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トークセッション(全6記事)

「凡才の最大の武器は継続力」 澤円氏が説く、文系エンジニアからのキャリアのスタート

プレゼン界の両巨頭、伊藤羊一さんと澤円さんによる新著『未来を創るプレゼン』の発刊を記念して、激変する環境の中で、悩みながらも一歩を踏み出そうとする人へのヒントとエールを送るイベントが開催されました。本パートでは、澤円氏が自身のキャリアを振り返りつつ、重要なカギとなった継続力と言語化の大切さについて語りました。

「プレゼンの神」の意外な子ども時代

辻貴之氏:続いて澤さんの今まで、そして今についてお聞かせいただければと思います。よろしくお願いいたします。

澤円氏:よろしくお願いします。これから20分間、ボクからお話をさせていただきます。

ボクも今までどういうふうに生きてきたのかをお話していくわけなんですけれども。実は子どもの頃の記憶って、ボクはちょっとあいまいなんですよね。あんまりはっきり覚えていなくって。ただ、覚えているのは「子ども時代はけっして人生を楽しんでいなかったな」ということだけなんですね。これはよく言っている話なんですけど。

なんていうんでしょうね……子どもの場として与えられているものを、あんまり無条件で楽しむことができないタイプだったんですね。むしろうっとうしいなと思ったり、あるいは、なんで子どもたちがこれを楽しいと思えるんだろうかと思ったり。ちょっとひねくれた子どもだったんですよね。

ですので、例えば小学校の頃、もう何が嫌だったかって、一番嫌だったのは運動会。これをけっこう楽しみにしている子どもが多かったんじゃないかなと思うんですけど。ボクは運動がとにかく苦手で、運動会が大嫌いだったんですね。

あとは遠足。楽しみで前の日に熱を出す子がいるのとか、意味がわからない。ボクは嫌で嫌で熱を出しそうでしたからね。それぐらい、団体行動とか何か決められたことをやるのがすごく苦手だったんですね。

あとは、みんなと同じことをするとか、みんなと同じように振る舞うことがどうしてもできないタイプの子どもだったという記憶があります。

中・高・大の受験にすべて失敗

実際に今の自分を作っているのも、ここが原点になっているのかなと思います。運動ができなかったというコンプレックスによって、運動会といったものがすごく苦手だったり。

あるいは遠足のように集団行動でどこかに行って「さあ、この場は楽しい場所なんだから楽しみなさい」と押し付けられるのが、もう本当に苦手だったんですね。

「なんで行き先も含めて自分で選べないんだ」と。そんなことをやったら教育現場というのは混乱しちゃうだけなんでうまくはいかないんですけれども。いずれにしてもこういったものはすごく苦手だったんですね。

ちなみにこれは中学に上がっても高校に上がっても、正直最後まで好きにはなれませんでしたね。ずっと好きではなかったかなと思います。

ちなみに小学校から中学校に上がるとき、中学校に上がって高校に上がるとき、大学に上がるとき、見事に全部受験を失敗しました。すごいでしょ、1個残らずですよ。

中学はまあ記念受験みたいなものだったのでどうってことはないんですけど、高校も第一志望だった公立高校……。ボクは兄貴が2人いるんですけれども、2番目の兄貴が行ってた高校を受けたら落ちまして、一応第2志望にしていた高校はあったんですけれども、これが入試を受けた当日に男子校だと知ったんですね。調べて行けって話なんですけど。

まあそこそこいい高校だったんですけど、周りを見たら男性しかいないので、「あれ、ここ男女分かれてるの?」と思って、赤本の予想問題集とか解いている、たぶんこの高校に詳しいだろうというやつに聞いたら「ここは男子校だよ」と言われてえらいびっくりして。「男子校!?」って。

結局、何が起きたかと言うと最後に滑り止めの高校に入ったんですね。ということで、いきなりここでも挫折をしているわけです。

大学は、高校でろくすっぽ勉強もせずに適当に受けて全部落っこちて、別に行く意味もそんなにないかなと。そもそもが、高校まではなんとなく行かなきゃいけない雰囲気ってありますけれども、大学はどっちでもいいというふうに思っていたので。

じゃあ大学はいいかなといって、ぼんやりと。絶対に行かないまで強い意志はないんですよ。「いいかなぁ」ぐらいな感じで、高校を卒業してからフリーターをやっていたんですね。

実はそんな感じで、まず受験というのは失敗しまくるし、しまいに大学に至っては、すごく中途半端な気持ちで行くか行かないかも決めかねてフリーターをやると。ちなみにずっと運送屋で働いていたんですけれども、そういったことをやっていたんですね。

計画的な行動は苦手

正直、誇れるような生活はぜんぜんしてなくてですね。どちらかというと、だらしない自堕落な生活をずっとしていたんですけれども。

ただ、おかげさまで大学は親父が「大学に行くんだったら学費をおごってやるからいけよ」というふうに言ってくれて。「行っておいた方がなにかと便利だぞ」と言ってもらって、大学に関してはすべり込みで入りました。

フリーターをやって、秋ぐらいから大慌てで勉強をしまして年明けから受験をしたら、短期集中でやるとなんだかうまく行くんですよね。

ですので、短期集中で3ヶ月か4ヶ月ぐらい、浪人生的な生活をバーッとやっていたら、どうにかこうにか入れる大学があって、それで大学に行きましたということなんですね。

繰り返しになりますけれども、何か計画をしてしっかりとやるというのは、ボクはまったくできないですね。ましてや、これをやらなきゃいけないからこうやって順序立てて、1日の中でこれぐらい勉強をしてという、羊一さんがやっているようなことを、ボクはいっさいできません。

さっきルーティンという話をおっしゃっていましたけれども、実は1日の中の、朝起きたらこういうことをやって、時間割をこういうふうにしてというタイプのルーティンを、ボクはまったくできないですね。

いきなり羊一さんの話を全否定ですけれども、あれは「羊一さんはできる、ボクはできない」ということで。これがさっきいったプロセスというのは個人ごとに違うんですよという話になるんですけど。

実はボクと羊一さんは、そこの部分がかなり大きく違います。ただ、何が違うのかというと、羊一さんのルーティンのリズムとボクの場合には違うリズムがあるんですね。

「やめ方が分からない」から継続し続けられる

ボクの場合にはなにかというと、これが強みというか武器にもなっているんですけれども、ボクのキーワードって継続なんですよ。これだけはなぜかできるんです。ムラはあるので、やるときとかやらないときとか、間が空くことはあるんですけれども、なんだかんだ言ってやめないんですね。ボクはこれによってずっと救われてきています。

ですので、何かルーティンできっちりとやることはぜんぜんできないんだけれども、何か始めたことをムラがあるとしても、どうにかこうにか続けるというスタイルも、ボクにとっては向いているのかなと。

いくつか分析をしていく中で、自分のありようとして非常に大きな要素の1つとなるのが、継続というものになります。ある人はそれを才能と呼んでくれることもあるんですけれども、ボクは才能だとは思っていないんですね。

なんでかというと、継続することで「継続力があっていいですね」と言われるんですけれども。ボクの受け取り方は逆なんですよ。やめ方がわからないんですね。どうやったらやめられるのかがわからないので、始めると止まれないんですよ。

ですので、何か始めようと思うと、始め方はけっこういいかげんだったりするんですよ。だけど始めてから1回どこかに何かフックが引っかかったような感触があると、やめられないんですね。ずっとそれを続けることができて。

最終的には、(何かを継続することと)「人に対して何かを伝えたい」というパッションを同時に持つことになります。

非常に長いルーティンを続けていく

例えばなんですけど、ボクは空手3段を持っているんですね。一応指導員という肩書きを師匠からもらっているんですけれども、始めたのは30歳からなんですよ。ちなみに、ぜんぜん強くもなんともないんですよ。

なんだけれども、やっているうちに「これは人として生きていくうえですごく役に立つぞ」と。「いいことがあるぞ」と。そして「(空手を)知らない人が多いな、だからこれを教えていこうじゃないか」と思うと、なんだかんだ言って、ずっと続けちゃうんですよね。

今でも会社でちょっと格闘技のクラブをやってみたり、もちろん自分自身で体を鍛えることもずっと続けています。要は継続、ルーティンというリズムというのがもっと長いんですね。非常に長いルーティンの中でずっと繰り返しているという、そういったことになるかなと思います。

そういった意味でいうと、体を整えた状態をなるべくキープする。それを、これ(上下動)はあるんだけど、このまま(下降線を表して)ずっとだらしない方向にはいかないということですね。

例えばコロナの(在宅勤務の)時期に入ってから、ボクは時間ができたということもあるし、自分で食事をコントロールしやすくなったということもあって、年初から比べると体重が7~8キロぐらい減少したんですね。非常に健康的に落とすことができたんだけれども。

それもある意味継続なんですよ。若い頃からなるべく太らずにちゃんと体型をキープすることをやっているだけなんですよね。むりやり減量したわけではなくて、ボクは長い目で見た場合の継続をしただけです。

こういう考え方もできる。ですので、何年か前はできていたことが今この瞬間はできないというふうに嘆く必要なんて1ミリもないわけですよね。ですので、ボクはとにかく継続をする。長いスパンで見て、今でもやっていると言えるのだったら、それでいいじゃんというのが、ボクの考え方になります。

文系エンジニアからのキャリアのスタート

そして、先ほど中高大と受験に失敗しまくったという話でしたけれども、仕事というところに関して少しお話をすると、ボクはエンジニアだったんですね。

だけど、文系エンジニアというやつで、経済学部出身なのです。1993年に社会人になっているんですけれども、要はまったくコンピューターに関する知識がない状態で、かつインターネットが世の中にまだ出ていない時代にエンジニアになったんですね。

正確に言うとプログラマーになったんですけど。プログラミングなんて、やったことなんてないんですよ。なのにプログラマーになった。これで飯を食おうだなんていい度胸ですけれども。

最初の2年ぐらいは、もう本当に役立たずですよ。だけど3年目に何が起きたか。3年目が1995年なんですね。何が起きたかというと、Windows95が出たんですね。別にボクは社畜として今ボクが所属してる会社の話をしようとかいうのではないんですよ。Windows95、つまりみんながインターネットの時代を味わうことになりました。

要はインターネットによって世の中の経済のあり方などが変わる前から、ITに携わることができたんです。めちゃくちゃラッキーだったんですね。

そして社会人になった最初の1日目から、本当に向いてないなとか、エンジニアはまったく得意な分野じゃないなとか、すごく思っていたんだけれども、さっき言っていたように始めるとやめられないんですね。

ですので、ずっとコンピューターの業界で働き続けていたら、インターネット時代が勝手に向こうからやってきて、そして何が起きたかというと、リセットが起きたんですね。

どういうリセットかというと、全員が初心者になったんです。なにしろインターネット時代(が始まったばかりの頃)というのは、インターネットはごく一部のエンジニアを除けば、誰も触ったことがないんですよ。

にもかかわらず、インターネットというものがWindows95とか、あるいは専門的な話になるんですけど、PC/AT互換機というものがあるんですね。パソコンの基本となる設計図が全世界的に公開されまして、いろんなメーカーが作れるようになって。そして1993年にコンパック・ショックというものが起きて。それでコンピューターの値段がぐっと下がってという。

そういう時代が1回訪れたんですけれども、そのおかげで誰もがコンピューターを手にすることができて、かつインターネットにつながるようになったんですよ。でも、そのときには、なにしろみんな触ったことがないし、コンピューターをぜんぜんしらんという人たちも……。一気にユーザーの層が増えたんですよね。

凡才にとっての最大の武器

ですので、どういうことが起きたかというと、ITの世界におけるボクの立場、ITのエンジニアにおけるボクの立場ってここ(底辺)だったわけですね。ですけど、インターネット時代ができたら、裾野のほうが勝手に増えたんです。ボクはこの人たちに対して説明するのがすごく得意だったんですね。

先ほど言ったように、ボクは空手の指導員をやっています。あとはスキーの正指導員を持っているんですけれども、運動音痴なんですよ。運動音痴がスポーツを教えると、すごくわかりやすいんです。

なぜかというと、なんでできないのかを自分自身が理解したうえで、できるようになっているんですね。もともと天才肌の人は、なんか知らないけどできるから天才なんですよ。そこが大きく違うんですね。

ボクは凡才なので、そして凡才にとって、もっとも武器になるのが継続なんです。継続をしていると、数多くの失敗を他の人たちよりもものすごく多く蓄積することができるので、結果的には情報量が増え、さらにそれを他の人に伝えることによって、非常にありがたがられるわけなんですけれども。

言語化しなければ人に伝えられない

そのアプローチをお話しすると、最近だとGO三浦(崇宏)さんとかもよくおっしゃられていますけれども、言語化することはすごく大事です。言葉に落とすことをやっておくと、非常に役に立つわけですね。言語化をすることによって、人に伝えられる状態になります。言語化をしておかないと、人に伝えられないんですよ。

これは、よく講習の中でもボクが言うんですけれども。言語化ができている状態とできていない状態というのを、一発で試すことができる。要するに知っているけれども理解したことがない。理解していないという状態を試す1つのやりかたがあるんですね。

みなさん、手元で漢字でバラと書いてみてください。書けますか? ほとんどの人がクサカンムリの段階でこけます。もう、クサカンムリから先へはぜんぜん行かないんですね。それっぽい象形文字みたいなものを書く人もいますけど。バラってこうやって書くんですね。

こうですね。クサカンムリを書いて、土を書いて、人、人と書いて、漢字の回る。これでバラの薔。そして、クサカンムリでギョウニンベンを書いて、山、一と書いて、そして一、棒ななめ、縦にピッとやって、ノ・又。これで、薔薇です。薔薇。書けましたよね。

どういうことかというと、ボクは言葉に落としている。ボクはしゃべりながら書きましたよね。クサカンムリを書いて、土を書いてと。なので、再現できるんですよ。言葉に落としていないと、「あれ、どうやったっけな」となっちゃうんですね。

ですので、言葉に落とすことがすごく重要かなと。そして、今は言葉に落としておいて、それを伝える手段ってむちゃくちゃいっぱいあるんです。SNSだってそうだし、例えばこういうオンラインのセミナーだってそうだし、ボクが毎日やっているVoicyだってそうだし。言葉に落とせば他の人に伝える手段っていくらでもあるわけですよね。

自分が得意なことや嫌なことを言語化してみる

ボクはアホみたいに続けてきて、ものすごくたくさんの失敗をして、その失敗を「なんでかな」と分析して、そのなんでかなというところからわかりやすくするピースを拾っていってそれを集める生活をしているんですね。

これがさっきいった、ボクのちょっとリズムの長いルーティンなんです。それを継続していくことによって、ボクは「人に伝えることができる」というのをずっと伝え続けているわけですね。

ですので、「特別なことをしているわけじゃないですよ」とか、「ボクらは特別な人間じゃないですよ」と羊一さんがよく言っているのはそういうことなんですよ。アプローチは違えども、このプロセスって模倣しようと思えばしていただけるんですね。

ただし、それによって何を伝えたいのか、何をやりたいのかは人によって違うのかもしれないですけども。ボクはとにかく昔からずっと嫌だったこととか得意だったことを知らず知らずのうちに言語化していたんですね。

そして、子どもの頃に嫌だったことも、運動会だから恥をかくのが嫌だとか、他の人と同じように振る舞うのが嫌だとか、なぜそうだったのかを言語化しているので、ボクはみんなと同じようなことをする集団行動を徹底的に避けられるようなポジションを、ずっとキープしながら今の社会人生活を送っているわけですね。

だって、法人営業の業務執行役員というポジションをいただいているんですけれども、この長髪は一般的に言えばありえないんですよね。ですけど、それはユニークであると認めてもらえるようなアプローチをずっとしているから(できているん)ですね。

ですので、もちろん恥をかくのが嫌だということに対しても恥をかかないようにするために……。でも、失敗はするんですよ。恥はかくんですよ。だったら二度としないようにはどうすればいいかという学習をするしかないんですよね。

「やらない」という選択肢がないんですよね。なぜかというとボクはやめ方がわからないので、ずっと続けちゃう。だから学習していくという感じですね。ボクの今までの生き様はこんなところですかね。

というわけで、この後はマイクを1回辻さんにお返ししまして、この後のセッションを続けていきたいと思います。ありがとうございました。

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