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外資系ユニコーン企業 日本法人立ち上げの裏側 〜インド「OYO」や米「Sprinklr」の事例を語る〜(全3記事)

外資の国外進出の流儀は「大きな獲物を早く取りに行くゲーム」 Sprinklr、OYOの日本法人立ち上げの舞台裏

2019年8月26日、渋谷SOILにて、株式会社ケップルと日本経済新聞社デジタル事業が主催する、ケップルアカデミーのイベント「外資系ユニコーン企業 日本法人立ち上げの裏側〜インド『OYO』や米『Sprinklr』の事例を語る〜」が開催されました。今回は、話題のインド発ユニコーン企業「OYO」やアメリカ発ユニコーン企業「Sprinklr」の日本法人立ち上げに携わってきた山口公大氏が登壇。ユニコーン企業が日本に参入する際、グローバルのプロダクトと思想を日本というマーケットにいかに馴染ませるか、そのエッセンスをお伝えします。本パートでは、外資系企業の特徴や立ち上げ時の最初のリスクについて語りました。

ユニコーン企業2社の日本法人立ち上げに参画した山口氏

司会者:みなさん、拍手でお迎えください。

(会場拍手)

山口公大氏(以下、山口):みなさん、こんばんは。本日は平日の夜の時間にお集まりいただきありがとうございます。私のバックグラウンドとしては、アメリカのSprinklrという会社であったり、今だとOYOというインドのユニコーンのベンチャーの日本法人をまさにゼロから立ち上げるのに携わっています。なので、実際にどういうことが起きていたのかという話をしていきたいなと思っています。

自己紹介です。事業家・冒険家と書いてあります。私はもともと新卒ではDeNAという会社に入りました。新卒採用を2年やって、3年間は新規事業をやっていました。次は2015年からSprinklrというSaaSのソフトウェアの会社ですね。ソーシャルメディアのソフトウェアの会社がアメリカにあって、その日本法人をゼロから作るところに参画をしていました。

そのあと、1回脱サラしていました。アフリカのキリマンジャロという山に登っているときに、サラリーマンを1回辞めたくなったんです。その勢いで辞めて、何をやろうかなと思いながら下山したときに、一番最初に麓でもらったのがクラフトビールでした。

クラフトビールを作ってみようと思って、クラフトビールのプロジェクトをクラウドファンディングで立ち上げました。そのあとに自分のトライピークスというビールの会社を立ち上げている時に、インドのOYOという会社が去年の9月に日本に進出してきました。

まさにそのタイミングでインドCGO(日本事業の立ち上げ責任者)の方から電話をいただき、実際に立ち上げに参画するというかたちのキャリアになります。本日の内容です。1時間の中で何を話そうかなと思い、今日は5つに絞ってお話したいなと思ってます。

この5つは共通点があって、SprinklrでもOYOでも一緒だったものです。本当はいろんなものが存在するんですけれども、とくに2社ともに共通だったものを5個に絞ってまとめさせていただきました。

実際にどういうアクションを起こして、どういう結果になったかということをお伝えできればと思っています。また、今回の話に関しては、実際に事業を始めると決めてから、世に出るまでの間の話にフォーカスしたいなと思っています。

外資の日本法人立ち上げにおける最初のリスクと特徴

じゃあ、はい。1つ目ですね。私は孫氏や漫画の『キングダム』などが好きなので、ちょっと表現がそれに寄って戦争っぽくなっているかもしれません(笑)。

まず1つ目。これは本当にどっち(SprinklrでもOYO)でも一緒で、「3ヶ月以内に野戦で成果」というシンプルな話です。言ったら当たり前なのかもしれないんですけれども、外資の日本法人立ち上げで最初のリスクは早々にローキー(優先度が低くなる)にされることです。

優先度を下げられて、最悪の場合は撤退されると。個人については数ヶ月でクビになる可能性があるので、そのへんのリスクを早々に消して、世界の中で発言権を取るところを最初にやらないと、実は何も始まらないというのはどちらも一緒でした。

体制を整えたりとか、戦略を考えたりということが大事そうじゃないですか。でも、まずは山に入っていって、一番でかい獲物を狩って戻ってくるスピードがどれくらい速いか、という勝負が最初ですね。

本当にこの右の写真みたいな状況です。私は時系列では先にSprinklr、そのあとOYOなので、まずSprinklrで学んだことをお伝えします。

例えば、入ってからすぐに、会社として半年で5,000万円を売り上げなければいけない・最大手を獲得しなければいけないということがあったので、とにかくまずつべこべ言わず取りにいくと。そういうゲームだったんですね。とにかく実際に山に入って、今までの名刺を全部洗って、いけるところを手当り次第あたって、なんとか獲物を取るぞと。

成果を持って帰ると、実際に予算や採用枠がどかんと広がったり、(上層部の)干渉が数字だけになったり、レビューもどんどん期間が伸びていったりします。何かを考えるというよりも、まずはとにかく大きな獲物を早く取りにいかないといけないというようなゲームを繰り広げるのが特徴かなと思ってます。

当初は民泊事業の構想から始まった「OYO LIFE」

ちょっと次に行ってもらっていいですか? このあたりから実際の資料になっちゃいます(笑)。これは実際にOYOに入って最初にやっていたことなんですよ。OYOは9月に日本にエントリーをして、私は10月から入っています。

最初にやっていたのは、とにかく、どこで成果を出せるかということを的を作って当たりまくるということをやっていました。実はOYOは当初、今の「OYO LIFE」のビジネスモデルでやろうと思っていなかったんですよね。

10月のタイミングでは、民泊という事業で入ろうとしていました。自分たちで物件を取って、民泊の事業・民泊のプラットフォームをやるようなプランニングをして、日本に入ってきたんです。でも、民泊って実際に旅館業法を取るためには、物件にいろんな設備を入れて、区に申請をしてという、実はすごく膨大なプロセスがあったんですよ。

入った瞬間は、当然だれもそのことを知らなかったんです。参画したタイミングで、物件だけもう10軒くらい取ってある状態で私のゲームはスタートしたのですが、「民泊の事業をやりたい」と言っても、できないんですよ。民泊の事業を始めるには、2ヶ月くらいかかりそうだったんですね。

その間も借りている家賃はずっと払い続けなければいけないので、これをなんとかしようというのが実はスタートだったんですよ。なので、借りた物件でどういうビジネスができるのか。かつ、OYOがやっている事業でどこが一番近しそうかを考えました。(スライドの)左上は……ホームリビングだったら、民泊・マンスリー・シェアハウス・賃貸の事業。あとはホテルの事業ですね。

まずマーケットを見て、そのあとにエグゼキューション・チャネル。どこで何を実行できそうかということを、とりあえず思いつく限り全部書き出して、プライオリティをつけて、全部やりきると。

スピードの感覚でいうと、左側の2つは1日でした。2日目が右側のプライオリティを合意して即時実行を始める形なので、プランニングは1日で終わると。なので、その後は泥臭い野戦です。まず我々が何をやっていたか。

とりあえず借りてしまった物件の借り手を見つける作戦

とりあえず借りてしまった1軒家とか、シェアハウスとか、アパートがあるんですよ。それをひたすらKaguAruooというサービスに載せていたり、Craigslistというフリーのサービスに載せていたり、あとはエージェントを経由してSUUMOとかLIFULLとか、いろんなサービスにとにかく載せられるだけ載せまくっていました。

私は10月15日に入社して、「10月30日までに3軒入居させろ」と言われました。なので、物件をとにかく載せて、リスクヘッジで友人に「とりあえず入れ」と言って入ってもらったりとかしました(笑)。それでなんとか空室を埋めると。

結局15日の間で5軒くらい埋まりました。そういうかたちで初月の15日は過ぎるわけですね。実際に事業を進めていくと、どこが入りやすいかがわかってきます。その上で、まずは一番上はとにかくSUUMOなどに物件の情報を載せることだなと。

これらを15日の間で完全に完結させて、そのあとはオフラインで我々の物件を売ってくれるパートナーを作ったり、あとは我々はステークホルダーでもある、ソフトバンクさんやヤフーさんとのパートナーシップを進めました。

彼らにお願いをして、借りてくれと。ソフトバンクさんの社員は出張するだろうと。そういう人たちに使ってくれという営業をひたすらし続けていました。

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