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『子どもたちに民主主義を教えよう』刊行記念 工藤勇一氏×苫野一徳氏 オンラインセミナー(全5記事)

日本の教育が古いのは「社会が変わらないから」ではない 今、学校で子どもたちに教えるべき「民主主義」の話

宿題・定期テスト廃止など、麹町中の学校改革で大きな注目を集めた工藤勇一氏と、教育の本質を問い続けてきた教育哲学者の苫野一徳氏。学校改革を主導してきた両者が共著した書籍『子どもたちに民主主義を教えよう』の刊行を記念して、対談を行いました。本記事では、本書を出版するまでの経緯や、子どもたちに民主主義を教える必要性について語りました。

日本の教育ではなかなか教えられない「民主主義」のこと

坂口惣一氏(以下、坂口)『子どもたちに民主主義を教えよう』刊行記念、工藤勇一氏×苫野一徳氏オンラインセミナーにご参加いただきまして、誠にありがとうございます。今回のオンラインセミナーは、本書について公開の場で対話する貴重なお時間となりました。ぜひお楽しみください。

工藤先生、苫野先生、よろしくお願いいたします。

苫野一徳氏(以下、苫野):よろしくお願いします、こんばんは。

工藤勇一氏(以下、工藤):こんばんは、よろしくお願いします。

坂口:まず『子どもたちに民主主義を教えよう』という本を執筆された動機からお聞かせいただけますでしょうか。

工藤:本にも書きましたが、タイトルに関して苫野さんと「どうしようか」って悩んだんですね。日本の教育ではなかなか教えられてこなかったからだと思うんですが、「民主主義」という言葉は、なかなか世の中で使われないんですよ。

僕が教員になったのは、今から40年近く前です。山形の片田舎で、人口6,000人ぐらいの町でした。小学校が3つ、中学校が1つあって、8割方の家庭が農家だったと思うんですが、そんなところの中学校に赴任したんですね。その時に初めて教壇に立ってから、僕がずっと訴えたかったのは、たぶん「民主主義」なんです。

学校は何のために必要なのか?

工藤:自分の担任のクラスや、授業を受け持つ他のクラスも含めて、(初回の)授業ではいろんな雑談をしたんですね。雑談というか自己紹介を兼ねて、中学1年生と2年生の授業を持っているクラスの子どもたちに哲学っぽいことを話したんですよ。

そのうちの1つが「なんで学校って必要なんだと思う?」という質問でした。そうすると、子どもたちが「自分のためでしょ」「将来のためだよね」と言うわけです。

それで僕は「そうか。でも、本当にそうかな?」「勉強なんかどこでもできるし、自分のためだけだったら学校はいらないんじゃないの?」と。確かに進路実現のためには、中学を出て、高校を出て、大学を出ることが必要かもしれない。「でも、僕は違うと思うな」と言ったんですね。

その続きとして言ったのが、「たぶん学校って自分のためじゃなくて、人のため、世の中のため、社会のためにあるんじゃないの?」という言葉でした。「究極の目標は『平和』で、きっと学校がなかったら世界に平和なんかやってこないよ」「平和を勝ち取るために学校があるんじゃないかな」と、漠然とそんな言い方をしたんです。

若い僕は「世の中を良くするためには学校しかない」と、若い頭でそれなりに考えていました。でも、どうやってこれを伝えたらいいんだろう? と悩んでいて。日々、良い教員になりたいと思う一方で、それをどうやって言葉にしたらいいんだろうかとずっと悩み続けてきた。

30代後半で、校長を目指すことを決意

工藤:自分の頭の中で、ようやく「民主主義」ということが鮮明に「あぁ、こういうことだな」とわかったのが、30代の後半ぐらいだったと思います。その時はもう東京に来ていて、それなりに実力を認めてもらって学年主任という立場になっていました。すると、見える世界が変わってきたんですね。

以前、『学校の「当たり前」をやめた。』にも書いたんですが、荒れた学校にいたこともあるんですね。「学校を変えるには、組織でしかできないな」「どうやったら学校を変えることができて、それが世の中のためになって、世の中が変わっていくんだろうか」という思いが、年齢や立場とともにだんだん膨れ上がってきて。

30代の後半ぐらいには、すでに校長になろうと決めていました。「なるしかない」と。大げさに言えば、その立場がないと世の中を動かせないと思った。それで教育委員会に入った頃には、「あっ、学校ってこうやれば変えられそうだ!」と、難解な方程式が解けたんです。その時に出てきた言葉が「目的と手段」でした。

「本当の目的は何だろう?」と追求していくと、「その目的を実現するための手段」があって、その手段を実現するためにまた手段があるわけですよね。一番上の目標が「平和」だとすれば、そこに到達していく。

ずっと上をたどっていけば、教育としての最上位の目標が見つかるんじゃないかと考えていて。それをみんなで合意できたら、対立なんか起きないですよね。こうして「民主主義ってこういうことだ」ということが明確になっていきました。

共著の相手に苫野氏を選んだ理由

工藤:その頃は「民主主義を本にしたい」とはぜんぜん思っていませんでした。時事通信社が『学校の「当たり前」をやめた。』の出版を持ちかけてくれなかったら、僕は「本」という方法を思いつくことはなかったと思います。

だんだんと僕が世間に知られるようになってからは、なおさらやらなきゃいけないなと。「もう本にするしかない」と思い始めた時に、『非常識な教え』『自律する子の育て方』を担当してくれた編集者の坂口さんがあさま社を立ち上げるということもあって、じゃあこのタイミングにやるしかないと思いました。

「民主主義を僕なりの言葉で書くことはできそうだな」と思ったんです。でも、民主主義って哲学的な言葉なんですよね。自分の持っている民主主義というもので言葉にするだけでは足りないと思ったので、(共著を依頼するなら)日頃仕事でよく付き合っている苫野さんしかいないと。

「でも、苫野さんは難しいことを言うからな」と思っていたんですが、「哲学的な話になっちゃうと子どもはわからないから、(そこを補ってもらうのも)いいかもしれないな」と思って、苫野さんを説得しようと思いました。それで坂口さんにも話して、苫野さんに声をかけようということになりました。

2人で書けば、僕の哲学的な背景を苫野さんが補ってくれるし、苫野さんに足りない実践は僕が語ることができる。それで今日に至ったということです。ちょっと長くなりました。

「最強のタッグ」で実現した本の出版

苫野:ありがとうございます。こんなことを自分たちで言うのもどうかと思いますが、一緒に書かせていただいて、最強のタッグを実現することができたんじゃないかと思っています。

N極とS極のように、見事に「理論と実践」がバシッと引っ付いて、とても読み応えのある、役に立つ本になったと思います。お声がけをいただいてとても光栄でした。

工藤さんとは、この本以来の久しぶりの対談ですよね。この本でも、8時間とか9時間、10時間ぐらい対談しましたね。

工藤:そうそう。僕が最初に声をかけた時、苫野さんはそんなに重く受け止めていなかったと思ったんですね。

苫野:そんなことはないですよ(笑)。「なんて光栄なことだ」と思って。

工藤:そっか(笑)。「本を作るんだったら本気でやりたいな」と思ったので、1回徹底的に全部をさらけ出して話した時がありましたよね。

苫野:はい。

工藤:「苫野さんのこの部分がよくわからないし、気に入らない。これは何なんだ」とか言いながら。

苫野:(笑)。

工藤:僕は「苫野さんのここが信じられないんだよ」と言いながら、相当熱く語って。

苫野:そうでした(笑)。

工藤:そうそう。「あぁ、これなら信用できる。全部さらけ出したから本気でやろうよ」という時間がありましたよね。

苫野:はい。そこからですね。最初からトップスピードで、一番深いところからお話しすることができました。どこまでも本質的な議論が続いて、本当に楽しかったです。この本はあさま社の(出版)第1弾でもあるんですよね。それもとってもありがたいと思っています。

子どもに民主主義を教えるなら、まずは大人が理解する

苫野:さっき工藤さんがおっしゃったことに、ちょっとした応答を加えながら話を展開していきたいと思います。まずタイトルですね。この『子どもたちに民主主義を教えよう』というタイトルは、私たちも坂口さんもみんなで悩んで悩んで。「どうしよう、どうしよう」と、相当考えました。

この本にも書かれていて、また工藤さんもよくおっしゃっている「自律的な学び」「自律的な市民を育む」といった言葉があります。

私たちが、このように「自律的に学ぶこと」を大事にする姿勢を共有する中、「あえてタイトルに『教えよう』という言葉を使っているのは一体どういうことなんだ?」というお尋ねがけっこうあったんですね。これは私たちもけっこう話し合いました。

工藤さんには工藤さんの思いがあったと思いますが、最終的に「このタイトルはすごくいいな」と思った理由が私にもあります。それは「『子どもたちに民主主義を教えよう』と言うからには、大人が民主主義の本質を理解していなければならない」ということです。これが本書のいわば裏メッセージですね。

大人は民主主義についてちゃんと理解して、責任を持って子どもたちに語れますか? 学校が民主主義の一番大事な土台であることを、特に先生や教育関係者はしっかり自覚していますか? そして、それを学校で実現するための実践ができていますか? こういうメッセージを、タイトルに込めたいと思いました。

民主主義とは「自然に学ぶもの」ではない

苫野:それからこの本にも書きましたし、いろんなところで言っていることがあるんですね。それは「人類は1万年間ずっと戦争を続けていて、わずか200~300年前に民主主義という、人類の最大の英知にたどり着いた」ということです。

ここにたどり着くまでに、とんでもない血が流れてきたわけです。だからこの人類の英知の結晶を、私たち大人は責任を持ってリレーし続けていく必要がある。実は、そういった大人側の責任が問われているんですね。そんなメッセージを、この本のタイトルには込めました。

ぜひ、工藤さんのタイトルへの思いも聞かせてください。

工藤:本当にまったく同じですね。民主主義は教えなきゃいけないんですよ。この本を作って、そのことがますますよくわかりました。民主主義は自然に学ぶものではないんですね。自然に学ぶことができるのだったら、苫野さんの言葉を借りれば1万年も2万年も戦争してこなかったわけですから。

苫野:本当にそうですね。

工藤:僕は苫野さんに会うまでは「1,000年も2,000年も、ヨーロッパの人たちはずっと戦争をし続けてきた」と言っていたんですが、ヨーロッパは地球上で最も肥沃で、温暖でとても住みやすい。水もあって、川もあって、最も恵まれた土地だからこそ、あのあたりに人々が住んでいた。

でも、その土地や資源をみんなで奪い合ってきた。権力争いをして、もう嫌というほど戦争をし続けた。それなのに、人間はそれをまったくやめようとしない。でも、さすがに科学技術が進歩してくると、被害が甚大になってくる。第一次世界大戦、特に第二次世界対戦はヨーロッパの方々を本当に悲惨な目に遭わせた。

かつては「男尊女卑の国」だったスウェーデンの事例

工藤:ドイツとフランスはあれだけ文化も違っていたし、本当に仲の悪い2つの国でした。それが、第二次世界大戦の後「恨みつつも、もう手を握るしかないでしょう」ということができた。その裏にあるのは、やはり哲学なんですね。僕はその重みを若い頃からずっと感じていて。

ヨーロッパの方々は、必然的に民主主義という哲学を生み出した。我々にはわからないことだと思うんですよね。最近僕がよく例に出すのが、50年前のスウェーデンの話です。50年前のスウェーデンは、男尊女卑の国だったんですね。

例えば、50年前は国会議員の(男女の)割合も9対1か、8対2ぐらい。そのスウェーデンが50年経って、なぜ今は男女比がほぼ5対5の国になれたのか。70年前だと第二次世界大戦までいくわけですが、50年前だとすでに戦後ですよね。その頃までは、スウェーデンも何にも変わらない国だったんです。

でも第二次大戦後、スウェーデンも含めてヨーロッパのいくつかの国々が「もう二度と同じ過ちを繰り返さない」と、本気になって国のあるべき姿について考えていった。その時にやはり、子どもたちに民主主義を教えていったんですね。

世の中に生きている人たちは、お年寄りも含めていろんな恨みつらみがあって、いろんな価値観がある。でも、子どもたちがしっかりと対話を通して、例えば「平和」という上位の目的で握手をしたら、世の中が変わっていくわけです。

民主的な国を作るための「近道」

工藤:この本にも書きましたが、「君とはケンカしているけど、明日から平和に暮らすためにはどうすればいいんだろう」と、トラブルを民主的に解決する方法を覚えていくとする。つまり上位で合意するためには、自分の感情をコントロールして、自分の考えを変えないといけない。

「そうしないと合意ができない」「対立が起きたら合意はできない」と。スウェーデンが50年後に5対5の国になったように、そうした経験を子どもたちがした時に世の中が変わっていくんです。

僕の仲間がスウェーデンで暮らしているので聞いたのですが、「男子トイレ」「女子トイレ」という区別がないそうなんですよ。簡単に言うと「誰でもトイレ」しかなくて、それがずらっと並んでいる。男性も女性も同じところで(トイレが空くのを)待っているわけですね。

それはなぜなのか、みなさんもうおわかりだと思うんですが、LGBTの問題も含めていろんな人がいます。「誰1人を置き去りにしない社会を作ることが、みんなの平和と幸せだ」という考え方を、子どもの頃から教えられているんです。

そして、その子どもたちが社会に出る。また次から次へと社会に送り出されていって、それ(LGBTの区別)がなくなっていって、社会が入れ替わる。こういう作業をしたんです。これが最も民主的な国を作るための近道だと気づいたのが、スウェーデンの人たちなんですね。

学校が変わらないのは、社会が変わらないからではない

工藤:「なんで学校が変わらないの?」という時に、日本ではまだ「社会が変わらないからでしょう」という人たちが多い。でも、それは大きな間違いなんです。

学校の先生たちが民主主義を理解して、それを教えていくことによって世の中が変わっていく。これが正解なんです。長い間教育生活を続ければ続けるほど、それを確信してきました。

だから今、日本全国の教員たちがこの本の意味を理解したら、20年で世の中が変わると思っています。ちょっと大げさですけど、僕はそのぐらいの思いで苫野さんと語りながらこの本を作ってきたんですね。

苫野:はい。「社会は教育から変えられる」、そんな強い志を私たちは共有しています。もちろん学校教育と社会は入れ子構造なんですが、教育にしかできないことは確かにあるんです。

スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』、あるいは『21世紀の啓蒙』により詳しく書いてあるんですが、「私たちの価値観は急速に、ある種、進化している」と。

学校でしかできない「学び」が、世の中を変える

苫野:例えばついこの間まで、30~40年前には同性婚が当たり前に実現するなんて、誰も思っていなかったわけですよね。でも今は「そんなの当たり前だよね」という価値観が広がっている。LGBTIQに関して、小学生や中学生でもちゃんと知っていて、「その人権を尊重する必要がある」という感覚がやってきている。

これはやはり、教育の力がすごく大きい。「お互いを対等な他者として尊重し合おう」という感度を育むのは学校でしかできない。だから、ちゃんとそういった場を作って、子どもたちが学べるように意識しなきゃいけない。

工藤さんがおっしゃったように、私たちがちゃんと意識してそういう学校を作っていけば、20年で世の中が変わると私も思っています。

せっかくなので、この本を出してからの話もしてみたいなと思うんですが、何か反響や手応えってありましたか?

工藤:どうだろう。それなりには感じているけど、もっと手応えを感じたいと思う(笑)。

苫野:そうですね。今日がその機会になるかも(笑)。

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