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質疑応答(全2記事)

「強制的な学び」から得るものは弊害の方が大きい 子どもの自主性を育むために大切なこと

世界的なコロナ危機によってもたらされる新たな日常 (New Normal) を生きるうえで、一人ひとりが当事者意識を持ち、多面的な視点を得ながらアイデア・作品・ソリューションを生み出していくことを目指し、一般社団法人 Learn by Creationがオンラインイベントを開催しました。本イベントは、「ポストコロナ時代の社会と教育の可能性」と題して、教育哲学者の苫野一徳氏と、テクノロジーの造詣が深いフューチャリストの尾原和啓氏が登壇。本パートでは、探究心や自主性を育てる方法など、Q&Aで寄せられたさまざまな質問に答えます。

今のシステムの中で「学ぶ楽しさ」を育むには?

竹村詠美氏(以下、竹村):ここからは、U-20チームの高校生の福永理沙さんに入っていただきまして、みなさんからいただいたご質問を、ぜひ先生方に投げかけさせていただきたいと思います。それではバトンタッチします。福永さん、お願いします。

福永理沙氏(以下、福永):こんにちは、お願いします。

苫野一徳氏(以下、苫野):お願いします。

尾原和啓氏(以下、尾原):はい。こんにちは。

福永:Learn by CreationのU-20で活動をしています、高校3年生の福永理沙と言います。よろしくお願いします。

苫野・尾原:よろしくお願いします。

福永:では、さっそく質問に入らせていただけたらと思います。Q&Aのコーナーに30件入っている中で、一番『いいね!』が多かった質問からお願いします。

『生徒が学びたいから学ぶ、おもしろいから学ぶという気持ちにできるように、今の状況でシステムが変わらなくても教員ができることはなんですか?』という質問が来ているのですが、お二人に何かあれば、教えていただけたらなと思います。

探究をドライブするために、長期・中期・短期でできること

苫野:私がそういったときにお話ししているのが、いつも2つか3つぐらい……。探究をドライブするための条件なんですね。長期と中期と短期でお話ししたいと思います。

長期で考える場合は、まず、徹底的に遊び抜いた子どもは、自ずと見つかるんですよ。自ずと夢中になることが見つかる。だから徹底的に遊ばせてあげるというのが、長期的な発想。

中期的な発想としては、いろんなテーマに浸るということ。いろんなテーマをつまみ食いしまくるような時間的余裕が必要です。何か興味のアンテナに引っかかったことに、浸るという時間が。さっき言ったように、大人の時間でずっと生きていると、子どもたちがそれをできませんよね。

今せっかくある時間なので、何か引っかかったものはなんでもつまみ食いをさせてあげたいですね。そうすると何か、よし、ここだという……。私は投げ網漁法から一本釣り漁法へという言い方をしますけど、いっぱい投げ網を投げられるようにするというのが1つです。

短期的に今できることは、本物との出会いを揃えるということですね。「かっこいい、これ」って。私の娘も、今ある若いモデルさんにはまっちゃって(笑)。「こんな人になりたい」みたいな本物との出会い、憧れを駆動してくれるような本物との出会いを、大人は大事にしたいなあと思います。

長期的・中期的・短期的な、他にもいろいろありますけれども、そういったことをアドバイスできたらなと思います。

短期的に先生が生徒にしてあげられること

福永:尾原さんは何かございますか? 

尾原:そうですね。僕もすごく近い話になるんですけれども、やっぱり先生が短期的にできることって2つあると思うんですね。

1つはできるだけ喉を乾かしてあげることと、じゃあ喉が渇いたときに先生が水を探すんじゃなくて、その生徒が自然にプロジェクトとしてやれるようになるところを作ってあげる。この2つだと思っていて。

少なくとも今回の「GIGAスクール構想」(※注:児童生徒向けの1人1台端末と、高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備し、多様な子どもたちを誰一人取り残すことなく、公正かつ個別最適化された創造性を育む教育を、全国の学校現場で持続的に実現させる構想)の中でどういったソフトウェアが配られるのか、どういったプラットフォームが作られるのかは、僕はぜんぜん知らないですけど。お上のやることですから、絶対不完全ですから。

ただ大事なことって、全員がタブレットを持って、少なくともコロナが落ち着いてくれば、学校に行けばインターネットがつながるなり、今やWi-Fiはいろんなところでつながるわけですから、そういう環境が整えば、少なくとも喉が乾けばそれをYouTubeで探してくるなり、最上のものを見つけられる環境ができてきているんですね。

やりたくて仕方がないことを持っている人はどこにいるか

尾原:そうだとしたときに、学校の先生はいろんなお時間があっておつらいと思うんですけど、先ほどの苫野先生のお話につながる話なんですけど、生徒の中に誰か1人は喉が渇くやつっているんですよ。

これは会社で、その会社らしさみたいなところを磨くときだったり、会社のモチベーションマネジメントのときにやる手法なんですけど、アンバサダー(大使)を作るんですよね。

誰か「その会社らしい人」を探してきて、そのときに訊くことは1個だけです。自分の部署以外の他部署で「なんかおもしろいことやってるあいつって、誰?」というふうに聞くんですよ。

だから、学生でも「自分がふだん遊んでる友達以外で、なんかいつもおもしろいことを始めるやつは誰?」という質問をすると、必ず1人か2人はいるんですよ。こいつは絶対喉が渇いたやつだし、その会社らしさとか学級らしさというものを体現しているやつという。

「彼(大使)がやりたいことをどうやって加速していくか」をプロジェクトとして組んでいくと。そいつを助けるために、じゃあちょっとみんなで、YouTubeでいい動画があったら探してこようよとかやればいいし。

YouTubeの動画の中で、実際に物を作ろうよとなったとき、そこで初めて数学が必要になってくるかもしれないし。そこで初めて地理が必要になってくるかもしれないし。

だから、そこをどこまで後押しできるかということですね。もちろんこれは本当に理想論で、先生って本当に今お仕事がおつらい中で、なかなかそこに時間がさけないよということはあるかもしれないけど。

やっぱり生徒が自分で熱を持っていて、その子が周りの生徒に助けられて、一緒に何かを達成したら他の生徒もやりたくなりますから。

みんなが手助けしてくれる環境と余裕が必要

尾原:グリーンスクールってみんな憧れてるけど、はっきり言ってシステムなんてボロボロなんですよ。ただ1個だけ優れているのは、ここなんですよ。

バリ島にいれば、誰かバリ島の環境を救いたいと思う少年・少女が現れる。バリ島だと学校がゆるくてみんな暇だから、その少年・少女を助けてくれる先輩が現れて。

それで成功すると、インドネシア人で初めて、中学生なのにTEDのメインステージでスピーチができちゃうとか、COP24(気候変動枠組条約第24 回締約国会議)に高校生なのに出られちゃうような、ヒーロー・ヒロインになるから私もなりたいと思ってがんばるんですよ。

こんなでかいスケールのヒーロー・ヒロインの作り方なんかやらなくてもいいので、個人的にはちっちゃくても喉が渇いて動いているやつをみんなで助けるところをやってあげるのが大事かなと思いますね。

もう1個は苫野さんが言っているように、先生自身が楽しまないとダメですね。

苫野:すみません……。

尾原:ただ、楽しむには余裕がないとダメですよね。ごめんなさい、どうぞ。

選択の機会を増やすことで、自主性が育っていく

苫野:すみません。私も今、Q&Aをようやく見られたんですけども。今のご質問の意図として、これが大事だなと思ったので。強制的に学びの機会が与えられることで学びに向かう生徒もいること。これもちゃんとお答えしておかなきゃいけないなと思うんですけれども。

尾原:ああ、そうですね。確かにそうですね。

苫野:そういうところもあるんですけれど、それはあくまでも今のシステムでそうせざるを得ないからやるというだけだと言いたいと思います。

あと、「なんでもかんでも全部自由にする」というわけではないんですね。私がよく言うのは、正確には「自由な教育」よりも「自由になるための教育」なんですよ。でも、「自由になるための教育」は、ある程度の自由が保障されて、自分で決定したり選択する経験を積まないと自由にはなれませんから。

強制的な学びばかりさせられていた子は、それがなくなったときに学ぶことができなくなっちゃいます。それは自由になるための教育になっていません。強制的な学びがいいというのは一面ではあっていますけど、弊害のほうが大きい。

大事なことは、選択肢を徐々に増やすことなんですよ。なんでもかんでも強制的にするんじゃなくて、例えば時間割を自分で立てるとか。オランダのイエナプラン教育やドルトンプランなんかが有名ですね。

これらの学校では、自分で低学年のときから時間割を1週間分くらい立てます。自分で責任を持って、1週間でここまでやる。こうやって自分が学びの……まさに何人もの方が書いてくださっていますけれども、学びのオーナーシップを持つという経験をたくさん積んでいけば、言われなきゃやらないというマインドではなくなっていくんですね。

「ここは自分の責任で学ぶんだ」という。自分が選択したんだし、自分でこの教材を選んだし、自分で誰と学ぶかを決めたし、自分でどこで学ぶか、どの人の助けを求めるかを自分で決めますから。

そういう経験を積むことで、言われなきゃやらない、できないということは基本なくなりますね。これは私の経験に過ぎませんけれども、いろんな学校に関わって、実際に学校の設営などもする中で、それは圧倒的にそう言えると。研究でもいっぱい(エビデンスが)ありますけれども、そう思っております。

やりたいことが見つからない人へのアドバイス

福永:ありがとうございます。自由な時間について、生徒の目線からもう少し質問をさせてもらえたらと思うんですけど。

実際、私の学校や友人たちの学校でも、探求の時間は増えてきていると思います。ただ、その探求を自由に選択できる時間をもらったからといって、やはり自分たちで選択できるわけではないなと思っています。

特に私たちの世代は、中学や小学校までは、ずっと先生の授業を聞いてノートをとるという形式だったということもあるかもしれないんですけど、決められなかったり何をしたらいいかわからないという生徒がいたり。

一方で、やらなければいけないことに追われ過ぎてしまって、探求になかなか向かえない生徒もいるんじゃないか、実際に同級生でもいるかなと思っています。そんな現役の高校生や中学生に対してのメッセージや、何か私たちができることがあったら教えていただけたらなと思います。

苫野:じゃあすみません、先に少し。さっき言った投げ網漁法から一本釣り漁法って、自分が何をしたらいいかわからないというときにけっこういいんですよね。

私が大学のゼミ、あるいは1年生の学生たちにいつも言うのは、とにかく本を読みまくる。本だけじゃなくてもいい。例えば映画を見まくるでもいいかもしれないし、音楽を聴きまくるでもいいかもしれないですけど。

私は学生に「本を読みまくるとGoogleマップになれる」ってよく言うんですよね。今、みなさんは摩天楼群の中で、道もわからない、どこにたどり着けばいいのかもわからない。何が好きなのかも何もわからないんだけれども、何かをいっぱい読んでいたら、気づいたらGoogleマップになって、自分や世の中のことが広く見えるときが必ずやってくるので。

そのためには、投げ網漁法で、新書レベルの本でも構わないので、小説でもいいし、何か関心のある本を読みまくる。読みまくっていくと、ちょっとテーマが絞られてくるときがあるんですよね。「これはちょっとやってみたいな」と。そうしたら、そこのテーマについて例えば20冊ぐらい読んだら、ちょっとしたその世界の専門家になれるんですよね。

例えば、尾原さんの本を全部読んだら、プラットフォームについてのちょっとした専門家になれるかもしれない。そういったやり方って、とってもいいんです。

時間がないのは1つの問題ですけれども、何かそういう投げ網漁法から一本釣り漁法へというものを試してみると、ぐっと興味が絞られて、ワクワク感が駆動されるんじゃないかなと思います。

福永:ありがとうございます。

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