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「儲け」よりも「楽しむこと」伝統企業『能作』の挑戦 -年商15億円 ”踊る町工場”の「しない」経営(全4記事)

伝え方が下手な日本人は、「120点」のものを「80点」に謙遜する 老舗メーカーが海外展開で気づいた、伝え方の重要性

海外からも注目されている、富山県の老舗鋳物メーカー、株式会社能作。「儲け」よりも「楽しむこと」を優先させるその経営スタイルは、伝統産業、職人、日本の町工場のイメージ新たな風を吹き込んでいます。能作の社長である能作克治氏が登壇したイベントから、日本企業が成長し続けるためのヒントを探ります。本記事では、50代で藍綬褒章を受賞した能作氏が、伝統産業に込める思いを語っています。

日本人は「120点」のものを「80点」に謙遜する

能作克治氏(以下、能作):最後に「伝え方を重要視する」。これはどういう意味かというと、今、日本の製品はどんどん海外に負けてきていますよね。海外に負ける1つの要因なんですが、日本人は自分の伝え方が下手なんですよ。

海外の人は、大したことない商品を持ってきて「これどうだ? すごいやろ」ってやるわけですよね。そう言われると、60点の商品が80点ぐらいに見えるんですが、日本人は120点の製品を持ってきて「いやぁ、まだまだなんです」という謙遜します。そうすると、80点に下がっちゃうんですね。日本人は、自分の伝え方が下手かな。

それともう1つは、決定する時間がかかることもあると思います。例えば台湾・中国あたりだと、「どっちにしますか」と言うと、会長がすぐに判断してくれるわけです。海外は(意思決定が)早いですよね。

日本企業の場合は下から上に上がっていって、1ヶ月ぐらいかかって返事を出す。それが、日本が海外にどんどん置いてかれている理由の1つじゃないかなと思ってます。

海外進出においては、実は一番最初はヨーロッパを目指していたんですね。パリのMAISON&OBJETという展覧会、あるいはドイツのAmbienteというフランクフルトの展覧会、それからリオンでSIRHAという食器の展覧会に(自社製品を)出していました。

だんだんわかってきたことがあって、ヨーロッパの人ってケチなんですよ。あんまり物を買わないんですね。「ひょっとして、これはターゲットが違うぞ」ということがわかって、今はアメリカや東南アジアを中心に動いています。

ただ、どちらかというとヨーロッパはブランド力を築くところです。パリにある3つ星レストランに食器を扱ってもらったり、同じくパリの5つ星以上のパラスホテルの室内でも、ウエルカムフルーツの器として使ってもらってます。

そうすると、それを見た人が「能作さんの製品があそこにあったよ」というふうに、若干ブランドが上がって感じるらしいですね。そのために、ヨーロッパ進出は必要かなと思っています。

人間は1人もおらず、全自動化された中国の鋳物工場

能作:それともう1つが、「海外に物を出していても売れない」という人がいっぱいいるんですよ。最近よくジェトロ(日本貿易振興機構)さんに、海外のいろんな市場を教えてほしいと言っています。「何ならどこが一番売れるか」を踏まえて営業に行くことが、実は大事だったんですよ。

それから台湾との合弁会社なんですが、ショールームが1年かかって、ちょうどこれからできます。3月にはグランドオープンの予定です。

なんでこんなことがあったかというと、うちの会社は今、産業観光に力を入れているので、海外の方の見学もけっこう多いんですよ。そんな中で台湾から8人ぐらいが見学に来ました。一般の見学だなと思っていたら、そうじゃなかったんですね。

見学が終わった後で、「社長はいるか?」となりまして、たまたま僕がいたんです。話を聞いたら、「うちは台湾出身だけど中国の廈門に工場があるLOTAグループ(路達工業)のグループ会社です」と。

「何を作ってるんですか?」と聞いたら、「同じ鋳物ですよ」と。水栓金具を作ってるんですね。でも、自社ブランドを持たないんですよ。フランスやアメリカ、あるいは中国、日本もそうなんですが、自社ブランドを持たずにOEM生産を供給している会社でした。

年商が7,000億円ある会社でして、社員数が8,000人いるんですよ。なぜ、そこの会社がうちを気に入ったか。これはびっくりする理由なんですが、「能作さんは105年の歴史がある」と言うんですね。4,000年の歴史の中国から、105年を褒められたんですよ。それと、職人さんがいることがすごいって言うんですね。

鋳物をやってたら、職人はいるんじゃないかな? と思ったんですが、「私らは、ハイテク技術はとにかくいっぱい持っています。鋳物がなくなる可能性もあるので、今は3Dプリンターも20台入れて生産したりしてますよ。能作さん、とにかく見に来て、よければ一緒に合弁会社を作りましょう」と言われたんですよ。

台湾から中国の廈門に入って、工場に行ってきました。人が多いから、どうせ真っ黒になって働いているんだろうと思って行ったんですが、工場に入ったところ、人が1人もいないんですね。全部自動化されてました。びっくりしました。

あと、研磨もそうです。ロボットが24時間動いてますね。人間はどこにいるのかと言うと、みんなパソコンの前でデータを作ったりしている。あれを見た時は本当にショックがありまして、おそらく日本がどれだけがんばっても、中国にはかなわないという実感がありました。

なので、アメリカと中国の狭間に入っている日本は難しいですよね。だけど、本当は中国第一にしたほうがいいなと僕は思いましたね(笑)。

仕事においても「楽しいことしかやらない」

能作:そんなこんなで、能作プレシャスメタルという合弁会社を作りました。プレシャスメタルとは貴金属のことなんですが、今は台湾の会社に能作の代理店もやってもらって、金・銀・プラチナを使った新製品の開発もこれからやろうと思っています。

現在企画中の製品は、錫で作ったアロマディフューザーなんですね。やはり海外、中国・台湾も今は匂いにすごく敏感です。ただ、日本と違うなと思うことが3つあります。台湾・中国はリンゴやヒョウタンが縁起物です。これはわかるんですが、なんとパイナップルも縁起物なんですね。日本でいう鶴亀や松竹梅と同じで、これが文化の違いです。

もっとびっくりしたのが、下の容器部分はうちで作って、上のガラスは日本で作ろうと思ったんですが、いろんなガラス屋さんに見積もりを取ると、1個1,900円から2,000円かかるというのが、ほとんどのお答えでした。価格的に成り立たないので、「ガラスは中国でやってよ」と言って見積もったら、なんと1つ200円です。10分の1、ショックでした。精度が悪いかと言ったら、決して悪くないんですね。きっちり作ります。

だから、昔みたいにサンプルだけいいものを送ってきて、あとはダメだという時代ではなくなっちゃったんだなと思いますね。プレシャスメタルを通して、日本はいろんな意味で完全に(中国に)抜かれちゃったのかなと実感しています。

仕事でも全部そうなんですが、自分が作りたいものを作るんです。だから楽しいことしかやらないし、おもしろいことをやりたいので、こういうことを考えちゃうんですね。

50代で藍綬褒章を受賞した能作氏

能作:そんなこんなで、2010年以降はいろんな賞をもらいました。案外この中で有名なのが、2011年にもらった、第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞(審査委員会特別賞)ですね。これは法政大学の坂本(光司)教授が送呈した賞でして、一番最初に審査員特別賞をいただきました。

みなさん知ってると思いますが、第1回目のグランプリを取ったのは未来工業という会社さんですね。岐阜県でユニークな経営をされているところですね。

同じく2016年には、三井ゴールデン・グラブ賞と一緒で、あまり日の目を見ないところに賞をつけようということで、三井グループが「三井ゴールデン匠賞」というものを作ってくれて、うちは1回目でグランプリをいただきました。名誉もうれしかったんですが、賞金が100万円いただけたので、そっちのほうがちょっとうれしかったかなという感じです(笑)。

同じ年に、今度は藍綬褒章で勲章をもらっちゃいました。(当時)58歳でもらったんですが、いざ皇居へ行ってみると車椅子のおじいちゃん、おばあちゃんとかがほとんどで、一番若かったんじゃないかなと思うぐらいでした。

司会者:そうですよね。藍綬褒章で50代はお若いですよね。

能作:そうなんですよ。ちょっとびっくり。2016年はリオ五輪の金メダリストが黄綬褒章だったんですね。藍綬と黄綬の(授与式が)同じ日だったので、金メダリスト全員と会うことができたんですね。

最近はいろんな賞をもらっています。特に日本サインデザイン賞というのは、ここの社屋でもらったんですよ。あとでお見せしますが、実はこの社屋で15個の賞をもらいまして、フランスとイギリスの賞もいただきました。それぐらい、実はここはかっこいい場所なんです。

足蹴にされていた伝統産業へのイメージを変えた

能作:ここからはいよいよ、力を入れている産業観光への取り組みです。まずはこれを見ていただきたいと思います。

【自社紹介動画が再生】

実はこれが、産業観光に取り組む理由になったことの事柄の1つです。もうすでに33年前の話なんですが、うちの女子社員が僕の講演を聞いた時に、「所長の講演はぜんぜん苦労がない」と言うんですね。前からこの話をしてたんですが、「私が音楽付きで作りますよ」と言って作ってくれたのが、今の動画なんですよ。

実はさっき(かつて工場見学に来た親子の)「勉強しなかったらこんな仕事になっちゃうよ」と言ったお母さんが、東京や大阪から来た人ならしょうがないなと思うんですが、そうじゃなくて高岡の人だったんですよ。

地場産業で、この地域があってできた産業ですから自慢にしてもらってもいいのに、そうじゃなくて足蹴にされていた。「鋳物屋のあんちゃんけ?」と言われる、足蹴にされた見方をされていたんですね。伝統産業って、全国でもわりとそういう見方の人が多いんですよ。

なので、どうしたらイメージを変えられるか? と思って考えたのが、人に見てもらうことだと思ったんですよね。なのでそれ以来、子どもたちを優先に工場の中に堂々と入れて、(作業風景を)見てもらっていました。

2000年の新聞で、ちょうどうちの会社の旧工場の入り口に工程を並べたり飾った時に、地元の新聞に記事が出たんです。「将来は工場見学も可能にして、高岡のものづくりの技を広く伝える場所にしたい」と言ってたんですが、今はこれを実行しています。

それとなにより、「勉強せんかったらこんな仕事に就くしかない」と言われた仕事にも関わらず、今は小学校から子どもたちが見学に来て、「就職したい」と言ってくるようになったんですね。30年かかったんですが、少なくとも富山県民の伝統産業の見方はだいぶ変わったんかなと思います。

観光客を独り占めしても、地域の活性化にはつながらない

能作:産業観光をやるということは、地方創生につなげたいんですね。地域のことを伝えたい、あとは伝統産業を知ってもらうこと。なによりもこれです。県内観光のハブ的な役割を果たしたかったんですね。

どういう意味かというと、うちの会社に来て、次に行きたい場所を探して行ってもらいます。要するに、うちの会社へ来てすべて買い物して帰っちゃったら、産業観光じゃないんですよ。だから産業観光って、実は独り占めしたらだめなんですね。みんなと協調してやっていくことが産業観光であると思っています。

2017年4月にオープンした新しい社屋は敷地面積が4,000坪あるので、駐車場もいっぱいあります。うちがある住所はオフィスパークといって、近隣には通信会社や建設会社、県や市の施設があったりします。オフィスしか入ってはだめなんですが、たまたま地権者が地元の町内会の人で、その方に言ったら「能作さんだったら来ていいよ」って言われたんですね。

なので工場も併設したんですが、高岡市からは「工場らしくない建物にしてくれ」ということを言われまして。だからこの建物になったわけでもないんですが、東京のアーキヴィジョン広谷スタジオという建築屋さんにお願いして作った建物です。けっこうかっこよくできました。東京から新幹線で3時間程度ですから、ぜひみなさんも来ていただければと思います。

工場見学なんですが、これにもこだわりがあります。普通はガラス張りで中を見るとか、上の通路から覗き込む方法が多いんですが、うちはそうじゃないんですね。工場の中で、職人さんと同じ目線で見学ができる見学方式をとっています。

せっかく来られたんだから、五感に訴えたいわけですよ。例えば鋳物の匂いとか熱、それから音ですね。これを十分知っていただきたいという意味もあって、こういう見学のスタイルをとっています。

それから富山県の魅力を発信する1つのコーナーとして、富山県を色分けしました。それぞれのいいところやおいしいところを、全部うちの社員のリサーチで250のカードを作って、それがすべて置いてあるんですね。

うちに来て、次に行きたいところはカードをピックアップしてもらって行ってもらえばいいシステムになっています。決して(観光客を)独り占めはしないんですね。一番下の欄には富山県の市町村すべてのパンフレットが並んでいまして、PRをする感じでやっているのがうちの産業観光ですね。

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