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藤原和博氏、トライセクター・リーダーを語る(全6記事)

藤原和博氏「僕の上司は世の中です」 20代から意識していた仕事の流儀

金野索一氏による日経ビジネス・カンパネラ連載『トライセクター・リーダーの時代』との連動企画として、リクルートで数々の新規事業を手がけた後に、杉並区立和田中学校の校長に就任したキャリアを持つ藤原和博氏をゲストに招いたトークイベント「藤原和博氏、トライセクター・リーダーを語る」が開催されました。このパートでは藤原氏がリクルート時代から抱いていた仕事に対する意識や、リクルート事件をきっかけに周りと自分がどのように変化したかについて語ります。

僕の上司は世の中なんです

金野索一氏(以下、金野):今日いらっしゃっているみなさんも目の前の仕事を日々されてると思うんですけど、みなさんの参考になるようなお話ということで、藤原さんはリクルートでビジネスマンをされていた時には、何を一番大事にしてお仕事されていたんでしょうか。

藤原和博氏(以下、藤原):27歳ぐらいの時から「上司は世の中だ」と言ってたの。上司はあんたじゃないと。僕の上司は世の中なんですということを言ってた。そういう気のある人は、おそらく全部のものの見方がその視点から鳥瞰図的に見えてくるんで、金野さんがおっしゃられるようなトライセクター・リーダーになりやすいのかなと思う。

初めから上司は世の中だって思える人じゃないと、逆に、できないんじゃないか。だって、損しちゃう決断だったり、計算したら絶対やらない決断だから。はじめから世の中が上司だと思ってないと、こんなことやってないですよ。

奈良市立一条高校も、年収がまた5分の1ぐらいになるリスクがある。東京より基準が低いですからね。しかもなおかつ、「もっと授業を、勉強をやりましょう」という、先生方から嫌われやすい提案から入っていくんだから、かなりのハイリスクですよね。

そんなの普通、計算したらやんないじゃん。60歳にもなって(笑)。

金野:もっと突っ込みますと、そのリクルート時代に「上司は世の中です」という働き方になった理由は何ですか?

藤原:それには合理的な説明ができないです。あとから無理やり考えれば、うちの父が国家公務員だったかな、みたいな。最高裁判所に勤めてましたので。

実は僕は父にものすごい反発したんです。要するに反抗心の塊みたいな人だったんで、父が体現する国家公務員という姿から、一番遠いところに行ってやろうというんで、それがリクルートという選択だったんですよ。

それが、なんだか知らないけど、いま考えてみると、公共性の高い分野にどっぷり踏み込んじゃった感もあるよね(笑)。

父の父、おじいちゃんも勲三等瑞宝章かな? 戦後の最高裁判所の再興に貢献した人らしいので。父は最高裁にずっといて、最後は簡裁の判事になり、70歳まで勤めたんで勲章もらってた。要するに二代続けて国家公務員で勲章の人ね。俺はもう、ほら。リクルートで事件の人だからさ。

(会場爆笑)

江副浩正氏は完璧なビジネスマン

藤原:でも、意識したわけじゃあないんだけど、なんか今、近づいてる感じはあるんだよね。バリバリのビジネスパーソンになりきれないのは、もしかしたら公務員の倅の限界かなぁ……。

プライベートなビジネス世界で自分の儲けに徹することができない。だから俺はすごくはっきりいうと、ビジネスパーソンとしては弱いのね、そこが。

なぜ弱いと思うかというと、俺はその儲ける権化だった江副さんという起業家の横で、彼の一番華々しい78年から88年の間に仕事したんで。さっきトライセクター・リーダーとして江副さんを挙げてましたけど、それは間違いです。

江副さんというのは完璧なビジネスマンで、前提として「社会をよくするために」みたいなことから入ってはいません。もっと厳しい。今で言えばユニクロの柳井さんのようなリーダーだし、だからソフトバンクの孫さんが尊敬してたんですけどね。孫さんには、見事に越えられちゃったけどね。

江副さんも、本当は情報通信ネットワーク事業という、僕もぶち込まれて2000億つぎ込んでゼロになった事業があるんですが、最終的に目指したのは、多分一種電気通信事業者。当時は移動体通信って呼んでた。要するに携帯。携帯電波の利権を取って、それで儲けようということだったと思います。

言ってしまえば今のソフトバンクですよ。ソフトバンクのようなことをやるためにスタートしたんです。結局孫さんに完全に越されちゃった。

ただし、その前段として、最初回線リセールという問屋家業をまったく専門知識のないところでやらされて。俺、体壊しちゃったんだけどね。あとマンション事業については、江副さんは、あとからコスモスに入った後輩に先を越されてますね。

江副浩正さんというのは、僕の『リクルートという奇跡』を読んでくれるとわかるんですが、確かに天才的な経営者なんだけれど、1つだけ、絶対不得意なものがあった。

リクルートという奇跡

それはね、在庫を持つビジネスは全部失敗してるんですよ。おもしろいぐらい。まず「ステップコーダー」という特許を取ったテープレコーダーでcobolとかfortranなどのコンピューターのプログラミングや英会話を学ぶ教材の販売です。自動的に戻る機能をつけたステップコーダー事業。

絶対儲かると思って、最高の営業マンを投下してやったんだけど、これが巨大な在庫の山で、大変なことになり。組合問題にも。結局、潰れるんです。

次にリクルート出版という出版事業。これも潰すんですよ。もっといろいろあるんですが、非常に巨大なものは2000億円つぎ込んだ回線リセール事業。これも在庫管理が発生する事業ですよね。それからRCS事業というコンピューターの在庫を持ち時間で貸し出す事業、これも失敗。

一番でかいのがコスモスですよ。マンション事業。これも在庫を持つでしょ? ファーストファイナンスという金融業も含めて、1兆5000億円損してますから。だから江副さんという人は、在庫を持つビジネスで2兆円ぐらい損して終わってる人なの。

90年の人生では、ビジネスマンだけで生ききれない

金野:セクターを越えてネタとか世の中のニーズを取らまえてビジネスをしていくという意味でのトライセクター・リーダーですよね。そのほうが実はビジネスにもなるし、企業価値を最大化することにつながる、今もっとそういう時代、江副さんの時代にもそういうやり方があったようにという意味があるんです。

藤原:それとね、さっきから言っているように、やっぱり90年の人生では、ビジネスマンだけで生ききれないんです。もしくは、死に切れない。それは、みなさん、わかりますよね。

今日40代の方も多いと思うけど、「あと50年やるかな?」と思ってるでしょ?「あれ、今の仕事10年後やってるかな?」というのもクエスチョンだったり。そういう人は多いんじゃないかと思うんですよ。

実際ここから10年の変化は過去50年の変化を超えると言われていますし、60%ぐらい仕事はなくなるとも。もしこの中にホワイトカラーの事務処理系の仕事をされてる方がいるとすれば、まぁあと10年でそういう仕事は消えてますね。

金野:オックスフォード大学の先生が発表されましたね。

藤原:たいていの事務処理業務は、IT化、ロボット化、AI化でなくなる。

金野:そういう意味では、今の藤原さんの原点はお父さんだと。

藤原:父への反発。じゃあこの中で聞いてみようかなぁ。父親・母親のどちらかが公務員だという人いる? その方は僕と同じパターンの可能性ありますよ(笑)。

金野:僕もそうですよ。父親が公務員。

藤原:反発や反抗した? 僕はとにかく父親が体現するグレーな公務員の世界の反対側へ行きたかったの。当時リクルートは100億円か150億円を目指してたところで。俺、内定して決算報告書見せてくれと言ったら、何と前年度に初めての減収減益。「大丈夫?」って。

でも当時、自社株を社内で売る制度があり、俺は1年目にしてできるだけ買ったんだけど、先輩が俺を呼んで「お前、やめたほうがいいよ」と。「絶対やめたほうがいいよ、この会社潰れるかもしれないから」と親身になって「去年の決算報告知ってるだろ?」と説得されたぐらいだから。その株は今、500倍ぐらいになってますけどね。

金野:まさに反対側のビジネスの側に行かれたんだけど、しかし入った会社では「上司は世の中だ」と。ある意味お父さんのパブリックな分野に近いような。

リクルートに入ったのは事故みたいなもの

藤原:リクルート自体が就職だったり、進学だったり、それから住宅だったり、人生の大事なイベントを演出する「ライフサイクル事業」みたいなことを当時私たちの先輩が言ってました。

要するに、人の「人生」に関わる事業だと。だからそれが旅行だったり読書だったりというところにも全部つながるんだけど。

江副さん流に言うと「新聞を下から読んだ」ということになる。今から50年前は新聞の広告しかなかったので、新聞の広告でいちばん多かったのが「求人」と「住宅」でしょ? そこから旅行の広告があり、それからもちろん書籍の広告があり、大学の広告がありみたいな。それを情報誌化し、今はネット化してることになるんですよね。

金野:それは有名なエピソードですよね。

藤原:「新聞を下から読む」は、本当に下から読んだのかどうかわかんないけどね。

金野:なるほど。じゃあトライセクター・リーダー的なことでいうと、ここに書いてありますけど、ある意味3つのセクターの境界線上というか、それは公がやることなのか民間なのか非営利なのか、はっきり分けられない分野。

あるいは違う言い方をすると、もうすでに確立されているところを黒い点だとすると、黒い点と黒い点の間に膨大な白い余地があって、まだまだ人類とか社会がわかってないとか確立されてない白紙の部分がある。

そういうところにイノベーションがあるし、またそこを明らかにしていくことが人類とか社会を良くしていくことだと思うんですけど。

トライセクター・リーダーというのは大きくそういうことにトライしていく生き方だと思うんですけど、そういう意味では非常にそこは新たな好奇心だったり、非常にやりがいがある部分だと思うんですけど。

そのあたり、生き方という部分で、ぜひ何かエンカレッジするような思いを言っていただければ。

藤原:あとから解説すると、こうなるということなんですよ。こういうことをあとからみなさんに語ったり書いたりすることで確信が高まるというだけ。

さっきも言いましたけど、リクルートに入ったのは事故みたいなものだった。ボストン・コンサルティング・グループに入るイメージはあったんですけど。俺は3年でもう大学中退して4年の4月から入れてくれと言ってたんですよ。そしたらダメだ、来年来なさいと言うんで、それでリクルートでバイトした。

で、バイトした時に、高校ではバスケット部だったんですけど、バスケットの試合で人が足りないんで出てくれと言われて、出版健保の第二部というところで優勝しちゃったんです。俺、相当活躍しました(笑)。

そしたら、その祝賀会に総務や社長室の、秘書室系のきれいな女の子がガーッと来て「キャー!」とか言って。「えっ、こんなにきれいな女の子がいっぱいいるんだな」みたいな。そういうことも含め、要するに事故ですよ。

(会場笑)

「藤原です」で勝負するしかなくなった

藤原:当時10月1日が解禁でしたので、当然9月の末からリクルートは内定したやつを、今でいう安比高原スキー場へ連れて行く。3泊4日で合宿して、帰ってきたらもうボスコンの説明会も終わってるみたいな。

当時、そういう拘束イベントがあったじゃないですか。僕は気持ちよく、それでいいと覚悟ができた。事故ですよね。それから、リクルート事件でリクルートというブランドが剥がされまして、当時マネジャーをやってた人間は全員鍛えられたと思います。

「リクルートのどの部門の藤原です」じゃなく、それも部長ですとか課長ですとかではなく、「藤原です」で勝負するしかなくなった。できたらリクルートと言わない方がいい。何をやってるかというと、通信の自由化をやっていますと。最後にリクルートとやっています、と付け加える。

「Working for リクルート」が「Working with リクルート」みたいな感じにモードが変わっちゃったことで、すごく「個人」が鍛えられた。だから当時マネジャーをやってた人間は、外へ出ても通用する。つまりブランドに守られてなくても勝負できるからですね。

さらにダイエーショックですよ。旧ダイエーの方がいらっしゃるとなんですが……。

当時リクルートの若いやつが何を言ってたかというと、「なんでVirginグループじゃなかったの?」と。ブランソンが買ったと言ったらそれは盛り上がりますよね。ソニーにも実は話があったらしいんですが、蹴ったらしい。

ソニーだったらおもしろいんじゃないかとか、西武の方がまだマシだとか言ってたけど……いずれも厳しい立場になったり、潰れちゃったよね。ダイエーも。ここでもまたブランドが落ちちゃうわけです。そういう中で、またまた企業内「個人」というものが出てきて。

海外に出る決断もそんなに合理的にしたんではありません。さっき言いましたよね。40代で僕はテーマを見つけたかったんだけど、残念ながら不勉強で読書もしてない人だったから、テーマが見つからない。何をテーマにしていいかわかんない。

松永真理さんとか、江上さんという『とらばーゆ』の編集長だったり、それから倉田さんのように創刊を何本もやってる、ああいう編集系の人には社会との間で考える習慣があり、常にテーマというのがあるんです。

それが僕にはなぜないのかというのがむしろコンプレックスでした。営業本部長だと言ったって、テーマがないもんなと。

そこに江副さんが、ある意味、つけ込んできたわけですよね。「次これやんないか」「あれやんないか」って。やれば偉くなるし、収入も増えます。でも、この循環を抜け出さないと、江副さんの駒のままで終わっちゃう。その延長で、例えば社長をやったとても、ぜんぜんかっこ悪いと思いました。

そう思っちゃったもんですから、テーマを探りに行くのに日本を逃げ出さないといけなかった。自分の立場だと部下がついてきちゃう、マネジメントが必要になる。なので1回逃げないととても日本の社会を鳥瞰図的に見れないなと思った。だから、逃げたんです。

それだって事故みたいな話。帰国時に盛り上がって40歳で辞めちゃったわけですけど、辞めちゃった後に、いろいろ偶然の巡り合いもありましたから。

綺麗事では金にならない

藤原:さっき言いましたように、校長になるにつけても、その2年前までは校長のコの字も考えてなかった。何かビジネスとして、事業体として、例えば公文とかベネッセをこえるような何かがないのかということを考えていた。

ところが教育分野で事業体として革命を起こそうとすると、どうしても受験に寄っていっちゃうんですよ。つまり綺麗事では金にならない。「創造性」とか「思考力」とか言ったって、そんなところに親はまだまだお金を出さないわけです。いまは少し流れ変わってきましたけど、まだまだです。

というわけで、事業体として考えてるとダメだということで、それじゃあ現場に飛び込んでやるしかないと。しかも現場へ飛び込んでやったとしても、先が開けるかどうか、やってみなきゃわかんなかった。

3歩目についてはぜんぜん計算してないです。このジャンプは。僕はここまで(1歩目、2歩目)はビジネスでしたよね。ある意味では、計算してやっている。でも、次(3歩目)にドンと張り出す時には計算してない。だから、みなさんも今のところテーマが見えなくても、ぜんぜん心配ないと思います。

ただ、「チャンスの神には後ろ髪がない」とよく言われるじゃないですか。この3歩目は飛び込んじゃわないと、フワーッと見送っちゃうともう終わっちゃうかもしれないんで。そんなチャンスに、30代から40代のあるタイミングで、出会うことがあるんじゃないかと思います。

せっかくだからアクティブ・ラーニングにしないとね、この講演会も。ずっと一方的というのは、俺嫌いなの。

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