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文化人類学者×計量経済学者が語る資本主義のフロンティア(全6記事)

経済的な成長だけで「人々の幸福」を計れるのか? 経済学者が考える、GDPに反映されない「成長」の存在

代官山蔦屋書店にて、『アイデア資本主義』(実業之日本社)刊行記念イベントが開催されました。本セッションでは、『アイデア資本主義』著者で文化人類学者の大川内直子氏と、計量経済学者の山口真一氏による対談の模様を公開します。大川内氏が提唱する「アイデア資本主義」は、モノではなくアイデアに投資価値がつくという社会の在り方です。本記事では、昨今議題として多く取り上げられる「脱資本主義」「脱成長」について、両氏の考えが述べられました。

インターネットの発展で可視化された「格差」

白戸翔氏(以下、白戸):ありがとうございました。もう気づけば1時間経ちました。ちょっと次の話題にいきたいと思います。今、社会主義とか計画経済というキーワードも出ましたけど、今は「脱資本主義」「脱成長」というワードがメディアを賑わせています。

この辺に関して、お二人の社会情勢の印象とか、なんでこういった言葉がホットになっているのかなど、お聞きできたらなと思います。大川内さんからお願いします。

大川内直子氏(以下、大川内):はい。これはぜひ山口先生のお話も聞きたいんですけど。やはり日本で経済格差は広がってますし、社会的な分断も注目されるようになってきたなと、普通に生活していて思います。

「上の世代は年金をいっぱいもらうのに自分はもらえない」という不満や世代間の格差があったり、同世代間でも、例えば外資系の金融機関に勤めてる人とエッセンシャルワーカーの人とで賃金が違って、「でも生み出してる社会的な価値はこっちのほうが高い/変わらないのに」という不満もあると思います。

いろんなところで不満があって、かつインターネットが広まって誰がどういう生活してるとか、誰がどういう給料もらってどういう考えだとかが見えやすくなってきたと。

大昔であれば、封建制の社会で生まれついた土地で親から引き継がれた仕事を淡々とこなしていって、それが自分の運命だと、天職だと思っている。周りの生き方というのはそんなに気にならないし、知る術もなかった。

そこからインターネットの発展でもうなんでも筒抜けになって、芸能人がどういう車に乗ってるとか、スポーツ選手がいくら年俸をもらってるとか、みんな調べればわかるわけですね。

格差が広がっているのもあるし、すごく可視化されたということで、不満を持つ人が増えてきてるんだろうなと思います。「社会を平等にしていく」とか、「格差をなくしていく」って話が受け入れられやすいのも、確かにわかるなと思うところです。

「資本主義がダメ」と断じてしまっていいのか?

大川内:心情的に魅力を感じるのはすごくわかるんですけれども、やはり私の立場としては「今の社会に問題があるから資本主義がダメと断じてしまっていいんですか?」と。歴史をひもといてみると、必ずしもそうじゃないんじゃないの? と思っていて。

資本主義が生み出してきた恩恵は、私たちの身の回りにいっぱいあるわけです。電車も安く乗れますし、コンビニに行ったらいろんなものが手に入るし、100円均一で売ってないものなんだろう? って探すほうが難しいような時代です。

ペン1本を買うにしても、太さとか重さとか色とかいろいろあって、同じ予算でもいろんなものを比較しながら選べる。そういう社会の心地よさを感じている1人としては、資本主義がもたらしてきた恩恵をぜんぶ捨て得るのかと問われると、個人的にはきついです。みなさんの多くもそうなんじゃないのかなという気がしています。

もう1個は、もっと根本的な話になるんですけど。資本主義が一人ひとりの心的傾向から生まれるものであるとするならば、基本的には良い悪いに関わらず、止めようがないと思っています。

例えばコロナが広まってきた時に、トイレットペーパーの買い占めが社会問題になりましたね。実際うちもトイレットペーパーがなくなって大変な思いをしました。マクロで見ると、「どうせ供給されるから買いだめしなくて大丈夫」という状況であったとて、やっぱり人情としては心配なんですよね。

全員に「資本主義的な活動」が染みついている

大川内:「来週には入荷されるって言ってるけど、うちのトイレットペーパーはあと3ロールしかないから、見つけたタイミングで買っときたい」とみんな思うんです。「だって、トイレットペーパーがないと困るじゃないですか」と。冷静に考えれば大丈夫なんだけど、でも「トイレットペーパーのない明日」というのは考えられないわけですよね。

そういう冷静な部分と、自分の差し迫ったトイレットペーパーを使うニーズがバッティングした時には、やはりトイレットペーパーを買う人がすごく多い。それが今回、社会現象として示されたと思っています。

そういう人の中にもたぶん、「資本主義ってどうなの?」と思ってる人いると思うんですよね。でも、日常生活の中で差し迫ったトイレットペーパーニーズがあって、それを買っていること自体が、すごく資本主義的な活動なんじゃないかなと私は思っています。

自分の未来、明日とか来週とかのよりよい日常生活のために何かを買っておくこと自体がすごく資本主義的なことです。我々ほぼ全員にそれが染み付いているように思うので、なかなか止めようがないのかな、というのが私の考えになります。

白戸:ありがとうございます。山口さんにもご意見をうかがえれば。

「グローバル化」と「IT化」が加速させた、格差の広がり

山口真一氏(以下、山口):そうですね。「脱資本主義」の話が出てくる背景は私はよく理解できるところで。結局、多くの人が限界を感じてきているんですよね。環境問題とかもありますし、格差とかもある。

実は「格差」って、統計で見るとこの数十年でものすごく広がってるんですよね。特にイギリスとアメリカでの進行度がすごいんです。日本でも広がっていて、「総中流社会」と言われてた日本ですら、所得上位1%がものすごく富を握っているという状態が加速してきてます。

その背景に何があるかっていろいろ議論されてるんですが、1つは「グローバル化」が間違いなくあります。もう1つが「IT化」。IT企業は素晴らしいものを作ってるんですけども、一方で雇用してる人数は少ないんですよね。そうすると、一部に富が集中してしまって、それが分配されない。これがどうしても避けられない。

例えばトヨタ自動車という企業があるわけですけども、あそこは残念ながら、今時価総額ランキングでいうと世界のベスト10にも入ってないんですよね。でも、抱えてる人数はものすごく多いので、一億総中流にはかなり貢献してると思うんです。

一方で、より多くの時価総額を持っているようなIT企業は、平気でそれよりも雇用人数が圧倒的に少なかったりするので、どうしても格差が広がってしまう。そういうことが起こっています。

「人口爆発」から考える資源と人口の限界

山口:さらに言うと、環境問題が特にそうなんですけども。「人口爆発」が世界に懸念をもたらしているのは事実です。最近よく聞く「肉が食べられなくなるんじゃないか」とか「だから虫を食べよう」という話とか、いろいろあるわけなんですけども。

私最近、藤子・F・不二雄先生の短編集を再読しまして。1年前ぐらいに読んでおもしろかったのが、藤子先生は複数の短編において「人口爆発」に警鐘を鳴らしているんですね。「人口が爆発して増えているこの時代に、なんの危機感・疑問も持ってないなんて人間はおかしいよ」というメッセージを出してるんです。

確かそれが描かれたのが40年か30年前ぐらいなんですけど、その当時の世界の人口は40億人で、「人口爆発でとんでもねえ」って話をしてるわけですよね。

で、今はもう70億人ぐらいいるわけですよ。この数十年の話ですよ? それでこんなに増えている。そうなってしまえば、「いずれ資源枯渇するんじゃないか」っていう話は当然思うべき話です。

おもしろい統計としては、日本はずっと人口が増えるわけですね。特に江戸時代はすごく豊かな社会だったので、江戸時代になってから急激に人口が増えます。確か、もともと1500万人ぐらいだったのが、どんどん増えてって3,000万人ぐらいまでいくんですね。

ところが、江戸時代って鎖国してるので、資源に限界がある空間なんですね。何が起こるかっていうと、3,000万人から3500万人ぐらいを推移して、それ以上増えないんです。飢饉とかで一斉に死ぬんですね。

結局、鎖国した状態の日本の技術の限界が、3,500万人とか3,000万人ぐらいだったっていうことを示しています。そしてなんと100年以上、同じぐらいの人口で推移します。明治維新があって国が開けて貿易できると、食料とかも輸入できるので(人口が)増えていくんです。

これが示してるのって結局、「限られた資源で生活できる人口には限界あるよ」って話なんですね。

経済的な成長だけで「人々の幸福」を計れるのか

山口:だから、今70〜80億人とどんどん増えてってますけど、いずれ絶対に人口の頭打ちがきます。これはハッピーな現象で頭打ちに勝手になってくんじゃなくて、限界がきてなるので、おそらく人がかなり死にます。

そういうことが見えてるので、みんな怖いんですよね。だから「資本主義に限界がある」「成長を前提にしちゃいけないんじゃないか」という、脱資本主義を出してるんじゃないかなと感じてるところです。

私は人口が増えるのは止められないと思うんですけども、よく「GDPが成長しない」ことがよくないこととして語られると思います。もちろんそれは1つ指標としては正しいです。

やっぱり経済取引するっていうのは、要するに納得して取引しているということなので、経済学的にはみんなが幸せになってるはずなんですね。なので本当は取引が多ければ多いほうがいいわけなんです。

一方で、最近は無料のものが大量にあるわけですよね。例えば、我々はFacebookとかLINEとかインスタとか、ぜんぶ無料で使ってるわけですよね。こういったものはどんなに使ってもGDPに反映されないわけです。こういう社会がきてるわけなので、単純に経済的な成長だけで「成長」あるいは「人々の幸福」を計れるのかという議論が、今かなり出てきているところです。

経済的成長と同時に見るべきは「目に見えない成長」

山口:経済学で「消費者余剰」という考え方があります。簡単に言いますと、例えばこの本は本体1,800円で税込1,980円で、この本に対して5,000円の価値を見出してる人がいたとする。その人がこの本を1,980円で買ったら、約3,000円のお得感があるわけですよね。これが「消費者余剰」という考え方です。

ありとあらゆる取引において、消費者余剰は必ずあるはずなんですね。だって、100円以下の評価しかしてなかったら、100円で買わないからです。150円の評価をしてるから100円で買う。そうすると、50円分得するわけです。

それが無料のサービスには絶対あるわけなんですよね。例えばFacebookに対して、月に本当は500円払ってもいいと思ってるかもしれない。でも無料で使えているのでお得でハッピーなんです。

5年くらい前に、日本における無料のネットサービスの消費者余剰を分析したんですね。その結果、だいたい年間18兆円ぐらいの規模になってました。相当大きなお得感を、我々はネットサービスだけで受けてることがわかりました。

この話をなんで持ってきたかというと、経済的な成長だけを指標にするんじゃなくて、これからは「消費者余剰」とか、目に見えない幸福感、経済に乗らない幸福感も同時に見たほうがいいと思います。これが膨らんでいったほうがいいに決まってるじゃないですか。だからその目に見えない成長も見るべきなんじゃないかなと思っています。

私は新しい資本主義になっていくこと、アイデア資本主義は大いに賛成なんですけども、同時に経済的な成長を前提としないという戦略もあってもいいんじゃないかと思っています。

「成長し続けられる」と「成長し続けるべき」は違う

山口:さらに言うと、日本はこれから人口が減っていきますので、日本全体で見て成長を維持するのはかなり厳しくなっている。ただ、1人当たりGDPだったらもしかしたら成長し続けられるかもしれないし、それも無理だったとしても、さっき言った「消費者余剰」が代わりにどんどんに伸びてくかもしれない。「成長」っていろいろあると思うんです。だからこそそこを意識する。

GDPなんて歴史の浅い指標ですので、もしかしたら他の指標で、しっかりと人々の幸福感を測る必要あるんじゃないかなと今思ってるところです。

そういう思いを持ってこの本(『アイデア資本主義』)を読んだら、なんと「脱成長」ではなくて、「インボリューションで成長はし続けられる」という話をしていたんですね。大川内さん、ぜひその辺をもう少し詳しくお話ししていただいてもいいですか?

『アイデア資本主義』(実業之日本社)

大川内:ありがとうございます。「成長し続けられる」というのと、「成長し続けるべき」っていうのは違うと思うんですね。山口さんがおっしゃったとおり、成長し続ける必要はまったくないと思っています。

実際の経済現象を見ていくと、フロンティアが広がっていて、外に出れば儲かるという時代が終わった後も、いろんなかたちで、がんばって経済成長を作り出しているところが見られました。

「内向きな発展」で成長し続けることができる

大川内:もともと「インボリューション」というのは、クリフォード・ギアツという人類学者が、インドネシアのジャワの研究をしている中で用いた概念です。「内に向かって発展していく」という意味なんですが、このジャワだけじゃなくて、いろんなところにもインボリューション、つまり内向きな発展というものが見られるなと思って、本書で紹介しました。

例えば空間においては、土地の再開発とかが最たるものですね。荒野が広がっている時に、どんどん外に出ていくのは簡単なわけですね。耕す土地を増やして、そこに畑を作ったり水田を作ったり、街を作ったりしていく。それによって利益を得ていくのは、普通に考えることなんですけど。

さっき江戸時代の話がありましたが、江戸時代は限られた国土の中で、外に出ていくこともできない。それで何が起きたかというと、江戸時代の日本においてもインボリューション的なもの起きたと思っているんです。

それが「勤勉革命」と呼ばれている現象です。同じ土地の中に労働集約することによって生産性を上げていくことが、江戸時代の日本においても見られました。

フロンティアがなくなった時に、そこで成長を止めて、みんな今のままなのか、貧しくなっていくのか、状況によると思います。「享受しましょう」ということではなくて、もう1回そこに新しい何かを投入して、今以上の富を得られないかということが、実際に歴史をひもといても行われてきているんですね。

それがすごく資本主義のしぶとさを表しているなと思って、おもしろいなと思ったので紹介しました。

時間や空間の領域で広がる「インボリューション」の可能性

大川内:空間以外の領域においても、いろんなかたちでインボリューションというのが生まれてきています。本書で紹介したこととして、時間の領域においては、金融における「超高速取引」と呼ばれる手法です。1秒間に何百回も取引することで、利ざやを取っていくというものです。

それ以外の本書で紹介してないことでは、最近「プロセスエコノミー」が話題だと思います。そういうのも一種のインボリューションだと思っています。完成したものを売るんじゃなくて、完成する前の、これまでだったら売り物にならなかったところも、切り刻んでプロセスとして売っていく。

売り物ができ上がる前からどんどん商品にしていくという、いろいろなところでインボリューション的なものが見られていて。これからも新しいインボリューションが出てくるのではないかなと思っています。

白戸:ありがとうございます。プロセスエコノミーというワードが出ましたけれども、山口さんはその辺はどのように捉えられているか、お聞きしてもいいですか?

山口:そういったものを時間的なインボリューションと解釈しているのは、ものすごくおもしろいなと思っています。「空間」はものすごくわかりやすいんですよ。限られた農地で、労働集約とかして生産性を上げてく。

農地を拡大していくのがフロンティアの開拓で、同じ農地で労働集約して生産性を上げるのがインボリューションであるというのが、非常にわかりやすいんですが。

でも「じゃあ時間はどうすんだよ」って思ったんですよね(笑)。その時に、株式の取引でどんどん時を刻んでくという話が書いてあって。もちろんそういう取引があるのは私も知っているわけなんですけども。それが時間のインボリューションであるって解釈がものすごくおもしろいなって思いました。

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