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井本陽久「ダメでいい、ダメがいい。」(全6記事)

思考力とは「今ある手持ちでなんとかする力」 井本陽久氏が語る、創意工夫が生まれる条件

大人からは“ダメ“に見えることでも、子どもには、まるで宝石のようにキラキラと輝いて見えるーーそれが子どもの世界の日常であり、実はそこにこそ学びの本質が隠されています。本講演には、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演し、“叱らない・教えない”教育で注目を集めるカリスマ教師の井本陽久氏が登壇。本パートでは、子どもたちの「思考力」を育む教育のあり方について語りました。

子どもが生き生きする「ふざけ・いたずら・ずる・脱線」

井本陽久氏(以下、井本):僕はずっと子どもたちと授業を通して過ごさせてもらっていて、絶対に言い切れることがあるんです。

それは、「子どもが生き生きしているとはどういうことか」といったら、「自分のやり方でやっている、自分のやり方で考えている」、この1点なんですね。

そのときはどんな子でも生き生きしている。そのことが魅力でずっと先生を続けているんだと思います。しかも、子どもが自分のやり方、考え方を一番発揮するのは、「ふざけ・いたずら・ずる・脱線」なんですよ。怒りたくなるところですね。

本当は、これにはすごい価値がある。とくに脱線は、ここからいろんな発見が生まれて授業が一気に盛り上がるんです。ただ、学校ではなかなか認めにくいところですね。

それはなぜかというと、「学力」というものの考え方によると思うんです。学校ではやっぱり「できる・できない」という軸で生徒を見て評価しますよね。できるか、できないかです。

たとえば数学で言うと、与えられた問題を解いて、正解を導けるということです。それが大事なことになるわけです。

言ってみれば正解を導くというのは、一度習ったことを同じ場面で正確に再現できるということなんですよ。これが、学校で求められている力です。「できる・できない」となると、必ずそうなります。

子どもたちのほうも「できるかできないか」で評価されたら、できようと思ってしまう。そしてどうなるかといったら、やっぱり再現できるように学ぶようになります。

そのためには、自分の考え方で考えないほうが得なわけです。「こうやったら正しく導ける」という先生から教わった考え方を使ったほうが間違えることがないからです。だからますます自分では考えなくなる。

正解を出すだけなら、自分で判断しない方が得

これはまさに受験というものが大きく影響していると思います。受験は数値で評価しないといけないから、数値で評価できるもので判断する。そうなると、与えられた問題の正解を導けるかかどうかになってしまうんですね。

先ほども言いましたけれど、そうすると子どもたちはどうなるかというと、自分のやり方でやらないほうが得だと思うようになるんです。自分で判断しないほうが得なんですね。おそらく小学校に入ったところから、小学生たちは「自分のやり方でやらないほうがいい」「自分で判断しないほうがいい」ということを自然に学んでいるんです。

だからといって、先生も責められないんです。僕も学校にいますからよくわかる。受験指導を求められていますから、こうせざるを得ないんですね。

ここ5年10年ぐらいですごく目立つんですけど、入ってくる子に共通していることがあるんです。例えばサッカー部に入ってきたばっかりの中学1年生の子で、他校に行って練習試合をすることがあったんです。

それで1年生がやっと出られるときに、みんながぱーっとグラウンドに出て「やった! これから試合だ」とやっていると、1人だけ帽子を被っていたんですよ。

だから、「帽子は脱がなきゃだめだよ」と言ったら「あ」と言ってベンチのほうに戻ってきて、帽子を取って、僕のほうを見ながら椅子の上にそっと置くようにして、「ここに置いてもいいですか?」と聞くんですよ。

空いているんだし、別にぜんぜんいいじゃないですか。でも、ちょっとおもしろいなと思って、「だめだよ」と言ってみたんです。そうしたら、その子は「うーん」と考えて、そっと地面の上に置いて、「地面に置いてもいいですか?」と。

これね、(素直に言うことを聞いて)かわいいと思うかもしれないですけれど、けっこう深刻だと思うんですよ。つまり、「許可を得ないとやってはいけない」と思っているということですね。あらゆることにこういった許可を得る子がものすごく増えているんです。本当ですよ。

思考力とは「今ある手持ちでなんとかする力」

問題をぱーっと渡して、「これを先にできた人はこの問題をやってごらん」と。そこに2問あったら、「先生、こっちの問題からやってもいいですか?」と聞くんですよ。あるいは「ここに書いてやってもいいですか?」と。

とにかく、僕の感覚だと許可を得る子が急増している感じですね。それは、これまでに「自分のやり方でやらないほうがいい」「自分で判断しないほうがいい」ということを「学んで」きてしまったからだと思うんです。

だけど、それについては彼らをぜんぜん責められない。「なんで自分で決められないんだ」と言われても困ると思うんですよ。だって、ずっとそれ(自分で判断しないこと)を求められてきているから。これは本当に残念でならないんです。

僕は授業をやるときに、自分の中で思考力というものを定義しています。それを自分の中ではっきりさせておかないと、やっぱり再現力、「できるようにしよう」という考え方をどうしてもしてしまうからです。

この思考力を僕はどう定義しているかというと、やはり学校でやることというのは再現力。つまり「なにかを解決するときに向けて今のうちに手持ちをたくさん増やしておく」というのが再現力ですね。

でも、僕はそうじゃなくて、「今ある手持ちでなんとかする」という力ですね。力と言ってもいいし、力なんかなくてもいいです。今ある手持ちでなんとかしようという姿勢でもいいですよね。

これを授業の中で大事にしようと決めています。実は、再現力を身につける勉強というのは、子どもにとってはルーティンでつまらない。退屈なんです。それに対して今ある手持ちでなんとかしているときの子どもは、もうそれだけで生き生きしています。

子どもは手持ちがなければないほど、むしろすごく楽しめるんです。例えば、スパゲッティがあって、我々はフォークがなかったら困るじゃないですか。でも、子どもはものすごく喜ぶと思いますよ。「なにで食べようかな!?」「手とか!?」「うわ、やっべー!」みたいな。おもしろいんですよ。それは、自分で考える余地があるからなんですね。

足りないものがある場所で自由にさせる

僕はいわゆる彼らの学びのお手伝いをするわけなんですけれども、彼らの学び場作りをする上で一番大切にしていることは、子どもたちを「不自由な環境で自由にさせる」ということです。

もしかしたら、今の学校は逆かもしれない。環境を整えて、問題集も揃える。それを与える代わりに、やり方は指示する。「いついつまでに問題をやってきなさい」と言って、自由にはやらせない。

でもそうじゃなくて、環境は足りなくてもいいんですよ。足りないなら足りないで、、その代わり絶対に自由にさせる。そうすると子どもは勝手に自分たちで工夫し始め、魅力をどんどん発揮するんです。

僕は数学の教員なので、数学の授業で彼らがどんな感じになるかをいくつかの例で紹介したいと思います。どんな問題かというと、これを学校の教室と見てください。

もしかすると今の状態じゃ不謹慎かもしれないんだけれども、あるウイルスが今ちょっと流行っていて、そのウイルスが強力な感染力を持っているとします。自分の席がここだとすると、前後左右の4人のうち2人以上が感染していたら自分も感染するという、強力な感染力を持っているんです。

不謹慎です。すみません、ネットで荒らさないでください。ごめんなさい。あくまで問題です。そういう問題で、このクラスが全滅してしまう状況で、感染源がもっとも少ない場合はどんな場合か、みたいな問題を出すわけです。

これ、何人ぐらいだと思います? これは意外に少ないんですよ。6人で全滅しちゃうんです。座席、感染源の位置によっては6人で全滅しちゃうんです。

例えば、斜めに6人が感染すると全滅しちゃうんです。どんな感じかというと、まずここから隣に感染しますね。

それがその隣に感染して、感染して、感染して、感染。6次で全滅しちゃうんですね。そんな感じの問題です。

でも、子どもたちは問題に対して「これをやりなさいよ」と言ってもその通りやるわけじゃないんですよ。「ふざけ・いたずら・ずる・脱線」が発揮されるわけです。

授業中の生徒の反応から見つかる「宝」

ある生徒がやっていたのは、全滅するんだけれども、できるだけじっくり全滅させるにはどういうふうに配置をしたらいいかということです。パンデミックを起こさない感じですね。これを、ある生徒がやっていたんですよ。解き筋がない分、かえっておもしろい問題なわけです。

それこそみんなに「おもしれー!」とあっという間に伝染する。先にやった問題なんか誰もやらない。(スライドを指して)これは、どれくらいだと思います? さっきのは6次ですよね。どれくらいだと思います? 

例えば、こんな置き方。この6人が感染すると、最終的に17次までいきます。これ、すごいんですよ。誰かが17を出すと、「いや、俺はもっと」となるじゃないですか。

最終的にどこまでいったかというと、今のところ23次までいったんです。これは、僕が出した問題よりもずっとおもしろいでしょう? そういうものなんです。

彼らが興味を持つものごとは、絶対に間違いがないんですね。子どもが喜ぶもの、楽しいものを取って、選択して、というのは絶対に間違いがないんです。

授業は、準備段階で事前に考えつくあらゆることを想定しておく。そのことは大事ですね。とても大事なんだけれども、もっと大事なのは、「授業中に生徒を見る」ことです。生徒はどういう反応を起こしているのか。そこに宝がたくさんあります。

これ、盛り上がるじゃないですか。盛り上がっている横で、ある生徒はマスに国旗を描いている。たぶん感染した箇所を塗っていくうちにおもしろくなっちゃったんでしょうね。でも、彼はちゃんと斜めの問題をやった後なんですよ。そこらへんがかっこいいですよね。こんな感じになります。

正解よりもおもしろい抜け道を探す

今度は別の問題。これは、ジュニア算数オリンピックの問題です。この小さい黒い立方体をいくつか使って、面と面をつなげて立体を作る。

その立体が、それこそ前後左右上下どこから見ても正方形、3センチ×3センチの正方形に見えるような立体を作ったとき、もっとも少ない場合で、小さい黒い立方体が何個でできますかという問題なんですね。

これは、(参加者の)みなさん、もう答えに興味はないですよね。だからさっと言います。どうなるかというと、こうなって、こうなって、13個以上だということがわかります。

実際に13個というのがあるから、13個が最小ということですね。

みなさん、わからないですよね。いいんです、これがわかることが今日の目的じゃないんです。これが問題なんだけど、子どもたちはどうなるか。ふざけ・いたずら・ずる・脱線。彼らの興味はそんなふうにはいきません。

例えば、「最大何個でできるのかなあ」と。これは、よく考えれば3×3×3、27個でできるだろうと思われるんですけど、彼はもっといくんですよ。「27個って感覚ではわかるけど、どうして本当にそう言えるの」みたいな話までいくんですね。

別に面と面じゃなくて、点と点、辺と辺をくっつけてもいいんだったら、どこまで少なくできるだろうと。9個まで少なくできるね、みたいな。

実際に、絶対に9個ないと正方形は作れないから、これが最小だということがわかるわけです。

さらにこれよりももっと進んで、「問題は面同士をつなげると言っているけど、面と面をぴったり合わせるとは書いてないじゃん」「だから、ずらしてやっちゃってもいいんじゃない」と。

「もしこれで、13個よりも小さい場合を見つけたら、これは出題ミスになるんじゃね?」と。そうなると燃えるわけです。それを発見することになるので、「大事件だ!」みたいな。それで一生懸命に探すと、これが見つけるんですよ。

それで「先生、できました!」みたいな。それで次の授業で「これ、できたんだよ」と報告すると、今度は別のやつが悔しがって「いや、これはなんか置き方が汚い」「俺はきれいに置く」と言って、もっときれいな場合を考え始める。

そして、それができると周りが「お、すげー」みたいになります。そうするとまた別の子が悔しいからどうなるかというと、「俺は斜めを使わないでできる」みたいな。

解き方を覚えるよりも、自分たちで問いを立てる

こうなるとまた悔しいじゃないですか。どうするかというと、斜めを使わず、この9個のマスからずらさないで置く。これができるんですよ、発想の転換なんです。5段にするんですね。1段目と2段目のちょうど中間に空いたところに入れるような発想をすると、12個でできちゃうんですよ。

これ、すごくないですか? 僕はなにも言っていないんですよ。生徒たちが勝手にバージョンアップさせていくんです。例えば1時間目ぐらいに出すと、6時間目ぐらいに出してくるんですよ。まあ、たぶん内職しているんだと思うんですけど。

これもすごいですよね。これを別の(下の)学年でやったんですけど、「これ、おもしろいよ」と言ったら、その子は11個を見つけてきたんですよ。これは発想がちょっとおもしろいんです。

これを斜めにするのではなくて、ここをこういう、こっちの方向で斜めにするんですね。そうするとできるんです。これはすごいです。こっちも斜めを使うことによってできる。

それを、また元の学年で「これ、11個でできたんだよ」と言うと、先輩なので悔しいわけですよ。だからその日のうちに持ってきました。「俺は斜めをここでしか使っていない」みたいな。

こういうことが起こるんですね。なんでこういうことが起こるかといったら、自分たちで問いを立てた問題だからです。言われた問題だからじゃないんですよ。

しかもこれ、答えがどうなるか実際にわからないですよね。解き筋もないです。解き筋もないから、解き方を覚えるとかじゃないんですよ。なんとかするしかない。だからやっていておもしろいんですね。

やりはじめたら、とことん完成度を追求

それで、あともう1つ。(スライドを指して)これは机と机をちょうど60センチに幅を開けて、「KAPLA(カプラ)」という積み木を使って間に橋を架けようという問題なんです。

これ、ふつうに行儀よくやっています。でも、こんなものを持たせたらもう「ふざけ・いたずら・ずる・脱線」を発揮しないわけがない。どうなるか。(スライドを指して)「これ、一応架けてるもんね」みたいな。

(会場笑)

ショボいでしょう。でも、子どもっておもしろいんですよ、自分でやりだしたことは、ショボいことではとどまらないんですよ。もう「超きれい」みたいな。完成度を上げていくわけですね。

あと「『床を使ってはいけない』とか言ってないもんね」みたいな。こっちのほうが難しいということで、これはすごい。

(会場笑)

これ、わかります? 頭いいんですよ。これはフックを使っているから崩れようがない。こんなことも考える。

(スライドを指して)これは力技ですね。

(会場笑)

これはとんちですね。

(会場笑)

でも、誰よりも喜んでいると(笑)。これ、すごいでしょう。最初からは彼は「突っ張り棒の原理でやる」と言うんですよ。でも木は突っ張らないじゃないですか。「バカだなぁ、まぁいいや」と思って。でもずーっと、40分くらいやっている。「できないのになぁ」と思っていたら、できたんですよ。

(会場笑)

だから本当に理屈で「できない」と考えちゃダメなんだなと思って。これ、机のへりの部分がこうなって(湾曲して)いるじゃないですか。こうなっているから、おそらく微妙にアーチがかかっていると思うんです。こんなことができるんですね。

子どもたちが自分の考え方で「人が絶対やっていない考え方をしたい」「ウケたい」「笑わせたい」というようなことをやってみる。それが授業で起こったら魅力的じゃないですか。すごいですよね。すごく可能性を感じちゃいますよね。

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