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塩沼亮潤大阿闍梨から学ぶ「逆境に負けない、レジリエンスを高める生き方」(全3記事)

1,000日間の厳しい修行も、心が折れそうな日は1日もなかった 塩沼亮潤氏が説く、人生の“つらい瞬間”を乗り越えるヒント

グロービス経営大学院が主催した「あすか会議2022」。本記事では、1,300年の歴史で成功者はたった2人、死と隣り合せと言われる「大峯千日回峰行」を達成した塩沼亮潤大阿闍梨から、逆境に負けないレジリエンスを高める生き方を学びます。聞き手は、 銀行員や経営コンサルタントを経て本願寺の代表役員執行長に就任した、安永雄彦氏が務めます。命がけの修行を成し遂げた塩沼亮潤大阿闍梨が、人生の“つらい瞬間”を乗り越えるためのヒントを説きました。

最難関の「大峯千日回峰行」に挑んだ理由

安永雄彦氏(以下、安永):この世で達成できないような野心を持って、わくわくして仏道に励んで、日常生活を送っている。そのエネルギーの源はどこから来るんですか?

塩沼亮潤氏(以下、塩沼):普通、この千日回峰行をやりたいと思いませんよね。

安永:(笑)。絶対に思わないですよね。

塩沼:いい話ではないんですが、テレビを見ていて「かっこいいな」と思ったきっかけがあったんです。

小学校5年生ぐらいの時に、母ちゃんとばあちゃんが夜テレビを見ていて。それを後ろで見ていたら、比叡山延暦寺の行者さんが編み笠をかぶって黙々と山を歩いていて「かっこいい〜。これやりたい」と思ったんですよね。

つい先日、歌手のスガシカオさんと対談した時に「僕、同じテレビを見てたよ」と言われました。

安永:同じテレビを見た!

塩沼:「でも、やりたいと思わなかった! ミュージシャンになっちゃった」とおっしゃっていました。

安永:(笑)。

塩沼:……というぐらい、普通は行をやりたいと思わないと思うんですよね。だけど私は「やりたい」と思ってしまった。さかのぼっていくと、そこが私の源流です。

修行中は「調子が悪い」か「最悪か」の二択

塩沼:今はもう54歳になったので、そう説明してもみなさんが「そうなんだ」と思ってくれるんです。まだ30代の頃に「それがきっかけです」と言ったら、しつこい記者さんがいて。「いや、塩沼さん。それではドラマがないんですよねぇ」「(本当はもっときっかけが)何かあったんでしょう?」と言われて。

安永:(笑)。

塩沼:「いや。絶対にあるはずだ」と相手は言うんですが、「いやぁ……何もないんですよね」と。ただ、家が貧乏だったからいろんな人に助けていただいたので、「今度は恩返しをしないといけないな」という気持ちに変わっていきました。

10代の後半に「お山に行くぞ」という頃は、「千日回峰行はやって当たり前」ぐらいのマインドになっていましたね。絶対にやって当たり前、やり遂げているというイメージしかなかったんです。

安永:なるほどね。

塩沼:当然、毎日がすごくストレスの……。

安永:葛藤ですね。

塩沼:「調子の良い日と悪い日があるんですか?」と聞かれますが、48キロメートルを4ヶ月毎日行くから、調子が悪いか最悪かのどちらかです。

安永:悪いか最悪かのどちらか、ですか(笑)。

塩沼:はい、どちらかです。年間で、調子のいい日は1日か2日あるかないか。0の日もありますね。それくらい厳しさの連続ですが、心が折れそうになる日は1日もなかったですね。

小僧生活で身についた「努力をする癖」

塩沼:初日に、白丸と黒丸で毎日日記をつけていこうと思って。「嫌だなぁ」「行きたくないなぁ」と「千日やると決めたから、しょうがないから行く」というマインドでただ山を歩いてきた日は、黒丸をつけると決めたんですよね。そうしたら、白丸が何個だったと思います?

安永:半分ぐらいですかね。

塩沼:999日目、999日が白丸だったんですよ。その理由があります。19歳で入山した次の日、どこかに移動する時だったんでしょうね。わーっと先輩が急に後ろから走ってきて「新しく入った子は君か」と。

「はい。塩沼亮潤と申します。どうぞよろしくお願いします」と言ったら、「亮潤くんな、坊さんは毎朝毎夕お勤めするやろ。勤行。過去最高のお勤めをせなあかんねん」と言って、すっと立ち去ってしまったんですよ。

単純だから、毎日渾身の力を振り絞って、誰よりも大きい声を出して、集中して修行をしていたんですよ。小僧生活を4年間やってたら、それが身についてしまったんですよね。「怠け癖」ってあるけど、私の場合は「努力をする癖」がついてしまったんです。

同じことを同じように繰り返して、手を抜かずにやっていると、新しい気づきが必ずあるんです。これはスポーツ選手も同じことを言っていますよね。わくわくした楽しい1,000日でした。

安永:なるほどね。そうやって一歩一歩渾身の力を込めて、全身で全力で積み重ねていくことによって突き抜けていかれた。そして、それが自信となったということでしょうか。

塩沼:はい。

日常生活や人間関係も、ある意味“厳しい修行”

塩沼:あと、もう1つありますね。(千日回峰行は)1回しかできないですよね。

安永:1回しかできない。何回もできないですよね。

塩沼:厳しい修行は体に相当負荷をかけるので、一度しかできない。1,000日のうちで黒星が1個でもあったら、もう塗り替えられないと思ったんですよ。人生の檜舞台、大一番の時に、自分に自信が持てなくなるのではないかと思ったんです。

1,000日全部を白星で飾ったら、揺るぎない自信と将来の自分がリンクするのではないかなと思ったんです。大学もそうですよね。すごく難しい大学に入っても、ただ大学に4年間行ったのと、毎日精一杯研究して論文を書きながら生活をしたのでは、違いますもんね。

安永:そうですよね。

塩沼:その後の人生に必ずつながっていく。

安永:そういうお話を聞くと、私たちの日常やみなさんが働いている毎日の生活にも、塩沼さんの生き方はすごく普遍的に適用可能な気がしてきますよね。

千日回峰行という厳しい修行をされた偉いお坊さんだから、それに比べると「俺はちょっと無理かも」と思うのではなくて、我々の日常生活における人間関係や仕事も、ある意味“厳しい修行”なのかもしれない。

「人生」とは、毎日を一生懸命生きることに尽きる

安永:現代の学生……学生と言ってもみなさんは社会人ですが、塩沼さんから「こう考えたらいいのではないですか?」みたいなことがあれば教えてください。

塩沼:毎日精一杯。仏教者は「精一杯」という言葉を使うんですが、みなさんにわかりやすく言うと、毎日一生懸命生きる。

お坊さん生活を35年やってきて、もうすぐ55歳になりますが、今の時点で「人生とは何か」といったら、そんなことを考えないで毎日一生懸命生きること。ただそれだけかなと思いますね。

とはいえ「一生懸命生きられないでしょ」とお思いになる方もいると思うので、もっと具体的に言いましょうか。

安永:そうですね。

塩沼:「人生をなぜ生きる」とか「何のために生きる」というテーマの本が出ていますが、毎日朝起きて、明るい気持ちを持って一生懸命生きることだよなと思います。毎日楽しいし、その心境はもうぶれないんですよね。

歌手・小林幸子氏の言葉で気づいた、人生の極め方

塩沼:そういう心境をうまく言語化してくれたのが、演歌歌手の小林幸子さん。ご存知ですか? 芸能生活59年、紅白出場33回。

私、どこに行ってもしばらく前から緊張しないんですよね。何万人の前でも、どんな状況に置かれても、どんな人と会っても緊張しなかったんですが、(小林さんに会う時は)久しぶりに緊張しました。首の下から太もも、膝ぐらいまで汗びっしょりになって。

「歌って『上手に歌おう』と思った瞬間に、パーンと足元をすくわれてしまって伝わらないのよ。ただ一生懸命歌う。それだけなのよね」と小林さんが言われた時に、お話をしながら自分が今思っていることとリンクしたんです。

「歌詞と歌詞の間、3秒と5秒の合間があるでしょ。そこに神経を集中して、ちょっとでも気を抜いたら曲が伝わらないのよね」とおっしゃった時に、「歌手で極められた方も、私たちの人生の極め方も全部一緒なんだな」と思って。

だからみなさんも、ただ朝起きて精一杯生きて、嫌なことがあっても明るい気持ちで生きているうちに、何か変わってくると思うんですよね。

ネガティブな感情をコントロールする方法

塩沼:どうしても人間はマイナスのほうに引っ張られますから、人間の感情をコントロールできるのは強い意志しかありません。この意志で、嫌でも感謝に持っていく。これしかないんですよね。

安永:なるほどね。小林幸子さんのお話はすごく「あー、そうだな」と共感を生むんですが、そう気づくまでにはけっこう時間かかるじゃないですか。

働いてる人も「私、一生懸命やってます」「私がこんなに一生懸命やっているのに理解してくれないんです。上司が反対するんです。意地悪する人がいっぱいいるんです」と思っている人がいるかもしれません。

でも、そういう人にとってみると、今の小林幸子さんの話は「どこか違う世界の話よね」というふうに思いますよね。そこをつなぐ考え方は何かないですか?

塩沼:つなぐ。

安永:うん。「こうやったらそのレベルに行けますよ」みたいな。

塩沼:しつこくやり続けるしかないですね。

安永:なるほど、しつこくやり続ける。しつこくやり続けるためには、やはりそれなりの志がないといけない。

心の“つっかえ棒”となる、良き理解者を持つ

安永:グロービス経営大学院は創造と変革の志士を育てる学校で、特に「志」を重視しています。そういった意味で、塩沼さんが持たれたような大志を若い人たちも持てるようになるためには、「こう考えたらいいのではないですか?」というものはありますか?

塩沼:でもね、こんな私でもやはり弱いと思うんですよ。

安永:ええ?(笑)。

塩沼:だって、自分では「強くどんなものにも負けずに生きていこう」と思っていますが、人間ですから、自分の体調とか精神的なバロメーターがあります。

安永:変化しますよね。

塩沼:変化したりバイオリズムがあるので、常にいいバロメーターでいいテンションでいくのは難しいですよね。

友だちでもいいし親でもいいし、ふとした時や心が折れそうになる時に支えになり、つっかえ棒になるような人。この地球上に、誰か1人でも良き理解者を持つことが大事だと思いますね。

安永:1人でも良き理解者を持つ。

塩沼:はい。心と心でつながっている、たとえ常に一緒にいなくても、遠く離れていても、私を応援してくれている人がいる。「私のためにがんばってくれている人がいる」という感覚ですよね。

つらい時期、心の支えになった存在

塩沼:数値化できないけど実感できる感覚が、どんな困難をも突き抜けていくエネルギーになりますね。

安永:なるほど。

塩沼:これがなくなったら、自分も1,000日はできなかったかなと思います。もし万が一のことがあっても、修行中は連絡も取れないですからね。「遠く離れて会うこともできない母ちゃんやばあちゃんは、何をやっているかな?」と思う。

今も修行中は、手紙も電話もメールもLINEもできない。となると、「生きているかな。死んでるかな」と思っても、仙台で一生懸命自分の無事を祈ってくれている母ちゃんとばあちゃんがいるなと思うと、がんばる力になりましたね。

安永:お母さんやおばあちゃんみたいな、絶対的な存在。「その人たちのために僕はやっているんだ」というものが、すごく大事だということですよね。

塩沼:そうですね。あと、「これ以上はダメかな。前に進むことができないかな」と、本当に肉体的に追い込まれた時があったんです。

その時に思い浮かんだのが、貧乏時代に支えてくれたり、夕方になるとご飯を持ってきてくれたご近所の人とか、母の友人・知人とか、食うか食われないかという状態の時に助けてくれた人の顔が思い浮かぶんですよね。それが自分の力の源だったかなと思います。

人生は「誰かのため」に生きている

安永:今の塩沼さんのお話は、僕らでもできそうですよね。自分1人で生まれて1人で死んでいくんですが、生きている間は「誰かのため」に自分は生きているのではないかな。

亡くなったお父さんやお母さんかもしれませんし、今生きている人かもしれないけど、誰かのために生きている。「自分を必要としている誰かのために、こうやって自分は働いているのかな」と思う感覚がすごく大事ですよね。今のお話を聞いていて、あらためてそう思わせていただきました。

私は仏教者ではありますが、50歳になってから得度してこの道に入って、今は僧侶として仕事をしています。サラリーマンからコンサルタントを経て、今はお坊さんの仕事に移ってきましたが、外の世界から見るとこの仏教界はかなり遅れている。

先ほどちらっと塩沼さんがおっしゃっていたみたいに、人間の作る組織や社会ですから、嫉妬が渦巻く世界でもあるわけですね。

ほとんどの人がその中で働いているかと思いますが、俗世間の人々に対して塩沼さんから「こう考えて生きたらいいのではないか?」というアドバイスをいただけたらと思います。

塩沼:一言で言うと、自分のピュアな思いをそのまま貫いていくことが大事かなと思いますね。

安永:自分のピュアな思い。

塩沼:私は偉くなりたいとも思わないし、お金持ちになりたいとも思わない。ただ、今までの人類歴史の中で、こんなにも人生や社会をより豊かにするための宗教がありながら、世の中が争っていたり、大変なことになっている。

あらためて考える、宗教の本来の目的

塩沼:宗教を深く勉強していくと、どんどんと狭くなるような気がするんですよ。「うちの宗教はこうだ」とか、もしかするとそこに排他性も出てくるかもしれないし、独善性も出てくるかもしれない。

そうではなくて、太古の昔はみんなで助け合って、食料を分け合って、限られた人生を楽しく生きていたのではないかと思うんです。「困難をも鍛錬」と思う心で大自然と戦って、「みんなで力を合わせて短い人生を楽しく生きようよ」という原点に、宗教も返らないといけないと思うんですよ。

ただ、地球上に人類が多くなれば、いろんな考え方や多様性に対応していかないといけないので、都市化して殺伐とする社会になってくると、会社なんて特に目的至上主義になりますよね。

安永:そうですね。

塩沼:そうした場合に、「他を蹴落としてまで自分が偉くなりたい」とか「より利益を上げたい」という気持ちが出てくるのはしょうがない。それをケアするために宗教が生まれてくるんですが、その宗教ですら原点に帰る必要があって、その教えを体現したものが宗教の開祖だと思うんですよ。

安永:なるほど。

塩沼:「かつて我々の開祖がこう言った」「だからこうしないといけない」という時代から、坊さん一人ひとりが「釈尊がこう言ったんだ。だから自分もそれを体現して、具現化して、みんなに伝えていかないといけない」と考える。

「足るを知る」気持ちがないと、社会は上手く回らない

塩沼:宗教の原点は、清く正しく美しく生きていくこと、ピュアな心で生きていくことだと思うんですよ。これは経済もそうじゃないですか。利他的な心がなければ社会がうまく回っていかないし、どこかがしんどい思いをする。「足るを知る」気持ちがないといけない。

ちょっと話が長くなりましたが、けれども人間には欲があるから、10しかないものを2人で分けたら5・5になる。これでいいんだけれども、「うちが6で、あっちは4にしてほしい」「うちは7にして、あっちは3にしてほしい」というのは、ビジネスでよく言われる話です。

生きていく上で、会社にいる以上はみなさんもノルマとかがあって、自分自身も大変苦しい。これは現代の社会に生きる私たちが直面して、「しょうがないな」「仕方ないな」と諦めて生きていかないといけない部分なんだけど、ピュアな部分はどこかに残しておく気持ちが大事だと思いますね。

安永:なるほどね。「ピュアな気持ち」。

塩沼:当然、その気持ちでやればいじめられますよね。

安永:それはいじめられますよ(笑)。

塩沼:大変なこともあると思いますね。特に仏教界も、そういうことがなきにしもあらずだと思いますが、その中で自分がどう生きていくかも1つの楽しみとする。ほわんとした答えですが。

安永:わかりました、ありがとうございます。

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