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「先生」を考えなおす。(全4記事)

学ぶ意欲を高めるのは「憧れ」と「板挟み」 自然と「学びたいこと」が見つかる環境の作り方

「教育現場において日々当たり前のように使われる言葉を、みんなで考えなおす場」として、「HASSYADAI Teachers' Forum 2023」が開催されました。 時代が変わる中、「先生」は何を変えず、何を変えていくのか。本記事では、元文科省副大臣であり東京大学・慶應大学教授の鈴木寛氏、暮らしの交通株式会社代表の田島颯氏、ハッシャダイソーシャル共同代表理事の三浦宗一郎氏が、学生に自ら学びたくなる意欲を持たせるコツについて語りました。

事を成すには、同世代からの支持が決定的に重要

鈴木寛氏(以下、鈴木):それから(すずかんゼミの)人事部長というのは要するに、誰がゼミ生になるか(を決めます)。お陰さまで今はものすごくいっぱいの方に応募していただくんですけど。誰を入れるか誰を落とすかって、僕は何も言えないんです。僕の親友のお子さんとか、バンバン落とされてるんですよ。

田島颯氏(以下、田島):ありましたね(笑)。

三浦宗一郎氏(以下、三浦):ちょっと気まずい感じしますか(笑)。

鈴木:僕はちょっとね(笑)。「えっ?」とか言って、でもまぁ落とされたんだ、みたいな。それをちょっと寂しく受け止めてるんですよ。それでも、このやり方がやはり良かったなと思っています。

結局、僕の目はごまかせるんですよね。やっぱり年取ってくるとどんどん甘くなってきちゃうの。もうおじいさんの領域に入ってるから、がんばって学びたいと言ってる18歳とか20歳とかいたら、全員入れたくなっちゃうわけ(笑)。

三浦:(笑)。

鈴木:でも僕はなぜこうしてるかというと、いろんな理由があるんですけども……。やはり事を成す時には同世代、あるいは近い世代から「一緒に何かをしたい、学びたい、成したい」と思われるかどうかが、決定的に重要だと思ってるんです。

要するに、もちろん2世代も3世代も上の人から応援してもらったほうがいい時もあるけど、それは時々(でいいもの)なので。そういう意味では、選考に1ヶ月半ぐらいかかるよね。

田島:そうですね。

鈴木:3分の1ぐらいのゼミ生と面接して、それ(面接)も毎回変えるんですよ。そういう感じで、ゼミ長が偉いってことを言ってるだけですね。

先生が「教えたくなる」のを我慢するには、どうしたらいいのか

三浦:なるほど。今の話は、さっきの颯の「先に生きる人は、教えたくなる欲求との戦い」という話につながると思いました。「いやいや、それはすずかんゼミに入るような意識の高い人だから成立するんでしょ」という気持ちは半分ありつつ、通ずる部分もありそうだなという気がしていて。

叩かれるのを待つという、時を待つことの重要性や、まさに颯が言った「我慢する」というのは、どうすればいいんだろうね。

田島:難しいですよね。言いたくなっちゃう。

三浦:探究なんてまさにケツを決めて、探求テーマを見つけてみたいな。

田島:まさに。僕もいろんな学校に入らせてもらって、探求の授業を作らせてもらうんですけど。やはり3月には最終レポートを出さなきゃいけなくて、その時までにある程度形にしなきゃいけない。

だから「みんな、今この状態だと間に合わないぞ」という発破をかける行為をしないと、どうしても評価ができなくなっちゃう。これはもう学校の仕組み上の難しさだと思っていて。

やはりそことどう向き合うかという観点は、カリキュラムをどう作るかという手法の部分だと思うんですよね。同時にマインドセットとしてすごく重要なのは、我慢するというより「信じて待つ」というスタンスだという気はしています。

今、三豊市で「探求部」という、部活動の中で探求学習をやる仕組みを作ってやってるんですけど。その中でやらせてもらってるのが、結局「よーい、ドン」で進まないといけない価値観を、どう壊していくかみたいなところです。

「みんなそれぞれのペースがあるから、いったんゆるりとやろうぜ」みたいなのを、いかに学校の中に落とし込めるかというモデルケースを、部活動として作ろうとしています。

そうやって僕が探求の授業を作ったり、子どもたちに向き合いながらやる中で常に感じるのは、言いたくなっちゃう自分もいるけど、いかに信じて待てるかが、やはりマインドとしては重要なのかなと思いますね。

三浦:なるほど。

強制ではなく、いかに自ら「学びたい」と思わせられるか

鈴木:信じることはもちろんなんだけど、結局「学びたい」という思いが内から湧き上がってこなきゃダメなわけですよね。あるいは、その時に逃さずいろんな学びをすることです。

やはり人間って、学びたくないとか、好奇心や興味を持っていない時に、口を開けて水を飲ませたって絶対に飲まないので。どうやってそれを飲みたいと思うか、その環境をどういうふうに作っていくかということなんですよ。

だから僕はさっきから申し上げているように、学びのコミュニティをどう作るかをずっと考えています。要するにお腹がいっぱいの人や水を飲みたくなっている人もいる中で、どうビールを飲ませるかみたいな話なんですね。ビールって苦いじゃないですか。だけど、なんか隣の兄ちゃんが「うんめぇー……!」とか言って飲んでたりしたら(笑)。

田島:飲んでみたくなる。

三浦:確かに、あれは不思議でしたね。

鈴木:不思議でしたでしょう。だから要するに「うめぇー」とか言って飲んでるのが周りにいっぱいいると、ちょっとビール飲んでみようかと。

三浦:しかも「ビールが飲みたい」ではなくて「ビールを飲んでるあの人みたいになりたかった」かもしれないですよね。

学ぶ意欲を高めるのは「憧れ」や「板挟み」

鈴木:そうなんです。今日はちょっといろいろTipsを言うと、みんな「何を学ばせたいか」とか「何を学ばせるようにしたいか」を考えすぎなんですよ。そうじゃなくて「誰と学ばせたいか」とか「誰と学びたいか」というデザインを、もうちょっと考えたほうがいい。

三浦:なるほど。

鈴木:結局14歳で「君、何になりたいの?」って聞いても、そんなものはわかんないですよ。『13歳のハローワーク』を渡すというのはあるかと思うけども(笑)、それを読んだってわかんないですよ。これは大学とか高校進学もそうで、ナントカ大学とかナントカ高校とかって14歳の子にはわかんないです。

だけど、大好きな宗ちゃんってお兄ちゃんがナントカ高校に行ったとか、ナントカ自動車に就職したとかっていうと、大好きな人が関心を持ってることに興味がいくわけでしょう。きっかけはほとんどはそうだと思うから、大事なのはどうやってご縁を作っていくかということ。

三浦:確かに。めっちゃおもしろいですね。

鈴木:そういう憧れや関心の種を、周りにいっぱい置いてあげることと。それからもう1つは、やはり真剣に悩んだ時に真の学びがある。人間は板挟まれた時に真剣に悩み、その時に知があると、そこに飛びつくんですよ。

だから、なぜ探求やプロジェクトをやるかというと、プロジェクトをやれば必ず板挟みに遭うんですよ。お金がない、人が足りない、時間が足りない。そうすると確率論的に、板挟みになる確率が高くなるんですよ。そして板挟みになると知を求めたくなるんです。

それからプロジェクトであれば、台風が来るとか誰かが病気になるとか、必ず想定外が起こる確率が高くなって、知を必要とするタイミングが来る。あとは繰り返しになるけど、憧れるものを周りに置いておくと、学ぼうとする確率が増える。

年間50万人が訪れる香川県三豊市の地域コミュニティ

三浦:なるほど。「『憧れ』と『コミュニティ』が僕らがやってることなんじゃないか」と社会学の先生に言われたことがあって。「ヤンキーインターン」ってずっとやってたんですけど、まさにカリキュラムがあんまりないんですよ。

コミュニティがどーんとあって、みんなで研修して、入ってきて半年経ったら、最終月の人が2ヶ月目の人の面倒を見るみたいな。みんなが中心に寄っていって役割が変化していく。そのプロセスの中で学びを経て、役割がその人の学びになる。その学びからまたさらに役割を得て、中心に寄っていくような学びのかたちなんじゃないかという話をされたんですよね。

だからその話で、「先生とは何か」というところに戻りつつ、外れつつって感じなんですけど。地域のコミュニティにいる、いろんな意味での先生というところにおいて、香川県の三豊市は場所としてすごくおもしろいなと思って。コミュニティで学ぶということの価値を颯に聞きたい。

田島:前提として、香川県三豊市がどういう場所かというのを簡単にご紹介しておくと……香川県の西側の西讃エリアって言われるような所にある町なんですけれども。

人口としては6万人強で、父母ヶ浜という場所が、反射してきれいな写真が撮れるというので「日本のウユニ塩湖」と呼ばれて、Instagramでめちゃめちゃバズっていて。年間5,000人しか観光客が来なかったただの海岸に、今は年間50万人来るようになってるんですよ(笑)。

三浦:そんななんや(笑)。

田島:そういう爆発的なのがあって、町の事業者たちもすごく勢いがあって。2016年ぐらいからそのバズが始まったんですけど、そこからだいたい毎月1つ新しいクラウドファンディングページが立ち上がって、今となっては毎月1つ新しい会社が立ち上がってる。

総計で言うと、本当にここ5~6年ぐらいで、60~70ぐらいのプロジェクトが生まれてるような、勢いがあるエリアなんですね。地域のスーパーや100年企業とかの事業者たちが中心になって、そういうことを仕掛けているエリア(なんです)。

先生に押し付けられていた「役割」を、町に渡していく

田島:宗ちゃんの問いに答えると、僕としては総合的な探求の授業や学習の時間は、大義名分を持って学校が開かれる瞬間を作れるツールだと思うので、探求を1個のテーマとして扱ってるんですね。

それで今学校の先生たちの役割がこれまでとは変わっていってるというのは、よく言われる話だと思うんですけど。どう変わっていってるのかと考えた時に、「町と学校の通訳者」になるべき存在が、学校の先生たちなんじゃないかと思ったんですね。

三浦:なるほど。

田島:それはある種、先生が全部わかってなくてもいい、先生が聖職者でなくていいという話だと思っています。町の中にたくさんいる、いろんな生き方をしてる大人たちとか、いろんなことをやってる会社が役割を担う。これまで全部先生に押し付けられていた役割を少しずつ、バトンを渡すように町に渡す。

そうなった時に、子どもたちがいろんな大人や会社の人たちがやってることや背中を見ながら生き方を学ぶことができる。文科省が言ってるような「生きる力」って何だろうと考えたら、やはりそういう背中を見て感じ取る熱量だったり、それに対して町のことをどうやっていきたいのかという思いなんじゃないのかな、と思ったんですね。

それが地域コミュニティに出て学ぶことの価値だし、そういう先生たちを使っていくことが1個の価値だと思ってます。

三浦:なるほど、外を使っていくという。

田島:外の先生たちをたくさん使っていくという。

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