2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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長谷川玲氏(以下、長谷川):皆さん、お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございます。
これから「ITが可能にする新しい働き方」というテーマで、こちらの素晴らしい起業家、リーダーの方にお話を伺っていきたいと思います。
最初に、お一方ずつ、自己紹介をしていただきます。今日は、「末松さん」となっているんですけれども、私はいつも「神原さん」と呼んでますので、ナチュラルな感じで「神原さん」でいきたいと思います。
神原さんからお願いいたします。
末松(神原)弥奈子氏(以下、神原):皆さん、初めまして。ツネイシホールディングスの神原です。よろしくお願いいたします。
私自身は、広島県の出身で、大学で東京に出まして、そのまま東京に残りまして、会社を起業しました。ここに書いてありますように、ニューズ・ツー・ユーという会社は、私が大学院を卒業してすぐに作った会社です。会社を作って、今21年になります。
残念ながら、私は会社勤めの経験がなくて、一般常識を身につけるのに、大変時間がかかってしまいました。
上にあります、ツネイシホールディングスというのは、実は、実家の家業なんですね。ちょっと流行り風に言うと、ファミリー・ビジネスです。そちらのほうの手伝いを、3年ほど前からするようになりまして。そちらのほうでは、主に造船事業、大きい船を作っているんです。海運事業、観光事業、それから環境事業という風な感じで、4つのセグメントがあるんですけれども。
その会社のほうで、CSV本部というのを担当しております。
末松(神原)というのは、さっき控え室でも話題になったんですけど、東京で仕事をしているときは、旧姓のままで「神原」でやっていたので、長谷川さんとは古いんですけど、「神原さん、神原さん」と。私も「神原」で受けているんですけど。
田舎に帰りますと、大変父が厳しくてですね、「結婚しているのに、旧姓を名乗るとは何事か!」と言われまして、この3年ほど急遽「末松」を名乗っております。
神原:今、2つの会社を簡単に紹介したんですけど、どれくらいカルチャーが違って、どれくらい苦労しているかをアピールするスライドを1枚作ってみました。
私の作ったニューズ・ツー・ユーという会社、創業2001年になっているんですけど、この前の会社を1993年に作っていまして、今ニューズ・ツー・ユーは13年。本当に自分でゼロから作った会社なので、1から10まで全部わかっている会社になります。
一方で、ファミリーのほうはですね、創業1903年で100年越えてまして、この男女比も「男女比出して」と言ったら、細かく出てきまして(笑)。本当に16%しか女性がいないというふうな感じなんですね。
物作りですから、アジアを中心に、フィリピン、中国、それから今南米に工場があったりして、行くところも全然おしゃれなところがないんですよ。
ニューズ・ツーやっている時は、「ITだし、アメリカ行かなきゃ!」って、遊びに行ったりとか、ニューヨークに会社作ってみたりとか、好き勝手やってきたんですけど、ニューヨークへ行くことなんて本当に少なくて、今「南米出張入れる時に、ニューヨーク寄れればいいな」みたいな感じになってます。
自分自身もこういうふうな2つの会社をやりながら、どうやってバランスを取るのか、いろいろ悩みながらやってますけど、今日はお二人のお話も聞きながら、勉強させていただきます。よろしくお願いします。
長谷川:では、続きまして原田さんで。
原田静織氏(以下、原田):トリップアドバイザー日本代表をしております、原田劉静織と申します。
実はファミリー・ネームというのを2つ持ってまして、このスライド書いていただいているように、私は生まれが中国上海という街で、日本に来てちょうど今年で19年目になります。
「原田」というものと結婚しまして、原田静織という名前になったんですけど。
実は、キャリアというか仕事上は、トリップアドバイザーでも以前の会社でも「劉静織」という名前で仕事をさせていただいてですね、今回トリップアドバイザーに入社してですね、その機に「原田」という名前を使い始めようかな、と。だんだん「原田静織」に変換していきたいなと思っています。
神原さん、末松さんと、全然違ってですね、日本に来て日本の大学に入って、卒業して、IT企業、名前を申し上げますと、ソフトバンク、デル、トレンドマイクロ、今トリップアドバイザーという、ほぼIT畑を十数年ほどキャリアを積ませていただいております。
今日、このパネリストを見させていただいて、違うバックグラウンドなので、このディスカッションを楽しみにしております。
長谷川:次に、会社の説明もお願いいたします。
原田:軽くアンケート取ってもいいですか?
トリップアドバイザーってご存知なの方、手を挙げていただいていいですか? ありがとうございます!
口コミを書いていただいたことがある方、手を挙げていただけますか?
ありがとうございます!
本当に非常に多いです! 女性の方に非常に使っていただいているというのは、すごいうれしいですね。
トリップアドバイザーは、一言で言うと、「世界最大の旅行情報サイト」です。どれくらい大きいかと言うと、スライドがありますけれども、今月間ユニークユーザー3.5億人。100%トラベラーですね。口コミは2.25億ですね。これは、毎月変わるんで数字がなかなか覚えきれないですけど。言語で言うと、一番の特徴は45ヶ国で展開しておりまして、28言語持っております。そういった情報サイトですので、ホテル、レストラン、アトラクション、いわゆる観光名所ですね、全て旅行に関わるアイテムをコンテンツとして持っております。
実は、この会社に入るまで、トリップアドバイザーの大ファンででして、ずっと海外出張ばかりで使わせていただいているので、是非皆さん、旅行先で活用していただけたらと思ってます。
ありがとうございます。
長谷川:では、槌屋さんお願いいたします。
槌屋詩野氏(以下、槌屋):こんにちは。
株式会社HUB Tokyoの槌屋と申します。私のほうは名字の話は槌屋しかないんですけど(笑)。
1回旧姓新姓ある状態になって、また今に戻ってますので、バツイチということでございます(笑)。
お二人と全然違ってですね、私のほうは、小な会社を経営しております。それまでは、一番最初のキャリアがNGOから始まって、日本でインターナショナルNGOの立ち上げをしたりですとか、その後新規事業を専門とするコンサルタントであったりとか、「何かを立ち上げるというのが大好き」という、そこにアドレナリンを感じる人間で。
3年前に起業しました。それまでは、途上国でいろいろな貧困層向けのソーシャルビジネスを作ることを専門としてですね。インドネシア、インド、それから中国、ガーナ、ケニアという、「ちょっと、何ですか?」という感じなんですけど(笑)。いろんなところで、農村部で仕事をしたりとかしておりました。
長谷川:会社について。
槌屋:私のほうは、会社について全く実績が、お二人のようにないので、ビジョンの話になっちゃうかもしれないんですけど。
私が今やっているHUB Tokyoという会社は、社会起業家たちを支援する会社です。同じ山を登るにしても、1人で登るより2人で登っていく。そういうコミュニティを作っております。
実は、そのHUB Tokyoというのは、「IMPACT HUB Tokyo」というネットワークの中のひとつの東京としてありまして、私たちは他に65都市にある中のひとつとして動いています。
今、世界中のグローバルな社会起業家たちとつながるようなコミュニティをしてまして、65都市、世界で1万人つながる。東京で150人というような形です。
私たちは「社会的インパクト」を創りだす、というのをミッションにいろいろなコラボレーションをつなげていったりとかいうことをしています。
こんな感じでですね、東京にいるコミュニティをちょっとだけお見せしたんですけど、150人くらいいらっしゃいまして。皆さん本当にそれぞれ一人ひとりおもしろい活動をしてます。
男性が結構多いんですけどね。女性もすごく多くて、女性のアマゾネス軍団みたいな人たちがですね、私たちのコミュニティの中にもいて、そういう人たちに私もエンパワーされて、今に至っているような状態です。
長谷川:ありがとうございます。
それでは、今まで皆さんのちょっと触れていない部分として、これまでのキャリア。
起業をすぐされたということで、キャリアアップというのとは少し違うのかもしれないんですけど、これまでのご経験についてお話をしていただきたいと思ってます。では、どうぞ。
神原:本当に、今振り返ると、二十数年を。キャリプランを考えたことが全くないんですね。とにかく、田舎に帰りたくなかったので、どうしたら東京に残ることができるだろうかと。
実家は仕事している人が多いし。父も弟も叔父もみんな社長さんなんで、「とりあえず、社長になったらいいかな」みたいな感じで会社作っちゃったんですけど(笑)。
私が恵まれていたのは、1993年の年末に会社作ったんですけど、日本のインターネットの利用が1994年からなんですね。商用利用がスタートしたのが。その時に、たまたま会社を作ったので、インターネットのホームページを作るという仕事が、すごく新しい仕事だったんです。
他にやっている人がいないので、皆さんスタートライン一緒だったので、「じゃぁ、そこから始めようか」と。古い業界だと、経験のある方とかが多くて、なかなか難しいかなということで。
それで、最初はWebサイトのデザインの会社を立ち上げました。本当にキャリアとか会社を大きくするとか、そういうことを考えていたんじゃなくて、次から次に来る仕事を、ブラック企業の走りですよ。「24時間働けますか?」って言いながら、スタッフと仕事をしていた。そんな感じで、あまり長期のことを考えてやっていたわけではないんですね。
ふと立ち止まったのが、結婚して妊娠した時です。それまで「24時間働けますか」、それがかっこいいぐらいな感じでやってたんですけど、なかなか自分の体が思うように動かない。そうすると、「どのように仕事の仕方を変えるかな」ということで、幸い自分が社長なので、ちょっと仕事のやり方を変えようということで、新しい会社を作って、残業とかがない会社を目指してみようかな、ということで、今のニューズ・ツー・ユーを作ったということです。
キャリアプランを考えたのではなくて、自分の目の前にある環境に適用してここまでやってきた、というふうな感じです。
長谷川:はい、原田さん。
原田:私自身は、割とキャリアというのは、日本に来て大学に入って、最初は働く気は実はなくて、本国にいる父が家業を持ってまして、当然「帰って継ぎなさい」と言われるんじゃないかな、というふうに思っていたんですけれども。
被ってしまいますけど、私も中国に帰りたくなくて(笑)。
父親に「投資した学費を取り戻さないと!」という意味で、日本に無理やり残させてもらって。
青学に入った時に、1年2年で単位とって、3年4年はそんなにゼミが忙しくなくて、当時渋谷を中心にして、IT、ビットバレーという、皆さんご存知ないと思うんですけど、 言葉としては大分古いんですけど(笑)。
たくさんIT企業が出き始めて、そこでインターンをさせていただいて。例えば、GMOさんとかですね、ネットイヤーさんとか。インターンをさせていただいて、本当にそこでITにどっぷりとはまってしまった、というのがきっかけです。
そこから、「ちゃんとIT企業で働こう」と。実は、起業したかったんですね。ある友人のスタートアップに入らせていただいて、増資とかデューデリとか経験させていただいたんですけど、そこでわかったのは、「ここで起業したら、私は失敗するんだ」というふうには思ったんですね。
要するに、実は何もできていない自分が。すごく盲目にITバブルでやっていたら失敗するんだ、というのが改めて怖さを知って、そこから、「キャリアを積もう」というふうに思いました。
キャリアを積んでいこうというのが、「最終的に会社をいつか自分で立ち上げたい」という気持ちはずっと強かったです。
そういった意味では、「社長になるために何が必要なんだ」というところで、「1個1個全部経験していこう」という意味で、私のキャリアを見ていると、セールス、マーケティング、経営企画、最終的に今、会社経営というような形で。
性格的に緻密にプラン立ててやるほうではないんですけれども、「気づいたらキャリアに関して、割と慎重にやってきたのかな」というふうに思ってます。
自分の中でキャリアパスに関しては、2つのポリシーがありまして。
1つは、「3年後に自分がどういうふうになっているか、というのは必ず想像してスタートする」、これがひとつ自分のこだわりです。「3年後、私は何をしているんだ?」というところです。
あともう1つこだわりとしては、「ネガティブ転職、ネガティブ・キャリアパスはしません」要するに、ここで逃げてしまうと、次の会社、あるいは、次のキャリアで同じ問題に直面してしまうので、必ず「全盛期」「自分がやり切った」と思う瞬間に次のキャリアパスに行く。
これが私の2つのこだわりでした。
長谷川:ありがとうございます。
長谷川:では、次に槌谷さん。
槌谷:私もお二人のお話聞きながら、遠く昔を思い浮かべてたんですけど(笑)。
私自体は、キャリアというか、一番最初に大学を出てすぐNGOで働いたので。「そこからのキャリアというのはどこにあるんだろう?」というのは、ほとんど見えない状態で。
当時はNGOというと、怪しいものというようなイメージがあったんですが、最近は本当に社会的な活動する人が表に出るようになったんですけど。15年前以上の話なので、そうすると「怪しい」と。
そこから、当時も「会社に入る」ということよりも、その時に決めていたことがあって、「自分が納得するもの以外は売らない」とか、「自分が好きだと思うものを、サービスであれプロダクトであれ売る」と。
「会社が好きだから」「組織が好きだから」っていうだけじゃなくて、自分が人に提供しているものが、自分が本当に納得できるかどうか、っていうのが常に考えて生きてきたと思います。
その後シンクタンク、コンサルティング・ファームで働くようになったんですけど、その時も、会社の仕事を少しずつ変えてしまって、だんだん自分が売りたいものに全部変えていったという形で。
気がつくと私のチームを持っていて、他の人たちに「よくわからないけれど、あの人は何かを売っている」みたいな状態で(笑)。
それが、海外でのソーシャルビジネスをコラボレーションで作っていくっていう共同事業をするコンサルタントとして動いていました。
その時はベースがロンドンだったんですけど。その後、日本に帰ってきて、起業します。
結局自分が一番したいものを追求していると、だんだん「自分でやんなきゃいけないな」と。自分でやんなきゃいけない時に、何からしていいのかわからなかったんですけど、父が自分で事業を立ち上げた人で、彼に聞いてみたら「お客さんいる?」って言われて。「あ、お客さんいない!」って思って(笑)。
それから、お客さんができるようになるまで、コツコツとシンクタンクで働いていた時もやりました。
今は、「お客さんをどう捕まえるか」とかっていうのは、いろいろ痛い目をみながらわかってきて、そうすると少しずつ自信ができて、起業ができたのかなと思っています。
長谷川:ありがとうございます。
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