、たった1人でミャンマーで医療活動を開始

𠮷岡:しかも、もうちょっと言うと僕が研修医の時は医療訴訟がなかったんですよ。医者の保険があるから、僕の上の5年目ぐらいの医者に「入ったほうがいいですか?」って聞いたら、「いや、入らなくていい」と。

まだ医学界で2件ぐらいしか訴訟がない感じの時代で、「医者は訴えられない。訴えられても負けないから」という話でした。そんな時代からあっという間に転げ落ちていくように、今みたいな社会になったんです。そういう時代に若い時を過ごしていると、今の先生たちと違ってもうちょっと……偉そうじゃないけど、驕りがあるわけです。

ところが30歳の時にミャンマーに行って、1人で(医療活動を)やらないといけなくなったじゃないですか。そしたら、薬を買い集めるところも、道具を集めるところも、もうイチからですよ。巻きガーゼを買ってきて切って、滅菌も自分でして。

全部自分でやらないといけなかった時に、初めて僕はどのぐらいの人たちに支えられて医療行為ができていたのかを痛感するんですね。それで、ようやく自分でも反省し始める。

それが僕は長い間続いて、しかも自分の身銭を切っていたら、なおさら痛感するじゃないですか。ガーゼ1枚、もったいない使い方をされたら腹立つんですよ。そういう感じになって、だから時間をかけてゆっくり理解しました。

例えば病院に一流の外科医がいても、トイレを掃除する人がいなかったら医療なんて成立しないんですよ。そんな汚い病院に誰も行かないでしょう。車を整備してくれる人とか、いろいろな人たちがいるじゃないですか。そういう人たちがいて、その合力で初めて病院が経営されて人が助かっていく。

組織の中で“お礼を言われない人”に一番感謝する

𠮷岡:その中で、お礼を言われる人って一部なんですよ。例えばみなさんが薬局の人とか受付の人にお礼を言うことはないじゃないですか。ましてや車を整備してくれている人、トイレを掃除してくれてる人たちに、「ありがとう」って言うことはないでしょう。

言われてるのは、医者か看護師ぐらいがメインじゃないですか。だからこそ僕は思ったんですね。いつも(感謝の言葉を)言われている医者や看護師、特に医者、特に病院の院長が、そういうことを言われない人たちに一番心から感謝して、彼らに敬意をはらう必要がある。

そうすると、人の「ありがとう」が回転するし、善意が回るじゃないですか。そうしたら初めて調和がとれた病院になるということに、僕は気づいたんですよね。

だから今でもそうですが、一番給料が低い人とか、一番地位の低い病院の人たちを1年に1回か2回集めて、僕は必ずプレゼントを渡すんです。それは向こうの人が喜ぶ食べ物でもいいし、採ったやつを渡したりしています。

例えばカンボジアの病院だったら、上の医者が集まって「お疲れさま。いつもありがとうございます」と、お礼を言うんですね。それはミャンマーでも一緒で必ずしています。自分の驕りから解放されて、そういうことを悟っていったんですよ。

堀江:「ありがとう」の回転、いいですね。西井さん。

西井:僕もこういう会社にしたいんですよ。

食事はコンビニ弁当、空港で寝泊まり…𠮷岡氏のエピソード

西井:普通の会社って、「社長が偉い、社長がすごい、良いサービスですね」って褒められる機会が多いじゃないですか。「榊さん、一休すばらしいですね」って。

成り立つのはたぶん全部なんだけど、今の社会はなかなかそういう組織になっていないし、難しいなと思ってる。だから、そういう組織にどう変えていくのかをイメージしながら、自分の会社の組織や人材育成をちゃんとやっていくのも大事だし。ここにすごく良い例があるから、僕はふだんからものすごく学びをもらってるんですよね。

堀江:ちなみに𠮷岡先生はウナギがすごく大好きで。

(一同笑)

堀江:私、事務所へ遊びに行くと「ほりえってぃウナギ食べる?」って言われるんですが、𠮷岡先生はウナギを食べないんですよ。……言っていいですか? コンビニのお弁当を食べていて、ウナギを食べてるところを見たことがないです。

あと、これもお聞きした話なんですが、経営者の方々がみんなでミャンマー・カンボジアに行くといった時に、みなさんはホテル取られて行くと思うんですが、𠮷岡先生は空港の寒いところで寝ていたみたいです。

西井:ああ。カンボジアからミャンマーに移動する時に、バンコク経由で飛行機で行くんですが、たぶん僕は前の日の夜に(𠮷岡氏と)一緒にご飯を食べていて。僕はそのままカンボジアのホテルに泊まって、次の日の朝一の飛行機で飛んだんですよ。その朝一の飛行機に𠮷岡先生はいらっしゃらなくて、バンコクに着いたらバンコクにいたんです。

バンコクからミャンマーの飛行機は一緒に行ったんですが、「あれ? 先に行ってたんですね」と言ったら、要はホテル代がもったいないというのと、前日に出たほうが2,000円ぐらいチケットが安かったんですよね。

その2,000円とか、ホテル代も含めて3,000円あれば、「何人分のガーゼが買えるやん」ってさらっと言ってたんですね。すごいなというか、それを価値観として普通にやってるというか。

堀江:𠮷岡先生、すごいですよね。トップの方がそういうふうにされている姿を見ると、私たちもちょっと身を慎んで行動しようかなと思います。榊さん、どうですか?

榊:たぶん𠮷岡先生のそういう行動があるから、病院の末端の人まで一生懸命医療を届けていらっしゃる。

僕らがそれを応援したいのは、彼ら彼女たちの仕事ぶりを見て、「僕たちはなんで生きてるんだろうか?」「僕たちはなんで仕事をしてるんだろうか?」ということを見つめ直す、すごく良い機会になるから。今日いらっしゃってる方も、どこかでまたぜひご一緒できたらなと思います。

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