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宮崎駿監督から学んだ「想像力を信じること」の大切さ(全2記事)

父は大学教授、だけど大学進学せず世界を放浪した理由 石井朋彦氏が明かす、スタジオジブリに入社するまでの道のり

経営者、事業責任者、マーケターからPRパーソン、デザイナーまで、業界業種を問わず、企画職の誰もが頭を悩ます「ブランディング」をテーマに、じっくり向き合う音声番組『本音茶会じっくりブランディング学』。今回のゲストは、スタジオジブリ作品『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』などのプロデューサーを務めた、アニメーション映画プロデューサーの石井朋彦氏。第一部の前半となる本記事では、石井氏がスタジオジブリ入社に至った経緯などを語ります。 ■音声コンテンツはこちら

『千と千尋の神隠し』などのプロデューサーを務めた石井朋彦氏

工藤拓真氏(以下、工藤):ブランディングディレクターの工藤拓真です。今日のゲストは、アニメーション映画プロデューサーの石井朋彦さんです。石井さん、ありがとうございます。

石井朋彦氏(以下、石井):こちらこそ、ありがとうございます。

工藤:はるばる渋谷まで、ようこそお越しいただきました。

石井:いやいや。もう、一番楽しみにしていた収録なので(笑)。

工藤:(笑)。ありがとうございます。

石井:ざっくばらんにお話ししたいと思います。

工藤:お願いします。まずは石井さんが何者かというところなんですが、石井さんを検索すると、逆にちょっとわかりにくくなっちゃうかなと思って(笑)。

石井:多動児が現れてますよね(笑)。

工藤:「石井朋彦」といっても、名前が一緒でぜんぜん違う人がいるじゃないですか。

石井:はい。レストランの方で1人いると(笑)。

工藤:そういう感じかなっていうぐらい(笑)。「写真を撮る人ですか?」「プロデューサーの人ですか?」「物書きの方ですか?」とか。たぶんリスナーのみなさんも、調べても「今、誰としゃべってるか」が迷子になっちゃうかなと思うので、ちょっとご紹介させていただければと思います。

写真だったり、物書きだったり、プロデューサーだったりというのが、実は今、僕の目の前にいる石井さんと同一人物です。たぶん、そうだと思うんですが(笑)。

石井:だと思います(笑)。

工藤:1999年にスタジオジブリに入社されて、そこから『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』のプロデューサーを務められたのちに、ジブリからご卒業されました。この間にアニメーション作品だけじゃなくて、いろんなものを(製作)されていたと。

石井:そうですね。押井守監督のアニメーションを作ったり、それこそ岩井俊二監督の実写作品を作ったりとか。プロデューサーは企画・制作・宣伝・マーケティングと全部をやる仕事なので、広告も含めて、基本は映像にまつわることをいろいろやらせていただいた感じですね。

石井氏の著書『自分を捨てる仕事術』が新装版として発売

工藤:それこそ、なんで僕が石井さんを存じ上げたかと言うと、たまたま2週間ぐらいでまったく違うルートの2本にどっちもリーチしたという感じなんです。

石井:おぉ、そうですか。

工藤:1個は写真とか。この番組、ハービー(・山口)さんにも出ていただいたんです。

石井:いやぁ。ハービーさんの回、おもしろかったですね。

工藤:ありがとうございます(笑)。

石井:なんか幸せになる回でしたね。

工藤:本当ですよ。ハービーさん、最後はちょうどそこでめちゃくちゃ涙ぐんで。

石井:どちらが?

工藤:ご自身が。それで、僕もプロデューサーも。

石井:そういう感じだったんですね。

工藤:そうなんです。もらっちゃって、ちょっと進行に苦しみながら。最後はずっとぽろりぽろりと泣かれながらで。

石井:写真界、特にライカ使いの中ではもう神さまですもんね。

工藤:本当ですよね。それでハービーさんにお会いしてから「ちょっと興味があるやも」ということで、急速にカメラとかをいろいろ見ていくうちに、カメラ周りの情報を調べるとチラチラと「あれ、石井さん?」「……誰だ?」っていう(笑)。

石井:(笑)。

工藤:それこそYouTubeチャンネルでもお見かけするし、雑誌でもお見かけするし。「へぇー。ジブリのプロデューサーさんなんだ」とか思ってたら、すっごく良い本(『自分を捨てる仕事術』)があるぞと。

石井:そっちが後だったんですね!

工藤:そうなんです。これはこれで、別にそこからっていうわけじゃないんです。何でリーチしたのかな……たまたま本屋で見たのかもしれない。

石井:だいぶ前に出した本を、出版社の方のご厚意で新装版にさせていただいたんですよね。それで、最近また書店に並ぶようになったってことですかね。

業界問わず、広い人脈を持つ石井氏との出会い

工藤:『自分を捨てる仕事術』という本なんですが、これを読んで。目の前にいるから忖度してるとかではなく、証明なんですが、僕はちゃんとX(Twitter)でつぶやいているので。石井さんを目の前にするからではなく、「これはとんでもない本だな」と思って。なんでもうちょっと早く出会えなかったんでしょうか? と思い至り。

石井:それはうれしいですね。

工藤:この人の話をめちゃくちゃ聞きたいなということで、僕がVoicyさんに「この本、めっちゃ良いですよ」っていろんな人に言い回って(笑)。それで今日はお呼びいたしました。

石井:そうなんですね。しかも、工藤さんがツイートしてくださったことをお二方から間接的に聞いて。「あぁ、うれしいな」って。

工藤:そうなんですよ。これまた「石井さん、何者?」となったのが、だいたいそうやってつぶやくと、ご本人から反応をいただくこともあるんですが、そうじゃなくて。僕の深い知り合いのある会社の社長と、ある先輩のクリエイティブディレクターから急に「石井さん、紹介しようか?」って。

石井:僕、そのクリエイティブディレクターの方からうかがったわけです。

工藤:そうです。だから「あれ?」って。しかも2人はジャンルが違うんですよ。だから、ぜんぜん違う場所の2人から一斉に「石井さん、おもしろい人ですよ。紹介しますよ」みたいに来て。

石井:それはうれしいですね。

工藤:「えぇ?」って。ますますもって、石井さんはいったいどこに根を張ってるんだ? と(笑)。

石井:(笑)。

工藤:「この人、いろんなつながりがあるな」となって(笑)。ハービーさんとお話をしてる中でも「じゃあ一度お会いに」とか言って、この前はハービーさんのご自宅でも。

石井:あれは工藤さんに作っていただいたご縁ですね。ハービーさんのご自宅でお食事しながら写真のお話を聞くという、もう夢のような時間を過ごさせていただいて、ありがとうございました。

直近では『君たちはどう生きるか』のプロデューサーを担当

工藤:なので、プロデューサーの石井さんというところがありつつ、直近で言うと『君たちはどう生きるか』でもプロデューサーをされていて。それをまとめたような書籍(の出版)だったり、あるいは米津玄師さんのあれは……?

石井:あれはCDに特典としてついてきた写真集ですね。

工藤:特典なんですね。そういうのも撮られていらっしゃると。

石井:はい、そうです(笑)。客観的に聞くと「何やってるんだよ」って感じですが。

工藤:(笑)。「何だ?」というところなんですが、今日はいろんな文脈でお話をうかがいたいです。

この番組は(テーマが)マーケティングやブランディングというところで、商品を作られていたり、ものづくりに関わったりしてるような方々がいらっしゃいます。一番おうかがいしたいのは、アニメーションという中でいろいろとご経験されてることだったり、ものづくりについてもお聞きしたいと思います。

一方で、ご自身で写真や文章という作品とかを作られていて、いろんな立場から見るものづくりのあり方って、ぜんぜん違って見えたりもするのかな? というところもありまして。僕の今日の一番の使命は、この『自分を捨てる仕事術』をできるだけ多くの人にちゃんと手に取ってほしいというのは、思っているところです。

石井:それはうれしいですね。

工藤:なので、この話もさせていただいたりしながら。

石井:ぜひ。もう、なんでもお話しさせていただければと思います。よろしくお願いします。やはりものを作ることに興味があるので、そんなお話ができれば一番いいですね。

工藤:ぜひお願いします。

父親は大学教授、だけど大学進学をしなかった理由

工藤:さっそくなんですが、1999年にスタジオジブリに入社されているというところです。当然、書籍にもお書きにはなってるんですが、そこに至るまではいったい何者だったのか。だってジブリって、日本で暮らしてる人であれば多くの人は知っています。

石井:『もののけ姫』の後ですから、当時はそうでも(なかった)。宮崎(駿)さんの名前がバーンと世の中に知れて、それを作ってるのがスタジオジブリである、ぐらいな時期なんですよね。

工藤:「そんな求人あるんだ」とか、素朴にそういう感じなんですけど(笑)。

石井:ありました。

工藤:「ジブリに行くぞ!」ということで勤められたんですか?

石井:僕はもともと実写の現場の助監督をやりながら、お金を稼いではバックパッカーをやっていたんですよ。

工藤:えっ、そうなんですか?

石井:そう。高校を卒業して、親父が「大学に行くな」という大学教授だったので……。

工藤:(笑)。すごいですね。

石井:モラトリアム期間をもらえなかったわけですよね。

工藤:なるほど、そうか。「大学なんか行っても単なるモラトリアムでしょ」と。

石井:そういうふうに。あとは就職氷河期だったから、4年でも早く世に出たほうがいいだろうという、たぶん大学教授なりの先読みがあったんでしょうけど。今思えば「親父、なかなか先を見通してたな」と思います。

高校を卒業した翌日に上海へ飛び立つ

石井:とはいえ、そんなにやることもないし困るわけですよ。それでとりあえず本屋に行くと『地球の歩き方』という本があって。最近また再ブレイクしたんですが、当時は海外に行くとしたら『地球の歩き方』しかなかった。

それを頭からずっと見ていったら、シルクロードというものがあったんですね。「シルクロードってかっこいいな」と思って、それを買って帰って。読み始めて、まずは「シルクロードって中国にあるんだ」というぐらいですよね。それで高校を卒業した翌日には、もうリュックを背負って上海に渡って。

工藤:え(笑)?

石井:そこから陸路で新疆ウイグル自治区という所をずっと旅したのが、18歳ぐらいですかね。

工藤:そうなんですか。じゃあ、高校を卒業して速攻(バックパッカーを)やって。でも、その時点では「こういう仕事をするぞ」とかを決めてらっしゃったわけじゃなくて。

石井:なんとなく新聞記者になりたいなと思ってました。ものを書いて、それを人に伝える仕事をしたいなと思っていたので。

工藤:なるほど、そうか。じゃあ、「物書きをしたい」というところから、スタジオジブリに入られて、プロデューサーというのもあって、今はいろんなお仕事をされてるんですかね。

石井:どうなんですかね。あとでお話しするかもしれないですが、沢木耕太郎さんの『深夜特急』とか、藤原新也さんの『印度放浪』とか、親父がそういう本が大好きな世代なので。

旅をして文章を書いて、それを人に読んでもらうってかっこいいじゃないですか。僕もそんな人生を送りたいなと思いながら旅をしているうちに……バックパッカーって、ずるずると旅が長くなるんですよ。

工藤:そうなんですか(笑)。

石井:インドへ行ったり、パキスタンへ行ったり、一番長かった旅が約1年ぐらい。中米・南米・アフリカ・中東・イラン・インド・東南アジアと、陸路で世界1周しようと思って。

工藤:狂ってますね(笑)。

石井:でも、当時は円高だし(1ドル)80円ぐらいですか。だから旅もしやすかったですね。

旅先のアフリカで“たまたま同じ部屋になった人物”とは

石井:インターネットもスマホもない時代だから、向こうに行ったらむしろ情報は自分で稼ぐというか、ちょっと『ドラゴンクエスト』みたいな。

工藤:リアル『ドラゴンクエスト』(笑)。

石井:そうそう。街に行って情報を集めて、宿屋に泊まって、みたいな。そんな旅なんですよね。

工藤:じゃあ、10代、20代とまたぎでその旅を。

石井:そうです。10代のうちですかね。それで、アフリカでたまたま同じ部屋になったのが実写の映画監督さんだったんですよね。丹下紘希さんという、Mr.Childrenや浜崎あゆみさんとかのミュージックPVで有名な、本当に今の日本のミュージックPVの基礎を作ってきた方なんです。

その人と出会って、生まれて初めてものを作る人に出会ったわけですよね。かっこいいわけですよ。ルクソールのアブ・シンベルの前で「写真を撮ってください」ってカメラを渡したら、「いや、これじゃ撮れねぇな」とか言うわけですよ(笑)。

工藤:もの作ってる人はやっぱ違うなと(笑)。

石井:そう、もうガーンときちゃって。それで、「旅が終わったらうちに来いよ」と言われて。そこから半年ぐらい旅して、東南アジアから帰ってきて。当然やることがないですから、その時の約束を信じて丹下さんのご自宅のドアを叩くわけですね。そうしたら「本当に来たんだ」という話になって(笑)。

工藤:(笑)。

石井:もうその翌週から、ミュージックPVの大道具の現場に送り込まれて。

工藤:そうなんだ。じゃあ、そこからMVを作るお仕事が始まって。

石井:そうですね。当時、ミュージックPVはけっこう景気がいい時代でした。

工藤:1990年代。

石井:(1990年代)後半なので、まさに小室哲哉さんとか。

工藤:ガンガン海外ロケ当たり前の時代ですね。

石井:一番レコード業界が潤ってた時期だったから、今のYouTubeみたいに、かなり映像の可能性が(高かった)。「ミュージックPVのほうに何かあるんじゃないか」みたいな時代だったんですよね。その現場で働いていて。

1999年、中途採用でスタジオジブリへ入社

石井:ただ、丹下さんは才能が本当にある方なので、文化庁の海外派遣芸術家というものに選ばれてニューヨークに行っちゃったんですよ。それで僕は「仕事する場がなくなっちゃうな」と。その時にちょうど高畑勲監督の『となりの山田くん』の制作中で、ジブリが中途採用を募集をしていて。それに応募して入社したのが1999年ですかね。

工藤:おもしろい。そうなんですね。もともと「新聞記者かな? 物書きかな?」と思っていた青年が、映像監督と出会ってからのジブリなんですね。

石井:そうです。もう、たまたまです。

工藤:「アニメ大好き!」とかじゃないんですね。おもしろい。

石井:うん。ぜんぜんアニメ大好きじゃなかったですね。(世界を旅していて)1年いなかったわけですから、旅から帰ってきたら友だちが「お前がいない間に見ておくべきアニメが2つある」と。

工藤:(笑)。

石井:1つは「映画館で『もののけ姫』ってのやってるから見てこい」と。もう1つは、VHSで『エヴァンゲリオン』のテレビシリーズを撮っていてくれて、紙袋にまるまる入れて「これ見ろ」と。

工藤:そうかそうか。その時代だ。

石井:そうそう。それで見たらおもしろかったんですよね。特に『もののけ姫』なんかは、当時映画館ってまだ並んでいて、僕が行った時ですらまだ行列ができていたので。

工藤:封切りからだいぶ経ってるのに。

石井:そう、すごいハリウッド映画みたいなことが(起きていた)。「日本は、これからアニメがハリウッド映画になるんだな」って思ったんですよね。

工藤:なるほど。

多種多様な人が働く、スタジオジブリという場所

石井:今は信じられないですが、当時の日本映画って、どちらかというと洋画8割、邦画2割ぐらいの時代ですから。それで、実は宮崎さんという人が『アルプスの少女ハイジ』や『カリオストロの城』を作ったということが後からわかって。そこで入社したっていう感じですね。

工藤:なるほど。そういう経歴の中でジブリと出会って、鈴木敏夫さんのもとで働かれていったというところなんですね。

石井:そうですね。

工藤:ありがとうございます。これでみなさんも、石井さんという像がなんとなくつかめてきたかもしれません。

石井:「なんでジブリに入れたんですか?」ってみなさん言うんですが、当時はそんなにみんなが知っていたわけではないし、高卒のプー太郎も受け入れてくれる会社だったわけです。

でも、今もそうですよね。別にジブリは今も新卒を採らない。基本的にジブリに入る人たちって、アニメーションスタッフ以外は、たぶん8~9割がそれまで関係していて、いろんな縁で入ってくる人が多いから。

そういう意味ではスタジオジブリというのは、大きな会社で、新卒が憧れて目指す会社というよりは、宮崎さんが作品を作るための場所であるということは変わらないと思いますけどね。

工藤:おもしろい。当然、手に職の技術のアニメーターの方々はいらっしゃるものの、ぜんぜん違う血やぜんぜん違う景色を持ってる人たちが、ごちゃっといる。

石井:まさにそうじゃないですかね。アニメーションスタッフも多くがフリーランスですしね。

工藤:おもしろい、ありがとうございます。「アニメオタクの人がアニメーションプロデューサーになったのではないのが石井さん」というところまで、聞いてるみなさんもご理解いただけたかなと思います。

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