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シネマネコ菊池氏インタビュー(全2記事)

巨匠・蜷川幸雄氏に直談判し役者の道へ→飲食店経営者に 都内唯一の木造映画館『シネマネコ』代表が歩む、「攻め」の半生

ソーシャルビジネスコミュニティ「ワクセル」(主催:嶋村吉洋)にて行われた、菊池康弘氏へのインタビューの模様を公開します。かつて映画の街として賑わっていた東京都青梅市に、約50年ぶりに映画館を復活させ話題となった「シネマネコ」。本記事は、その仕掛け人である菊池氏の今までのキャリアを振り返ります。巨匠・蜷川幸雄氏との出会いや、飲食店経営者になるまでの苦悩が語られました。

東京都青梅市に、都内で唯一の木造映画館を設立

住谷知厚氏(以下、住谷):今回は、僕とくびれ姉さんこと渋沢さんですね。

渋沢一葉氏(以下、渋沢):よろしくお願いします。

住谷:今回もお送りさせていただきます。

渋沢:くびれ姉さんこと、渋沢一葉です。よろしくお願いいたします。

住谷:最初からトップギアで来ていますね(笑)。

(会場笑)

渋沢:トップギアだったらこっち(住谷さんの方)に行っていますから。ここで我慢している。一応ディスタンスですから。

住谷:そうですね。だんだん出るのが慣れてきて、うまく会場を使えるようになってきていますよね。

渋沢:そうですね。こういう小道具も使っていこうかなと。よろしくお願いします。

(会場笑)

住谷:今回ゲストに来ていただいているのは、都内で唯一の木造映画館を作られた菊池康弘さんです。

渋沢:よろしくお願いします。

(会場拍手)

菊池康弘氏(以下、菊池):こんにちは。はじめまして。菊池康弘です。よろしくお願いいたします。

住谷:よろしくお願いします。さっそく菊池さんが歩まれた経歴など、このあといろいろとおうかがいできたらと思います。フリップ出せますか?

渋沢:はい!

(会場笑)

渋沢:すいません。

住谷:フリップに沿っておうかがいできたらと思います。まず2002年。20歳の時に俳優を志し、2004年に蜷川幸雄さんの主宰のニナガワ・スタジオに入所。その後、2011年に29歳で俳優業を辞められて、地元の青梅で炭火やきとり屋の火の鳥を開業されます。

その後2018年、シネマネコのプロジェクトを立ち上げて、2021年には6月にシネマネコをオープンされています。

俳優業を目指したきっかけと、蜷川幸雄氏との出会い

住谷:まずはじめに、なぜ最初に俳優業を目指されたのかや、蜷川幸雄氏のスタジオに入所したきっかけなどをおうかがいできればと思います。

菊池:わかりました。最初は高校を卒業して、ずっとフリーターをやっていたんです。何やろうかなというのがぜんぜん決まらなくて、夢がなかったんですよね。ただ、よく本屋に行ってオーディション雑誌などを見ていました。

渋沢:ありましたね。『De☆View』とかね。

菊池:そう! 『De☆View』ですね。懐かしい。自分では気づいていなかったんですが、舞台や俳優、映画に出たいなという気持ちがあって、自然にそういう雑誌を見るという行動に移っていたんです。だからそれはアクションを起こしてみようと思って。

最初は芸能事務所の入り方がわからなかったので、『FromA』に登録しました。普通の『FromA』ですよ。『FromA』ってまだあるんですかね。アルバイト情報誌を見たら「俳優募集」ってあったんですよ。

渋沢:アルバイトにあるんですか!?

菊池:それを見て、応募したのが最初ですね。

住谷:えー!

菊池:そこの事務所に入って、一応舞台に立たせてもらったんですけど、200人くらい入る劇場にお客さんが5人くらいしか入っていないこともありました。

菊池:しかも、それが出演者の身内だったんです。

住谷:うわー。

菊池:それが初舞台でしたね。このままだとまずいなと気付きまして、そこで蜷川さんの主宰しているニナガワ・スタジオのオーディションを受けました。蜷川さんの舞台にアンサンブルじゃないですけど、脇役として出られるんです。

オーディションは演技だけなんですよ。面接もなくて、渡されたエチュードを蜷川さんの前で演じる。スタッフが何十人もいて、お芝居が下手だと途中で蜷川さんが止めるんです。「もう帰れ」みたいな。

最後まで演じられない人もけっこういました。でも僕は一応最後まで演じさせていただいて、演技は終わったんですけど蜷川さんが声を掛けてくれたんです。

オーディション後に蜷川氏へ直談判

菊池:当時結婚して子どももいたんですが、経歴書にそれを書いていたんです。20歳で結婚していたので。

渋沢:普通けっこう逆のパターンが多いですけれども。

住谷:逆ですよね。

菊池:子どもができると逆に安定した仕事に行くと思うんですけれども、子どもができて家庭ができて、自分のやりたいことを諦めるのはちょっと嫌だったんですよね。夢を追うというか、実現する姿を子どもにも見せたいなと思ったので。

渋沢:うわー!

菊池:そのオーディションの時に、結婚や子どものことでちょっと落とされた雰囲気になっちゃったんですよ。なので、稽古場が1階の駐車場の裏口につながっていたんですが、オーディションが終わった後にそこで6時間とか7時間ぐらい、蜷川さんが出てくるのをずっと待ち伏せしていたんですよ。

午前中のオーディションが終わって、夕方くらいまで待っていました。オーディションが終わって蜷川さんが降りてらっしゃったんですが、「お前、さっきの奴だな」って覚えていてくださったんです。そこで「演技が下手で落とされるのはいいんですけど、子どもがいるとか家族がいるという理由で落とされるのは、ちょっと納得いかないです」と直談判したんですよね。

住谷:すごっ!

渋沢:あの蜷川先生に。

菊池:そしたら意外に、蜷川さんが「ああ、そうか」みたいな反応で。「けっこう厳しいけどやる気はあるのか」と言われて、「ぜったい食らいついてやっていきますんで」と言ったら、その場で電話を掛けてくれたんです。

たぶん演出助手の方に、「さっきの変な奴、俺の前にいるんだけど」みたいな感じで電話してくださって(笑)。それで合格させてもらったんです。まさに裏口入学。

生活するための飲食店の仕事は好きになれなかった

住谷:29歳の時に俳優業を辞められて、そのあとは焼き鳥屋を開業されたと思うんですけど、それはまたどういったきっかけで。

菊池:そうですね。俳優はずっとやっていくと思ったんですよ。死ぬまでやっていくというくらい好きで、お芝居も好きだったしやっていこうと思っていました。だけど、29歳の時にふと、これやっている場合じゃないなというか、なんか「辞めろ」と聞こえたんですよね。

住谷:えー!

菊池:それをきっかけに1回地元に戻ろうと思ったんです。結局俳優を辞めちゃったら何もないんですよね。役者じゃ食べられないので、10代の頃からアルバイトでやっていた飲食店をずっと続けていましたが、本当に貧しかったので。

12~13年くらいアルバイトで生計を立てていましたが、本当にそれ以外ぜんぜん職がなかったんです。とりあえず自分にできることは何かなと考えた時に、飲食だったらできるかなということで、ちょっと地元でやきとり屋さんを始めてみようかなと思ったんです。

住谷:もともと飲食にはご興味があったんですか。

菊池:いや、それもぜんぜんなくて。

住谷:それもないんですか!(笑)。

菊池:そうなんですよ。お芝居って楽しいでよね。

(会場笑)

渋沢:楽しいですよね。やはりね。お客さんが5人であろうと楽しいんですよ。

菊池:人前に出て演じるってすごい楽しくて。

渋沢:そうなんですよね。

菊池:それが楽しかったので、10年間くらいはアルバイトでやっている飲食店は本当に好きじゃなかった。生活するために、子どもや家族を養うためにやっていたという意識が強かったので、真面目に仕事はしていたんですけれども、あまり好きになれなかったんですよね。

飲食店も「角度」を変えるとおもしろくなる

菊池:ただ、自分で(店を)始める前に、地元に帰った時にバーテンを1年半くらいやってたんですけど、そこで「好きにやっていいよ」と言ってもらったことがあったんです。メニューを自分の自由に作ったり、創作料理を作ったり。お客さまが言われたものを全部作るという感じでした。メニューがなくて「明日何食べたい?」「麻婆豆腐」みたいな。

渋沢:えー! バーで麻婆豆腐。

菊池:生姜焼きとか、本当になんでも出してたんですよ。そしたらそのバーがすごく盛況になってお客さまも増えたんです。一番はお客さまが喜んでくれるというのをダイレクトに感じて、飲食って角度を変えるとめちゃめちゃおもしろいなと思って、独立したんですよね。

渋沢:32歳で、株式会社チャスを設立。

住谷:設立して、店舗展開されているという感じですね。

菊池:今がちょうど市内で4店舗やっていて、業態が違う焼き鳥がメインのお店と、串揚げと海鮮のお店。中華の餃子のお店と、あと今改装していて来月の頭にオープンする焼肉屋さん。業態を変えながら、店舗展開しているという。

渋沢:すごい!

住谷:すごいですね。

渋沢:バーテンでもなんでも作るぞというか、その時からの名残がありますよね。

菊池:ああ、そうですね。お客さまのニーズに応えるという面で。やはり青梅は飲食店がそんなに多くないので、お客さまからの「こういうお店あったらいいよね」というヒントがすごくあるんです。それをどんどんかたちにしていくような事業の進め方ですね。自分がやりたいというよりは、ニーズを掘り出すことが1つ大事かなと思います。

何かを始めることよりも、動かないことのほうが怖い

渋沢:飲食店、すごいですね。

住谷:すごいですよね。でも飲食といったら、まさに緊急事態宣言が直撃したんじゃないですか。

菊池:そうなんですよ。直撃ですね。捉え方を変えると、飲食業界に限って言えば、辞めていく店があるので、いいところとか、ふだん空かないような物件が空くので、ある意味チャンスではある。

渋沢:だけど、やはり何かを始めるというのは怖くないですか?

菊池:それもけっこういろんな人に聞かれるんですけど、動かないことのほうが怖いんです。動き続けたり行動し続けると、ダメだったり良かったりというのが、その都度ケーススタディで、感覚的にわかってくる。それを繰り返していくと、大丈夫だなと逆に自信につながるというか。

住谷:まさにチャレンジして失敗して、いろんな経験を積んでとか。

菊池:そうですね。その中で調整できるんですけど、動かないと結局、その調整もできないので、どんどんどんどんダメになっていっちゃうかなと。

渋沢:これ、かなり前向きに「がんばろう」「がんばらなきゃ」という気持ちになりますね。

菊池:そうですね。だから逆にかなり攻めて4店舗まで戻したので、当時の状況よりも売り上げも上がりましたし。

住谷・渋沢:すごい!

菊池:従業員の数も、普通だったら雇えないとなってしまうんですけども、新たに社員も増やしましたし。それが好転していって、巡り巡って回っているんで、2021年はあまりコロナの状況に左右されないように動いていましたね。

渋沢:すごいですね。

住谷:やはり逆境でも攻めるというのが、すごく大事なんですね。

菊池:そうですね。スポーツとかもそうだと思うんですよね。サッカーも守ろうとすると点を取られちゃうというか、ディフェンシブに戦うってけっこう難しくて。攻めたほうが逆に守れることもあるのかなと思って、僕は経営に関してはそっちが強いかな。攻めの気持ちを忘れない。

渋沢:素敵です。 

住谷:すごいですね。

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