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古舘伊知郎×田中泰延「瞬間は準備によってつくられる」『伝えるための準備学』(ひろのぶと株式会社)刊行記念(全8記事)

無口で引っ込み思案な少年がアナウンサーとして活躍するまで 古舘伊知郎氏が“名実況”とともに振り返る、喋りの原点

2024年7月22日、古舘伊知郎氏の新刊『伝えるための準備学』が、ひろのぶと株式会社から刊行されました。刊行を記念したイベントでは田中泰延氏と対談し、古舘式の「準備学」について、そして本には収まり切らなかったエピソードなどを語りました。本記事では、12年間キャスターを務めた『報道ステーション』時代のエピソードなどを振り返ります。

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幼少期は「引っ込み思案で口が重かった」という古舘氏

古舘伊知郎氏(以下、古舘):今、言いながら思い出しましたけど、僕の違和の原点はやっぱりあれですね。これはよくネタにしている本当のことなんですが、「『ママレモン』の黒いシルエット」ですね。……常連さんは笑ってくれまして、ありがとうございます。

知らない人がいるなら言いますが、僕は引っ込み思案で口が重かったんですね。小さい時はぜんぜんしゃべれなくて、家族はみんなおしゃべりで、「自分はぜんぜんしゃべれない人間なんだ」と思い込んで生きていたんです。

小学校低学年、2年生か3年生だったと思うんですが、僕の生まれ育った北区滝野川という東京の下町は戦争中も焼け残っていますので、細い道がいっぱいあるんですよ。裏路地がいっぱいあって、そこが子どもたちの遊び場なんです。夕暮れ時に、近所の友だちとかとっぷりと日が暮れるまで(遊んでいました)。

そこは長屋が軒を連ねていて、奥にも家があって、大きい、小さい、中くらいの家という違いはあっても、みんなぎっしりと家々が並んでいる路地裏。そうしたら6人の友だちが缶蹴りをやって遊んでいるんだけど、僕が遅れてそこに入って。

若い人は缶蹴りという遊びも知らないかもしれないけど、缶詰の缶が空き缶になると、鬼と子ども(という2つの役割で)その缶で缶蹴りをやるんですよ。

缶蹴りをやっている時に、「入れて」って言えないんですよ。「お前なんか後からだからダメだよ」って言われるのが嫌なんですね。引っ込み思案だから「入れて」ってゲームに参加できないからしゃがみ込んで、じーっと見ていたんです。でも、つまらないんですよ。

なぜか記憶に残った「ママレモン」の黒い影

古舘:だんだん薄暮から夜のとばりが下りかけて、暗くなっていく。この裏路地も、なんか幻想的な雰囲気がやってくる。トワイライトタイムだ。缶蹴りに興じている友だちだけを見ているのもつまらないと思っているうちに、しゃがみ込みながら、ふっと上を見上げる。

そうすると目の前に長屋が軒を連ねていて、ガラス窓の……当時はお勝手と言っていましたが、台所とかキッチンの裸電球がポンと灯って、曇りガラスの窓が10センチから20センチぐらい開くんですよ。「なんで開けているのかな?」と思って、そこに違和を感じたんです。

「なんで夕暮れ時になると開くんだろう?」と思ったら、そこで裸電球がついて、お母さん方がゆうげの支度に入り始めた。そこで湯気が出ますよね。だから(窓を開けて)湯気を逃がしているんです。(目の前にいると)湯気が立ち上って流れてくるのを感じるわけですよ。

そうしたら、裸電球が灯って逆光みたいになっていて、お勝手ですから流しがあって、蛇口があって、その外側の裏路地に向かうかたちで、へばりつかせるようにベタっとママレモンが置いてあったんですよ。それも私は、しゃがみ込んで子どもとして見ているわけですよ。

逆光になっているので、こんなふうにウエストがくびれているママレモンが、黄色いパッケージのはずなのに外側から見ると真っ黒いシルエットになっているんです。(当時は)シルエットという言葉も知らないので、「影みたいになっている」と思って。

「ママレモンが真っ黒い影って何なんだろう?」と思っているうちに、完全にとっぷりと日が暮れて。「ご飯だよ」なんていう声とともに、三々五々、子どもたちが消えていく。私も消えていく1人で、缶蹴りに1秒も参加しないでうちに帰ったんですよ。

でも、ずっと頭の中に黒いママレモンがいるわけですね。その時、なんか違和があったんです。自分の引っ込み思案の情けなさとともに、不思議と(その光景を)インプットしたんですね。

リング上のアントニオ猪木氏を見て「ママレモンだ!」と叫んだ

古舘:それからどれだけの時間が流れたでしょうか。24歳か25歳ぐらいだったと思います。

「アントニオ猪木、ゆっくりと入場してまいりました。今、エプロンサイドをトントンっと駆け上がって、エプロンからリング内を窺いました。テレビライトに照らされて、パーンと闘魂ガウンを脱ぎ去りまして、首元に深紅の闘魂タオルが。おーっと、アントニオ猪木の上半身、筋骨隆々の鍛えられた105キロのこの体がテレビライトに照らされまして、完全にシルエットになっています。私が北区滝野川の下町で眺めていたママレモンのシルエットだ!」と。

(会場拍手)

古舘:これは完全に、悪く言えばとち狂っています。よく言えばゾーンに入っていました。自分で何を言っているんだろう? と思いました。

(会場笑)

古舘:口をついて「ママレモンだ!」って叫んでいるんですから。それで次の日は、鹿児島か何かの中継だったと思う。帰ったらアナウンス部長と副部長に呼ばれましてね。あの当時はまだ週休2日じゃないから、土曜日もみんな会社にいるんですよ。「お前、ちょっと来い」って呼ばれて、「はい、何でしょうか?」「なんで猪木の体がママレモンなんだ!」と。

(会場笑)

古舘:「いや、猪木さんも喜んでくれているんじゃないかと思います」「喜んでいる、喜んでないじゃないんだ。ママレモンとか言うんじゃない。人間なんだ」と言われた時に、「やっぱり俺、頭おかしいのかな?」と思って、若干反省したんですよ。

そうしたら、アナウンサーの先輩とかは10人のうち9人が冷たいんですよ。「お前、馬鹿じゃないの?」とか。廊下ですれ違ったディレクターにも「おい。お前、何年目だっけ?」「あっ、3年目です」「お前、なんか変なことしたな。馬鹿じゃないの?」と(言われて)。

マイノリティを打たないとマジョリティは取れない

古舘:当時はまだ、テレビ局やアナウンサーに対して民主化がないんですよ。ぜんぜん民主化されていない、軍事政権みたいなもんですから。

(会場笑)

古舘:先輩(の言葉に)は、必ず「馬鹿野郎」がつくんですね。「お前、馬鹿じゃないの。ママレモンとか言って、馬鹿野郎」と、馬鹿野郎から始まって馬鹿野郎で終わるんですね。10人のうち9人にそうやって言われた。

今でも覚えているのは、これもまた「違和」の1つですが、制作でバラエティか何かを作っている6つぐらい上のチーフディレクターぐらいの人がいるんですよ。よく知らないけど、その人は変人なんです。

「お前、なんかおもしろいこと言っていたな。あぁ、ママレモンっつったな。おもしろい!」「えっ、どうしておもしろいんですか? みんなに怒られているんですが、なんでママレモンがおもしろいんですか? 猪木の体がママレモンって何なんですか?」「いや、俺はそんなことは知らないよ。どうだっていいの。おもしろいっちゃおもしろいんだよ」って。

(会場笑)

古舘:「フィーリング」って……今はもう流行らないですね。ちょっと死語みたいになっていますが、あの当時「フィーリングだよ、馬鹿野郎。お前、おもしろいよ馬鹿野郎」と言って消えていったんですよ。その人は問題を起こしてすぐ辞めました。

(会場笑)

古舘:やっぱり変わっているから。でも、僕にとってみたら神さまが舞い降りたんですね。だって、なんだかわからないけど、「フィーリングでおもしろい」って、まさにフィーリングで言っているわけですよ。そこに理屈なんかないんですよ。猪木はママレモンじゃないんだから。ねっ?

(会場笑)

古舘:だけど、俺の中で重なったものはしょうがない。だから、10人のうち1人のマイノリティを打たないと、マジョリティは取れませんよ。僕はその時に(感覚を)ガッと培ったんですね。その人はいなくなりましたけれども……。

(会場笑)

「褒めてくれる人が1人でもいると、人間はすがりますね」

古舘:ああいうふうに、訳わからなく褒めてくれる人が1人でもいると、人間はすがりますね。いいんですよ、全員になんか評価されなくても。そうやって生きてきました。

田中泰延氏(以下、田中):これは、その人の古舘さん「だけ」の記憶でしょう? それがある時ガッと表へ出てきて、全員じゃなくて誰かの心を打つ作用(をもたらす)。これを人間社会では「文学」って言うんですよね。

古舘:本当ですよね。

(会場拍手)

田中:いや、もうこれは文学だと思いますよ。

古舘:本当ですよね。

田中:ママレモンの話は(情景が)浮かびますよね。衝撃的な(笑)。

古舘:その時、もう自分が嫌でしょうがなかったわけですよ。「缶蹴りに入れてくれ」って申し出ることができない自分が、情けなくてしょうがなかった。ただそこでうずくまっていて、その時にママレモンというアイコンにすがったような気もするんです。「黒いママレモンがあったらおもしろい」とか思っちゃっているわけですよ。

「もしかしたら違う物体なんじゃないか?」とかも思って、そこに楽しみを見いだした。さっき言ったように、準備している途中でつまらなくなってくると、それがリバウンドするという状態もあったと思うんですよね。だから(ママレモンの光景が)脳内に入っていたから猪木さんと重なっちゃったっていう。そういうの、楽しいですよ。

『報道ステーション』のキャスターを務めた12年間

田中:段取りがいろいろとあってすみません。そして、『報道ステーション』の12年間。(スライドを映しながら)まさにこうやって……。

古舘:小川彩佳と写っていますね。今、俺はこの人に嫌われていますよ。

(会場笑)

古舘:僕があることないことを言うもんだからね。

田中:そして僕が印象に残ったのが、ドイツに行かれた時の憲法の話ですよね。

古舘:ワイマール憲法の話ね。これ、もう辞める寸前ですね。

田中:これはもう本当に、あの……。

古舘:やっぱり、憲法に緊急事態条項が入る可能性がありますのでね。ドイツにおいてはワイマール憲法の中に緊急事態条項を入れたがゆえに、ナチスドイツはそれを利用して議会を完全に無視して、すごいことをやりましたから。そういう意味では、保守的なところからはずいぶんお叱りを受けましたけどね。

これも準備とあんまり関係ないんですが、これは評判が良かったんですよ。「辞める前に有終の美を飾っておきたい」とか言って、スタッフと一緒に勇躍、ドイツに飛びまして、本当に短いスケジュールの中でソーセージを食いながらがんばったんですよ。

(会場笑)

古舘:ポーランドまでは行けなかったけど、多くのユダヤ人をここで捕らえて虐殺したというアウシュビッツ、寒々しい、本当につらい現場にも行きました。いろいろやって帰ってきて、『報ステ』を辞めましたよね。

『報ステ』がギャラクシー賞を受賞するも……

古舘:そうしたらこれが評判が良くて、ギャラクシー賞を取ったんですよ。チーフディレクターと当時の『報ステ』のプロデューサーから電話がかかってきまして、「古舘さん、ギャラクシー賞(を取りました)」と。いろんなあまたの賞があるんですが、トップですよ。『報ステ』の中の、このワイマール憲法特集が賞を取ったんですよ。

「古舘さん、授賞式はどこどこのホテルのコンコードボールルームでやる。古舘さんがギャラクシー賞の授賞式を受けてください」と。俺は電話口で男らしかったです。こう見えてもかっこいいですよ。「俺、行かない」って。

「なんで来ないんですか?」「俺はもう『報道ステーション』を12年やらせてもらって上がったんだよ。俺のわがままもあって上がったんだよ。辞めてしまった人間が、なんで受賞なんかできるんだ」と。

「今いるプロデューサーなのか、今キャスターをやっている富川(悠太)なのか、今『報ステ』を支えてがんばっている人たちが行って、そこで授賞式で栄えある賞をもらうことが一番筋である。俺1人で(賞を)もらったんじゃない。俺1人でワイマール行ったんじゃねぇもん。みんながやってくれたんだもん」って言いきったんですよ。いいこと言うなと思った。

(会場笑)

古舘:当然向こうが、「いやいや、そうは言うものの……」って言うと思ったら、「わかりました」って電話が切れた。

(会場笑)

古舘:冗談じゃないですよ。あり得ないですよね。一度拒否して「そうですか。それならば……」と言って重い腰を上げようと思ったら、この段取りがなくなったんですよ。「そうですか。そう言うならわかりました」って、報道の人間は意外につれないのよ。それで行けなくなっちゃったっていう。自意識過剰で馬鹿だから、そういう肩透かしがけっこう多いんです。

テレビ朝日に退職届を出し、引き止められると思いきや

古舘:テレビ朝日を辞める時もそうですよ。プロレスの実況で売れているから、アナウンス部長に辞表願なんかを出したって、絶対に「保留だ」って(なると思っていた)。

(辞表願を)留め置くって、よくあるじゃないですか。引き出しか何かに入れて、「もうちょっと考えようや」みたいに言われると思ったから。

「辞表願」と書いたのを書き直して「退職届」に変えて、しっかりともう辞めると決意を固めて、お世話になっている人と事務所を起こすんだと決めていましたから、「退職届」って墨で書いて。(ちゃんと自分で)墨を磨ったから。

田中:磨って(笑)。

古舘:筆ペンじゃダメだと思って、墨を磨って、書道家でもないのにちゃんと書いて持っていきましたよ。

アナウンス部長に「部長。突然で恐縮なんですが、ちょっと思い断ち難く、会社を退職させてもらってフリーでがんばっていきたいと思っております」「えっ?」「退職届でございます」「えっ、本当か? お前、フリーになったら大変だぞ」って、本当にそこはイメージどおり(デスクの上から)3番目の引き出しを開けるんですよ。

(会場笑)

古舘:ポンと置いて、「わかった」って言ったんですよ。

田中:「わかった」?

古舘:「大変だぞ」って。

(会場笑)

古舘:それで終わり。ぜんぜん歯牙にもかけていない。「あっ、そういうもんなんだな」と思ったんですよ。

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