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「勉強するのは何のため?〜そして、未来のきみを変える読書術」(全5記事)

「人類はこの1万年間ずっと殺しあってきた」 「戦争」「暴力」の歴史の中で、「学校」が担う大事な役割

難病・拡張型心筋症を患うきかちゃんの心臓移植手術に向け立ち上がった「きかちゃんを救う会」。そのチャリティーイベントとして、教育哲学者・苫野一徳氏による講演会が開催されました。テーマは「勉強するのは何のため?」。誰もが一度は考えた「なんで勉強しなきゃいけないんだろう」という問いに対して、哲学の視点から苫野氏が解説します。本記事では、前回の「勉強するのは自由になるため」という答えから導かれる、「学校は何のために存在するのか」という問いについて、人類の歴史から解説しました。

学校はなんのために存在するのか?

勉強するのは自由になるため。じゃあ学校ってなんのために存在するのかというと、もう当然ですよね。「自由に生きる力を育むため」です。子どもたちが生きたいように生きられる力を育むために、学校は存在しなきゃいけないんですね。

それともう1つ、さっき言ったように、自分が自由に生きるためには他の人の自由も認められなきゃだめなんですね。自分だけわがまま放題やってたら、誰かから攻撃されちゃうかもしれません。自分が自由に生きるためにも、他の人の自由を認めなきゃいけないことを「自由の相互承認」と言いますけれども、これは自由の相互承認の感度、つまり「感受性」を育む。そのために学校は存在しているんです。

実はこれがめちゃくちゃ大事な役割で、現代の民主主義社会、市民社会の1番の土台を支える制度なんです。だから学校ってめちゃくちゃ大事なんです。

ヘーゲルという人、あるいはその少し前にルソーという人がいましたが、その人たちが考え出した民主主義社会の考え方は、まずはお互いを対等に自由な存在として認めあうこと。それをルールにした社会が、民主主義の本質です。民主主義っていったいどんな社会ですかと言われたら、自由の相互承認の原理に基づく社会と言えば、私は大正解だと思うんです。

実は、今の私たちはこれを当たり前のように思っているかもしれません。みんな自由ですよ。どんなことを考えても、他の人を傷つけない限り他の人の自由を侵害しない限り、なにを言ってもなにを考えてもどんな仕事をしたっていいんですよ。

そういった「自由の相互承認」で成り立つ社会が当たり前だと思っているかもしれませんが、実を言うと当たり前どころか、わずかこの100~200年ぐらいで徐々に実現してきたもので、人類の長い歴史から見れば本当についこの前、やっと人類が掴みとった社会のあり方なんですね。

民主主義社会が大激変させた「戦争」「暴力」の歴史

いつも言っている話なんですけど、この民主主義社会が始まってから戦争が大激減したことをみなさんご存知でしょうか。

スティーブン・ピンカーという人が書いた『暴力の人類史』という名著があります。この本でとっても詳しく明らかにされていますけれども、実は人類は「戦争」や「暴力」を、この2~3世紀の間にものすごく大激変させてきたんですね。

暴力の人類史

本当かなぁと思う人も多いと思います。20世紀は2つの世界大戦を経験し、そしてまた今世紀は、あ、まさに今日(9月11日)ですね、テロで幕開けしたわけです。「現代ってものすごく暴力的な時代なんじゃないか」って、多くの人が思うと思うんです。でも実を言うと、人類の歴史において戦争は大激減してるんですね。

確かに考えてみたら、この絵が人類の歴史そのもので、人類は長い間、人種が違ったり宗教が違えば奴隷にして当たり前だと思ってました。ついこの前までです。奴隷制が世界で廃止されたのは、つい何十年か前ですね。

ついこの前まで、人類は同じ人間として人々を扱わなかった。恐ろしい火刑があったり、恐ろしい拷問があったり。これはローマの剣闘士ですけれど、これなんて考えたらすごく恐ろしいですよね。

奴隷同士を殺しあわせるのが、ローマ市民にとって最大の娯楽だったわけです。つまり人類は、人が人を殺すのを見て楽しんだわけです。それくらい人類は暴力的な存在だったんです。しかもついこの前まで、これが当たり前だったんです。

この10~20年で迎えた、人類史的大転換点

ところが今の私たちは、これを見ておぞましいと思うんです。大きな大きな精神の大革命が起こったんです。人間はつい2~3世紀前までの人たちとは、まるで違う生き物になったと言っていいぐらい、本当に大きく大きく変わりました。

なんでそう変われたのか。それはスティーブン・ピンカーも言ってますが、哲学者たちいが、「人間はみんな同じ対等な存在なんだ」という考え方を広げ、それに基づいて民主主義社会が作られたからです。そして大事なのは教育です。教育によって、みんな同じ人間なんだよという感受性が育まれてきたんです。だから民主主義とそれを支える教育は、めちゃくちゃ大事なんですね。

人類の数万年の歴史においてもわずかこの2~3世紀の間に、私たちは大きく大きく変わりました。これは本当にすごいことなんです。だから戦争や暴力が激減していったということを、私たちは知っておいていいと思うんですね。

さて、その一方で、この本も今日ご紹介しないとと思って。もう読まれたかもいらっしゃるかもしれません。以前から私はこのブレグマンという人が好きで。若いんですよね。このブレグマンの新しい邦訳が出ました。『Humankind 希望の歴史』。これは前評判に違わず大変な名著でした。これはすごくおすすめです。めちゃくちゃおもしろかったです。

Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章

この10~20年、人類は人類史的な転換点にいるんですね。大きな大きな転換点。例えば資本主義が限界を迎えているだとか、今だったら西洋文明と中国文明が大きな衝突を迎えようとしているとか。いろんな転換期にあるとみんなが感じているんです。

「人間は生来利己的でも暴力的でもない」という主張

だからこの数十年の間に、「私たちはどこから来てどこへ行くのか」というような人類的な問いに答えようとする名著がたくさん出てきましたね。有名なのでいうと、そのはしりになったのがおそらくジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』という本。何十年か前に出て、大変話題になりましたけれども。

それからついこの前だったら、あの有名な『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリですね。そしてそういった巨人たちに次いで出てきたのが、このブレグマンだと思うんです。彼はこう言うんです。「いやいや、人間って生来利己的でも暴力的でもないんだ」と。それを彼はたくさんの研究をもとに証明していきます。

例えば太古の人類は、みんな助け合ってきた。これはよく知られていますね。他にも、イースター島ってみんなが殺しあって絶滅したんだという話をよく聞くと思うんですけど。これ実は大嘘だったということも証明されていたり。イースター島の住人たちが激減したのは、結局のところ南米のインカとかと一緒で、西洋人によって病原菌を持ち込まれたことが一番大きかったみたいなんですよね。

他にもスタンフォードの監獄実験とか、ミルグラムの電気ショック実験とか、ご存知の方も多いと思うんですけど。いろんな心理学者たちが、人間ってどれだけ恐ろしい存在かと実験しているんです。例えば監獄実験は、看守役と囚人役に分けるとだんだん看守たちが横柄で暴力的になっていくことを証明した実験だったり。

ミルグラム実験は、隣にいる見えない人に対して、なにか問題を間違えたりしたら罰で電気ショックを与えていくと。そしてどんどん電気のボルト数を上げていくわけですね。これ以上やったら死にますよというところまで続けてしまうので、ある条件下なら人は簡単に殺せてしまうということを証明した実験なんですけど、これは全部でっち上げだったと。これはけっこう有名ですけれど、そういったことがだんだんわかってきたんですね。

有名な「人間は利己的」という実験・事例は嘘だった?

あるいはキティ・ジェノヴィーズ事件ってご存知ですかね。ニューヨークでキティさんという人が暴漢に襲われて殺されるんですけど、その時に何十人もの人がそれを見てるんですよね。ところが誰も助けなかったという。

これもやっぱり、人間って実に利己的なんだと言われる事例なんですけど、実はこれも嘘だったということが、後にわかるんですね。実は多くの人が助けようとしたんです。警察が不備を犯しただけであって、実は多くの人が助けようとしていたということがわかったりしました。

ノセボ効果というのは、この本の1つのキーワードですけれども。ノセボ効果は、プラシーボ効果の逆ですね。プラシーボ効果は、効かないお薬でも効くと言われると効いちゃうようなことですが、ノセボ効果はその逆で、こんな悪いことがあるんだよって言われると、ぜんぜん悪いことがないのに悪いことだと思い込んで、どんどん自分が悪くなるっていう効果です。

実は人類は、長い間このノセボ効果に騙されていたんじゃないかというのが、ブレグマンの主張です。つまり「人類は実はめちゃくちゃ利己的だし暴力的なんだ」とみんなが言っていた。みんながそう信じ込んでいたから、本当にそうなってきたんじゃないかっていうのがブレグマンの言い方です。

教育で有名なのは、ピグマリオン効果がありますよね。その反対がゴーレム効果です。ピグマリオン効果は、「あなたはやればできるんだ」「あなたはすばらしいものを持っている」みたいに言われて育つと、子どもは本当にそうなると。

ゴーレム効果はその逆で、「お前みたいなやつは所詮」みたいなことを言っていると、本当にそうなっちゃうという。ノセボ効果はそれと似たようなものがありますね。

こういったいろんな実例を挙げて、「いやいや、もともと人間って利己的とか暴力的じゃないんだよ」とブレグマンは言うんです。とてもいい本なんですけれども、問いの立て方をちょっと間違えてしまったかなという点もあります。

1万年前までは、人間は助け合って生きてきた

哲学史的には、ホッブズとルソーがまるで逆のことを言ったと通説で言われています。ホッブズは「人間は放っておくと万人の万人に対する戦争状態になる。だから王様を作って統治しなきゃいけないんだ」という思想だというのが通説です。

ルソーはその逆ですね。「人間は本当はものすごく友好的で、お互いに助け合う存在なんだ」と。文明ができてから人間は堕落したんだというのがルソー説と言われるんですけど。私はルソーについての本も出したんですけど、ここで「ホッブズとルソーを敵対的に考える必要はまるでないよ」と書きました。

別冊NHK100分de名著 読書の学校 苫野一徳 特別授業『社会契約論』 (別冊NHK100分de名著読書の学校)

どういうことかと言うと、人類が本当に壮絶な殺しあいを始めたのはだいたい1万年ぐらい前からなんですね。それまでは狩猟採集民族です。狩猟採集民族は助けあわないと生きていけませんから、基本的にみんな助け合っていたんです。

それに小集団で生きてたので、大規模な戦争ってなりようがないんですね。それに、もしも大戦争が起こりそうになったら、遊動民族、つまり狩猟採集の移動民族ですから、離れることもできたわけですね。

いじめも一緒なんです。逃げられない場所に四六時中いたら、いじめって起こるんですよね。でも離れられる環境があると、いじめって起こりようがないんですね。それと一緒で、戦争は遊動民族の間では起こりにくいんです。

なのでホッブズは、そういう定住・農耕・蓄財が始まった1万年ぐらい前から殺しあいが始まったんだよと言っているんです。ルソーが言っているのはそれ以前の話で、狩猟採集民族の時代は、もうちょっとみんな牧歌的で、助け合っていたんだよと。こう考えればルソーとホッブズは敵対的な関係じゃないということを、私はいつも言っています。

考えるべきは「どういう条件が整えば助けあえるような社会を作れるのか」

今もホッブズとルソーは敵対的な関係で捉えられることが多いです。ホッブズは性悪説で、ルソーは性善説と言われるんですけど、そんな単純なもんじゃないんですよね。ルソーもホッブズも、本当はもっともっと深い人間洞察をしてるんです。

さっき言ったように、「性善説か性悪説か」じゃなくて、どういう条件が整えば人は悪になり、殺しあい、どういう条件が整えば助けあうのかということを考えることが大事であって。ブレグマンはこういう問いの立て方をしたほうがもっともっと説得力のある本が書けたんじゃないかと個人的には思うんですけれどもね。とはいえ、でもやっぱりとてもいい本です。

人類はこの1万年間ずっと殺しあってきた。それにはやっぱり理由があるんですよ。農耕が始まり定住して1つのところに集まって、そうすると財が、つまり食べ物が貯まりますよね。

そうすると、こっちが食べ物がなくなったらあっちのものを奪おうって思います。あっちにはたくさん貯まっているんだから。やられるんだったらやられる前にやってやろうとか、もっとこっちが共同体を強くしなきゃいけないとか、

そうして、人類は1万年前から巨大なピラミッド型の社会を作るようになったんです。そうすることで権力を集中させて、強い戦争共同体を作ろうという考え方になっていったんです。これは、そういう条件が整ってしまったからなんですね。

だから今私たちが本来考えるべきは、「人間はそもそも牧歌的で優しくて、いろんなものを分けう利他的な存在なんだ」みたいなことじゃなくて、「どういう条件が整えられれば、人がみんな助けあえるような社会を作れるのか」。そう考える必要がありますよね。

じゃあその助け合える社会の一番のポイントはなにかというと、さっきの「自由の相互承認」なんです。この「自由の相互承認」という原理をあらためてみんなが意識して、みんながお互い対等に自由な存在なんだと認めあう社会を作ろう。おそらく、人類が共存していく道はこれしかないんですね。

学校はこれを実現するための一番大事な制度なんだということを、あらためて理解したいと思います。この一番大事なことを理解することから、私たちはすべてを考えていかなきゃいけないのです。

勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方

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