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『キミが主役の勉強』出版記念イベント「学ぶって楽しい! 本物の思考力とは?」(全4記事)

数学教師・井本陽久氏が語る「どうやったら勉強するか」問題 宿題より大切なのは、夏休みの「退屈」な時間

Z会主催で行われた『99%の小学生は気づいていない!? キミが主役の勉強』出版記念イベントの模様をお届けします。監修者で栄光学園のカリスマ数学教師として教鞭を執っていたいもいも教室井本陽久氏と、小中学生の思考力向上のためのユニークなプログラムを展開しているいもいも教室の土屋敦氏が登壇し、今の子どもに必要な「学び」について語りました。

学んでいるつもりがなくても、生きているだけで学んでいる

井本陽久氏(以下、井本):はい、よろしくお願いします。

土屋敦氏(以下、土屋):よろしくお願いします。

井本:今回、出版の記念イベントということで、まず本当にどうもありがとうございました。

土屋:ありがとうございます。

井本:最初は勉強方法についての本を書いてほしい、ということだったんですけど。勉強方法だったのかどうか。

土屋:そうですね。タイトルも『勉強方法』じゃなくて、『勉強』ですね。

『99%の小学生は気づいていない!? キミが主役の勉強』(Z会)

井本:最初、Z会さんではどういう本を想定していたんですか?

司会者:はい。Z会では、勉強方法というよりも、学びに向かう姿勢に関して、何か小学生にも響くようなものが作れないかなと考えて、井本先生にお話しをさせていただきました。

井本:そしたらね、学びに向かう姿勢というよりも、みんな学んでいるつもりなくても、生きているだけでいろんなことをもう学んでいるんだよ、という本にしちゃおうみたいな話になって(笑)。

土屋:勉強していなくても、君たちはすでに学んでいる、という。

井本:そうそう。でも、実際に自分もずっと教員をやってきて、「これを勉強しなさい」と一生懸命やらせようと思っても、ぜんぜんしない。でも、そこでテストとかをして、子どもが我慢しながらやるいわゆる「勉強」は、そこにぜんぜん学びがないなと感じていたから。

むしろ、そんなことを考えていない、学ぼうとしていない時の彼らは、いろんな試行錯誤をしているし、いろんなことをキャッチして、感じてやっている。だからお話をいただいた時、「どうやったら勉強をするの?」ではなくて、むしろ「今勉強しているよ」みたいなことを、本に書ければいいなと思ったんです。

土屋:勉強という言葉があれですけど。結局、学校でやる勉強は、考えなくてもできてしまうところもあって。だけど、たぶん遊ぶ時はめちゃめちゃ考えないといけない。

むしろこの本でも書いたみたいな、「自分の興味・関心のあることに向き合っている時のほうが、はるかに頭を使っているよね」みたいなことを言いたいなと思っていました。

親が勉強を心配しても子どもには響かない

井本:まさにそうだね。これ、さっそくアンケートを使ってもいいですか? 夏休みに入ったところで、保護者と子どもにそれぞれアンケートを取りたいんです。

じゃあまず、保護者にアンケート。夏休み……大丈夫ですか?夏休みに、子どももいろいろ勉強、宿題とかあるのに、なかなかやらないじゃない。

保護者のみなさんに質問ですが、子どもが勉強をちゃんとするかどうか、ふだん、あるいは夏休みも、すごく心配している。

土屋:気になるとかね。

井本:気になる! これ。

土屋:(アンケートが)拮抗している。けど、「心配ではない」。いろんな「心配ではない」がありますよね。「勉強ができてるから心配じゃない」もそうだし、「本当に気にならない」もね。

井本:心配ではないとは、本当に気にならないということだよね。

土屋:成績が良くても悪くても、宿題やってもやらなくても、あんまり気にならない。

井本:でも、思ったより多いですね。(「心配ではない」が)30パーセント。そうか、この本を手に取ってくれている時点で、ちょっと変わっている保護者という可能性もある(笑)。でも、やっぱり7割が心配してるんだ。

じゃあ今度は、子どもへ質問。「勉強のことで自分の親が心配しているのはすごく辛い、やだ」。おおっ?

土屋:すごい、気にしない強者が多くていいっすね。

井本:すごいね。これはわかりやすいね。つまり、心配しても子どもには響かない(笑)。すごいね、これは! すばらしいね。

土屋:これ、組み合わせを知りたいよね。僕も親ですけど、とっても心配してる親の子がぜんぜん気にしてなかったら、親としてはめっちゃ徒労感あるよね(笑)。

井本:そうですね(笑)。あるいは、気にしてないのではなくて、うれしいとかあったりするのかな?

土屋:確かにね、何も言われないよりは。

井本:そうそう。なるほどね。でも、やっぱり親が思うほど子どもには響かない。これ、学校でも同じですね。

「どうしたら勉強するのか」問題は、子どもではなく親の問題

井本:今回、このイベント用にいただいた質問を見ていても、本当は学校の勉強とかをやらないといけないのに、ぜんぜんそこにやる気を出さない。どうやったらもっと自発的に、好奇心を持って勉強してくれますか? みたいな、そういうのがめちゃめちゃ多かったじゃない。

土屋:どうしたら? というところだよね。チャットに、「親が『とても気にしてる』。子どもは『気にしてない』でした」っていう、「一気に疲れが」というコメントが(笑)。ここね。

井本:(笑)。親は「とても気にしている」、子どもは「気にしていない」。

土屋:ガックリしてね。

井本:一気に疲れが。

土屋:言っても意味なかったっていうね。

井本:そうそう。でも、これ難しくて。もう親も半分「子どもに言っても無理だ」とわかってるじゃん。だけど、言わずにはいられないんだよね。

だから、実は今回たくさんいただいた、子どもの勉強に関しての心配。つまり、「どうしたら勉強をしてくれるんだろうか?」とか、「このままでいいんだろうか?」という心配。問題は子どもではなくて、親自身にあるんだよね。

親の問題とは、親が悪いという意味ではなくて。つまり、「どうやったら勉強しますか?」という質問は、要は、自分はなんで「どうやったら勉強しますか?」と質問したくなるんだろう? という問いなんだよね。だから、ある意味、保護者が自分自身と向き合うこと。それしかない。

夏休みの宿題は「しなくて大丈夫」

土屋:夏休みなので、夏休みに宿題やってない我が子を見て、例えばイラっとしたとすると、まず「なんで自分はイラっとするんだろう?」とか。そこから始めないと、「どうやったらできますか?」の前に1つ、その問いがある気がするんですよね。

井本:いや、本当にそうだね。というか、宿題とかやった?

土屋:宿題は何一つやってないね。

井本:やってないよね。というか俺、宿題を出された記憶がないから。出されていたんだろうけど、まったく夏休みはやらないよね。

土屋:ふだんも僕はやらなかったので。「I forgot my homework」と言えるように、「宿題忘れました」という英語だけめっちゃ流暢だった(笑)。

井本:(笑)。でも、先生がなんで宿題を出すかも、先生もやはり保護者と一緒で、不安だから出すんですね。「夏休みずっと勉強しなかったらやばい」といって、ある意味、権力じゃん。「やりなさい」と使いたくなるんだよ。

だから、効果とかをちゃんと測って試行錯誤した結果、「夏休みはこのような内容で、このぐらいの宿題を出したほうがいい」なんてやってないんだよね。これ(Zoom)クラッカーたくさん出てるけど、たぶん子どもだろうね(笑)。

だから、子どもたちはよく聞いてね。まず夏休みの宿題について結論を言うと、しなくて大丈夫。

土屋:俺もリアリアクションを押しちゃった。

井本:これ、ますます保護者のみなさん心配しちゃうね。

土屋:あっ、いいねもいっぱい。

井本:びっくりの絵文字は保護者のみなさんかもしれない。

土屋:ちゃんと抵抗して、「そんなわけない」と「え!?」を押している。

「やらせる」宿題は、興味の芽を摘んでいる可能性がある

井本:でも、真面目な話、いわゆる勉強、「こいつは何もしないからやらせないと」みたいな感じで出す宿題は結局、作業になる。

土屋:要するに、逆に思考停止の時間だよね。虫取りとかいったらめっちゃ頭使うのに、ノートで、それこそドリル写すみたいなことをしていたら、逆に学んでない。

井本:そう、あれ逆効果なんだよ。要するに、学校の勉強はどんどん無機質になっていって、仕事みたいになってしまうから。ほら、本当に学びが楽しくておもしろいのって、どんどん年を取ってからじゃん。

土屋:確かにね。

井本:なんかいろんなことを専門的に学ぶといっても、子どもの頃はその楽しさなんてわからないよ。それなのにそれを強いられて、おもしろいと感じる年頃になる前に、つまらないって思わされてしまうわけだから、本当にもったいない。

土屋:逆に興味の芽を摘んでしまう可能性がある。

井本:本当にそう。だから結論は、子どもに対して繰り返し言うけど、夏休みの宿題はやらないでいい。堂々と怒られる。俺も怒られたのかもしんないけど、記憶に残らない。

土屋:記憶ないよね。

井本:だから、人生には影響しないから怒られればいい。保護者は耐える。耐えるというか、でも、僕の同僚の学校の先生も、自分が教員をやっているから、宿題はぜんぜん意味がないし、害悪でしかないのはわかっている。

わかっているから、自分の子どもの先生には、面談の時に「うちの子には宿題をやらせないので、一応、うちの方針でそうしているので、了解しておいてください」と事前に言ってある。

土屋:おおー!

井本:本当にそれぐらいしてもいいと思いますね。宿題やらないと勉強が遅れるなんてことは絶対ないし。逆に今もしお子さんが遅れていたとしても、遅れていてもいい。

夏休みは「休み」だからこそ、存分に楽しみ尽くす

井本:その遅れているのをなんとかしたいからといって、雑に「はい、これを課題でやってきなさい」とポンと与えてできるようになるんだったら、そもそも遅れないから。そもそも方法論として、夏休みは存分に楽しみ尽くす。それが一番だなと思います。

2人とも栄光学園の生徒です。土屋は覚えていないのかもしれないけど、俺は本当にうれしかったのが、1学期の終業式の時に、当時、富田優校長先生が「夏休みは休みです」と。「休みだから勉強しちゃいけない」と言ったのを覚えてる?

土屋:いや、覚えてない(笑)。

井本:あるいは聞いてなかったか(笑)。

土屋:それは当たり前だと思ってた。

井本:当たり前だからね。

土屋:寝てたかもしれない。

井本:「勉強しちゃいけない」と。

土屋:言われなくても、ちゃんとそれを実行していたから。

井本:「学期中にやれないことをしなさい」と言っていて。他の学校に比べると少ないんだろうけど、今わりと栄光も、宿題を出してたりもしている。当時は、薄っぺらな英語の冊子を渡されてさ。「これを読んでこい」とかだったよね。

土屋:逆にふだんドリルとかではない感じだよね。

井本:そうそう。あと、魔法瓶でミョウバンの結晶を作ってきて、とか。

土屋:俺あれね、やったんだよ。やってそのまま3年ぐらい放置していて、奥のほうから出てきたら、すっごいでっかい結晶になっていた。

井本:マジで!? すごい学びだね。

土屋:そうそう(笑)。懐かしいね。

井本:懐かしい。ほら、そういうのって今でも覚えてる。たぶんあれが英語のドリルとか、なんか問題集と言われたら覚えてないけど、(ミョウバンの結晶は)そんなに数が少ないのにめちゃめちゃ覚えてるじゃん。

土屋:確かに。その時にというか、夏ならではとか、時間をたっぷり使ってできることをやるとかね。

井本:そうそう。

今と昔で違うのは、「暇」を潰せるようになってしまったこと

土屋:でも夏休みって結局、親として宿題をやってもらいたいわけではないんだけど、朝からずっとスマホを見ているとか、YouTube見てゴロゴロしているのを見てイライラした時に、「宿題をやりなさい」と言うんですよね。僕なんかもそうだけどね。

井本:はいはい。

土屋:それもあるよね。このソファに寝そべっているのはさすがに学びじゃないだろう、みたいな。そういう悩みもたぶんあると思うんだよね。

井本:確かに、子どもはこれを聞いておいたほうがいいね。今と昔で違うのは、今は、暇な時間を潰せる道具があるんだよ。

土屋:夏休みは「退屈」って、小学生の時なんかは、俺たちは駄々をこねていたよね。逆に何もやることがない。

井本:そうそう、暇でしょうがない。実はそこはすごい大事。暇でしょうがないから、ふだんそんなことしないのに、ちょっと純文学でも読んでみようかな、とかさ。

土屋:暇・退屈から始まる感じって、休みならではですね。

井本:そうそう。今は、もうスマホで時間を潰せてしまうから。今度は(リアクションで)グッドを押しているの、これ親かな(笑)。ここはある意味、子どもが損だよね。

土屋:もったいないね。

井本:これ、今日どこかで話すのかな? 結局学びって、「よし、じゃあこれからこれを学ぼう」ではなくて、何にもすることがないから、「これおもしろそう」とか、あるいはこのペットボトル見てさ、「なんか閉まり具合がちょっと弱いな」とか、ぜんぜんどうでもいいことにふっと関心が向く。

土屋:そのネタ好きだね(笑)。

井本:気になる(笑)。でもそこから実は、「なんでこれ閉まるんだろう?」とかいろいろ考えてしまったりする。ふだんだったら考えもしないことを、暇だから考えたり、暇だからやる。

「退屈」から始まる遊びと学び

土屋:そういえば、我々「森の教室」っていうのをいもいもでやっているんだけど、そこで子どもたちが「暇だ」と文句を言い始めて。

井本:ノンスケジュールだからね。

土屋:そうそう、ノンスケジュールなんでね。基本的に何にもしないんですよ。助けないというか、基本無視するんです。

井本:スケジュールをこっちが決めないからね。

土屋:そしたらね、ちょっと画面共有していい? これが良かったんだよな。

土屋:これね、「もうつまんない」とみんなが言っていたら、そのへんに落ちている木とかで、アスレチックみたいなものを作り始めたんです。(画面に映ってアスレチックをしている)これは、一番小さい子です。このアスレチックは作りかけなので、やりながら続きを作っているんです。お兄ちゃんたちより、上手にできない。そうでしょ? この子に合わせて、(落ちている木を)こうやってここに置きます。で、「来れるかい?」とか言って……。

井本:あ、難易度を。

土屋:難易度を調整する。

井本:これはほら、ギリギリ(木の上に)乗っているんだ。

土屋:そうそう。ここの切り株の端ギリギリに寄って、自分はここまで飛べると調整して、「小さい子だとどうかな?」と(また調整する)。左の青い服の子が監督。だから、僕とか大人がやってズルをすると、子どもはみんなあの子に「大人がズルした」って訴える。こういうのを考えるのは、超学びです。

(動画)

土屋:完成すると、これぐらい(動画を指して)スピード感が出ちゃう。15秒で行くんです。

井本:すげえ。

土屋:すごいですよね。こんなアスレチックを作ったり。あとは、小さい子用のポイント(足場)、普通の人は使ってはいけない。いろいろ工夫をして、距離を測ったりする。あとバランスが悪いほうがいいじゃないですか。でも、バランスが悪すぎるのもダメなので、めちゃめちゃ試行錯誤し続けて、ひたすらこれで遊んでる。でも、これが始まるまでは、ひたすらみんな「退屈、退屈」ですけど。

子どもに自分で考えるだけの「暇」を与える

井本:そもそも、いもいもの「森の教室」をやる前に、キャンプとかをやる時も、とにかく土屋が最初から、まったくスケジュールがなくて、始まりから終わるまで自分は何にもしない。しかも、スマホもなくて不自由。そこにとにかく放っておくと、最初から言っていたじゃない。

土屋:火もつけられないとかね。

井本:そう、マッチがないから、火打ち石でつけないといけないし。でも結局、それって、要は何をやるかも自分で考えるし、何かをやるにしてもそのプロセスはぜんぶ自分で踏まないといけないから。子どもがどんどん生き生きしだすっていうか。

だから、いもいもの「森の教室」を見たことがない人は、よくほら、「でも今の子どもは、何かやることを与えてあげないと、何をしたらいいかわからなくなるでしょう」と言うけど。いや、むしろ暇だからこそいろんなことをやり始めるよね。

土屋:逆に言ったら、それに答えないのは大事だよね。スルーする。彼らが自分で考えるだけの暇をちゃんと作れる。その時に、下手にスマホとかゲームがあってしまうと、そっちで時間を埋めてしまうので。きっとご家庭の悩みもそこかなと思うんだけど。

井本:別に勉強を否定もしないし、自分はずっと学校で授業をやってきたわけだから、学校も否定しないんだけど。ふだん学校がやっていることって結局、「将来これが必要ですよ」と大人が思っていることを、子どもがそこに関心が向くかどうかに関係なく、先に備えてやらせる。さっきは自分で、あの板に好奇心を持ったじゃない。で、並べて、その上をこうパッて飛んで行くことを何かの拍子に思いついた。

土屋:「これは将来役に立つ」とか誰も思っていないからね。

井本:思っていない。要するに、その時に夢中なんだよね。(学校は)そうではなくて、むしろ逆に、これは必要になるから「好奇心を持って勉強しなさい」と言われるみたいな。いや、無理だよ。

土屋:そうだよね。「自発的にやりなさい」と言われても、ぜんぜん自発的じゃない。

井本:だけど、それを言われているのがふだんの勉強です。しかも答えがあるから、正解、マルを求めているんだよね。でも、さっきの動画はぜんぜん正解なんかない。むしろ小さい子ども用に調整したりもするし。

土屋:もう1、2センチ単位とかで調整しているから、ある意味、めちゃめちゃ試行錯誤しているね。

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